Interview 私としごと

直感に素直に、心が動くものを追い求める

有限会社euphoria FACTORY
菅原 信子(編集)

トラベルカルチャー誌『TRANSIT』の妹分として期待される、日常と旅の世界観を繋ぐ女性誌『BIRD』。この旅情溢れる雑誌を、編集長と二人三脚で制作しているのが菅原信子さんだ。現在のユーフォリアファクトリーに入社したのは1年半ほど前だが、社会人になってこのかた、「編集者」という仕事をひたむきに続けてきた。祖母と並んで本や映画に親しんだ幼少期も、学園祭のパンフレットづくりに夢中になった高校生の頃も、好きなものにはいつも夢中でのめり込んでいたという菅原さん。そして、いかに良き「編集者」になるかという目標に向かって、今も自身の編集道まっしぐら。その軌跡と、仕事について伺った。

プロフィール

菅原 信子

1982年生まれ。東京都出身。学習院大学経済学部卒業後、編集プロダクション、リクルートの住宅雑誌編集、医療系出版社を経て、2012年5月にユーフォリアファクトリーへ入社し、現職。季刊誌『BIRD』の編集をメインに、ファッションブランドのカタログ制作や、人材会社ウェブサイトの編集、原稿執筆などを行う。

インタビュー・テキスト:小野民 撮影:高見知香(2014/1/15)

好きなことを仕事にして生きていきたい

―菅原さんは、現在まで何度か転職を経験されていますが、「編集者」という職種は共通していますね。

菅原:子どもの頃から同居していた祖母の影響で本は好きでした。祖母と一緒にいるときは本を読んだり、映画を観たりということが多くて。小学生の時にヒッチコックの映画を観ていたり、中学生で曾野綾子の『天井の青』を読んで衝撃を受けたりしていましたね。だから周りの友だちがジャニーズで盛り上がっているときにも、全然そこにはハマれなかったです(笑)。

—小学生でヒッチコックとは、なかなか早熟ですね(笑)。

菅原 信子

菅原:もちろん、少女マンガも大好きでしたよ。最初に憧れた職業も、実はマンガ家やイラストレーター。小学生のときは美術部に入っていましたが、中学・高校と進むうちに、興味の対象がマンガから『CUTiE』や『mcSister』といった女性誌に変わっていって。年齢を重ねると共に誌面を飾るきれいな写真やモデルさんなど、ビジュアルの美しさに惹かれていったんだと思います。

―当時は「マンガ家」は目指しても、「編集者」という職種は目指さなかったのですか?

菅原:目指すというか、そのときは編集者という仕事自体を知らなかったんです。今思えば、高校2年生のときに学園祭のパンフレットを有志のメンバーでつくったのが編集の原体験かもしれません。5、6人の友だちと夜遅くまでファミレスでいろいろな写真をコラージュしたり、全校生徒に向けてアンケートを取ったり。そういう作業って、まさに編集そのものなんですよね。でも当時はそんなことを考えもせず、ただひたすら楽しくて、とにかく夢中になって。そういう経験をしながらも、当時はリアリストだったんで、就職の時につぶしがきくようにと、大学は経済学部に進みました(笑)。

―大学時代には、何か心境の変化がありましたか?

菅原:大学に入ってみると、自分の好きなことを突き詰めている人たちにたくさん出会ったんです。みんな学生だからDJとかキャンプとか、趣味の範囲ではあるんだけれど、遊びの質と深さが想像の域を超えていた。それまで通っていた中高が小さな女子校だったこともあり、「世界はこんなに広いんだ!」と衝撃で、いつも刺激を受けてばっかり。だからそんな周りの影響もあって、自分の好きなことを仕事にして生きていきたいと思うようになりました。

―それで、好きな本や雑誌をつくることを目指すわけですね。

菅原:はい。まずは出版社に入ればなんとかなるだろうと就職活動をしましたが、結局決まったのは卒業間近。小さな編集プロダクションで、ガイドブックやテレビ番組のムック本をつくる会社でした。編集という仕事を初めて体験して、いろいろな人と出会える刺激はあったのですが、結局、半年で辞めてしまって。新卒だった私はそこで編集の可能性を知った反面、逆に自分のやりたいことが、その職場では実現できないと感じてしまったんです。だから、再スタートは早い方がいいと思い、退職を決意しました。

自分の直感に嘘はつけない

―思い切って見切りをつけたんですね。でも、次の就職先を探すのは大変だったのでは?

菅原:そうですね。編集者として経験を積みたいと思っても、求人の多くは、編集経験3年以上とか。その中で唯一、リクルートの住宅情報誌の編集は、未経験者でも応募できたんです。面接では、「未経験の人よりは編集の経験あります」といって、住宅について何も知らないのに「家、好きです!」と強引にアピールして(笑)。とにかく編集ができればどんなジャンルでもいいと思い、飛び込みました。

―リクルートでは、どんな仕事を?

菅原 信子

菅原:入社当初は編集部で週刊の住宅情報誌を、途中からは2人体制で『都心に住む』という月刊誌を担当しました。編集ができても知識がなければ仕事にならないので、入社してから住宅ローンのことなど、ゼロから不動産の勉強もしました。そこでは、記事作成だけでなく、どうやって広告を入れるか、クライアントにどう説明するか、部数を上げるにはどうすればいいかなど、1冊の雑誌を読者に届けるまでの全ての過程を学ぶことができましたね。

―それだけ幅広く経験できたら、やりがいも大きそうですね。

菅原:そうですね。自分の仕事だけでなく、周りに理想の編集者像となる先輩も多くいたので、本当に刺激的で、毎日忙しかったけど良い経験になりました。結局リクルートでは6年半働いて、「編集」という仕事はある程度できるようになっていたけど、ふとしたときに自分は「編集」に比べ「書く」ことが弱いなと気づいたんです。それで書くことを訓練しようと転職をしました。入社したのは、厚生労働省などから発信される医療系のニュースをMRの人に配信している会社。いかに固い資料を、文章を整えて読みやすくするかにこだわるという職人仕事で、そこで書くスキルは磨かれたと思います。

―不動産から医療系と、また大きな方向転換ですね。戸惑ったこともあったのでは?

菅原:仕事面ではほとんどありませんでしたね。それより、一番大きく変わったのは働き方。その会社では残業もほとんどないような、規則正しい生活だったんです。それが最初は嬉しくて、余った時間でDVDを観あさったりしてました。でもそんな毎日が過ぎるのと共に「書くことを訓練するための仕事」という意識が日々強くなっていき、そういう感覚で毎日が塗りつぶされていくのが耐えられなくなってきて。自分が好きなことに、納得するまで没頭する時間の大切さに気づきはじめたんです。

―といいますと?

菅原:職人的に質を高める仕事ももちろん大切です。だけど、私が心から求めているのは、感性やセンスを生かす仕事。それが私の人生には大事なことだと思ったんです。それで結局10ヶ月で退職して、フリーランスになりました。私はなんというか、ダメだと思ったときに見切りをつけるのが早いんです。その場所にずっといたいか、いたくないかは、頭よりも心で分かる。その直感に嘘をつけないというか、気持ちがそうなったら、やっぱりカラダがついていかないんですよね。

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