Interview 私としごと

「つまらない人」にならないために

株式会社ドラフト
安田 昂弘(デザイナー)

「つまらない人」になりたくない――。誰もがふと思うことだが、その想いを持続することは難しいかもしれない。日々の生活や仕事に忙殺されると、遠くにある本来の気持ちがかすんできてしまうからだ。しかし、デザイナーの安田昂弘さんは、そんな想いに忠実に生きている人だ。宮田識氏率いるデザイン会社「DRAFT」に勤める傍ら、個人としても活動し、自身が手掛けたロックバンド「快速東京」のPVがロンドンの映像祭に作品招待されれば、フジロックでVJもする。学生時代は友人とカフェをオープンするなど、常に面白いと思うことに対して、真っ正面から向き合い妥協しない。強い意志とバイタリティを兼ね備えた安田さんが考える「仕事観」とは?

プロフィール

安田 昂弘

1985年生まれ、名古屋出身。東京造形大学 造形学部 デザイン学科 写真専攻領域を中退後、多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科に入学。2010年9月から株式会社ドラフトにデザイナー、ウェブチームのチームリーダーとして所属している。個人でも、グラフィックデザイナー、映像ディレクター、VJなどとして幅広く活動中。2012年には、「映像作家100人」にも選ばれている。

http://yasudatakahiro.com/

インタビュー・テキスト:宮崎智之 撮影:すがわらよしみ(2013/8/27)

「将来の夢=牛」からデザイナーを志すまで

―美大からデザイン会社に就職と、経歴を見る限りは一貫してクリエイティブ畑を歩んできたように見えるのですが、いつから進路を決めていたんですか?

安田:昔から絵を描くのが大好きだったので、かなり前から決めていた感じはしますね。でも、幼稚園の頃の夢は食べてすぐに横になれるからって理由で、「牛」になることでしたよ(笑)。その後の夢が「ペンギン」に変わり、次の夢が「絵描き」になることでした。

—ずいぶん飛躍しましたね(笑)。どうして、突然、絵描きを目指そうと思ったんでしょうか?

安田 昂弘

安田:小学校低学年の時にNBAが流行っていて、マイケル・ジョーダンが所属していたシカゴブルズが全盛期の時代でした。日本で言うとエアマックスブームが起きる直前ですね。当時、同級生にマセた友人がいて、アメリカに「ナイキ」というブランドがあること、そして「デザイン」という言葉があることを僕に教えてくれたんです。でも僕はスニーカーやバッシュを買ってもらえなかったので、書店でバスケ雑誌を立ち読みして「こんなのがあったらいいな」と架空の靴を描き始めたのが、デザインに興味を持ったきっかけかもしれません。

―ないなら、自らつくろう、と。

安田:今思えば、当時は「プロダクトデザイン」に興味があったんでしょうけど、それが何デザインなのかということは特に意識せず、ただ漠然と「デザイン」に興味を持っていた感じです。その後、タナカノリユキさんが手掛けたナイキの広告などを見て、「グラフィックデザイン」の魅力にも惹かれていきました。

―徐々に興味の幅が広くなっていったと。

安田:とは言っても、一口で言うと僕にとって「デザイン」は「ビジュアル」なんです。最終的には人が目で見るものなので、平面にしろ、プロダクトにしろ、グラフィックにしろ、映像にしろ、すべてが「ビジュアル」だし、それを分けて考えることはできなくて。デザイナーはつくるものすべての「ビジュアル」に責任を持つべきだと思うんです。ですから、高校に入って美大の予備校に通うようになってからも、とくに偏ることもなく、平面から立体までいろいろ作っていました。その他にも、ピンホールカメラを自作して、風呂場に作った暗室で写真を現像したり、ぼろぼろのスニーカーに布を張り付けてカスタマイズしたりと……。端から見たら、変わった高校生だったかもしれないです(笑)。とにかく何でも自分で作らなければ気が済まなかったです。

―そんな高校時代を経て、東京造形大学に進学されたんですね。デザイン学科の写真専攻で学ばれていたそうですが。

安田:はい。「写真専攻といっても、デザインの基礎くらいは学べるだろう」と思って入学したのですが、写真のプロ養成学校といった感じで……。白衣を着て暗室にこもる毎日に違和感を覚えてきてしまい、親にお願いし、もう一度、受験させてもらえることになりました。それで、多摩美のグラフィックデザイン学科に入学したんです。

大学生から、ロックフェスでVJ

―多摩美ではどんな学生生活を?

安田:もう「毎日こんな楽しいことをやっていいんだろうか」と思っていましたよ(笑)。学外の活動もかなりしていました。たとえば映像。元々、浪人していた時、予備校に友人のポータブルDVDプレイヤーを持ち込んで、海外の作品を観始めた頃から関心はあって。それで、先輩から突然VJを頼まれたんです。それまで実際に自分では作ったことがなかったから、アフターエフェクトを2か月で使えるようになるため、猛特訓しました(笑)。それ以来、気付いたときにはクラブに出入りするようになり、「ロッキンジャパン」や「フジロック」 などのフェスにもVJとして出演させていただいたり。あとは友人と一緒に出資し合って、カフェ&バーをオープンしたりしました。

―フジロックでVJにカフェのオープンって、学生の頃からかなり活動的ですね。

安田 昂弘

安田:やりたいと思ったことは、やらないともったいないじゃないですか。カフェは学生で運営するお店で、学校が八王子の山奥だったこともあり、近くにファミレスくらいしか飲食店がなかったんです。「それならば気軽に友達が集まれる場所を自分で作ろう」と企画したのがきっかけで。友達を何人も集めて、建築に詳しい人は消防法のことを勉強したり、経理に興味がある人は経理のやり方を勉強したり、僕は食品衛生責任者の試験を受けて。店名は「On a Slow Boat to China」というジャズの曲からとって、「slowboat」にしました。代々、学生に受け継いで、30年は続けたいと思っています。

―面白い試みですね。でも、それだけ忙しかったら、学校に行く暇なんてなかったのでは?

安田:いえいえ。大学の勉強はしっかりやるようにしていました。他のことばかりやっていて成績が悪いのは、なんだかカッコ悪いと思いまして。大学時代はとにかくいろいろなことに挑戦しましたが、自分の中で決めていた基準が2つだけあって、それは「大学を疎かにしないこと」と「法律を犯さないこと」。大学を一回辞めてしまっているし、逆に、これさえ守れば何をやってもいいんだくらいの気持ちでいました。

―でも、卒業後の半年は就職せずに、ふらふらしていたとか?

安田:ただ何もしていなかったわけではなく、一応、フリーランスで働いていたんですよ。リーマンショック後で就職活動が厳しかったこともありましたし、グラフィックのアプリケーションのハウツー本を共著者として出版したり、学生時代からフリーで仕事を受けていたこともあり。当時は「なんとかなるかな」くらいに思っていたのですが、やっぱりなんともなりませんでしたね(笑)。

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