Interview 私としごと

日本版『KINFOLK』編集長に聞く、10年先の未来よりも今を大切にする理由

日本版『KINFOLK』編集長(株式会社ネコ・パブリッシング)
圓角航太(編集者)

食や暮らしの美しい風景、愛する人たちと集う時間を題材にしたライフスタイルマガジン『KINFOLK』。2011年にアメリカ・ポートランドで創刊され、瞬く間に国境を越えて広がり、世界中の読者から共感を集めている。そんな雑誌の日本版となる『KINFOLK JAPAN』の編集長を務めているのが圓角航太さんだ。ネコ・パブリッシングでアルバイトをしていた学生時代から、編集長に就任するまでの背景には一体何があったのだろうか?圓角さんの雑誌づくりへ懸ける想いを伺った。

プロフィール

圓角航太

1982年、東京都渋谷区生まれ。多摩美術大学卒。大学在学中よりネコ・パブリッシングにて学生アルバイトを始める。大学卒業後、同社に新卒社員として入社。『カー・マガジン』編集部に在籍後、スケートボードカルチャーマガジン『SLIDER』、ヴィンテージモーターサイクルマガジン『ROLLER』、ポートランド発のライフスタイルマガジン『KINFOLK JAPAN』など、数多くの雑誌を立ち上げる。

取材・文:西丸亮 撮影:きくちよしみ(2017/09/14)

NBA、ヒップホップ、ダンス。人生を変えたブラックカルチャー

—圓角さんは、どのような少年だったのでしょうか?

圓角:剣道、野球、バスケ、水泳、それからピアノなど、いろんな習い事をしてましたね。でも、どれも長続きしなかったんですよ。唯一、高校まで続けたのはバスケで。1992年にバルセロナオリンピックが開催されて、「ドリームチーム」と呼ばれていたアメリカ代表チームがめちゃくちゃカッコよかったんです。「ダンクすげえ!」みたいな(笑)。それからNBAに夢中になり、その延長線上で、ブラックカルチャーに触れ始めました。周りと比べ、だいぶませていたと思います。

—当時、どのように情報収集をしていたのですか?

圓角:中高時代は学校の先輩に教えてもらってました。学校帰りは、渋谷のレコードショップ『シスコ』とか『マンハッタン』で一緒にレコードを漁ったり。Nasのデビューアルバム『illmatic』は死ぬほど聴いていましたね。他にもダンサーユニット「エリートフォース」の映像を見て、踊りの研究をしたりと、音楽、ダンス、ファッションなど、先輩の真似ばかりしていたと思います。

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—そこまでブラックカルチャーに傾倒した理由は何だと思いますか?

圓角:海外への憧れが強くあったのだと思います。もしかすると行ったことのない場所を想像することが楽しかったのかもしれませんね。MVのセットやアーティストのファッション、登場する乗り物などをヒントに、想像していたんですよ。ブラックカルチャーには「知らないことを知る」ための要素が詰まっていた気がします。

—では、圓角さんが雑誌に興味を持ちはじめたのはいつ頃ですか?

圓角:美大時代にフリーペーパーをつくっていたので、その頃からです。タイトルは『Notorious』っていうんですけど、これもThe Notorious B.I.G.というアメリカのラッパーにちなんでいます(笑)。バイク屋さんを取材したり、好きなエッセイを書いたり、一緒につくっていたカメラマンのポートレートを載せたり、好き勝手やっていましたね。昔も今もそうですが、誰かに求められてつくるというよりも、自分が好きな人やものを周囲に伝えて、リアクションをもらうことに面白みを感じていたんだと思います。

車好きが功を奏して、出版社に就職

―ネコ・パブリッシングに入社したきっかけを教えてください。

圓角:友人のお兄さんがネコ・パブリッシングで働いていて、その紹介でアルバイトできることになったんです。業界に入るきっかけをつくってくれたので、とても感謝しています。出版社で働けることも嬉しかったのですが、偶然にも担当の部署が『カー・マガジン』編集部だったんですよ。

―圓角さんがお好きだったブラックカルチャーとは縁遠い雑誌のようにも思います。

圓角:いや、実は小さい頃から車が大好きだったんです。実家の前にディーラーがあって、フォルクスワーゲンとか、アウディなどの外車を眺めては憧れていました。だから車好きとしては最高の環境でしたね。その頃は読者プレゼントやニュースページの情報をひたすらまとめていました。地味な作業に思えるかもしれませんが、周りには「車オタク」の方々ばかりだったので、日々新しい情報や知識に触れられることが刺激的でしたね。

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―アルバイト後は、そのままネコ・パブリッシングに就職を?

圓角:はい。新卒の就職試験を受けて、『カー・マガジン』編集部に配属されました。アルバイト期間も含めて6年経った頃、「好きな雑誌をつくっていいよ」と言われ、新しい編集部を与えてもらえることになって。編集部といっても最初は僕一人ですけどね。雑誌自体の方向性を考える経験は初めてでしたが、考えるうちにやりたいことのイメージがどんどん明確になっていって。そうして創刊したのが、スケートボードカルチャーマガジン『SLIDER』とヴィンテージモーターサイクルマガジン『ROLLER』でした。

―雑誌をゼロからつくりあげることって、私たちが想像する以上に大変なことだと思います。たとえば、コンセプトやビジョンはどのように考えていくのでしょうか?

圓角:正直、大して考えていませんよ(笑)。何かを好きなファンがいて、そこに向けた雑誌がないからつくる、という非常にシンプルな話で。たとえば、よく「この雑誌の10年後はどうなっていますか?」という質問をされるのですが、まったく考えていません。一号一号というか、目の前の号しか考えてなくて。だって、いくら未来のことを考えても、実際どうなるかわからないじゃないですか。そうであれば、目先の企画をどう面白いものに仕上げていくか、売り上げをどう伸ばしていくかということの方が大切。その視点さえブレなければ、未来は自然に良い方向性へ進むと思うんです。

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