Interview 私としごと

自分たちで仕事をつくり出すこと

株式会社東京糸井重里事務所
田口 智規(デザイナー)

グラフィックデザイナーの田口さんが席を置く東京糸井重里事務所は、社員50人、年間売上げ27億円という、業界でも一目置かれる優良企業だ。その売り上げを達成するべく全員が血眼になって働いているかと思いきや、会う人誰もがゆったりした雰囲気で、なんだか、仕事も人生も楽しそう。田口さんに伝えると、「よく言われますが、意外とちゃんと忙しくて、厳しいことも普通に言われるんですよ」と言い、一笑した。忙しくても、楽しい。厳しくても、前を向ける。その笑顔の中に、仕事に必要なことのすべてが映されている気がした。独特なワークスタイルで築き上げた、デザイナー田口さんの「働き方」を伺った。

プロフィール

田口 智規

1979年生まれ。広島県出身。京都市立芸術大学デザイン科卒業後、デザイン会社である株式会社ジイケイ京都に新卒入社。グラフィックデザイナーとして5年間勤続。2007年、株式会社東京糸井重里事務所に入社。「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎日更新されるコンテンツのウェブデザイン、商品開発などに携わる。現在は、同社の主力商品であるほぼ日手帳のデザインチームの一員としても活躍。投げかけられた提案を即座にデザインに落とし込む早技の持ち主で、社内では「寿司デザイナー」と呼ばれ、頼りにされている。

インタビュー・テキスト:早川すみれ 撮影:すがわらよしみ(2013/9/19)

「とんち」をきかす大学生活

―田口さんは、大学でデザイン科を専攻されていますが、いつからデザインに興味を持ち始めたのでしょう?

田口:きっかけは、高校2年生のときです。広島の田舎の高校で、電車が1時間に1本ぐらいしかなく、学校帰りは駅の近くの本屋で時間を潰すのが日課でした。それが毎日のことだから、読む本がどんどんなくなっていくんです。最初は、店の入り口にある『ジャンプ』や『マガジン』。次は、雑誌コーナーで『メンズノンノ』を読んで、だんだん店の奥に進むうちに辿り着いたのが、美術コーナーでした。そこで、横尾忠則さんの本を見つけたんです。芸術なのか、デザインなのか、高校生の自分にはなんだかよくわからないけど、あまりにカッコよくて、雷に撃たれたように、「わぁぁぁーっ!!」となっちゃって。

—その衝撃が、進路の決め手になったと(笑)。

田口 智規

田口:ものすごいインパクトだったんです。それまでは漠然と考古学者になろうと思ってたんですけど、先生に「考古学ってすごく地味な仕事だよ」と言われてがっかりしてた時期だったこともあり。だから「これしかない!」と思って、デザインの道を目指すことにしました。絵を描くことは好きだったけど、学校は普通科の高校。高2の終わりの三者面談で、急に「美術大学に行きたい」と言い出したもんだから、先生にも親にも「急に目指して受かるほど簡単じゃないんだぞ!」って怒られたのを覚えています(笑)。

―それで大学生活はどんな感じでした?

田口:京都の美大だったんですけど、大学では「とんち」と呼ばれていました(笑)。一休さんの「とんち」です。授業で課題が出ると、周りのみんなは1週間かけて制作するのですが、僕は前日に、「とんち」みたいな屁理屈を考えて作るんです。例えば、ベニヤ板で椅子を作る課題では、ただ椅子を作っても面白くないと思って、本棚を作ったり。だって、そこに自分の読みたい本があれば椅子がなくたって座りたくなるでしょう? って(笑)。もちろん、先生には怒られましたけどね。そんな感じの大学生活だったから当然、就職活動も全くダメで。周りはどんどん内定が決まっていく中で、自分は最後まで決まらないまま。そんな僕を見かねた先生に推薦してもらったのが、ジイケイ京都というデザイン会社でした。

―藁にもすがる想いでの就職とも言いましょうか。社会人になったときの感想は?

田口:晴れてグラフィックデザイナーになったわけですが、最初の頃は、まったく仕事が面白くなかったんですよ。学生のときから好き勝手をしていたし、美術やデザインの本にはかっこいいことばかりが書いてある。しかも、憧れていたのは横尾忠則さん。なのに、実際にデザイナーになった僕はと言えば、洗濯洗剤の「消臭力アップ」という部分を何週間もかけて作るとか、日本語表記のマニアックなロゴを作るばかり(笑)。「こんなはずじゃなかった!」と、もどかしく思っていた自分もいましたが、今思うとそれは実力のなさゆえに仕事に面白さを感じられなかっただけなんです。その後の5年間はたくさんのクライアントワークを通して、多くのことを学んでいきました。

念願の「ほぼ日」か、それとも「アメリカ」か

―そこでグラフィックデザイナーとしての基礎を築いたんですね。では、7年前に糸井重里事務所に転職したのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

田口:ジイケイに就職して5年目。社内の雰囲気もいいし、技術も身についてきて、案件を自分で請け負うこともあり、どんどん仕事が楽しくなってきた時期でした。そんなときに、「ほぼ日」でデザイナー募集の記事を見つけたんです。もともと「ほぼ日」は大学生の頃から好きで、就職してからも、よく昼休みに読んでて。当時は嫁に、「ほぼ日でデザイナーの募集があるんだ」と軽く話したくらいのつもりだったんです。でも、僕が「受けようか、受けまいか」って、あまりにも繰り返し言うものだから、「そんな言うんやったら、受けたらいいやんかっ!」って怒られて(笑)。結局、締切ギリギリに応募することになりました。

―奥様の後押しもあったんですね(笑)。面接のときのことを覚えていますか?

田口 智規

田口:確か、一次試験は、エントリーシートとポートフォリオと、「ほぼ日」のロゴを作るという課題の提出だったかな。ダメもとで応募したから、1次試験通過の知らせには驚きましたね。2次試験は、「ほぼ日」のコンテンツのリニューアル案という課題があって、それを持って東京本社で面接。午後の面接だったからお昼をどこかで食べなきゃと、オフィスのある青山をうろついていたんだけど、どこに行ってもおしゃれな店ばかり。今まで数えるほどしか東京に来たことのなかったので、「都会だなぁ」ってそわそわしていました(笑)。

―それで、念願の採用へと。

田口:凄い嬉しかった反面、悩んでもいたんですよ。合格通知は9月頃だったけど、翌年の3月まではジイケイの仕事が残っていたんです。もともと積極的に転職しようと思っていたわけではなかったし、翌年、僕はアメリカ支社に行くような段取りになってて。試験を受ける前には実際にアメリカに連れて行ってもらい、現地のクライアントと会食をしたりして、このままいれば来年はアメリカ勤務。それも面白いな、っていう気持ちの揺らぎもあったんです。だから憧れの糸井事務所に合格したものの、迷いは消えることはなく、自分がこの先どうしていきたいのか、そのときは人生の中で一番悩んだ時期だと思います。

―それは大きな選択ですね……。確かに、すんなりと決められるものではなさそうです。その半年間で答えは出ましたか?

田口:ものすごく考えたけど、結局答えという答えは出ませんでした。僕ってもともと目標を立てて動くタイプじゃないんですよ。どちらかというと気分に任せてしまう。ただ、今までの延長じゃなく何か新しいことに挑戦したい、っていう気持ちがあったのが今の会社を選ぶ後押しにもなりました。自分にとって糸井事務所で働くことも、東京に引っ越すのも、きっといい転機になるだろうという想いで。

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