Interview 私としごと

映画『東京喰種 トーキョーグール』の若手プロデューサーが、ものづくりに秘めた想い

松竹株式会社
永江智大(映画プロデューサー)

ロサンゼルスで開催された北米最大のアニメイベント「ANIME EXPO」でワールドプレミアを行うなど、世界中から注目を集めている映画『東京喰種 トーキョーグール』。この作品にプロデューサーとして名を連ねるのが、株式会社松竹の永江智大さんだ。これまで山田洋次監督作品をはじめ、10本弱の松竹映画に携わってきた永江さんに、ものづくりへ懸ける想いを伺った。少年時代から持ち続けた「映画をつくりたい」という夢が実現に至るまでの背景には一体何があったのだろうか。

プロフィール

永江智大

1987年、佐賀県生まれ。成城大学文芸学部卒業後、松竹株式会社へ新卒入社。松竹撮影所への出向を経て、現在映像企画部映画企画室に所属。2017年7月には初めてプロデューサーとして関わった石田スイ原作の映画『東京喰種 トーキョーグール』が公開予定。

取材・文:羽佐田瑶子 撮影:きくちよしみ(2017/07/28)

読書好きの少年が抱いた、ファンタジーやSFへの憧れ

—永江さんは、もともと映画が好きだったんですか?

永江:小学生までは映画よりも本が好きで、特にSF小説をたくさん読んでいました。でも、あるとき『ネバーエンディング・ストーリー』という映画をテレビで見て衝撃を受けたんです。大好きなファンタジーや空想の世界が具現化された映像にすごく感動したことを覚えています。それをきっかけに、いろいろなジャンルの映画を見るようになりましたね。

—SFやファンタジーに夢中な小学生だったのですね。

永江:僕の出身が佐賀県の鳥栖市なのですが、自宅から自転車で1時間くらいの場所に町で唯一の映画館があって。当時は洋画の最盛期で、『スター・ウォーズ』や『マトリックス』などメジャー作品しか上映されていませんでした。SFやファンタジーにますます興味を持つようになったのも、その影響が大きいかもしれません。

—大学時代は何に熱中していたのですか?

永江:何かをやりたいというよりも、漠然と広い世界を知りたいという想いだけがあって、とりあえず東京の大学に進学しました。大学では民俗学を専攻していて、ジャーナリズム養成講座に通ったり、テレビの番組観覧に参加したり、とにかく興味の赴くままに行動していましたね。これは黒歴史ですが、滑舌を良くしたくて、半年間だけアナウンス学校に通っていたこともありました(苦笑)。

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—好奇心旺盛ですね。映像や映画の世界に足を踏み入れるきっかけは何だったのでしょう?

永江:自分の人生を変えたのは、映画学のゼミで木村建哉先生に学べたことだと思っています。最初は難しい話ばかりでまったく理解できませんでしたね。あるとき、タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』が課題になったことがあって、絶望を覚えるほど理解できなかったんですよ。でも、根気強く分析を進めると、徐々に作者の意図や時代背景を理解できるようになっていって。そのときに「映画を極めて表層的にしか理解していなかった」ということに気付かされたんです。その後、木村先生が顧問を務める映画研究会に入り、映画の世界にのめり込むようになっていきました。

「現場スタッフの気持ちがわかるプロデューサーになろう」

―映画の世界を志すようになったきっかけは?

永江:映画研究部会の大先輩である熊澤尚人監督の制作現場を大学3年の頃にお手伝いしたことがあって、初めてプロの現場を目の当たりにしました。そのとき、俳優やスタッフが本気でものづくりをしている姿に圧倒されたんです。当時は就職活動をせず、楽しく映像を撮っていたいと思っていましたが、監督から「お前はプロとして映画に関わりたいのか?」と聞かれてハッとしました。今の自分のままでは何も極めることなく終わってしまうと思ったんです。

―そんな中、なぜ松竹を選んだのですか?

永江:「ものづくりの会社」だと感じたからです。当時、2010年頃は配給会社で制作まで手がけている会社は少なく、映画の全体像を一から知ることができる松竹で経験を積みたいという想いはずっと持っていました。

―入社後は、どのような仕事から始まったのでしょう?

永江:入社して早々、松竹撮影所という制作プロダクションに配属されました。元々現場を知った上でプロデューサーになりたいと思っていたので、希望が通ったことは嬉しかったですね。担当していたのは制作進行という、テレビでたとえるとADのような業務です。お茶出しから、お弁当の手配、ロケ現場の交通整理まで、とにかく撮影を円滑に進めるための仕事は何でも。毎日、監督やカメラマンに怒られてばかりでしたが、目の前で作品ができ上がっていく様子がとても刺激的でした。日々「楽しい」、「辛い」を繰り返しながらも、常に最後は「楽しい」が勝るんですよ。入社後の約3年間は会社よりもひたすら撮影現場に通い、4本の映画に携わることができました。

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―とても濃密な3年間だったと思います。具体的に教わったことがあれば教えてください。

永江:「現場スタッフの気持ちがわかるプロデューサーになりなさい」とスタッフの方に言われたことがあって。プロデューサーになると、仕方のないことかもしれませんが、どうしてもキャストや監督に目が行きがちになるんです。でも、すべての作品には人知れず現場を支えてくれているスタッフが社内外問わず大勢います。作品にとって、俳優もスタッフも欠かすことのできない唯一の存在です。本社の先輩方にもお世話になりましたが、今の自分があるのは「ものづくりの松竹」を支える現場スタッフの方たちのおかげだと、本当に感謝しています。

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