Interview 私としごと

ありのままの自分を仕事にぶつけたい

株式会社ハイパーインターネッツ
出川 光(CAMPFIRE チーフキュレーター)

「クラウドファンディング」という言葉をご存じだろうか。アイデアを実現したい人がネット上でパトロンを募り、目標金額に達したらプロジェクトが成立して支援を受けることができるプラットフォームだが、そんな注目のサービス「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」でチーフキュレーターを務めているのが出川光さんだ。現在、25歳と若手でありながら、日本でまだ知られてきたばかりの新サービスに当初から関わり、何も前例がない中で「どのようにしてプロジェクトの成立を支援するか」を一から構築してきた。そんな彼女が見据える「クラウドファンディング」の未来とはいかなるものなのか。まずは出川さんのバックグラウンドから伺っていこう。

プロフィール

出川 光

1987年生まれ。東京都出身。小中高と横浜雙葉学園に通い、2010年に武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。新卒でリクルートメディアコミュニケーションズに入社し、メディア・コミュニケーションを創造する実証研究機関「メディアテクノロジーラボ」に配属された。2011年からは株式会社ハイパーインターネッツに転職し、チーフキュレーターとして活躍している。

インタビュー・テキスト:宮崎智之(プレスラボ) 撮影:すがわらよしみ(2012/8/22)

進学校の「変わった子」から美大生に

―出川さんは武蔵野美術大学を出られていますが、いつ頃からそのような分野に興味を持ち始めたのでしょうか?

出川 光

出川:私の場合は、写真に興味を持ち始めたのがきっかけですね。もともとは絵本が大好きで作家になりたいと思っていたのですが、道端を歩いていてキラキラするものを見つけたときや、学校で友達の笑顔を見たときなどに、「その瞬間を切り取りたい」と思ったのが始まりで。それなら絵本よりは写真の方が表現として向いているかなと思い、父から一眼レフを借りてそのまま自分のものにしちゃいました(笑) 。私が中学生だった当時、ガーリーフォトブームだったことも影響していると思いますが、女性が個性を発揮する手段として、注目されていたのがカメラでしたからね。

—大学ではどのような生活を送っていたんですか?

出川:私が入ったのは造形学部映像学科というところで、写真を専門に学べるコースがある学科でした。まず入学してビックリしたのが、昔から周りで1番美術ができるような人達が集まるような大学だったので、それまでは「名門の進学校で写真を撮っている変わった子」だったのに、急に自分の個性が平らにされてしまって(笑)。でも、音楽で言うと「くるり」とか「サニーデイ・サービス」とか、雑誌で言うと「STUDIO VOICE」とか、まぁ美大生にはありがちな趣味なんですけど、好きだったものが同じ人が本当に多くて。「ようやく自分の居場所を見つけた!」と思いましたね。後は、とにかくバイトに明け暮れたりと。

―どんなバイトをされていたんですか?

出川:飲食店や家庭教師、塾講師などたくさんのバイトを経験しました。塾のアルバイトでは、足立区の小学校に派遣されて講師をやっていたこともあるんですよ。あと、東京都福生市にある米軍・横田基地の中のアイスクリーム屋さんで働いていたりも。おかげで今も英語はある程度、話すことができます。

タブーを乗り越えて受け入れたバックグラウンド

―米軍基地の中でのバイトは珍しいですね。学業の方では?

出川:1、2年生のころは、自分の好きなように写真を撮っているだけだったのですが2年生のときに写真家である長島有里枝さんの授業を取り、写真に対する考え方が一変しました。長島さんの写真は、ビジュアルが綺麗で人を惹きつけるところに魅力を感じていたんですけど、そのなかに自身の生き方があって、しっかりしたコンセプトを持っていることにさらに魅力を感じたんです。個人的な話になってしまうのですが、実は私の家族は別居していたこともあり、「家族」の話を他人にすることは何となくタブーだと思っていたんです。でも、長島さんが家族のヌードを撮影してパルコ賞を取った「Tokyo Urbanart #2 展」という展示でのポートレートを見て、「あ、自分のバックグラウンドを作品として表現していいんだ」という当たり前のことに気が付くことができました。

―なるほど。それで具体的にどのような写真を?

出川:ずっと父と母が川の字で寝る姿を見たいなと思っていたので、父と母に頼んで実際にぐっすり寝てもらい、自然光が入る朝まで待って撮影した作品などがあります。あとは、横田基地で米軍の方に聞いた故郷の話をもとに、イメージを再構成した合成写真を作ったりもしました。

—米軍基地の中ですと、いろいろなエピソードが聴けそうですね。

出川 光

出川:そうですね。戦争で亡くなられた白人上官の子どもを引き取って育てている黒人の方がいたり、亡くなった仲間のペンダントをいくつも飾っているバーがあったりと。仲良くなった米軍の方がよく話してくれたテキサスの海の話がとても印象的だったので、公開訓練でのパラシュート落下を軍事マニアに交じって撮影し、海と鳥の写真を合成してイメージを再構成してみたり。私はそれぞれの「バックグラウンド」というものをコンセプトに、作品については、考えて、考えて、撮るタイプでしたね。

—卒業後は、リクルートメディアコミュニケーションズに入社したということですが、作家としての道は考えなかった?

出川:これは、後からお話しすることにも繋がってくると思うのですが、たくさんのアルバイトを経験したこともあり、「社会の中からアートを見る目」と「アートの中から社会を見る目」の両方を持っていることが、私の特性だと思いまして。まぁ、4年間で作家としての結果が出せなかったこともあるんですけど……(笑)。

—2010年卒業と言えば、リーマンショックがあった後で、厳しい就職活動だったのではないでしょうか?

出川:そうですね。リーマンショックがある前に大学で行われた就職説明会では、「売り手市場です」なんて担当者が言っていたのに、2回目は「この前、言ったことは取り消しです。皆さん頑張ってください」なんてことになっていて(笑)。でも、私の場合はわりと早めから活発に動いていたこともあり、出版社の写真部や大手インターネット関連の会社を数社と、広告代理店などから内定をいただくことができました。

—おぉ、凄いですね(笑)。そうそうたる企業の中で、リクルートメディアコミュニケーションズを選んだのは何故だったんでしょうか。例えば、出版社の写真部なら自身の好きな写真を仕事にできたと思うのですが。

出川:大学を選んだ時も同じだったんですが、最後は直感ですね(笑)。

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