Interview 私としごと

森本千絵の今を支えるのは、30歳で沖縄から上京したデザイナーだった

株式会社goen°
波平昌志(デザイナー)

goen°はアートディレクターの森本千絵が主宰するデザイン集団。これまでMr.Children、松任谷由実、miwaなど、名だたるアーティストのCDジャケットやMVのほか、数々の企業広告を手がけてきた。そんなgoen°でデザイナーを務めるのが波平昌志さんだ。沖縄で生まれ育ち、30歳で上京。その背景にはどんな経緯があったのだろうか。

プロフィール

波平昌志

1985年、沖縄県生まれ。沖縄県立芸術大学卒。同大学院修了後、株式会社エマエンタープライズを経て、2015年goen°入社。グラフィックデザイナーとして『南三陸志津川さんさん商店街』のロゴ・サイン、『KIRIN 一番搾り若葉香るホップ』のパッケージなどを担当。

取材・文:西丸亮 撮影:すがわらよしみ(2017/6/9)

朝から晩までデザイン漬けだった学生時代

—波平さんは、もともと絵を描くのが好きだったのですか?

波平:絵というか、落書きが好きでしたね。中学時代には、黒板いっぱいに先生の似顔絵を描いたり、パラパラ漫画をつくったりして遊んでいました。自分の絵を見てもらいたいというよりも、過程が楽しいという感じです。それに、周りに見られるのって恥ずかしいじゃないですか? でも、大学受験の時期に初めて描いたデッサンを予備校の先生に褒められたのがすごく嬉しかったのを覚えています。高校卒業後は、沖縄県立芸術大学のデザイン専攻へ進みました。

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—落書きが転じて、デザインの道に進んだ、と。大学時代は何に熱中していましたか?

波平:デザインユニットを組んで、周囲からお仕事を請けていましたね。大学2年の終わりに、仲の良い友人から「会社をつくろう」と誘われたのがきっかけでした。会社と言いつつ法人化などはまったくしていなくて、ただ周りに「僕たち起業します!」とだけ宣言していました。そうすると、大学の教授から「この仕事やってみないか?」と言われて。それを皮切りに、沖縄土産のTシャツをデザインさせてもらったり、どんどんお仕事が舞い込むようになっていきました。

—大学2年生なのにバイタリティがすごいですね。学業との両立は大変だったと思います。

波平:本当に大変でした(笑)。同じ時期から企業へのインターンが始まり、そっちも忙しくなっていったんです。昼間は大学、夕方からインターン、深夜にデザインユニットの作業という日々の繰り返し。でもインターン先がIT企業だったので、WEBサイトの更新や画像補正など、いろいろ学ばせてもらいましたね。WEBの知識やデザインに必要なソフトの使い方などはかなり習得できたと思います。結果的に、夢中になりすぎて4年生を2回やることになりましたが(笑)。

—学校の「勉強」だけでなく、実践を通してデザインを学べたんですね。

波平:はい。その後も大学院へ進学して、学生46名で『wakuwaku 53』という週めくりカレンダーをつくったんです。沖縄の伝統行事やイベントをモチーフに53枚のイラストを描くという企画で、メンバーの取りまとめから、販売店への営業まで行いました。その頃は絵がうまい子たちが学外で活躍できる機会が少なかったし、学生でもここまでできるんだということを示したくて。翌年には外国人向けに英訳付きカレンダーを制作することになったり、反響はすごく良かったです。

週めくりカレンダー『wakuwaku 53』

週めくりカレンダー『wakuwaku 53』

74歳の師匠に学んだ、デザインの本質とは

―波平さんがデザインの面で影響を受けた方はいますか?

波平:沖縄のデザイン界でCI・VIの基礎をつくったと言われている佐藤萬義(さとう・かずよし)という人がいて、当時74歳だったんですが、彼から学んだことは今の僕の考え方に大きく影響していると思います。ご自宅によくお邪魔し、沖縄とデザインの関係や歴史の話など、本当にいろいろなことを教えていただきました。話し出すと永遠に止まらないような方だったのですが、その話がとにかく面白くて。何度も繰り返し聞いていました。

―具体的にどのようなことを?

波平:デザインには「考え方」と「技術」のバランスが大切だということ強く教え込まれましたね。特に技術の面では「実際に手を動かさないとわからない」と言って、レタリング講座を開催してくれました。定規、鉛筆、ガラス棒の3つを使い、ひたすら明朝体やゴシック体を描くのですが、それがとても難しい作業で。特に「アール(曲線)」は体を傾かせながら少しずつ進める作業なので至難の技なんです。でも、だんだんやり込むうちに、PC作業ではわからなかった書体ごとの違いや文字の構造を、体で理解できるようになっていきました。同じような書体でも細かいところに違いがあったりして……。超マニアックですけどね(笑)。最初は僕と友人だけで始まった勉強会ですが、徐々に参加者も増えて、社会人になってからも2〜3年は続けました。

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―デザインというと、東京に憧れを抱く方も少なくないと思います。就職先として上京という選択肢はなかったのでしょうか?

波平:大学教授の勧めでいくつか東京のデザイン事務所に応募しましたが、正直、憧れだけで本気ではありませんでした(笑)。大学院2年の12月になっても進路に迷っていて、どうしようと思っていたときに、週めくりカレンダーを見てくれた広告代理店の方からオファーをいただいたんです。その会社の制作実績がどれも素晴らしいものばかりだったので、二つ返事で入社を決めました。

―その会社で特に印象に残っているお仕事を教えてください。

波平:沖縄にあるファーストフードショップのお仕事ですね。デラックスチキンバーガーという復刻商品のキャンペーン施策を提案して欲しいという依頼があったんです。でも多くの人はその「復刻前」の商品を知らないんですよ。普通にビジュアルをつくったら消費者にスルーされてしまうと思ったので、レトロなアメコミ風の新しいキャラクターを勝手につくり「覚えているかい?」という吹き出しを入れてみたんです。懐かしいテイストとはいえ、新しいキャラクターなので、もちろん誰も知るわけがなく(笑)。多くの人が覚えていないという事実を逆手にとることで、インパクトを与えることができないかと考えました。

―まさかアメコミのキャラクターを提案するとはクライアントも想像しませんよね。

波平:そうですね。でも、きちんと課題を直視し、いろんな切り口のアイデアを提案していくことが大事だと思っています。結果、クライアントには気に入ってもらえて、お客さんの反響もよかったんです。その後4つの新商品でもキャラクターをつくらせてもらったり、キャラクターグッズにまで展開しました。地元の学生の間でも話題になっていたと聞いたときは、反響を直に感じることができて嬉しかったですね。

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goen°主宰・森本千絵との出会い

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