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「つまらない人」にならないために

「つまらない人」になりたくない――。誰もがふと思うことだが、その想いを持続することは難しいかもしれない。日々の生活や仕事に忙殺されると、遠くにある本来の気持ちがかすんできてしまうからだ。しかし、デザイナーの安田昂弘さんは、そんな想いに忠実に生きている人だ。宮田識氏率いるデザイン会社「DRAFT」に勤める傍ら、個人としても活動し、自身が手掛けたロックバンド「快速東京」のPVがロンドンの映像祭に作品招待されれば、フジロックでVJもする。学生時代は友人とカフェをオープンするなど、常に面白いと思うことに対して、真っ正面から向き合い妥協しない。強い意志とバイタリティを兼ね備えた安田さんが考える「仕事観」とは?

Profile

安田 昂弘

1985年生まれ、名古屋出身。東京造形大学 造形学部 デザイン学科 写真専攻領域を中退後、多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科に入学。2010年9月から株式会社ドラフトにデザイナー、ウェブチームのチームリーダーとして所属している。個人でも、グラフィックデザイナー、映像ディレクター、VJなどとして幅広く活動中。2012年には、「映像作家100人」にも選ばれている。
http://yasudatakahiro.com/

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「将来の夢=牛」からデザイナーを志すまで

―美大からデザイン会社に就職と、経歴を見る限りは一貫してクリエイティブ畑を歩んできたように見えるのですが、いつから進路を決めていたんですか?

安田:昔から絵を描くのが大好きだったので、かなり前から決めていた感じはしますね。でも、幼稚園の頃の夢は食べてすぐに横になれるからって理由で、「牛」になることでしたよ(笑)。その後の夢が「ペンギン」に変わり、次の夢が「絵描き」になることでした。

—ずいぶん飛躍しましたね(笑)。どうして、突然、絵描きを目指そうと思ったんでしょうか?

安田 昂弘

安田:小学校低学年の時にNBAが流行っていて、マイケル・ジョーダンが所属していたシカゴブルズが全盛期の時代でした。日本で言うとエアマックスブームが起きる直前ですね。当時、同級生にマセた友人がいて、アメリカに「ナイキ」というブランドがあること、そして「デザイン」という言葉があることを僕に教えてくれたんです。でも僕はスニーカーやバッシュを買ってもらえなかったので、書店でバスケ雑誌を立ち読みして「こんなのがあったらいいな」と架空の靴を描き始めたのが、デザインに興味を持ったきっかけかもしれません。

―ないなら、自らつくろう、と。

安田:今思えば、当時は「プロダクトデザイン」に興味があったんでしょうけど、それが何デザインなのかということは特に意識せず、ただ漠然と「デザイン」に興味を持っていた感じです。その後、タナカノリユキさんが手掛けたナイキの広告などを見て、「グラフィックデザイン」の魅力にも惹かれていきました。

―徐々に興味の幅が広くなっていったと。

安田:とは言っても、一口で言うと僕にとって「デザイン」は「ビジュアル」なんです。最終的には人が目で見るものなので、平面にしろ、プロダクトにしろ、グラフィックにしろ、映像にしろ、すべてが「ビジュアル」だし、それを分けて考えることはできなくて。デザイナーはつくるものすべての「ビジュアル」に責任を持つべきだと思うんです。ですから、高校に入って美大の予備校に通うようになってからも、とくに偏ることもなく、平面から立体までいろいろ作っていました。その他にも、ピンホールカメラを自作して、風呂場に作った暗室で写真を現像したり、ぼろぼろのスニーカーに布を張り付けてカスタマイズしたりと……。端から見たら、変わった高校生だったかもしれないです(笑)。とにかく何でも自分で作らなければ気が済まなかったです。

―そんな高校時代を経て、東京造形大学に進学されたんですね。デザイン学科の写真専攻で学ばれていたそうですが。

安田:はい。「写真専攻といっても、デザインの基礎くらいは学べるだろう」と思って入学したのですが、写真のプロ養成学校といった感じで……。白衣を着て暗室にこもる毎日に違和感を覚えてきてしまい、親にお願いし、もう一度、受験させてもらえることになりました。それで、多摩美のグラフィックデザイン学科に入学したんです。

大学生から、ロックフェスでVJ

―多摩美ではどんな学生生活を?

安田:もう「毎日こんな楽しいことをやっていいんだろうか」と思っていましたよ(笑)。学外の活動もかなりしていました。たとえば映像。元々、浪人していた時、予備校に友人のポータブルDVDプレイヤーを持ち込んで、海外の作品を観始めた頃から関心はあって。それで、先輩から突然VJを頼まれたんです。それまで実際に自分では作ったことがなかったから、アフターエフェクトを2か月で使えるようになるため、猛特訓しました(笑)。それ以来、気付いたときにはクラブに出入りするようになり、「ロッキンジャパン」や「フジロック」 などのフェスにもVJとして出演させていただいたり。あとは友人と一緒に出資し合って、カフェ&バーをオープンしたりしました。

―フジロックでVJにカフェのオープンって、学生の頃からかなり活動的ですね。

安田 昂弘

安田:やりたいと思ったことは、やらないともったいないじゃないですか。カフェは学生で運営するお店で、学校が八王子の山奥だったこともあり、近くにファミレスくらいしか飲食店がなかったんです。「それならば気軽に友達が集まれる場所を自分で作ろう」と企画したのがきっかけで。友達を何人も集めて、建築に詳しい人は消防法のことを勉強したり、経理に興味がある人は経理のやり方を勉強したり、僕は食品衛生責任者の試験を受けて。店名は「On a Slow Boat to China」というジャズの曲からとって、「slowboat」にしました。代々、学生に受け継いで、30年は続けたいと思っています。

―面白い試みですね。でも、それだけ忙しかったら、学校に行く暇なんてなかったのでは?

安田:いえいえ。大学の勉強はしっかりやるようにしていました。他のことばかりやっていて成績が悪いのは、なんだかカッコ悪いと思いまして。大学時代はとにかくいろいろなことに挑戦しましたが、自分の中で決めていた基準が2つだけあって、それは「大学を疎かにしないこと」と「法律を犯さないこと」。大学を一回辞めてしまっているし、逆に、これさえ守れば何をやってもいいんだくらいの気持ちでいました。

―でも、卒業後の半年は就職せずに、ふらふらしていたとか?

安田:ただ何もしていなかったわけではなく、一応、フリーランスで働いていたんですよ。リーマンショック後で就職活動が厳しかったこともありましたし、グラフィックのアプリケーションのハウツー本を共著者として出版したり、学生時代からフリーで仕事を受けていたこともあり。当時は「なんとかなるかな」くらいに思っていたのですが、やっぱりなんともなりませんでしたね(笑)。

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「ぜんぜん広告に興味ないです」

「ぜんぜん広告に興味ないです」

—そんな生活をしながら、ドラフトにはどういった経緯で入社することになったんですか?

安田:半年間、フリーランスとして悶々と過ごし、貧乏生活を続けていました。ごはんも満足に食べられず、スーパーに行ってその日に一番安い野菜を購入し、2日分のスープを作るみたいな(笑)。だけど、ビールは飲みたいから、ついつい買っちゃったり。ようはダメダメな日々を過ごしていたんです。ついに、月末に切る仕事の請求書が1枚もなくなったタイミングで、たまたま大学時代にお世話になった教授から連絡があり、「ドラフトという会社が求人しているから受けるだけ受けてみろ」と。

—おお、まさに渡りに船!

安田 昂弘

安田:でも実は、はじめはあんまりピンときてなくて。何となくの気持ちで面接に向かったんです。そしたら案の定、ぼろくそに言われてしまい……。「君ってなんだか、海外のダメな学生みたいだね」って(笑)。 結局、「フリーランスで食べていくなら、頑張るんだよ!」みたいに励まされて面接を後にしたので、絶対に落ちたと思って、母親にまで電話しちゃいました。そしたら翌日「次の面接にも来てください」と連絡があって。

—意外な展開ですね。

安田:それで、代表と最終面接をすることになったのですが、なぜかゴルフの話しばかり聞かされるだけ(笑)。 最後のほうに「ところで安田君って広告は興味あるの?」と聞かれたので、「ぜんぜん興味ないです」と答えちゃって。当時、別に広告に興味が無いわけではないんですけど、やったことがない仕事のことを「好き」といえるはずがないと思ってて。なにしろ、相手は第一線で活躍しているデザイン会社の代表なわけですし、そんな人を目の前にして全く経験のない自分が軽はずみに「好きです」なんて言えないなと。

—なんと正直な……。

安田:学生時代に「架空のクライアントを想定して広告を作ろう」みたいな授業があって。でも、それって個人的には本当にナンセンスだと思っていたんです。アイデアの授業だというのは理解していたんですが、いない人を無理矢理想定して、クライアントの気持ちや制作、お金のこともわからずに作ったって、意味が無いのでは? と思っていました。つまりは、誰のことも考えていないのと同じ。自分のつくりたい作品をつくっているだけです。だったら純粋に表現を磨く方が僕にはしっくり来ていました。広告って、いろんな人と話しながら、形にしていくから面白いんだと思うんですね。だから、やったこともないのに、その面白さがわかるはずないと思うんです。

—なるほど。そういった、真っすぐな部分が評価されて採用に至ったのかもしれないですね。ドラフトに入ってからは、どのようなお仕事を?

安田:一番はじめはD-BROSという自社ブランドの部署に入りました。はじめはデスクもパソコンも与えられていない状態だったので、ひたすら鉛筆でロゴをレタリングしたりしていましたね。ちょうど、D-BROSが品川にお店を出すタイミングだったので、そのスタンプのデザインをしたり。そうこうしているうちに、広告チームにも関わるようになり、いつの間にか映像の制作にも携わるようになりました。2年目はいろいろな映像を作りまくっていましたね。製品の機能説明をするムービーから、企業VPまで、とにかくたくさん。

会社員とクリエイターの両立

—ロックバンド「快速東京」による楽曲『コピー』のMVを手掛けるなど、ドラフトに入ってからも、個人としても活動されていますよね。他にも、DOMMUNEの映像からORANGE RANGEのデジタルジャケットデザインなど。

安田:『コピー』のMVは「コピー」という文字がどんどん増えるという単純な内容なのですが、モーショングラフィックというよりは、デザインを意識して制作した作品でした。映像とグラフィックは違うものとして扱われますが、僕にとっては同じなんです。だから、デザインとして見てほしいですね。どこでスクリーンショットを撮ってもグラフィックとしても成立しているようなMVにしたつもりです。この映像はvimeoで220万回再生を記録し、ロンドンの映像祭にも作品招待されました。この頃は、自分の「表現」的なものに対して自信を失っていた時期だったので、とても嬉しかったですね。

—やっぱり人が目で見るものは、すべて「ビジュアル」だという想いが一貫していると。ところで、会社での仕事と個人の仕事をどう分けているんですか?

安田 昂弘

安田:基本的には公私混同をしないというのがモットーです。夏の大型のVJは会社の夏休みを使ってやっていたり、映像の撮影も金曜日の夜中に車を出して、土曜の早朝から撮影していますし。個人で好きなことをやっていて、本業を疎かにしていたらカッコ悪いじゃないですか。僕にとっては仕事も個人の活動も両方必要で、どっちがなくなってもバランスを崩してしまうんです。両方楽しいと思えるからこそ、面白い仕事ができると思っています。

—でも、忙しい仕事の合間を縫って、個人的な活動をするのは大変ですよね。そのモチベーションはどこからくるんでしょう?

安田:そう言われると、やっぱり自己顕示欲が強いのかな、と思います。個人の活動は「表現」の要素がより強くでますからね。大学の先輩にクリエイティブ・チーム「TYMOTE」がいますし、同世代の細金卓矢さんなど若手クリエイターも活躍しています。快速東京もそうですけど、周りに同世代の良いクリエイターがいっぱいいて。だから、自分も一人のクリエイターとして、彼らと同じ土俵に居続けたいという想いはやっぱりあるんです。会社に生かされているのではなく、会社にとって必要なクリエイターだから、ここに所属しているんだ、と言えるようになりたいですね。

—そしていつかは、フリーとして活動を増やしていくとか?

安田:どうでしょう。まだまだ分かりません。自分の会社のことを褒めるのは気が引けますが、この会社は本当にクリエイティブのレベルが高くて、自分でつくったものが恥ずかしくなるような感覚があるんです。それは裏返せば、まだまだ勉強できることはたくさんあるし、もっと力をつけられるということだと思っています。今年から「NOROSI(ドラフトのWEBチーム)」のリーダーになり、チームを運営していく立場にもなり、大学時代にカフェを作った時のように、どうすれば皆が上手く回るのかとか、どうすれば皆が力を発揮できる環境をつくれるのかなど、新しいチャンスをもらっているので、どんどん吸収していきたいと思います。

—なるほど。では最後に今後の目標を教えてください。

安田:僕はいわゆる「善人」になりたいとは思わないけれど、自分の仕事が社会の役に立ったり、誰かに影響を与えたりするようになれたらいいなと思います。自分が選んだ手段が「デザイン」なのであって、「デザイン」が目標ではないんです。あとは、やっぱり、「つまらない人」にはなりたくないって、いつも思っています。そんな風に思われたら嫌じゃないですか。これからもデザイナーとして、自分が面白いと思ったことをやり続けていきたいし、自分自身の「ビジュアル」を追求していきたいですね。

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フリスビー

GAS AS INTERFACEと、フリスビーを普及しているSpinCollectif TOKYOがコラボした商品。僕がデザインし、現在は僕が監督で映像を撮るプロジェクトも進めています。この仕事をするまで、フリスビーのことはよく知らなかったのですが、海外ではフリスビーのカルチャーが再燃していて、スポーツとして人気があるそうです。ここ数年、BMXの映像制作の仕事をする機会もあって、ストリートスポーツの魅力にハマりつつあります。競技しているのって、やんちゃな人たちが多いのですが、なんというか、ものすごく健全で純粋なやんちゃさなんですよね。新しい可能性のあるスポーツの普及に関われることは、とても刺激になります。
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