Interview 私としごと

地元で追っかけをしていた少女が上京して、世界に新たな「KAWAii」を発信するようになるまで

アソビシステム株式会社
小宮 彩(マネージャー・メディア営業)

「KAWAii(カワイイ)」の言葉と共に、世界中を席巻している原宿カルチャー。青文字系を代表するきゃりーぱみゅぱみゅなどが所属し、原宿のファッションや音楽、ライフスタイルを国内外に発信しているのが、「アソビシステム」だ。そんな注目の企業に勤める小宮彩さんは、大学中退後に名古屋のクラブでアルバイトした後、パソコンの立ち上げ方すら知らない未経験っぷりで音楽業界に飛び込んだ。現在は同社でアーティスト・Unaのマネージメントや自社コンテンツのメディアプロモーションなどを手掛けている。地元でアーティストの追っかけをしていた少女が上京し、世界を相手に仕事するようになるまでの道のりとは?

プロフィール

小宮 彩

1986年3月24日、愛知県生まれ。幼少から新体操に打ち込み、高校1年生の頃から音楽に目覚めて、路上アーティストやシーモネーターなどの追っかけとなる。大学中退後は名古屋のクラブOZONにアルバイトとして勤務し、2007年にはソニーミュージックにプロモーターとして入社した。2012年にアソビシステム株式会社に転職し、アーティスト・Unaのマネージメントや自社コンテンツのメディアプロモーションなどを担当する。

インタビュー・テキスト:宮崎智之 撮影:すがわらよしみ(2014/6/10)

エレガントな新体操からBガールに大変身?

―前職はソニーミュージックでプロモーター、その前は名古屋のクラブOZONに勤めていたということですが、音楽は子どもの頃から好きだったのでしょうか?

小宮:いえ。音楽に本格的に興味を持ち始めたのは高校1年生の頃でした。それまでは新体操に打ち込んでいて、音楽を聴いている時間的な余裕がなかったんです。母はラッツ&スターやバブルガム・ブラザーズが好きでしたし、新体操ではクラッシックばかり。流行の曲がほとんどわからず、友達から聞いて初めて知るくらい、流行曲には疎かったですね。

小宮 彩

―そんなに新体操は厳しかったんですか?

小宮:とにかく練習が厳しくて。平日は毎日3時間の練習があり、土日も朝9時から5時までみっちり。そんな生活が中学2年生まで続き、学校の友達と遊んでいる暇もありませんでした。

—新体操の道に進もうとは思わなかったんでしょうか?

小宮:実は団体戦で初めて全国大会に出場する前に、腰を痛めてしまったんです。せっかくここまで頑張ったんだから全国大会まではやり遂げて引退することにしました。新体操を辞めてからは、普通の学校生活に憧れていたので、挫折というよりも解放感がありましたね。そこからは毎週末、大きなターミナル駅で行われている路上ライブを聴きにいく生活が始まりました。

—路上ライブとは、またまた意外です。

小宮:当時は「ゆず」や「19」が流行っていたこともあって、路上アーティストが多かったんです。平日はコンビニでアルバイトをし、休日も朝からバイトした後に路上ライブを1人で観に行くというのをひたすら続けていました。そうこうしているうちにアーティストさんと友達になったりして。変わった女の子だなと思われていたでしょうね(笑)。

—音楽にのめりこんでいった、と。

小宮:はい。それで高校2年生の頃に、母から「シーモネーター」の存在を教えてもらい、聴いた瞬間に今度はそっちの追っかけになったんです。シーモネーターが出演するイベントに行きたくて行きたくて、年齢制限のあるクラブにも母親同伴で行ったりしていましたね。その後は「nobodyknows+」などシーモネーターに関係するグループも知っていって、ファッションもすっかりBガールに(笑)。その頃、友人にシーモネーターの楽曲をMDで配り、「このライブの、この曲の、この歌詞がスゴいんだよ」と布教しまくっていました。今思うと、プロモーターと同じようなことをしていたんだと思います。

ギャル男から学んだ「野生のコミュニケーション」

―高校卒業後はどのような進路を?

小宮:一度は大学に入学したのですが、家庭の事情もあり中退してしまいました。その後、何をしようかと考えていたときに、高校生の頃から憧れだった名古屋のクラブOZONでアルバイトしたいと思ったんです。でも、入った後に気がついたんですが、実はOZONはトランスやパラパラ、サイケがメインだったんですね。憧れていたヒップホップやレゲエは、私が配属されたフロアとは別の階。慣れない音楽を爆音で聴き続けたせいか、なぜか吐いてしまったこともありました。

―まさに、トランス状態になってしてしまったと(笑)。

小宮 彩

小宮:そうそう、そうなんです。後から希望が叶ってヒップホップのフロアに行くことができたんですけど、最初はずっとそんな状態で。しかも最初に与えられた仕事が唐揚げを揚げることだったので、「なんで私、ここで働いているんだろう」って思っていました。

―唐揚げ……。

小宮:クラブに入った当初は、新体操で培った、形式張った礼儀正しすぎるコミュニケーションしかできなかったので、「硬すぎる」ってよく突っ込まれていました。もともと人見知りでしたし、そういうところを直したいという想いもあって、クラブに勤めることにしたというのも実はあったんですよね。

―クラブで人見知りは克服できたのでしょうか?

小宮:どうかな……。クラブで仕事を教えてもらっていた先輩がギャル男だったんですけど、私が世間知らずすぎてタマネギの切り方も知らなかったので、「バカじゃねーの」ってよく怒られていました。新スタッフの歓迎会の時なんかは、ジャイアントスイングまでされたんですよ! その時はさすがに私もカチンときて、こだわりの髪型が乱れるのが一番嫌いなことを知っていたから、頭からビールをかけてやりましたけどね(笑)。そしたら、またキレられてジャイアントスイングされてしまいましたが……。でも、根はすごくいい人で、私がお客さんに絡まれたら走って助けてくれたりもしました。

―荒々しいところもありますが、カッコいい先輩ですね(笑)。

小宮:そうなんです。もう神懸かり的に仕事ができる人でしたね。踊りながら灰皿を片付けて、お客さんと会話しつつ、ドリンクを全部さばいているみたいな。その先輩からは、それまでの私になかった「野生のコミュニケーション」を学んだ気がします。

―新体操では学べなかったコミュニケーションですね。

小宮:それに、結果的に興味がない音楽にたくさん触れたことは、後々に役立つことになりました。多様な音楽や文化に触れ、自分の幅を広げることができたので今では感謝しています。音楽関連の裏方仕事を直に見ることができたのも、大きな経験になりました。あとは、最後にはシャンパン10本の蓋を10秒くらいで開けられるようになったり、シャンパングラスを20個くらい一気に運んだり。ビックリ人間の曲芸みたいで、どんな特技だよっていう(笑)。しかもこれ、この先どこで活かされるんだ? って疑問を持ってからですかね、なんとなく転職を考え始めました。

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