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ありのままの自分を仕事にぶつけたい

「クラウドファンディング」という言葉をご存じだろうか。アイデアを実現したい人がネット上でパトロンを募り、目標金額に達したらプロジェクトが成立して支援を受けることができるプラットフォームだが、そんな注目のサービス「CAMPFIRE(キャンプファイヤー)」でチーフキュレーターを務めているのが出川光さんだ。現在、25歳と若手でありながら、日本でまだ知られてきたばかりの新サービスに当初から関わり、何も前例がない中で「どのようにしてプロジェクトの成立を支援するか」を一から構築してきた。そんな彼女が見据える「クラウドファンディング」の未来とはいかなるものなのか。まずは出川さんのバックグラウンドから伺っていこう。
  • インタビュー・テキスト:宮崎智之(プレスラボ)
  • 撮影:すがわらよしみ

Profile

出川 光

1987年生まれ。東京都出身。小中高と横浜雙葉学園に通い、2010年に武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。新卒でリクルートメディアコミュニケーションズに入社し、メディア・コミュニケーションを創造する実証研究機関「メディアテクノロジーラボ」に配属された。2011年からは株式会社ハイパーインターネッツに転職し、チーフキュレーターとして活躍している。

進学校の「変わった子」から美大生に

―出川さんは武蔵野美術大学を出られていますが、いつ頃からそのような分野に興味を持ち始めたのでしょうか?

出川 光

出川:私の場合は、写真に興味を持ち始めたのがきっかけですね。もともとは絵本が大好きで作家になりたいと思っていたのですが、道端を歩いていてキラキラするものを見つけたときや、学校で友達の笑顔を見たときなどに、「その瞬間を切り取りたい」と思ったのが始まりで。それなら絵本よりは写真の方が表現として向いているかなと思い、父から一眼レフを借りてそのまま自分のものにしちゃいました(笑) 。私が中学生だった当時、ガーリーフォトブームだったことも影響していると思いますが、女性が個性を発揮する手段として、注目されていたのがカメラでしたからね。

—大学ではどのような生活を送っていたんですか?

出川:私が入ったのは造形学部映像学科というところで、写真を専門に学べるコースがある学科でした。まず入学してビックリしたのが、昔から周りで1番美術ができるような人達が集まるような大学だったので、それまでは「名門の進学校で写真を撮っている変わった子」だったのに、急に自分の個性が平らにされてしまって(笑)。でも、音楽で言うと「くるり」とか「サニーデイ・サービス」とか、雑誌で言うと「STUDIO VOICE」とか、まぁ美大生にはありがちな趣味なんですけど、好きだったものが同じ人が本当に多くて。「ようやく自分の居場所を見つけた!」と思いましたね。後は、とにかくバイトに明け暮れたりと。

―どんなバイトをされていたんですか?

出川:飲食店や家庭教師、塾講師などたくさんのバイトを経験しました。塾のアルバイトでは、足立区の小学校に派遣されて講師をやっていたこともあるんですよ。あと、東京都福生市にある米軍・横田基地の中のアイスクリーム屋さんで働いていたりも。おかげで今も英語はある程度、話すことができます。

タブーを乗り越えて受け入れたバックグラウンド

―米軍基地の中でのバイトは珍しいですね。学業の方では?

出川:1、2年生のころは、自分の好きなように写真を撮っているだけだったのですが2年生のときに写真家である長島有里枝さんの授業を取り、写真に対する考え方が一変しました。長島さんの写真は、ビジュアルが綺麗で人を惹きつけるところに魅力を感じていたんですけど、そのなかに自身の生き方があって、しっかりしたコンセプトを持っていることにさらに魅力を感じたんです。個人的な話になってしまうのですが、実は私の家族は別居していたこともあり、「家族」の話を他人にすることは何となくタブーだと思っていたんです。でも、長島さんが家族のヌードを撮影してパルコ賞を取った「Tokyo Urbanart #2 展」という展示でのポートレートを見て、「あ、自分のバックグラウンドを作品として表現していいんだ」という当たり前のことに気が付くことができました。

―なるほど。それで具体的にどのような写真を?

出川:ずっと父と母が川の字で寝る姿を見たいなと思っていたので、父と母に頼んで実際にぐっすり寝てもらい、自然光が入る朝まで待って撮影した作品などがあります。あとは、横田基地で米軍の方に聞いた故郷の話をもとに、イメージを再構成した合成写真を作ったりもしました。

—米軍基地の中ですと、いろいろなエピソードが聴けそうですね。

出川 光

出川:そうですね。戦争で亡くなられた白人上官の子どもを引き取って育てている黒人の方がいたり、亡くなった仲間のペンダントをいくつも飾っているバーがあったりと。仲良くなった米軍の方がよく話してくれたテキサスの海の話がとても印象的だったので、公開訓練でのパラシュート落下を軍事マニアに交じって撮影し、海と鳥の写真を合成してイメージを再構成してみたり。私はそれぞれの「バックグラウンド」というものをコンセプトに、作品については、考えて、考えて、撮るタイプでしたね。

—卒業後は、リクルートメディアコミュニケーションズに入社したということですが、作家としての道は考えなかった?

出川:これは、後からお話しすることにも繋がってくると思うのですが、たくさんのアルバイトを経験したこともあり、「社会の中からアートを見る目」と「アートの中から社会を見る目」の両方を持っていることが、私の特性だと思いまして。まぁ、4年間で作家としての結果が出せなかったこともあるんですけど……(笑)。

—2010年卒業と言えば、リーマンショックがあった後で、厳しい就職活動だったのではないでしょうか?

出川:そうですね。リーマンショックがある前に大学で行われた就職説明会では、「売り手市場です」なんて担当者が言っていたのに、2回目は「この前、言ったことは取り消しです。皆さん頑張ってください」なんてことになっていて(笑)。でも、私の場合はわりと早めから活発に動いていたこともあり、出版社の写真部や大手インターネット関連の会社を数社と、広告代理店などから内定をいただくことができました。

—おぉ、凄いですね(笑)。そうそうたる企業の中で、リクルートメディアコミュニケーションズを選んだのは何故だったんでしょうか。例えば、出版社の写真部なら自身の好きな写真を仕事にできたと思うのですが。

出川:大学を選んだ時も同じだったんですが、最後は直感ですね(笑)。

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「それって私じゃん!」と思って転職を決意

「それって私じゃん!」と思って転職を決意

—直感ですか(笑)。

出川:はい(笑)。 でも、内定をもらう前にリクルートメディアコミュニケーションズが主催する大学生のビジネスコンペで優勝したこともあり、人事部の方が私のことを良く知ってくださっていたことも、選んだ基準としては大きかったと思います。あとは、やっぱり今までやってきた事以上に、自分の出来ることの幅を広げたかったからかもしれませんね。ここなら、新しい事を勉強できると思いましたし。

—それで入社してからは?

出川:配属されたのは、メディア・コミュニケーションを創造する実証研究機関「メディアテクノロジーラボ」というところで、ちょっと変わった部署でした。とはいっても、初めの半年間は営業の研修があって、バナー広告やランディングページを企業に提案することから始めました。でも、美大出身なのでフォトショップやイラストレーターは使えましたが、肝心のパワーポイントがまったく使えず……。

—それからパワーポイントを必死で勉強したわけですね?

出川 光

出川:いえ。自分の弱点をむしろ特性にしようと思い、手書きで企画書を書くことにしたんです。例えば、御菓子メーカーさんへの提案でしたら、スーパーの売り場に行って、どういう人が買っているのかを観察し、その人の似顔絵を書いて企画書にしたり。同期で入った人達も高学歴の人達が多かったんで、その人達には負けてたまるかと……(笑)。
 

—いいですね。その後、入社1年でハイパーインターネッツに転職する訳ですが、きっかけは何だったのですか?

出川:最低3年は勤めようと思っていたのですが、一方で良い話があったら躊躇しないで転職しようとも思っていて。きっかけは、今の代表が声を掛けてくれたことです。そこでCAMPFIREの話を聞き、はじめは面白そうだなって思ったくらいだったんですが、話をしていく中で「CAMPFIREにぴったりな人を紹介してほしい」と切り出してきて。それで「どういう人ですか?」と聞いたら「美術に理解があって、営業の経験があって、インターネットサービスに興味がある人」と言うんです。思わず、「それって私じゃん!」と思って、決意しました(笑)。

—なるほど。でも先ほど、おっしゃっていた「社会の中からアートを見る目」と「アートの中から社会を見る目」もCAMPFIREなら生かせそうですね。ではまずは、CAMPFIREのサービスの説明をしていただけますか?

出川:クリエイターなどが実現したいアイディアをネット上で公開し、支援金を募るサービスです。期間内に目標金額まで達成すればプロジェクト成立、成立しなければクリエイターにお金が支払われることはありません。プロジェクトによって作られたモノをもらえたり、クリエイターからメッセージがきたりなど、支援者は支払った金額に応じて特典を得られることも特徴です。

他人のストーリーを作ること

—クラウドファンディングのキュレーターとしては、どのようなことをしているんですか?

出川:ユーザーの方から送られてくるアイディアを、プロジェクトが成立するように手助けするのが私の仕事です。食品を扱うプロジェクトなら資格を持っているかどうかや、プロジェクトが社会的な価値があるものかどうかなど、一定の審査はありますが、基本的には「こういう課題をクリアすれば掲載が可能になります」とアドバイスをしながらプロジェクトを作っています。

—サービス立ち上げ当初は、苦労もあったのではないですか?

出川:なんせ、日本でほとんど前例のないサービスを運用しなければならないのですから、それは大変でしたね(笑)。リクルートでしたら、先輩方が培ってくれた知見の固まりがあって、それに沿ってやっても良いし、逆らっても良いみたいな風潮があったんですよ(笑)。でも、ここにはそういった先人が築いた財産がまったくない。それでも、アイディアの投稿は次々くるわけなので、基準がないなかでも、「こうじゃないか、ああじゃないか」と試行錯誤しながらノウハウを貯めていきました。ほんと手探りですよ(笑)。それでも、最近になってようやく、「クラウドファンディングというものは、こういうものなので、こういう風にやってください」と言えるようになりました。

—具体的には?

出川:クラウドファンディングで重要なのは、支援者にどれだけ「共感」してもらえるかどうか。「こういうバックグラウンドを持って生きてきた人が、こういう思いでプロジェクトを立ち上げ、こういうことを実現したいと思っている」ということをインターネットを通じて、支援者に対し、いかに「共感」してもらえるかがカギになってくると思います。

—学生時代に学んだ自身や他人の「バックグラウンド」を作品に落とし込むことと、CAMPFIREで投稿者の「バックグラウンド」をプロジェクトに落とし込んでいくことは、ご自身の深い部分で繋がっているように思えます。

出川:そうかもしれませんね。投稿してくれた方の思いが支援者に伝わるように導くのが、わたしの重要な仕事の一つなんです。そして支援を通じて、それぞれ他人の「ドラマ=ストーリー」というものを一緒に作れる事が、素敵なことだなぁって思います。

—逆にプロジェクトを掲載する側として使うメリットって、どのようなことがあります?

出川:もちろん、資金を集められることが第一に挙げられますが、実はCAMPFIREに掲載すること自体が、クリエイターにとって結構重要なことなのではないかと思っています。私が見てきた中で、美大生が卒業した後に一番困るのは、作品をつくったり、発表して講評し合ったりする場所がなくなるということだと思っていて。実際、卒業したら本当に寂しい思いをするものなんです。そういう意味ではCAMPFIREはアトリエみたいなもので、支援者から講評をもらったり、隣の作品を覗き見て刺激を受けたりすることができます。つまり、寂しくないというか(笑)。

出川 光

—なるほど(笑)。では、そんなサービスを通じて、出川さんの目指すとこは?

出川:震災以降って、さまざまなかたちで他人を支援するマインドが日本に根付きつつあると思うんですが、その寄付市場を拡大させるという考え方ではなく、今までよりワクワクしたり、実感のある金の使い方をもっと提供できたらなって思っています。例えば、仲良しの友達のライブだったら、応援したいから、ちょっと値段が高くても払っちゃうような。それがインターネット上の身近な隣の人に手助けする、といった感覚で、もっと気軽に利用できるサービスにしていきたいという思いもありますね。

—では最後に、ご自身の仕事観についてお聞かせいただけますか。

出川:なんだろうな…。私は、自分の存在を人のために役立てられるのが「仕事」だと思うんですね。自分をもっと利用できる場所というか。だから私は「これがまだ私に足りない」みたいな、枯渇感を感じたことがあまりないんです。そんなことを思いながら仕事をするのは、誰に対しても失礼なような感じがして。自分が今までやってきた事や見てきた事と、仕事を切り離すのではなくて、とにかく今、自分の出来ることに対して精一杯を尽くす。それを続けていきたいと思っています。

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手話を話せる店員さんがいるカフェのプロジェクトに関わったとき、そのストーリーに感動して購入した一冊。そのカフェで手話を教えているスタッフさんとも仲良くなり、今ではだいぶ手話で話せるようになりました。また、プラットフォーマーとしても、コミュニケーションの方法は広く持ちたいです。いつか、CAMPFIREで手話のスキルを活かせるときがきたらいいな、と思っています。
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