Interview 私としごと

仕事が楽しいから、日常もより輝く

株式会社ゆかい
ただ(フォトグラファー)

たださんは、仕事の話をしているとき、終始楽しそうに話してくれる。下積み時代のことを聞いてもその目には一点の曇りもなく、純粋に楽しかったんだろうなぁと伝わってくる。フォトグラファーという職業は、幼い頃から夢見ていたわけではなく、音楽やアートなど自分が純粋に“おもしろそう”と興味を持って勉強していたなかで、自然に行き着いた場所だという。「オンとオフが抱き合わせた状態」と話すほど、忙しい毎日を過ごしている彼がなぜ、そこまで仕事を楽しいと思えるのか。その自然体の姿を探った。

プロフィール

ただ

1981年神奈川県横須賀生まれ。音楽やサブカルが好きだったことから、和光大学へ入学。卒業後、美学校へ進学。そこでアートユニット「ゴージャラス」の松蔭浩之氏と出会い、写真で作品を作ることのおもしろさを知る。フォトグラファーの道を目指すことを決意し、松蔭浩之氏のアシスタントとバイトを掛け持ちする生活を始める。同じくアシスタントだった池田晶紀氏の実家の写真館を手伝ったことがきっかけで2007年からゆかい写真事務所に所属。

インタビュー・テキスト:中山夏美 撮影:すがわらよしみ(2012/8/31)

好奇心の先に辿り着いた写真の世界

―たださんは大学時代から写真の勉強をされていたんですか?

ただ

ただ:いや、まったくしていませんね(笑)。大学は、文系の人間関係学部でした。和光大学を選んだのもおもしろそうだなって思ったから、選んだだけで(笑)。その頃は、フォトグラファーになるなんて、思ってもいませんでしたね。もともと、母親が音楽好きで楽器をやらせたがっていたので、小学生のときにブラスバンドに入っていたんですよ。幼いころからずっと音楽が好きだったこともあって大学では、バンドを組んでいました。メンバーは6人なんですけど、ギターが4人いるちょっと変わったバンドでドラムを担当していて、1曲15分ぐらいある曲とか作ってました(笑)。あの頃は、バンドとバイトに熱中していましたね。

—元々はバンドマンだったんですね。大学卒業後は美学校に進学されていますが、就職という選択はなかったのですか?

ただ:就職活動は、してなかったです。その頃は、将来についてあまり考えていなかったし、うすらぼんやりとしていました(笑)。美学校には進学というよりもアトリエに通う感覚で、自由に来て、自由に勉強するスタイルがいいなって思って。それで「サウンド視覚表現コース」を専攻して、蛍光灯楽器のオプトロン奏者である伊東篤宏さんの授業で、ミュージシャンの大友良英さんがゲスト講師としてきてくださったりと、すごくおもしろかったですよ。

―美学校に入ってもまだ、写真の勉強はしていないと。

ただ:そうなんですよ(笑)。1年目は、ずっと音楽の授業を受けていて、2年目になってから美術系の授業も専攻しました。そこで「ゴージャラス」というアートユニットを組んでいる松蔭浩之さんの授業を受けたんです。現代美術の授業だったんですけど、松陰さんが作品を写真でつくってて……。そこではじめて「写真で作品をつくるっておもしろい!」と思ったんですよ。そんなきっかけもあって、写真をキチンと学ぼうと思い、写真コースの授業も取りました。

―ここでやっと、写真の登場ですね(笑)。元々、音楽への興味のほうが大きかったと思うのですが、音楽の道に進もうとは思わなかったんですか? 

ただ:その当時、音楽は一番の関心ごとではありましたが、そもそもその延長上に仕事があるようには思ってなかったです。表現としておもしろいとは感じていましたが、それを仕事にしよういう風には考えていなかったですね。

―では逆に写真は、仕事に結びつけられる可能性があると感じたのですか?

ただ:そうですね。写真は、作品制作と同じ方法で仕事ができると思ったんです。音楽もそうですけど、ひとつの作品を作ってもそれを仕事として誰かに評価してもらって、お金に結びつくまでの道のりはかなり長い。自分が好きな作品を作っただけでは、お金にならないことのほうが多いと思うんですよ。それに比べると写真の場合はその境目が曖昧というか。作品が仕事に、そして仕事もそのまま作品になるのがおもしろかった。だからなにかしらの作品制作を続けていきたいと思っていた自分にとっては、写真のそんなところが魅力的だったんですよ。

わりと毎日、夢中でした

―写真を仕事にしようと決めて、美学校を卒業後は、どうなされたんですか?

ただ:バイトをしながら、美学校での授業がきっかけで親しくなった松蔭さんの撮影アシスタントを始めました。

―アシスタントでは、具体的にはどのようなことを?

ただ:フォトグラファーは、撮影現場で一番動かなくてはいけない立場。そのフォトグラファーが仕事をしやすいように、お手伝いするのがアシスタントの仕事です。撮影機材の運搬、現場のセッティング、露出計で光の強さを測ったりなど、いわゆる「シャッターを押す」以外の様々な事をやっていました。

—それだけ聞くと、結構大変な下積み時代といった印象を受けるのですが…。

ただ

ただ:う〜ん……、そうかも知れませんが、大変だとは思わなかったです。わりと毎日、夢中でした。一般的にフォトグラファーになりたい人は、撮影スタジオでアシスタントの経験を積んだ人が多いんですよ。ぼくは、そこまで写真の勉強もしていないし、スタジオ経験もない。現場での勝手もわからないから、必死で目の前の仕事をこなしていくしかなかったんです。でも、それを辛いとか嫌だとか感じたことは一度もなかったですね。むしろ現場は、おもしろいところだったし、松蔭さんもエキセントリックな人だったので(笑)、働き方も生き方もおもしろいなぁと思って見てました。そんな人柄が好きになったから、アシスタントが楽しかったのもあると思います。

—それで、松蔭さんのアシスタントは、どのくらいされていたんですか?

ただ:その辺が曖昧で(笑)。今も松蔭さんにはお世話になっていて、現場に行く事はないけれども、その師弟関係みたいなのはずっと続いています。それで、今の事務所の代表である池田が、ぼくの前に松蔭さんのアシスタントをしていて、池田が独り立ちしてからは、池田のアシスタントもするようになりました。そしたらある日、池田に「写真で食っていきたいの? そんなに甘くないから、本気でやりたいなら、おれの実家の写真館手伝ってみるか?」みたいなこと言われて。それで実家も近かったので、横浜にある写真館の手伝いを始めることになったんですよ。

—写真館だと、今までと撮影現場が違いそうですね。仕事の内容も変わりましたか?

ただ:基本的には、池田の父親である社長の撮影アシスタントなので、松蔭さんのときとあまり変わりません。写真館のお客さんは、ほとんどが入学や卒業などの節目に記念撮影をする人。子どもも多いので、現場作りが大変でした。池田のお父さんは被写体を笑わそうと、おもしろい事を言ったり、わざと壁にぶつかったりして、すごくひょうきんな方でしたね(笑)。でも、地域の人たちからすごく人気があって、カメラの「カメ」をとって「カメちゃん」ってみんなに呼ばれているんですよ。おもしろいことを言って笑いをとったりって、フォトグラファーとしての技術には必要じゃないことなのかもしれないけど、被写体の良さを引き出すために努力する姿勢がかっこいいな、と思いました。現場での雰囲気作りは、池田のお父さんから学んだ部分がすごく大きいです。

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