Interview 私としごと

ベンチャーキャピタルからクリエイティブ業界への転身

ガスアズインターフェイス株式会社
重村 正彌

5年間努めた大手ベンチャーキャピタルから一転、クリエイティブ業界へ飛び込んだ重村さん。クリエイターとクライアント、ユーザーのプラットフォームをつくる「ガスアズインターフェイス」はもともと、前職での投資見込先として出会った会社だった。金融・投資業界からものづくりの現場へ。異業種を渡り歩く中で、重村さんがこれまで一貫してきた仕事観とは何なのだろう。

プロフィール

重村 正彌

1979年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、大和証券グループのベンチャーキャピタル「エヌ・アイ・エフベンチャーズ株式会社(現:大和企業投資株式会社)」に入社。5年間勤務したのちに退社し、「ガスアズインターフェイス株式会社」へ入社。現職では、企画営業をはじめ、総務、人事、経理などもこなす。

インタビュー・テキスト:小野田 弥恵 撮影:すがわらよしみ(2013/2/7)

坂本龍馬になるより、彼を支える寺田屋お登勢になりたい

―重村さんは学生時代、クラスのなかでどんなポジションでしたか?

重村:小学生のころはわりと静かなタイプでしたね。教室のすみっこで、マイナーな雑誌をくすくす笑いながら読んでるヤツみたいな(笑)。小学校は受験校で成績絶対主義! みたいな校風だったから、そこそこ上手く立ち回ってはいたんですが、価値観を押し付けられるのがすごく嫌でして。でも一方で、ここの校訓が今でも自分の価値観にすごく影響しているんです。「人のお世話にならぬよう、人のお世話ができるよう」という教えなんですけれど。

—迷惑をかけず自由にやるが、人のサポートをしよう、といいますか。

重村 正彌

重村:中学からは慶應義塾大学の付属校で、SFCの一期生だったんです。そんな、先輩が誰もいないという状態からのスタートだったから、本当に自由でしたね。運動会の出し物は何をするかということから、自分たちで考えたりして。この頃から、みんなで何か考えたり、仕切ったりすることが好きでしたね。でも、僕は委員長や応援団長をやるタイプではなくて、その周りでヤジをとばして、トップを盛り立てるポジションだった。今の仕事観にも一貫しているのですが、僕は何かやりたいことがある人のサポートをするのが、一番面白いと感じるんです。飽きっぽくて、自分で1つのことをずっとやろうとしても続かないから、っていうのもあるんですけれどね(笑)。

―そんなサポートしたいモチベーションが、新卒で入社したベンチャーキャピタルを志望するきっかけにつながったのは?

重村:大学で中小企業論を専攻していたのですが、たまたまアメリカのベンチャーキャピタルの人が講演する機会があって、当時アメリカでベンチャーキャピタルが盛んだってことを知ったんです。経営コンサルと違って、ベンチャーキャピタルはロジックを使うだけでなく、実際に投資をすることでリスクを背負いながら企業にコミットしていく。何かを実現したい人や企業に対して自分自身もより突っ込んでいける。そこに魅力を感じたんです。

―それで就活は上手くいったんですか?

重村:新卒の採用をしているベンチャーキャピタルは当時、国内にも5社あるかないかくらいだったので、すべて受けました。面接では、面接官のおじさまたちの前で幕末の例え話をして、「僕は坂本龍馬になるより、彼を支える寺田屋お登勢になりたいんです!」なんて口説いたらわりとウケるかな、なんて考えたりして(笑)。結果、エヌ・アイ・エフベンチャーズ株式会社(現:大和企業投資株式会社)に入社しました。

もっと現場に! と転職を決意

―確信犯ですね……(笑)。そこでは実際にどのような仕事をしていたんですか?

重村:新人のころからすでに、出資先の会社を探して、例えば、一億円投資するためのプレゼンを10人くらいの役員の前でしていましたね。いわゆる年功序列みたいなものは全くなくて、どの会社に出資するのかを決めるのも自分。だから「これをやれ」と指示されることがない分、自分がやりたいことに向かって邁進できる環境が肌に合っていたみたいで。

―金額の規模も凄いですね……(笑)。具体的に、どんな企業に投資を行っていたんですか?

重村:当時、すでにITバブルは弾けていましたが、それでも周りではインターネットやテクノロジー系の会社に投資しようとする風潮がありました。でも僕は、コンテンツに投資したかったんです。例えばケータイゲーム、オンラインゲーム、音楽、アニメや映画などですね。

―なぜコンテンツに興味が?

重村 正彌

重村:テクノロジーには特許など、対外的に誰かが認めた証明書みたいなものがあるから、誰にでも価値が分かりやすいと思っています。一方でコンテンツは嗜好性が強いから、価値判断の指標がつけにくいじゃないですか。今でこそ「CAMPFIRE」のようなクラウドファンディングも認識されてきていますが、当時はコンテンツに価値付けをする人があまりいなかったんです。だからこそ、この分野は面白いんじゃないかなって。そのころは映画に興味があったので、映画プロデューサーの養成講座を自腹で受けて、アメリカの映画づくりを学んだり、海外の映画を日本に持ち込んでいる会社を探して出資したり、色々していましたね。

―徐々に、今の業界へと繋がっていくように感じます。それで転職しようと思ったきっかけは?

重村:ある程度、仕事も経験させてもらって、今度はもっと現場に深くコミットしたいと思うようになったんです。投資先の役員会などで、社長さんに「なんでこんなに数字が悪いんですか?」とか「こうしましょう!」などと口を挟むこともあって。もちろんそれも仕事なのだけど、内心「自分がやったこともないのになんでこんなことが言えるんだろうか……」っていう矛盾した思いも強くなってきて。もともとの飽きっぽさも重なって、そのときの仕事にも満足してきた自分もいたんでしょうね。だからもっと実務的で、かつ、いろんな業種を横断できる仕事がしたいと思っていたときに、当時の上司の紹介でいまの会社に出会ったんです。

Next Page
ソリューションとしてのクリエイティブ

この業界で人材を募集中の企業