Interview 私としごと

ドイツ滞在で見つけた、アーティストと仕事する道

フェスティバル/トーキョー実行委員会事務局
松宮 俊文

豊島区で毎年3か月にわたり演劇やダンスなどパフォーミングアーツを展開する『フェスティバル/トーキョー』。そこで働く松宮さんが今の仕事につくまでには、ドイツでの運命的な出会いや文楽への関心など、さまざまな経緯があった。興味を持ったものに対しては、知識がなくとも貪欲に深掘りしていく好奇心の源とは?

プロフィール

松宮俊文

ベルリン芸術大学への留学を経て多摩美術大学大学院を卒業後、現代人形劇センターに入社。現在はフェスティバル/トーキョー実行委員会事務局にて、「まちなかパフォーマンスシリーズ」などを担当。

取材・文:山本梨央 撮影:すがわらよしみ(2016/10/19)

たった一人で日帰り神戸へ。展覧会が人生の分岐点に

—子供の頃からアートや舞台芸術に興味はあったんですか?

松宮:いえ、中学高校時代はひたすら陸上にのめり込んでいました。リレーで全国大会に出させてもらったりしていて。あのときはもう走ることに夢中でしたね。打ち込むものがそれ以外になかった。田舎なので小さな本屋しかないし、DVDレンタルするにもお店がないわけですし、映画館ももちろんない。なので、文化的なものに触れるきっかけがなかったんです。中学、高校では、授業のときはずっと授業、それ以外の時間ずっと陸上部。あまり文化の方に目がいかなかった時期でした。もしかすると当時の反動で、今こういう仕事に就いているのかもしれないですね。

―陸上一筋な中高時代だった、と。

松宮 俊文

松宮:高校も陸上の推薦で入ったんですが、入学した学校が単位制の総合高校だったんです。そこに体育系の生徒と美術系の生徒がいて、徐々に関心が美術の方に向いていきました。高校3年生の春休みに、テレビ番組『新日曜美術館』(現在の名称は『日曜美術館』)という番組を見たんです。その中で『「具体」回顧展』が兵庫県立美術館で開催されていると知って。高校生で生意気なんですけど、「なんかちょっとおもしろそうだな」というだけで新幹線に乗って、神戸まで観に行ったんですよ。

—お一人で、ですか?

松宮:はい。それも日帰りで(笑)。美術史も何も勉強しないまま、全く知識もなかったんですけれど、昭和戦後すぐの芸術活動でここまでアグレッシブなものがあったんだ、美術って変でおもしろいな、と思いました。幼少期にウルトラマンの怪獣や鬼太郎の悪役が好きだったことに通じるのかもしれないですが、ちょっとおどろおどろしいというか、不気味だったりとか、決してきれいとは言い切れない表現にすごく魅了されたんだと思います。

—それで美大進学を決意したと。

松宮: はい、そこから一浪して多摩美術大学の情報デザイン学科に入りました。ずっとメディアアートを学んでいた大学生活でしたね。

なぜかベルリンで日本の劇団を見て、どっぷりハマっていった

―大学時代には、ギャラリーでアルバイトをしていたとお聞きしました。

松宮:はい、SCAI THE BATHHOUSEでお手伝いをしていました。そのときに現代美術の作品を売買する現場に入って、アートをすごく身近に感じられるようになったんです。作品を売って生きている人たちという存在も知って、すごいなと思いました。あとは額の選び方とか、梱包の仕方から、すべてそのギャラリーで学ばせてもらって。今も非常に感謝しています。たとえば額の選び方ひとつ取っても、材質が木材なのか鉄製なのか、ビスを打ってそこに掛けるのか、ただ壁に立てかけるだけなのか、壁のどの位置に展示するのかで全くその作品の見え方は変えられるんですよ。そんな経験から、就職をするよりも「もっと学びたい」という気持ちが強くなり、そのまま大学院に進学しました。

―大学院ではどのようなことを?

松宮:進学後すぐに、半年ほどドイツに留学しました。ベルリン芸術大学に通って授業を受けていたんですけど、ベルリンってメディアアートが活発でフェスティバルやイベントが頻繁にあるんです。さらに現代美術も演劇も至る所で観れたりするんですね。そこでたまたま『Tokyo Shibuya The New Generation』っていう日本の若い劇団に焦点を当てた特集がHAUという劇場で組まれていたんです。このときに快快とかチェルフィッチュとかの作品を観ました。それまで実は演劇ってほとんど観てなかったんですよ。ベルリンに行って、なぜか日本の劇団の演劇を観て、そこから強い興味を持つようになりました。あと、ドイツは人形劇がすごく盛んで。

―人形劇、ですか。

松宮 俊文

松宮:お昼の部は割と子供向けのプログラムが多かったんですけど、夜は本当に大人向けで、みんなバーでワインを一杯飲んでから観る。中にはいわゆるエログロみたいな作品もありました。人形劇を毎週末ずっと観続けまして、いやこれはおもしろいな、日本に帰ったらそういう仕事もいいな、と考えるようになりました。とはいえ、ドイツ語は全然わかんないんですよね(笑)。それでもみんなが笑っている雰囲気もすごく好きで。わけわかんないけど、とりあえず観に行くみたいな感じをずっと続けていたら、その劇場の人も「変なアジア人がいる」って覚えてくれて。それで劇場に通うのが楽しかったというのもあるかもしれません。

―それはかなりカルチャーショックですね(笑)。

松宮:そうですね(笑)。それからもう一つ、ドイツにいたときに実は運命的な出会いがありまして。僕の人生を形成しているといっても過言ではないんですけれども、島袋道浩さんという芸術家がベルリンに住んでいまして。ときどき彼の手伝いをさせてもらってたんですけど、島袋さんはお手伝いした対価としてお金を僕に渡すんじゃなくて、家でご飯を食べさせてくれた。展示のお手伝いで一緒にイタリアとかも行ったりして。一番心に残っているのは、「感動したと思ったら、返さなきゃいけない。誰かに喜ばせてもらったら、何かの形で誰かを喜ばせなきゃいけない」という考え方。お金に換算できない価値観や、そういう生き方を教えてもらいました。

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