Interview 私としごと

アートへの情熱でたぐり寄せた天職

Tokyo Art Beat
セールスマネージャー
田原 新司郎

東京近郊のアートイベントを網羅した情報サイト、Tokyo Art Beat(以下TAB)。アート好きの人ならば、美術館やギャラリーの展示を検索するために一度は利用したことのあるサービスではないだろうか? そんなTABの運営スタッフとして広告営業を担当する田原さんは、大学時代にアートの世界に引き込まれ、導かれるようにしてこの仕事に辿りついた。美大出身でもなく、美術史を学んでいたわけでもない。それでも「好き」だと直感で感じたことを仕事にできたのはなぜか、生い立ちを紐解きながら伺った。

プロフィール

田原 新司郎

1983年生まれ。北海道函館市出身。大学在学中、趣味の写真をきっかけとして数多くのギャラリーに足を運ぶ日々を過ごす。大学在学中からのバーテンダーのアルバイト、101TOKYO Contemporary Art Fairインターンなどを経て、2009年よりTABの正式スタッフに。現在は同セールスマネージャーとして広告営業・TwitterなどのSNS管理のほか、PRや編集作業などを担当。

東京近郊のアートイベントを網羅した情報サイト、Tokyo Art Beat(以下TAB)。アート好きの人ならば、美術館やギャラリーの展示を検索するために一度は利用したことのあるサービスではないだろうか? そんなTABの運営スタッフとして広告営業を担当する田原さんは、大学時代にアートの世界に引き込まれ、導かれるようにしてこの仕事に辿りついた。美大出身でもなく、美術史を学んでいたわけでもない。それでも「好き」だと直感で感じたことを仕事にできたのはなぜか、生い立ちを紐解きながら伺った。

インタビュー・テキスト:野出木 彩 撮影:すがわらよしみ(2014/7/24)

アートの世界に入ったきっかけは、馴染めない大学生活からの反動だった

―幼い頃から、アートに親しむ機会は多かったんですか?

田原:いいえ、実は幼少期に美術館に行った記憶は全然ないんです。父はサラリーマン、母は専業主婦といういたって普通の家庭で、両親がアートに関わる仕事をしていたという訳でもありません。また、進学校だったせいもあり、高校3年間は美術の時間が一切なかったんです。大学を選ぶときも、最初は認知脳科学や、言語学といった分野に興味を持っていたんですが、結局2浪してしまい……。諦めてセンター出願で通っていた大学の法学部へ進学することに。しかし、入ってみたものの大学の授業に本当に興味が持てなくて(笑)。アパートに引きこもって、「せっかく上京してきたのにこれでいいのかな?」と鬱々とした日々を過ごしていました。

―サークルなどには入っていなかったんですか?

田原 新司郎

田原:写真部に入っていましたが、あまり積極的には参加していませんでした。でも写真を撮るのは好きだったので、FotologというFlickrの前身のようなSNSサイトに登録し、作品をアップしたりしていましたね。世界中のユーザーからフィードバックをもらえるのが面白くて。

—その頃、写真家になろうという気持ちもあったのでしょうか?

田原:なれたらいいなとは思っていましたが、全然現実味はなかったです。写真で食べていくのは相当難しいだろうなと感じていましたし、この頃からギャラリーに足を運んで写真展を見て回るようになっていたので、自分より才能のある人がたくさんいるということも痛感していました。見に行く日は、1日10軒くらいの展示をハシゴしていたんです。大学に馴染めなかった反動もあって、そちらに関心が向いていったんでしょうね。家に引きこもるか美術館・ギャラリーにいるかのどちらかの日々を送り、案の定大学の単位は全然足りず(笑)。3〜4年で80単位取らねばならず、かなり苦労しました。

—1日10軒も見てまわるとは、ものすごいフットワークの軽さですね。

田原:何がいい作品なのかを、自分の価値判断で見れるようになりたかったんです。そのためには量を見て、日々更新されるアートの表現やコンセプトにも追いついていかなくてはと思っていて。特に印象に残っているのは、ドイツ出身の写真家、ヴォルフガング・ティルマンスの個展ですね。オペラシティで開催されていた個展なのですが、規模も大きくて見応えがあり、感動したのを覚えています。

アートフェアの仕事は、意外にも体力勝負だった

―ではその頃は、TABはユーザーとして使っていたのでしょうか?

田原:はい。ギャラリーの検索でいつも利用していました。そんな中、TABの1周年パーティーに行く機会があったんです。その後、仕事にかかわるようになったのは、TABの設立者である藤高が運営していた、「101TOKYO Contemporary Art Fair(以下101TOKYO)」というアートイベントのスタッフがきっかけです。50人くらいのボランティアスタッフをまとめるマネジメントを任されたのですが、それがとにかく大変でした。右も左も分からないまま、タイムリミットに迫られて日々必死という感じで。今もう一度やってくれと言われても、やりたくないです(笑)。また、101TOKYOは国内外のギャラリーが半々ずつ参加するイベントだったので、現場では英語で説明や交渉をしなくてはならないシーンも多く、それも苦労しました。しかし、そのイベントで知り合ったギャラリーの方に海外のアートフェアに誘って頂いたり、他の仕事にもつながっていくきっかけにもなったと思います。

―海外のアートフェアというのは、どちらへ?

田原 新司郎

田原:香港とスイスへ行きました。でも、ギャラもほとんど出ませんし、渡航費だけなんとかお願いしてギリギリ支給してもらったという感じでしたよ。現地でも、梱包された作品を木箱から取り出したり、壁にドリルでビスを打ったりという肉体労働がメインです。ギャラリーには女性の方が多いですが、裏方は本当に体力勝負なんだなと知るきっかけになりました。フェアが始まると、今度は一日中立ったままで接客です。かつ英語で、セレブなアートコレクターたちをもてなさなくてはならないので、一日が終わるとくたくたで……(笑)。でも、スイスのフェアに行ったときには、あのオペラシティでの写真展を見て惚れ込んでいた、ティルマンスが出品していたんです。パーティーで本人がいるのを見つけ、ここぞとばかりに友達っぽく「元気?」なんて話しかけて、握手しに行きました(笑)。

―憧れのアーティスト本人に会えたとは! ちなみに、お話を聞いていると田原さんは語学が堪能だという印象を受けるのですが、英語はどこで身につけられたのですか?

田原:外国人にもよく「どこで英語を覚えたの?」と聞かれることがあるんですが、実は英語圏に行ったことが一度もないんです。強いて言えば、受験英語で文法や語彙をみっちりやっておいたことがベースになっているのかもしれません。上達の秘訣などは自分でも分からないのですが、とにかく積極的に話しかけること、あとは英語の受け答えのリズム感を大事にすることは意識しています。

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