Interview 私としごと

人生を変えてくれた、インターネットの世界

株式会社サマリー
北村 慧太(取締役CTO / 最高技術責任者)

最終学歴は中卒。しかしながら、日本を代表するウェブクリエイター・中村勇吾氏とともに会社を設立するなど、驚くべき経歴を持つ北村慧太さん。同世代が学生生活を送っている間にも、ひたすらプログラマーとしてのキャリアを積み上げてきた彼は現在、今注目のウェブサービス「Sumally(サマリー)」を運営する株式会社サマリーにてCTO(最高技術責任者)を務めている。そんな彼にとって、常に情熱の源となってきたのは、広大で、自由で、可能性に満ちたインターネットの世界だった。現状に満足せず、より刺激的な環境を求めてチャレンジし続ける、北村さんの生き方に迫った。

プロフィール

北村 慧太

1983年生まれ。高校中退後、株式会社ビジネス・アーキテクツに入社。その後米国留学を経て2004年よりデザインスタジオ「tha ltd.」に設立メンバーとして参加。2007年から始めたイメージブックマークサービス「FFFFOUND!」は、デザイナー向けのコミュニティとして世界中のユーザーから圧倒的な支持を得た。2012年より株式会社サマリーにて取締役CTOを務める。主な受賞歴に、文化庁メディア芸術祭、東京インタラクティブアドアワード、ARS Electronicaなど。

http://twitter.com/keita

インタビュー・テキスト:小林宏彰 撮影:すがわらよしみ(2013/3/22)

高校を中退、そしてネット業界へ

―北村さんは学生時代から、今のお仕事につながる興味が、すでに芽生えていたのでしょうか?

北村:そうですね。中学校くらいから、インターネットばかりやってて。そもそも勉強というものが、大嫌いでした(笑)。ネットでゲームの攻略法とか調べたり、オンラインの友達とチャットで情報交換しているのが楽しくてしかたなかったんです。当時はダイヤルアップ接続だったので、料金が安い深夜にネットをしてまして。すると当然のように朝起きられなくなり、学校に遅刻したり、行っても授業中に寝てるという状態になって(笑)。それで結局、高校二年の夏に中退することにしました。

—思い切った決断ですが、周囲から止められたのでは?

北村 慧太

北村:進学校だったので、親は当然大学にいくものだと思っていて「このご時世に、中卒ってオマエ……」と呆れられましたけど、最終的には「ホームレスにならなければいいから、好きにしろ!」となって。僕自身、将来について真剣に考えたときに、中途半端な大学に行くぐらいなら今からネットの仕事した方が良いかな、と思ったんですよ。後は、ちょうど親からも離れて自由になりたかった時期でもあり(笑)。ほんとバカだったので、考えが極端なんですよね。

―学校を辞めてしまっても、仕事で食っていけるのなら、それでいいと。

北村:とはいえ、最初は不安でしたよ。高校の夏休みに、親の知り合いの会社でサーバー管理やホームページの制作やCGIのプログラミングのアルバイトをしてはいたんですが、完全に独学だったので。ただ、コード書いてる方が学校の勉強より刺激的で打ち込めたし、そのとき実際にお金という対価をもらって仕事をしていると自然と自信になったんです。当時はウェブ黎明期だったので、僕みたいな初心者でも業界で相手にしてもらいやすい状況ではあったと思います。

―では中退してすぐ、すぐに就職もできて?

北村:当時、キノトロープとかイメージソースとかビジネス・アーキテクツ(以下「bA」)とか働いてみたいウェブ会社はいくつもあったんですけれども、どう考えても高校中退でどこの馬の骨かわからない人間をいきなり雇ってはくれないだろうと(笑)。なので、とりあえずどこかで修行を積もうと思ったんですね。それで、元のアルバイト先と繋がりがあった小さなシステム会社の方にお願いして、運良く就職できました(笑)。

―すると17歳ぐらいから、社会人として働いていたんですね。

北村:そうですね。就職とともに東京に出てきて、曙橋に住んでいました。親が見つけてきてくれたマンションで、敷金と礼金はとりあえず払ってやったから、あとはもう自分で生きていけ、と言われて。その後「そのお金をあげたつもりはではないので、あとで返しなさい」とは言われましたけど(笑)。そんなこんなではじめは、厳しかったんですけど、もちろん文句は言えないし、なんとか自立はできました。

憧れの会社で、人生を左右する出会い

―その歳から、すごいですね……。

北村:はじめの会社では、フォームなど、一部分のプログラムを制作して納品するような仕事をしていました。結局、その会社には半年ぐらいいたんですが、やっぱりもっとウェブ制作寄りの仕事をしたいなと思ったんです。社内にディレクターやデザイナーがいて、自社でひとつのサイトをまるごと作れるような会社に入りたいなと。それで別のウェブ会社に転職して。そこでもある程度の仕事は出来ていたのですが、さらに規模の大きい仕事をしたいと思い、bAに入社することになりました。

―ようやく行きたかった会社に入ることができたんですね。

北村 慧太

北村:当時のbAはデザインやマークアップが出来る優秀な人が多かったのですが、システムグループではまだ人が足りていなかったので、運良く採用されたんだと思います(笑)。bAではエンジニアという立ち位置から、ウェブ制作の「いろは」をひと通り学べました。僕は主にコーポレートサイトのコンテンツ管理システムや、スペシャルサイトのバックエンドなどの開発をしていて。ひとつのプロジェクトも大きくて仕事の進め方も勉強になりましたね。

―例えば、20歳にも満たない当時の北村さんは、周りからどんな印象を持たれていたのでしょう?

北村:子供が働いてるな、という印象ですかね(笑)。入社したときは、まだ18歳でしたから。名刺の渡し方もよく分からないし。でもその分、振られた仕事だけは期待以上のアウトプットを出すように心掛けて、せめてそこだけは信頼を得ようと必死でした。

―なるほど。仕事で信頼を得ようと。

北村:bAって面白い会社で、当時すべてのプロジェクトのやりとりが社員全員に公開されていたり、社内の情報交換MLが異様に盛んで、どこかで目立ったことをしていると認めてもらえる、という空気はあったと思います。一方で、インターネットの仕様にめちゃくちゃ詳しい人も居たので、間違ったことを言おうものなら吊るしあげられたり(笑)。そういう意味では、会社自体が非常にインターネット的でしたね(笑)。毎日が勉強にもなるし、出来る事の幅が広くなると仕事がさらに面白くなったという手応えはありました。あとは、当時bAに在籍していた(中村)勇吾さんやその時の上司との出会いなどは、大きな転換期になったと思います。

―中村勇吾さんとは、一緒にプロジェクトを担当されたことも?

北村:はい。はじめて勇吾さんと一緒に仕事をしたのは、ソニーがハンディカムを使って行なった「CAMCAMTIME」というキャンペーンです。ユーザーがハンディカムやウェブカムで撮影した動画が、パソコンのデスクトップ上で時計になり、1秒1秒を刻んでいくという内容で。2002年の文化庁メディア芸術祭デジタルアート部門で優秀賞を受賞しました。

―実際に高い評価を得たわけですね。

北村:今までの会社では自分の作ったものが、世で評価されることとは程遠かったので、素直に嬉しかったし、また一歩自信にも繋がりましたね。しかもそれまでの仕事と違って、バックエンドで映像や画像の処理をすることによって裏方のエンジニアも表現に関与出来るというのは自分の中でも大きな発見でした。それこそ、今となってはあたり前のことですけどね。

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20歳を前にして留学、帰国後tha ltd.立ち上げ

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