アイドルプロデューサー「もふくちゃん」のルーツは、ノイズミュージックとアートにあった

福嶋麻衣子 (もふくちゃん / アイドルプロデューサー)

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「もふくちゃん」の愛称で知られる音楽プロデューサー福嶋麻衣子さん。ライブイベントスペース「秋葉原ディアステージ」やアニソンDJバー「秋葉原MOGRA」の立ち上げ、でんぱ組.incやわーすたをはじめとしたアイドルグループのプロデュースなどを手掛けてきた。言わずもがな、秋葉原カルチャーを牽引してきた中心人物の一人だ。現在も様々なアイドルのクリエティブディレクションを行う彼女が、どのように音楽やアイドルの世界へのめり込み、現在に至ったのか。その背景や今後の展望についてお話を訊いた。
  • Profile

    福嶋麻衣子

    東京都出身。東京藝術大学音楽学部卒業後、ライブ&バー「秋葉原ディアステージ」、アニソンDJバー「秋葉原MOGRA」の立ち上げに携わり、でんぱ組.incやPUFFY、わーすたなど多くのアーティストの楽曲プロデュースを手掛ける。別称は「もふくちゃん」。

ポップスにもテレビにも触れられなかった小中学生時代

—音楽にはいつ頃から興味を持っていたんですか?

福嶋:3歳からクラシックピアノを習っていましたね。母はもともとクラシック好きで、父はジャズに傾倒していた人でした。その頃から、私を音大付属の高校に入れたかったようで、ピアノのレッスンにほとんどの時間を費やしていました。中学生になっても「テレビはNG、ポップスは聴いたらダメ」と(笑)。

―すごく厳しい環境ですね……。

福嶋:それが当たり前になっていましたね。テレビNGとはいっても、学校の校内放送からSPEEDが流れてきたり、皆が今聴いているものをカセットやMDに入れてもらって聴いていました。

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—他ジャンルの音楽を自発的に聴き始めたのはいつ頃からですか?

福嶋:高校へ入ったときですね。クラシック以外の音楽が解禁され、自分のお小遣いで初めて買ったCDが、PARLIAMENTというバンドのアルバムでした。Pファンクというジャンルにすら触れたことがなかったのに、CDショップに駆け込んで、その場で店内に流れている曲に聞き惚れて、「このCDをください!」と店員さんへ言ったことを覚えています。それからブルースとかブラックミュージックにもハマっていきました。並行してモーニング娘。などのポップスを聴いていると、ルーツ音楽との結びつきを感じられたりして。

「ピアニストにはなれない」その気づきから実験音楽などを模索

―念願の音大付属の高校に入ってみていかがでしたか?

福嶋:入学してすぐに自分はプロのピアニストになれる存在ではないと痛感しました。技術も表現力も別格みたいな子が学年に1人や2人いるんですよ。「ああ、こういう子がプロになるんだな」ということが高校生でもわかるわけです。彼女たちはプロになるために1日8時間の練習を当たり前にやっていますが、私は入試に受かるための練習をしていただけ。「このまま続けても、プロになるのは無理だな」と思ったんです。その頃から、音楽というジャンルのなかで自分が生き残っていくためにはどうすればいいだろうと模索するようになりました。

―具体的には、どんなジャンルや方面性で模索をしていたのでしょうか?

福嶋:非常階段や大友良英などのノイズミュージックをよく聴いていました。ずっとクラシック一本でやってきたので、「シーケンスのいらない音楽って、なんて最高なんだろう」と感じて。自宅に機材を揃えて自分でも色々試してみました。小学生の頃から自分でサイトを作るくらいパソコンに触れている時間が大好きだったので、勉強したというより好きで夢中になっていった感じですね。

―それほどノイズに魅了されながらも、進学先は音大ではなく東京藝術大学だったんですね。

福嶋:高校時代、アートやコンテンポラリーダンスにも関心を持つようになったので、その興味をもっと深めてみたいという気持ちがあったのが大きな理由ですね。このままエスカレーター式で音大に人生の歩を進めてしまうと、音楽だけを勉強する人生になってしまう気がして。もっと幅広くアートや音楽を勉強したいなという気持ちがあったんです。藝大なら多種多様なジャンルに関わる人がいるし、勉強にもなるなと。

―大学時代に学んだことは、今の仕事をする上で素養になっていると思いますか?

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福嶋:はい。結構ジャンルを横断して色々なことをつまみ食いしていたので、それが今のプロデュース業に役立っていると思います。学部学科関係なく、授業を取りまくっていましたね。学内にレアなアナログシンセサイザーが保管されていて、それを使った授業に出てみたり(笑)。面白くて仕方がなく、朝から晩まで学校にいました。勉強しているという感覚はほとんどなかったです。

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全方位的に視野を広げた先に見えたもの。

全方位的に視野を広げた先に見えたもの。

―学校の外ではどのようなことをしていたのでしょうか?

福嶋:演劇を観に出かけたり、イデビアン・クルーや矢内原美邦さんのコンテンポラリーダンスを観に行ったり、あとはMerzbowなどのジャパンノイズのパフォーマンスを観にライブハウスに行ったりしました。摂取したいことがとにかくいっぱいあって。

―そのなかでもとりわけ影響を受けたのはなんですか?

福嶋:アメリカのノイズ界で活躍するドラムとベースのデュオ、LIGHTNING BOLTが来日したときに、ライブの前にいきなり耳栓を配り始めたんです。「耳栓配って音楽やるってどういうこと?」って思ったんですけど、いざパフォーマンスをはじめるとその意味がわかるんです。服や内臓が揺れるくらい爆音を浴びるという、物理的な衝撃を受けて(笑)。他にも実験音楽の池田亮司さんのパフォーマンスでは無響室に観客全員が押し込められたり。今思い返すと、なんとなく美しいとかおしゃれっぽいみたいな、直感的にぐっとくるものに対して、「なぜこれが美しいとされるんだろう、なぜこれが人々の心を揺さぶるんだろう」というのを言語化する練習をずっとしていたのかもしれません。歴史に残るものにはすべて理由があって、自分が何か表現するときもそれくらい「強いもの」を作りたいと思うようになりました。

―秋葉原のカルチャーに興味を抱き始めるのも、ちょうどこの頃ですか?

福嶋:そうですね。メイド喫茶って、一度足を踏み入れると御主人様とメイドという関係性を強要される。「このロールプレイって、もしかしてコンセプチュアルなアートなのか!」と感激しました(笑)。しかも当時の秋葉原のホコ天では、数十メートルごとにパフォーマンスをしている女の子がいて。そのファンたちが繰り広げるオタ芸もパフォーマンスとしてメディアに取り沙汰されて、日々カルチャーが更新されている感覚でした。当時の秋葉原は世界でもトップクラスに面白いストリートだったと思いますね。毎週末のようにメイド喫茶に入り浸ると、そこの常連と仲良くなっていくんです。いろんな人たちが秋葉原にいて、新しい刺激を受けていました。

―大学を卒業後は就職しなかったのですか?

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福嶋:大学を卒業したからといって就職する人はほとんど藝大にいないので、特に危機感を持たなかったですね。毎年卒業生が将来実現したい夢を卒業式で宣言するという藝大の文化があるんですけど、なんとなく面白いかなと「私は社長になる!」と宣言したんです。もちろん当時は会社をやるつもりもなかったですが、漠然と社長になってみたいという思いはあったんでしょうね(笑)。

反対のものを掛け合わせることで生まれる化学反応がみたい。

—出版社で働いていた時期もあったと伺いました。

福嶋:グラビア写真集の編集の現場でアシスタントをしたり、記事の原稿を書いたり。面白い現場で、写真の知識や芸能事務所についての知識など、その時にある程度勉強をすることができました。

—そのまま編集の道に進んだわけではないんですね?

福嶋:編集の仕事と並行しながら、秋葉原に入り浸っている仲間たちと小さなコロニーを作ろうとディアステージを始めていたんです。最初は狭い地下の一室から始まったのですが、この事業に専念しようと思って。もっと大きな場所に拠点を移したいと考えて2500万円規模の融資を受けられるようにいろんな会社に提案しました。当時まだ24歳だったし、金額が大きすぎるから2500円と2500万円の違いもよくわからないような状態で(笑)。だからいろんなところに断られ続け、最後の最後になんとか融資してくださる会社を見つけて。

—新しい波が起きると感じて事業を始めたということですが、その直感を信じることができた理由はなんだったのでしょうか?

福嶋:ファッションやアート界隈にいる人がそれぞれの新しいものに対して斜に構えて物事を見るなかで、アキバ界隈にいるファンの人はものすごい純度でアイドルを応援している。演者にも観客にもキラキラした原石がたくさんあって。面白いもので、そういう純度の高いものには一流の人も反応するんですよ。2008年には村上隆さんがディアステージでムービーを撮影してくれたり、アメリカの女優のキルスティン・ダンストが遊びに来てくれて、「これは面白い!」と言ってくれたり。毎日いろんなカルチャーの人と接して、自然とうまくいくということが見えたんですよね。自分自身がそのカルチャーに没頭していたので、打算みたいなものはなかったですけど。

—でんぱ組.incのデビュー時も、従来のアイドルファンとは違う層からも注目を集めましたよね。

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福嶋:私はアートもすごく好きだったので、でんぱ組も初期の頃はChim↑Pomとコラボさせてみたり、シングル曲 “キラキラチューン”のB面ではBeastie Boysの“Sabotage”をカバーさせてみたりとか。他にも小沢健二さんの“強い気持ち・強い愛”を渋谷の公園通りで歌わせてみるとか、アイドルの枠に収まらない挑戦をしていましたね。一般的に考えると掛け算できなさそうなものでも、自分のなかでは理屈が通っていることや繋がる瞬間が見つかりさえすれば、意外とできてしまうんです。そうなると見てもらう人も自然に広がっていくという実感がありました。やっぱりコンテンポラリーなものとか実験的なものを好きだったことが影響しているかもしれないですね。

—アイドル音楽業界のなかで、危機感を持っていることはありますか?

福嶋:いつの間にか、業界のなかで中堅のような立ち位置になってきたなと思っているんですが、私はたまたま、アートもアイドルも音楽も同じように好きで、それぞれの文化に傾倒していました。でも今は側で見ていて、経験値の少ない、アイドルも知らないような人たちが、暗中模索でプロデュースしているように感じます。作品によっては、編曲のクオリティーが80%くらいで出しているように見えるもの、ディレクションがうまくいってないように見えるものも。それがなんとも歯がゆくて。これからは自分にできることで、育成やバックアップをしていけたらいいなと思っています。

—他には、どんなことに挑戦していきたいですか?

福嶋:今までポップなコンテンツを表現していましたが、最終的にはアート関連の仕事をやってみたいと思っています。アーティストという職業の価値を上げたいんです。日本の場合、著名な現代美術のアーティストでも、未だにバイトをしながら作品を作っている現状がある。すごく業界の格差を感じています。ニューヨークのように、日本でもアーティストというものが憧れの職業として認識してもらうにはどうすればいいのかを考えていきたいですね。

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