森本千絵の今を支えるのは、30歳で沖縄から上京したデザイナーだった

株式会社goen° 波平昌志(グラフィックデザイナー)

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goen°はアートディレクターの森本千絵が主宰するデザイン集団。これまでMr.Children、松任谷由実、miwaなど、名だたるアーティストのCDジャケットやMVのほか、数々の企業広告を手がけてきた。そんなgoen°でデザイナーを務めるのが波平昌志さんだ。沖縄で生まれ育ち、30歳で上京。その背景にはどんな経緯があったのだろうか。
  • Profile

    波平昌志

    1985年、沖縄県生まれ。沖縄県立芸術大学卒。同大学院修了後、株式会社エマエンタープライズを経て、2015年goen°入社。グラフィックデザイナーとして『南三陸志津川さんさん商店街』のロゴ・サイン、『KIRIN 一番搾り若葉香るホップ』のパッケージなどを担当。

朝から晩までデザイン漬けだった学生時代

—波平さんは、もともと絵を描くのが好きだったのですか?

波平:絵というか、落書きが好きでしたね。中学時代には、黒板いっぱいに先生の似顔絵を描いたり、パラパラ漫画をつくったりして遊んでいました。自分の絵を見てもらいたいというよりも、過程が楽しいという感じです。それに、周りに見られるのって恥ずかしいじゃないですか? でも、大学受験の時期に初めて描いたデッサンを予備校の先生に褒められたのがすごく嬉しかったのを覚えています。高校卒業後は、沖縄県立芸術大学のデザイン専攻へ進みました。

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—落書きが転じて、デザインの道に進んだ、と。大学時代は何に熱中していましたか?

波平:デザインユニットを組んで、周囲からお仕事を請けていましたね。大学2年の終わりに、仲の良い友人から「会社をつくろう」と誘われたのがきっかけでした。会社と言いつつ法人化などはまったくしていなくて、ただ周りに「僕たち起業します!」とだけ宣言していました。そうすると、大学の教授から「この仕事やってみないか?」と言われて。それを皮切りに、沖縄土産のTシャツをデザインさせてもらったり、どんどんお仕事が舞い込むようになっていきました。

—大学2年生なのにバイタリティがすごいですね。学業との両立は大変だったと思います。

波平:本当に大変でした(笑)。同じ時期から企業へのインターンが始まり、そっちも忙しくなっていったんです。昼間は大学、夕方からインターン、深夜にデザインユニットの作業という日々の繰り返し。でもインターン先がIT企業だったので、WEBサイトの更新や画像補正など、いろいろ学ばせてもらいましたね。WEBの知識やデザインに必要なソフトの使い方などはかなり習得できたと思います。結果的に、夢中になりすぎて4年生を2回やることになりましたが(笑)。

—学校の「勉強」だけでなく、実践を通してデザインを学べたんですね。

波平:はい。その後も大学院へ進学して、学生46名で『wakuwaku 53』という週めくりカレンダーをつくったんです。沖縄の伝統行事やイベントをモチーフに53枚のイラストを描くという企画で、メンバーの取りまとめから、販売店への営業まで行いました。その頃は絵がうまい子たちが学外で活躍できる機会が少なかったし、学生でもここまでできるんだということを示したくて。翌年には外国人向けに英訳付きカレンダーを制作することになったり、反響はすごく良かったです。

週めくりカレンダー『wakuwaku 53』

週めくりカレンダー『wakuwaku 53』

74歳の師匠に学んだ、デザインの本質とは

―波平さんがデザインの面で影響を受けた方はいますか?

波平:沖縄のデザイン界でCI・VIの基礎をつくったと言われている佐藤萬義(さとう・かずよし)という人がいて、当時74歳だったんですが、彼から学んだことは今の僕の考え方に大きく影響していると思います。ご自宅によくお邪魔し、沖縄とデザインの関係や歴史の話など、本当にいろいろなことを教えていただきました。話し出すと永遠に止まらないような方だったのですが、その話がとにかく面白くて。何度も繰り返し聞いていました。

―具体的にどのようなことを?

波平:デザインには「考え方」と「技術」のバランスが大切だということ強く教え込まれましたね。特に技術の面では「実際に手を動かさないとわからない」と言って、レタリング講座を開催してくれました。定規、鉛筆、ガラス棒の3つを使い、ひたすら明朝体やゴシック体を描くのですが、それがとても難しい作業で。特に「アール(曲線)」は体を傾かせながら少しずつ進める作業なので至難の技なんです。でも、だんだんやり込むうちに、PC作業ではわからなかった書体ごとの違いや文字の構造を、体で理解できるようになっていきました。同じような書体でも細かいところに違いがあったりして……。超マニアックですけどね(笑)。最初は僕と友人だけで始まった勉強会ですが、徐々に参加者も増えて、社会人になってからも2〜3年は続けました。

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―デザインというと、東京に憧れを抱く方も少なくないと思います。就職先として上京という選択肢はなかったのでしょうか?

波平:大学教授の勧めでいくつか東京のデザイン事務所に応募しましたが、正直、憧れだけで本気ではありませんでした(笑)。大学院2年の12月になっても進路に迷っていて、どうしようと思っていたときに、週めくりカレンダーを見てくれた広告代理店の方からオファーをいただいたんです。その会社の制作実績がどれも素晴らしいものばかりだったので、二つ返事で入社を決めました。

―その会社で特に印象に残っているお仕事を教えてください。

波平:沖縄にあるファーストフードショップのお仕事ですね。デラックスチキンバーガーという復刻商品のキャンペーン施策を提案して欲しいという依頼があったんです。でも多くの人はその「復刻前」の商品を知らないんですよ。普通にビジュアルをつくったら消費者にスルーされてしまうと思ったので、レトロなアメコミ風の新しいキャラクターを勝手につくり「覚えているかい?」という吹き出しを入れてみたんです。懐かしいテイストとはいえ、新しいキャラクターなので、もちろん誰も知るわけがなく(笑)。多くの人が覚えていないという事実を逆手にとることで、インパクトを与えることができないかと考えました。

―まさかアメコミのキャラクターを提案するとはクライアントも想像しませんよね。

波平:そうですね。でも、きちんと課題を直視し、いろんな切り口のアイデアを提案していくことが大事だと思っています。結果、クライアントには気に入ってもらえて、お客さんの反響もよかったんです。その後4つの新商品でもキャラクターをつくらせてもらったり、キャラクターグッズにまで展開しました。地元の学生の間でも話題になっていたと聞いたときは、反響を直に感じることができて嬉しかったですね。

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goen°主宰・森本千絵との出会い

goen°主宰・森本千絵との出会い

―その後、アートディレクター・森本千絵さんのgoen°へ入社されるわけですが、最初の出会いは?

波平:実は僕が大学2年生のときに、森本が大学へ非常勤講師として講義に来たことがあったんです。その数年前に、ちょうど沖縄の防波堤を題材にしたMr.Childrenのポスターで広告賞を獲っていたんですよ。個人的にも記憶に残っていたので、教室の最前列に座わって熱心に聞いていて。そのときに話しかけてくれたのが最初でした。森本は当時29歳。今の僕より年齢は下ですが、すごく大人に見えていましたね。考え方やビジョンがしっかりしていて。それ以降も講義やロケで沖縄に来るたびに飲み会を開催しては、いろんな話を聞かせてくれました。

―当時、goen°に入りたいとは思わなかったのですか?

波平:そのときは、まったく思わなかったですね。森本のデザインのテイストを自分がつくるのは難しいと思っていましたし。でも、大学院のときに森本から「進路相談に乗ってあげる!」と言われたことがあって。僕は特に就職活動に本気だったわけでもなかったので、「悩んでないです!」なんて思いながら(笑)。そのとき、大学のベランダで話したときに言われたことは、今でも印象に残っています。

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―どんな言葉だったのか、とても気になります……。

波平:「どの会社に入るかではなく、何をしたいのかが大事」と。面白いことがしたいという目的が一緒であれば、人はどこかで必ず巡り会うという話でした。たとえると、乗り物がスポーツカーでもバスでも何でも構わなくて、目的地さえ一緒であれば、途中のパーキングエリアでふと出会ったりするもの。そこで「何かやろうよ!」ってなったら一緒にやればいい。だから沖縄にいたとしても、その気持ちだけは絶対に忘れないで欲しいと言われたんです。もちろん当時は、一緒に働くとは思ってもみませんでしたが、その想いを持ち続けられたからこそ、今があると思っています。

―独立をご経験された森本さんらしい、力強いお言葉ですね。しかし広告代理店のお仕事も順調だったように思います。なぜ転職を?

波平:沖縄で働きはじめて3年が経つ頃だったと思いますが、副業として、あるアーティストのCDジャケットをデザインしたことがあって。それをSNSに投稿したら、森本から突然メッセージが届いたんです。そこには「CDいいね。すばらしい。」と書いてありました。すごく嬉しかったですね。それから森本と会社やデザインについて話し合っていくうちに、自分らしいやりかたでgoen°に関われるかもしれないと思うことができて。その翌年、入社することを決めました。

仲間やクライアントの想いを引き出せるデザイナーへ

—波平さんが入社された2015年といえば、森本さんがご出産された年ですよね?

波平:そうなんです。森本が臨月に入る1か月前というタイミングで入社しました。つまり、その1か月間で会社が抱えているすべての案件を終わらせなきゃいけないという状況で。しかも、はじめは森本からOKをもらうことがすごく大変でしたね。もちろん想像はしていましたが、いざやってみると求められる能力が高くて、ついていくのに必死でした。どんな状況でも、絶対に妥協しないんですよ。例えば、一度入稿している段階で「ロゴを修正して!」という指示を受けたときは、時間もないので、とにかくがむしゃらに何パターンもつくったり。

—転職とはいえ、生活もガラッと変わりますよね。

波平:後にも先にもない怒涛の忙しさでしたね(笑)。このときまで30年間ずっと沖縄で暮らしてきたので、まず一人暮らし自体が初めて。東京に住むのももちろん初めて。でも、そんな変化に思いを馳せる間もなく……という感じでした。もちろん、出産はとてもおめでたい話ではあるのですが、最終チェックをする森本がいない時期に入ると、案件が一時的に止まってしまうので、受けられるお仕事も減ってしまいますし。

—会社としての不安もあったんですね。みなさんがその時期を乗り越えられた秘訣は何だったのでしょう?

波平:焦る気持ちを忘れなかったことかもしれません。その期間は、僕たちスタッフが社内でできる限りの仕事を進めていましたが、同時に、森本がもっとも不安を感じていたと思います。会社としては端から見れば順風満帆に見えたかもしれませんが、ずっと焦る気持ちを抱いていました。その気持ちは僕らスタッフに良い影響を与えていたと思います。森本の復帰後は、おかげさまで新しいお仕事を多くいただけました。「よし、再びがんばるぞ!」とスタッフ全員が良いリスタートを切れた気がします。

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—今のgoen°があるのも森本さんを含めたスタッフ全員の力によるものなのですね。最後に、波平さんの将来像について聞かせてください。

波平:もちろんまずは、森本の手を煩わせないようになることが目標です。ただ、黙々とデザインだけをするのは自分に向いてないと思っていて。おしゃべりも好きなので、会話のなかでふと出たアイデアを膨らませたり、具現化していくような立場でずっとデザインに携わっていきたいですね。それは、もしかすると学生時代から変わっていないかもしれません。仲間や先生、クライアントと話し合うなかで物事を進めることの方が楽しいし、より達成感も味わえる。今後もその考え方は変わらないと思います。それに、森本をはじめ今いるスタッフが大好きなので、それぞれがより輝けるようなgoen°をつくっていけたらと思っています。

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    アヒルの置き物

    世田谷等々力にある怪しい輸入雑貨屋で一目惚れしてしまい、購入しました。30歳にして、初めての一人暮らしだったので、好きな雑貨を自由に飾れることが嬉しくて(笑)。当時、goen°のスタッフといろいろな雑貨屋を巡っては、買い漁っていましたね。愛くるしいアヒルの表情がたまりません。