Interview 私としごと

肩書きにはこだわらない。やりたいことをやってくのみ。

株式会社サーチアンドサーチ・ファロン
荒木 智子(インタラクティブ プランナー & アカウントエグゼクティブ)

外資系広告代理店の株式会社サーチアンドサーチ・ファロンに所属する、荒木智子さん。広告業界で活躍しながらも「広告が好きなわけじゃない」と、まっすぐな瞳で言い切る。高校生のとき、福井県の片田舎からカナダへ単身留学した経験が、奇しくも彼女にとって、壮大なドラマの幕開けとなった。「好きなことしかやりたくない」という意志は、アメリカを生き抜こうとする中で、輪郭をいっそう鮮やかにしていく。両極端の環境を振り子のように激しく行き来しつつも、針路を操る清々しさは、彼女の着飾らない言葉と近しいものだった。

プロフィール

荒木 智子

1986年生まれ。福井県出身。高校からカナダケベックに留学する。大学はParsons the New School for Designでプロダクトデザイン科を専攻し、食器や花瓶などを制作。数多くのデザイン会社でインターンを経験し、デザイナー職から広告業界へ転身。 前職のUltraSuperNewではアシスタント・クリエイティブ・ディレクター、現職のサーチアンドサーチ・ファロンではインタラクティブプランナー&アカウントエグゼクティブとして在籍。プランニング、デザイン、アカウント等、広告という枠にとらわれず幅広く活動している。

インタビュー・テキスト:八幡啓司 撮影:すがわらよしみ(2014/3/27)

ニューヨークで感じた、「アメリカンドリーム」

―荒木さんは高校へ上がるタイミングで、カナダへ留学されたそうですね。

荒木:はい。でも私、海外に憧れたことも全然ないし、英語が得意だったわけでもないんです。兄が先に留学したのを見送っていたら、突然親から「お前も行け」って言われて(笑)。日本で女子高生になりたいと思っていたのに、気づけばカナダにいくことになり。それも留学先がケベック州だったので、英語だけでなくフランス語も日常会話で飛び交う生活で、はじめは泣きそうな毎日でした。その後、アメリカの高校に転校したのですが、片言の英語とボディランゲージでがんばりましたね。そうしていたら不思議と、いつの間にか話せるようになっていて。

―自分の意志で留学を決めたわけではなかったんですね。でも言葉の壁を乗り越えたら、海外生活にも慣れてきたのでしょうか?

荒木 智子

荒木:初めてアメリカが好きになったのは、ニューヨークへ行った時でした。それまでアメリカ人って、「自分のことしか考えない人ばかりだし、最低だ!」と思ってたんですけど、ニューヨークは凄い人たちが集まる街だったんです。いわゆるアメリカンドリームのようなものを目指してる人も大勢いて、たくさん刺激を受けたし、「ここは自分が望めば夢が叶う場所なんだ」って思いましたね。ニューヨーカーは、決められたレールの上を生きる感じが全くなかったんです。その居心地の良さから、アメリカに残る決意をしました。

—そこから美大への進学を選んだ理由は何だったのでしょう?

荒木:もともと絵を描くことや、モノを作ることが大好きだったから、とりあえず美大に行こうかな、くらいでした。当時はデザインとアートの違いすらもわからないような状態だったんで。一年目はみんな同じように絵を描いたりして、そこから何を追求したいかによって専攻を決めます。私はそれまで平面的なものしか描いた事がなかったのですが、立体物を初めて作った時の興奮が忘れられず、プロダクトデザイン科を選びました。

—ものづくりに没頭する学生生活の中で、何か苦労はありましたか?

荒木:アメリカの大学では、ことあるごとにプレゼンをしないといけないんですよ。自分のアイデアを説明する上での、素材の決め手や、どういうコンセプトで作りあげたかといったストーリーと、自分の意見をちゃんと言わなければならない。だから授業中も発言をしないと、授業を受けていないと思われる。自己主張しないと何も始まらないんです。徐々に英語は話せるようになっていったけれど、もともと私はシャイなので、このしきたりにはかなり苦戦しましたね(笑)。でも、そういう状況で周りの友人を見ていたら、まったく喋れない人でも伝えたい気持ちがあって、一生懸命伝えれば必ず伝わるんだって気づいたんですよ。言語がすべてじゃなくて、それ以上に気持ちも大切なんだって。

履歴書には「特技:ウォーリーを探せ」

―美大を卒業後は、アメリカで就職を?

荒木:はい。大学のときからいろんなデザイン事務所でインターンをしていたんですけど、卒業後は食器のデザインをする会社に入りしました。その頃、ちょうどリーマンショックの影響でアメリカの経済が不安定になり、社会的にも就職が難しい時期だったんです。でも、頑張ればきっと仕事が見つかると思って、いろんなところを受けて。その会社は特に思い入れがあったので、4回くらい書類を送ったんですよ。毎回返事が来ないから、「覚えてる? ねえ覚えてる?」っていう気持ちで(笑)。「今は不景気だから仕方ない」とチャレンジするのを諦めてしまう周りを見て、「なんで最後までトライしてないんだ?」って思っていました。私、物事は、願えば絶対叶うと信じているんです。何事も「その道を進むためにどうしよう?」って考えて、まずは行動しています。

―考えて行動する、と。

荒木 智子

荒木:気づいたら、すぐ行動に移していることが多いんですよね。はじめの会社では、お皿などの装飾デザインをしていたんですけど、徐々に「食器は食器でしかない」って限界を感じちゃって(笑)。ずっと小さいスタジオにこもり、外との触れあいもまったくなかった。「5年後もこうしているのかな?」と思ったときに、ふと、「日本に帰りたかった自分」を思い出したんです。高校生から留学をして9年も経っていたし、どこか日本に対しての憧れも感じ始めたんですよね。ビザを取ったばかりだったこともあり、周りから反対もされましたが、私の人生なんだからと割り切って帰国をしました。

―日本に帰ってきて、いわゆるカルチャーショックはありましたか?

荒木:まず、一番衝撃だったのが満員電車。海外だと、みんな他人にフレンドリーなんですよ。表面的とはいえ、列に並んでいたら「ヤア!」って声をかけるのが普通。なのに日本の満員電車ではこんなに人が近くにいるのに、心の距離がすっごく遠くて、それにずっと違和感がありましたね。あと、日本ではアメリカと違って、苗字で呼び合いますよね。でも、苗字ってあんまり個性が見えにくいというか、覚えられないんです。だからイメージと合わなくて「川崎さん」を「斉藤さん」って間違えて呼んだときは、自分でもビックリしました(笑)。

―(笑)。それほど文化の違う日本で、仕事を探すのもまた大変だったでしょう。

荒木:それがそんなこともなかったんです。いつもそうなんですが、私は就職活動で、自分を良く見せようとはしないんですね。なんというか、ありのままの自分を見せていこうと。履歴書も着飾るようなことは書かないですし、特技欄に「ウォーリーを探せ」って書いたりしてました(笑)。結局、私のことは会ったときにいろいろと説明して、知ってもらえばいい。だから会社に合わせて内容を変えることもなかったし、それで縁がなければそれまで。そうして日本で最初に入った会社があったんですが、結局1年くらいで辞めてしまって。その後は、この先どうしようと悩んで、50人くらいの友人に自分の進路について「どう思う?」って聞いてまわってました。風呂敷は広げるだけ広げて自分で選べばいい、と思っていたので、とにかく選択肢を増やしたかったんです。

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