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ゲーム業界以外に選択肢はない。夢を叶えるために歩んできた道

劇的な変化の最中にあるゲーム業界。技術の進歩によって家庭用ゲームにおける映像表現は映画に匹敵するまでに至り、その一方でスマートフォンの台頭によってゲームのあり方自体が変わろうとしている。城崎雅夫さんは、まさにそんな過渡期にあるゲーム業界でプランナーとして活躍している。小学生の頃から決してぶれることのなかった夢を実現させた城崎さんは、今、次なるステップを踏もうとしている。

Profile

城崎 雅夫

1985年生まれ、京都府出身。2007年に株式会社セガ入社。プランナーとして『龍が如く』シリーズや『サカつく6』に参画する。現在はディレクターとしてiOS・Android向けアプリケーションの開発に携わっている。

小学校の卒業文集に書いた「ゲーム屋になる」という夢

―城崎さんがゲーム業界に携わろうと思ったきっかけは何だったんですか?

城崎:僕は出身が京都なんですけど、実家の近くに大手のゲーム会社があって、そこの社員さんと仲良くさせていただいており、そこでいろんな話を聞いたりしていたんです。なので、仕事としてゲームというものがすごく身近な存在だったんですよね。だから、将来は何かしらゲーム制作に携わる仕事に就きたいと自然に思うようになりました。小学校の卒業文集にはゲーム屋になるって書いてましたし。

城崎 雅夫

―遊び道具としてのゲームも好きでした?

城崎:ハマっていたのはボードゲームばかりでしたね。特にマジック:ザ・ギャザリングというカードゲーム。47都道府県どこにでもカード屋があるし、毎週末どこかしらで全国大会があるんです。試合の度に遠征して、日本全国を駆け回っていました。高校生の頃には優勝できるようになったりして、自分で大会を主催したりもして。

—高校生で大会主催まで……! あくまで趣味だったゲームを進路として意識したのはいつ頃でしたか?

城崎:高校3年生のときですね。将来をリアルに考えたら、やっぱりゲームだなと。だから大学より専門学校に行く方がいいなと思って、関西にあるゲーム系専門学校のオープンキャンパスに片っ端から行ってみました。ここだって思うところに決めた後はすごく早かったです。みんながこれから本腰入れて受験勉強するかっていう9月には合格通知をもらっていましたから、誰も遊んでくれなくて。当時の彼女ですら相手にしてくれませんでした(笑)。

学内外の賞を総なめ! フルスイングで勝ち取ってきた優勝の数々

―専門学校ではどんな生活を?

城崎:ゲームの企画開発について学ぶコースに入ったんですけど、僕は企画職に就きたかったので、企画の先生にへばりついて、個人的に質問しながらゲームの企画書を作るようになって。最初の数ヶ月は真面目に出席していたんですけどね……。家にPCがなかったので、一応学校には毎日ちゃんと通って、教室には行かずに実習室で企画書を作り続けていました。

―企画書は3年間でどれくらい書いたんですか?

城崎:何本だろう……。草案だけのも入れると40〜50くらいはあると思います。企画書には、ゲームのシステムも、楽しさも、意義も、あらすじも、ありとあらゆることを書くんです。だから書いたら書いた分だけうまくなると思っていたし、大学ではなく専門学校に通うことを選んだ時点で、自分はゲーム業界に入れないと無意味だと思っていて。その強迫観念もあって、次から次に取り組んでいましたね。

城崎 雅夫

―在学中には企業主催のコンテストで賞を受賞されたそうですね。

城崎:当時某ゲーム雑誌が主催する「ゲーム甲子園」っていうプロアマを問わないゲーム企画コンテストがあって、2年生と3年生のときに企画部門賞を連続で獲得しました。ただ、学内で毎年開催されているコンテストでは1年生、2年生と連続で優勝を逃し、“学内では評価されないけど、学外では評価される男”と呼ばれてました(笑)。

―無冠の帝王みたいですね(笑)。

城崎:そうなんです、それがすごく悔しくて。普通は3年生になると、後輩に譲るじゃないですけど、学内コンテストに応募する人ってほとんどいなくなるんです。でも僕は、3年生になっても周りにいる一番優秀なデザイナーやエンジニアを集めて応募して、しかも絶対に優勝するための作戦を考えたんです。

―作戦ですか。

城崎:賞の選考が1次、2次、最終って3段階あって、1次は学校の先生が集まって優れた企画を10個まで絞るんです。その後、各ゲーム会社のプロが最後の3人を選定して、プレゼンテーションで優勝を決めるんですね。で、よくよくルールを読んだら、提出する企画は1人1個っていう規制が何もなかったんですよ。これだ! と思って練りに練った企画を5個も出したら、5個全部が1次選考を通過して。選考に残ってるうち半分が僕の企画だから、もうこの時点で勝利を確信したんですけど、万全を期して最終プレゼンテーションでは実際にプログラミングした映像を流したりして。満票で優勝しましたね。

―完全勝利! みたいな(笑)。

城崎:決勝戦は後輩の女の子2人が相手だったんですけど、そんなの関係なくフルスイングでしたね。コンテストが終わった後に周りから「大人げねぇ」とか大バッシング受けましたけど(笑)。そのままの勢いで卒業制作でも優勝して、卒業までの半年間は人生で一番楽しかったです。

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どんなに優秀なプランナーでも、一人ではゲームを作れない

どんなに優秀なプランナーでも、一人ではゲームを作れない

—専門学校卒業後はセガに入社されていますが、狭き門だったのでは?

城崎:3年生のときの担任が「お前セガっぽいからセガ受けろよ」って、知らない間に履歴書を出したんです。当時は関西に住んでいたので、僕自身は東京で就職活動するつもりはありませんでした。でも、一次試験を大阪でもやっていたので、どうせ落ちるだろうし、受けるだけならタダっていう軽い気持ちで受けたところ、運よく内定をもらえちゃって。その日が7月7日だったんですけど、学校の七夕イベントで短冊に「内定が取れますように」って願掛けした直後だったんでちょっと驚きましたね(笑)。

—プランナーの仕事とは具体的にどういったものなのでしょうか? 専門学校時代のように企画書を書くことがメインなのですか?

城崎:会社に入ってすぐに企画書を書くことは、まずありません。最初に取り組むのが仕様書の作成ですね。

城崎 雅夫

—仕様書は、企画書とはどう違うんですか?

城崎:プランナーって、どんなに優秀な人でも一人ではゲームを作ることができないんですよね。仕様書というのはいわばゲームの設計図のようなもので、デザイナーやプログラマーがそれを参考にゲームを制作していくんですよ。この仕様書は面白くて、けっこう性格が出るんです。すごく丁寧に書いてあるものもあれば、ザックリと書いてあるだけのものもあったり。

—ちなみに城崎さんはどちらのタイプなんでしょう?

城崎:僕はもう、雑なことで有名ですよ(笑)。絶対に譲れないことだけを書いて、あとは好きにやってというスタンスです。

—なるほど(笑)。入社されてから最初に任された仕事って覚えていますか?

城崎:『龍が如く 見参!』というゲームのバトルシーンの制作に携わりました。敵とか野次馬とかを1人ずつどこに配置するかを決める作業だったんですけど、最終的に1万人くらい置いた記憶があります。

—1万人も! 現在はディレクター職に就いていますが、プランナーとの違いはどんなところにあるのでしょうか?

城崎:基本的な仕事内容はほとんど変わらないですよ。いまだに仕様書も書くし、チェックもするし、ミーティングの司会もします。唯一違うのは決定権があるかないか、それだけですね。僕がOKを出したら、そのままお客さんの前に出される。面白さと同時に、恐怖もありますね。

人の魂に訴えかけるようなゲームを作りたい

—城崎さんは家庭用ゲームからスマホゲームの開発へと渡り歩いていますが、違いを感じることはありますか?

城崎:ありますね。スマホが出てきてからは人が日々使う「時間」の競争率がすごく上がりました。だから競合相手が今までのゲーム機だけじゃなくなったんです。映画とドラマって似ているようで違うじゃないですか、あんな感じですね。長い時間やってもらうだけじゃなく、「明日もやりたくなる」ようなゲームをつくることがより重視されるようになったと思います。

—なるほど。

城崎:それに加え、国によってゲームに対する考え方が全然違うんですね。たとえば、日本だとガチャとか何が出てくるのかわからないものに対して課金する人が多いんですけど、海外だとそういうことはほとんどありません。たとえば中国ではこれだけ課金したら特別待遇がありますというVIP制が人気だったり。特にスマホは海外展開がしやすいので、そういう海外のゲーム事情まできちんと情報を得るようにしています。

城崎 雅夫

—ゲーム制作に対する考え方も変わりそうですね。

城崎:僕は、ゲームを作っているというより、体験を作っているという感覚に近いですね。今は、かつてみたいにゲームを出せば売れる時代ではないし、ソーシャルゲームバブルのときのように流行っているわけでもない。そのなかで選ばれるゲームになるためには、人の魂に訴えかけるようなものじゃないといけないと思うんです。だからこそ、何かが感じられるものを作りたいなって考えています。

—今後の展望は何かありますか?

城崎:早く一人前になりたいですね。自分で企画立案して、予算も優秀なスタッフも集められて、みんなの原動力になりたい。とにかくチームのエンジンとしてもっとパワフルになりたいです。車やバイクで例えたら今はまだ50ccくらいの能力しかないので、いつかF1級になりたいなって。あとは常に面白い人、企んでいる人でいたいですね。

—それはゲーム業界内で、ということですか?

城崎:いえ、もっと広い意味で。去年まで一緒に働いていた上司が「お前、ダルビッシュと同年代だろ。ダルビッシュより凄くなってないのに、ダルビッシュより努力していないお前は何なんだ?」って言われて、なるほどなと。確かにそういう人たちと比べたらまだまだだし、もっと成長できると思うんです。だから業界関係なく、同年代のライバルに負けないようにいたいですね。

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キャメルアップ

僕の家にあるボードゲームのひとつ。2014年にドイツ年間ゲーム大賞に選ばれた「キャメルアップ」というラクダレースのゲームで、金曜日の夜とかに同僚と一緒に朝までプレイしています。こういうゲームで遊ぶのは、僕にとってプロ野球選手の素振りに近くて、プレイすることで勘が鈍らないというか、常にゲームのことを考えられるようにしたいんです。以前、将棋の羽生善治さんが将棋のことしか頭にないときに何か違うことをすると、その瞬間にポッと新しいアイデアが浮かぶことがあるという話をしていて、そういう感じで仕事のオンオフをあえて作らないことでいい発想ができればいいなと思っています。
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