すべては「ゴキゲンな人生」のために

株式会社マッキャンエリクソン 村山 佳奈女(コピーライター)

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一橋大学を2回留年し、卒業後はフリーライター、編集者、ラジオ番組の助手などとして活動してきた村山佳奈女さんの武器は、コミュニケーションと行動力。寄り道の多い人生を歩みながらも、現在は外資系広告会社・マッキャンエリクソンのコピーライターとして働いている。29歳で2年目と決して早いスタートではないが、「いろんなことができる人になりたい」と常に前向きな姿勢は崩さない。自身を「ダメ人間」とも話す村山さんの、その根底にあるポテンシャルに迫る。
  • インタビュー・テキスト:宮崎智之
  • 撮影:すがわらよしみ
  • Profile

    村山 佳奈女

    1984年、東京生まれ。一橋大学を2回留年して卒業後、フリー(ライ)ターを経たのちに編集者、現在は外資系広告会社・マッキャンエリクソンに勤務(2年目)。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」crew。モットーは「度胸と愛嬌」。趣味は寝ること。好きな言葉は「適材適所」。好きな人は宇多田ヒカルと高城剛。

「サラリーマン養成所」に入りたい

―村山さんは、現在はコピーライター、それ以前もライターや編集者と、「言葉」に関係する仕事をされています。幼少期の頃から、言葉への関心は高かったんですか?

村山:もともと父がライターだったらしく、母も俳句を詠んでいますね。親が購読していた週刊朝日を小学生の頃からよく一緒に読んでいたことを覚えています。ナンシー関さんや町田康さん、枡野浩一さんの連載などが特におもしろくて、今の好みにも強く影響していると思います。小学校の卒業文集には「ラジオDJになりたい」と書いていました。やっぱりそういう環境で育ったせいか、私自身「言葉」に対する興味が強かったのかもしれません。

—中学・高校は千葉県の渋谷教育学園幕張ですよね。かなりの進学校です。

村山 佳奈女

村山:東京から通っていたのですが、思った以上に遠かったのでいつも疲れて寝てばかりいましたね。勉強は正直、全然できませんでした。化学が苦手すぎて落第しかけたこともあったほどです(笑)。でも、文化祭とか体育祭とかの“お祭りごと”は大好きで、いつも燃えていました。今の仕事も、その前の編集の仕事も、ちょっとお祭り的な要素があると思うんですよ。みんなで〆切までハイになって一気に走り抜けるみたいな。

―進学校に通ってるからって、全員が優等生なわけではない、と(笑)。でも、そんな劣等生だったのに、名門の一橋大学を目指そうと思ったのはなぜでしょう?

村山:うちは自営業で、未だに家計が何で成り立っているのかよくわからないんですけど(笑)、親戚にもいわゆる「サラリーマン」が全然いないんですよ。なので、スーツ着たお父さんが毎日決まった時間に通勤してるような家庭に変な憧れがあったんですよね。そんな時、『大学図鑑!』という大学受験生向けの本に、一橋大学は「サラリーマン養成所」だって書いてあるのを見つけて。「私、サラリーマンになりたい!」と思い、浪人してからめちゃくちゃ勉強してなんとか入ることができました。結局、卒業まで2回も留年しましたけどね(笑)。でも、実は1回目の留年はある程度、予定していたことだったんです。4年で卒業するなんてつまんないから、1回は留年してやろうって。

就職しなくても死にはしない

―「大学は4年で卒業するもの」という常識を覆そう、と?

村山:そんなカッコいいものではないですよ(笑)。ただ単に遊びたかったのと、天の邪鬼なだけです。ついつい“逆張り”したくなっちゃう。でも2回目の留年は完全に想定外でした(笑)。しかも、そのせいで卒業がリーマンショックと重なってしまい、就職活動もうまくいかず(笑)。2回留年した理由は、単純に勉強ができなかったからで。いまだに単位が足りなくて大学を卒業できないという夢を見るくらいです……。あとは、アルバイトをたくさんやり過ぎていたことも原因かもしれません。

―それは、どんなアルバイトを?

村山 佳奈女

村山:携帯電話を売ったり、道端で通行人を数えたり、ほんとにいろいろ。さまざまな角度から世の中を見る勉強になりました。ちなみに一番長く続いたのは、『広告批評』編集部でのアルバイトです。ここでの経験が、雑誌と広告に興味を持つきっかけになりました。どちらも、コミュニケーションのお手伝いができるっていうところがすごく好きだと気づいたんです。商品でも作品でも何でもいいんですけど、モノの魅力をたくさんの人にどうやって伝えるかを考える面白さと言いますか。

―そうした経験や気づきを学生時代に得たということは、就職活動でもかなり有利になったでしょう。

村山:就職活動はだいたい途中まではうまくいくんですが、結局最終で落ちるということを繰り返しました。今思えば本気度と誠意が足りなかったことを見抜かれていたんだろうなぁと思います(笑)。さすがにちょっと焦ったりもしましたが、実家も東京にあるし、親を見る限り「就職しなくても死にはしないし!」と思う節があって、割と楽観的に捉えていましたね。

―「サラリーマン養成所」に入ったつもりが、結果的にご両親と同じような道を歩むようになった、と(笑)。

村山:そうなんですよね(笑)。血って怖いです……。

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雑誌じゃなくて、広告がやりたい

雑誌じゃなくて、広告がやりたい

—卒業後は何をされていたんですか?

村山:卒業も間近に迫っていたころ、友人に誘われて編集者の中川淳一郎さんと、博報堂ケトルの嶋浩一郎さんが開催していた編集者養成講座に参加したことが縁で、雑誌『リバティーンズ』や『ケトル』の創刊に関わるようになりました。主に編集者やライターとして、丁稚奉公みたいな感じで修行させてもらったような。その仕事を通して、TBSラジオの『文化系トークラジオ Life』という番組にも関わりました。佐々木敦さん、津田大介さん、仲俣暁生さんといった『リバティーンズ』の執筆者繋がりで、収録を観覧させてもらえることになったんです。その時、プロデューサーの方が助手を探していることを知って、「私にやらせてください!」と立候補したら、そのまま採用されて。『Life』は大学生の時にレポートのネタを探すために聞き始めて以来、大好きな番組だったので、とても貴重な体験になりました。

—もともと、ラジオDJになりたかったんですもんね。

村山 佳奈女

村山:そう言えばそうですね(笑)。留年したり、すぐに就職しなかったり、自分の経歴を振り返って、「寄り道ばかりだな」と思うこともあるけど、いろいろ動き回ることで人生が繋がっていったのかもしれません。行き当たりばったりで生きてきましたが、やりたいことは案外ちゃんと抑えてきてるなって(笑)。その後、ようやく就職したのがカルチャー系の出版社でした。映画雑誌の編集を担当したのですが、会議で「キューブリックの映画もスター・ウォーズも一度も観たことがない」と言ったら、「こいつを採用したのは誰だ」みたいな微妙な空気が流れたりして……(笑)。結局4ヶ月で辞めてしまいました。

—4ヶ月とは、また短いですね(笑)。辞めようと決意した背景には、何かあったんですか?

村山:編集の仕事は楽しかったし、良い出会いばかりで本当に恵まれているなと思っていたんですけど、自分に迷いが出てきたのもこの時期だったんです。私はもともとインターネットが大好きだし、紙へのこだわりもない。そしてライターを続けたいわけでもないし、結局、雑誌の編集者になりたいわけではないのかもしれない、と感じはじめたんですよ。そして何よりも、やっぱり広告の仕事がしたいなと思ったんです。

—広告業界を選んだ決めてって、なんだったんですか?

村山:『広告批評』のアルバイト経験もありますけど、『THE OTHER FINAL』というドキュメンタリー映画に感動したことが、より広告に興味を持ったきっかけです。この映画は日韓共催W杯のときに、「世界最下位決定戦もやろうぜ!」っていう企画を実現したすごいピースな話を追ったものなんですけど、それをやったのがオランダにある広告会社のコピーライターだったんですね。「私もこんな、アイディアとコミュニケーションで人がハッピーになる仕事がしたい!」と思って。今まで関わった雑誌やラジオ、インターネットなど全部に興味があるし、すべて大好きなんです。いろんなことをやってみてわかったのは、媒体や手段に縛られず、とにかく欲張りにいろんなことができる人になりたいということでした。それが実現できるのは広告業界かもしれないな、と思ったんです。

出来ないことはいい、得意なところをただ伸ばすだけ

—現在、マッキャンエリクソンではどのようなお仕事を?

村山:コピーライターとしてさまざまな案件に携わっていますが、「いろんなことができる人になりたい」という視点で言えば、映画『サイタマノラッパー』の入江悠監督に、映画の世界観でCMを作っていただいたり、ラジオで対談していただいたりしました。編集の仕事を通じて知ったクリエイターの方々に対するリスペクトがすごくあるので、今後もそういった広告業界外の方々とお仕事できるといいなと思います。「コピーライター」という仕事も一昔前とは変わってきていて、いわゆる「後世に残る名コピーを考える」だけではなく、もっと広範囲のコミュニケーションに関わる案件が増えてきたと思います。例えば、最近では企業のFacebookページの「中の人」も担当しています。

—コピーライターと聞くと、いわゆる「キャッチコピー」を考えている人を想像していましたが、いろんな仕事があるんですね。

村山 佳奈女

村山:もちろん、キャッチコピーをつくる仕事もあります。でも、私は「死後も残るワンフレーズ」を考えるより、「皆が幸せになるコミュニケーション」を作ることのほうが好きなのかな。昔のコピーライターって流行言葉を作っていたけど、今はそういうのって2ちゃんねるに勝てないと思うんですよ。だから私は、元来のコピーライターらしいコピーライターではないと思います。広告も、昔と違って全体のコミュニケーションを広く考えることが求められているし、その方が時代には合っている……と思いたいです(笑)。

—なるほど。村山さんは、そんな会社でのお仕事もしながら個人的にも色々と活動をされているとか。マッキャンは社外活動も認められているんですね。

村山:もちろん、会社に不利益を与えるような活動はダメだと思いますが、比較的、寛容な社風だと思います。最近では広告に関わる世界中の同世代に突撃インタビューをするという企画で、雑誌『ブレーン』にカンヌ国際広告祭のレポートを書かせていただきました。カンヌは入場料が高いのですが、ちょうど私の年齢までは半額だったんですよ。だから、「今年しかない!」と思って記事企画を編集部まで売り込みにいって実現しました。あとは、1日だけスナックの「ママ」をやったり、書店のトークイベントを企画したり、友人とアプリを作ってみたり。

—アプリまで?

村山:友人のエンジニアやディレクターたちと一緒に「twikao(ツイカオ)」というアプリを作りました。これは、iPhoneで顔を撮影すると、その表情を顔文字にしてツイートできるというものです。「顔文字を使うのが苦手だ」という話をしていて、「じゃあ、アプリにしよう!」と盛り上がったのがきっかけで制作したんです。Yahoo!JAPANのインタラクティブアワードで金賞をいただいた以外にも世界中から反響があって、イギリスの広告会社からキャンペーンで使用したいという依頼もきたんですよ。こういう感じで、プライベートの活動から通常の仕事にフィードバックできたりするのはうれしいです。

—様々な「寄り道」がすべてうまく繋がっていますね。

村山:公私混同、最高です(笑)。最近だとカンヌに行って以来、「日本でも国際広告祭を開きたい」と野心を抱くようになりました。お祭りみたいな働き方も好きだけど、お祭り自体も作ってみたい。あとは、やっぱり常に「ゴキゲン」でいたいですよね。私は人生を加算法で考えたくて。うっかり2回留年しちゃうし、寝るのが何より好きだしよくモノを失くすし、基本、ダメ人間なんです。でも、ダメなとこばかりに目を向けるんじゃなくて、良いところを伸ばすほうに力を入れたい。そう思うようになってから、なんだか最近、人生の調子がいいんですよ(笑)。

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    公開商標公報に載っている商標登録をツイートするbotです。どんな言葉を所有しようとしているのかを通じて、日本中の企業や個人の思惑が透けて見えて面白いです。ある企業が似たような言葉をたくさん登録し始めたりするのを見て、「こんな商品がそろそろ発売されるのかな……。」と想像するのも楽しいんですよ。それにネーミングの勉強にもなります! 文字だけでなく、そのデザイン画像まで流れてきたりして、本当に飽きません。