
バスキュールの電脳女子。
- 2013.03.13
- SERIES
- インタビュー・テキスト:宮崎智之(プレスラボ)
- 撮影:すがわらよしみ
Profile
荒木 千穂
1983年生まれ。埼玉県深谷市出身。2009年に武蔵野美術大学映像科卒業後、バスキュールに入社。在学中には進級制作で作った映像作品『ARAKIEFFECT』で『アジアデジタルアート大賞』B部門で大賞を受賞した。現在はディレクションを中心に企画、制作進行に従事している。
今までの自分を変えたい!
―お会いした瞬間から、ツートーンの髪形が印象に残りました。美大出身だと、「幼少期から変わっていた」というエピソードをお持ちの方が多いと思いますが、荒木さんはどうでした?
荒木:今とは真逆ですね(笑)。小学校の頃はとにかく人とのコミュニケーションが苦手で、趣味は進研ゼミ! みたいな、いわゆる「ガリ勉」でした。3段階評価でオール3ばかり取っていたので、勉強は得意な方だったと思います。中学校では陸上部に入っていましたけど、明るいタイプではなく、どちらかというと根暗で地味な子でした。
ー根暗……?
荒木:はい。でも物心つくころから、絵本とテレビは大好きでしたね。親の話では、小さい頃にテレビが砂嵐になっても、かぶりつくように見ていたそうです。
―(笑)。なにかこれまでに、自分が変わるきっかけのようなものがあったんですか?
荒木:ありますね。現在に至るまで、合計3つの「プチ改革」を実施しまして。
―「プチ改革」? とても気になります。
荒木:まず1回目の「プチ改革」は、高校に入学したとき、勉強をパタリとやめてしまったことです。とにかく、それまでと違う自分になりたかった。昔から絵が得意で高校は美術の推薦で入ったので、「自分は絵画の巨匠になるんだ!」と思い込んで、美術ばかりに打ち込むことにしました。ずっとしていた眼鏡もコンタクトレンズにして、スカートも短くして……いわゆる「高校デビュー」ってやつですね(笑)。でも、そうやって自分の意識や外見を変えることで、だいぶ明るい性格になったと思っていて。
―なるほど。そのまま美大進学を決めたという感じですか?
荒木:はい。でも、初めは東京藝術大学への進学を目指していたんですが、何度も受験に失敗して……。3浪したところでさすがに「このままではやばい!」と思って、進路を再考したんです。
―武蔵野美術大学の映像学科を選んだ理由は何だったのでしょうか?
荒木:もともと高校生の頃に、一人で埼玉から渋谷の「シネマライズ」に行くくらい、ミニシアター系の映画にハマッていて。あと、綺麗で優れたグラフィックを見ると、それを動かしてみたくなる衝動に駆られることに気が付いたんです。そんなことから「私、映像も好きかも」って思いまして。それで急遽、私大受験に切り替えて、ようやく大学生になることができました。
アラキエフェクト!?
―大学生活はどんな感じでしたか?
荒木:3浪していたこともあり、同級生は年下ばかりですぐには馴染めなくて、韓国人の留学生とばかりつるんでいました。彼女たちは一度、日本語学校を卒業してから大学に入学してくるので、年齢も近いんです。でもやっぱり昔からのコミュニケーション下手は直ってなかったと思います。そんな自分を変えたくて、2回目の「プチ改革」を実行することにしました。
―今度はどんなことをしたんですか?
荒木:思い切ってバーでアルバイトをすることにしたんです。一見、普通のことのように思えるかもしれませんが、昔の私を知っている人からすると、「そんなことできるの?」って驚くと思います。初対面の人と話すことなんて、全くできない子でしたから。そんなんだから、バーで年齢も職業も出身地もバラバラなお客さんと毎日話すことは、本当に辛かったけど、いい修行になりました。
―平行して作品作りの面でも、2008年に福岡県で開催された『アジアデジタルアート大賞』を受賞なさったと聞いています。
荒木:それは3年次の進級制作で作った『ARAKIEFFECT(アラキエフェクト)』という映像作品です。「アラキ」というと、どれだけ自分が好きなんだよ! って感じですけど、別に自分を撮影した作品というわけではないです(笑)。大学の図書館にある石膏像を撮影し、同じ動画を300枚以上重ねて1ピクセルずつずらしていくという手法を試してみたんです。動くダリの絵画のような映像になるかな、と。
―それは、もともとやりたかったことを表現した作品でもあるんですか?
荒木:表現したいものを詰め込んだというより、実験映像のような感覚です。そもそも、私は新し物好きではあるんですけど、なにか強いメッセージを表現したいっていうわけではないんですよ。だから、手法から出発することが多い。今も自分の表現について自己分析をするんですけど、やっぱり答えが出ない。わかっているのは、「おとなしいシャイガール」っていう部分と「アッパーなオタク」という両側面を持っているっていうことくらいですね(笑)。
―おもしろい分析です(笑)。その他、大学生時代にはどんなことを?
荒木:色々と変革をしつつも、やっぱり根はまじめなので……、とにかく早めに就職活動しようと思っていて。それで片っ端から履歴書を送って、映像の制作会社でインターンをしていました。CM撮影の現場で、タレントさんにお茶を出したり、お菓子を買いに行ったりと雑用の仕事が主でしたが、現場の雰囲気や制作工程を知れてとても勉強になりましたね。
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- バスキュールとの出会いが、インターネットとの出会いだった
バスキュールとの出会いが、インターネットとの出会いだった
ーその後、現在のバスキュールでインターンをはじめたとのことですが、そもそも出会いのきっかけは?
荒木:インターン先だった映像制作会社のプロデューサーの方から、バスキュールを勧められたのがきっかけです。実は私、それまでは検索エンジンで調べものをする以外、ほとんどインターネットを利用していなかったんです。当然、「バスキュール」という社名を聞いてもはじめは「変な名前だな」としか思わなかったのですが、実際にバスキュールが手掛けた男性用化粧品ブランド「AXE」のキャンペーンサイトを見たときに、度肝を抜かれてしまいました。
ーそれはどういったところに?
荒木:とにかく、ふんだんに動画を取り入れたサイトだったんです。ウェブでもここまで表現することができるんだと、衝撃が走りましたね。それでウェブというものに可能性を感じたんです。私は周りより3年社会に出るのが遅くなってしまうので、映画やCMのように下積みが長い業界よりは、まだ前例の少ない新しい業界で頑張った方が、「早く一人前になれる!」っていう想いもありました。
ーそれで、ウェブ業界への就職を考えたんですね。
荒木:はい。だからバスキュールとの出会いが、インターネットとの出会いといっても過言ではありません。本来、初めは2週間ほどのインターンだったんですけど、「もう少し、居させてください」と粘って、結局1年間、居座り続けました(笑)。当時は、見るもの全てが新鮮でしたね。でも、特にウェブのスキルとか経験があるわけではなかったので、実際の制作業務を手伝うことは少なかったです。ただ私の席があって、社員が働いている姿を観察しているだけ。大学の卒業制作も会社のデスクで作っていました。
ー卒制まで(笑)。でもそんなバスキュールとの出会いが、第三の「プチ改革」だったと。
荒木:そうですね。私は自分を変えようと思ったときに、新しい環境に飛び込もうとする癖があるみたいで。この改革で大きかったのは、やっぱりインターネットとの出会いだったと思います。それまでほとんどネットに触れないデジタル音痴だったので、一気に趣味や興味の幅が広がりました。
ー「アッパーなオタク気質」がさらに開花していったんでしょうか……。それで、実際に入社してからは?
荒木:始めはアルバイトでしたが、劣等感のカタマリでしたよ。周りは才能と経験がある人ばっかりなので。こうやって仕事が進んでいくんだとか、こんなに頻繁にミーティングするんだとか、企画書ってこうやって書くんだとか、とにかく見よう見まねでやるしかなかったので、ひたすら観察していました。「これを突破すれば、私は成長できる!」って、ほんとにモチベーションといえばそれだけですよ。だから、バスキュールに入って凄い人に少しでも追いつく。がむしゃらにやっていけば、未来は少しでも見えてくると思って今までやってきました。
自分らしさを仕事で表現したい
ーハングリーですね。そんな中で、一番印象に残っているお仕事はなんでしょうか?
荒木:去年の3月に放送された『MAKE TV』(TBS)に関わった事ですね。画面に向かって操作すると、スクリーンの向こう側に映っている様々なモノをコントロールできる「DOT SWITCH」というAndroidアプリを作りました。放送当日は、アメリカの歌手KARMIN(カーミン)のPV撮影とも連動していて、アプリの反響で番組内のセットがクラッシュしていくという、ソーシャルライブミュージックビデオを作る体験を生み出しました。
ー面白そうですね。その中で、荒木さんはどのような立ち位置だったんですか?
荒木:私は主にウェブの制作進行と、現場のオペレーションをしていました。関わる人数も多かったし、サイトからアプリ、TVのテロップ等作るものもすごく多かったので、手がまわりきらない程大変でしたね。でも、たくさんやる事があったおかげでメンタルがめちゃくちゃ鍛えられたプロジェクトでした。TVの人達と一緒になるのも初めてで新鮮でしたし。今は6月に向けて自社コンテンツを進めている最中なのですが、今年はそれが最も印象に残る仕事になると思います。今はまだ詳細は秘密なので……お楽しみに!
ーはい(笑)。でも経験ゼロの状態から、徐々に成長していったんですね。
荒木:と、言いたい所ですが、まだまだです。入社したころに比べると、色々経験値がたまった分、多少は自分に自信が持ててきましたけど、堂々と「ディレクターです!」と言えないというか……。アシスタントからディレクターになって1年くらいですが、自分自身のやり方というか、自分の色をもっと出して、仕事をしていきたいです。それが、無能な私を拾ってくれた会社への恩返しだと思っています。20代最後の歳なので、それが第4のプチ革命になるのかなぁ……って。
ー「恩返し」って、なんかすごく謙虚ですね。
荒木:いえいえ。後は、2013年の東京インタラクティブ・アド・アワードがお休みなので、個人的に外部の人と、女性だけの審査員を集めて、女性目線で作品を審査しようという活動を立ち上げたんですよ。今、企画中なんですが、これを形にしていきたいですね。Tokyo Interactive Women AWArds、通称TIWAWA(チワワ)っていいます。例えば、女性の生理用品のアプリとかあったとしても、絶対男性には評価できないと思いますし。
ー面白い試みですね。では最後に、今後の目標など聞かせていただけますか?
荒木:そうですね……。私は今まで、どんなにキツいと思ったことがあっても、一度もそこから逃げ出したいと思ったことはないんです。それはやっぱり、そこで耐え抜けば「新しい自分になれる!」って思っているから。意外と体育会系なんですね、きっと。これからは私が関わった仕事を「これ、荒木さんらしいね」と言われるよう、自分らしさの出せる、一人前のディレクターを目指して頑張っていきたいと思います。
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私としごと
「好きなこと」を仕事に。異業種から「ポケモンカード」のゲームデザイナーへ
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