ドイツ滞在で見つけた、アーティストと仕事する道

フェスティバル/トーキョー実行委員会事務局 松宮 俊文

気になる

Share :

豊島区で毎年3か月にわたり演劇やダンスなどパフォーミングアーツを展開する『フェスティバル/トーキョー』。そこで働く松宮さんが今の仕事につくまでには、ドイツでの運命的な出会いや文楽への関心など、さまざまな経緯があった。興味を持ったものに対しては、知識がなくとも貪欲に深掘りしていく好奇心の源とは?
  • Profile

    松宮俊文

    ベルリン芸術大学への留学を経て多摩美術大学大学院を卒業後、現代人形劇センターに入社。現在はフェスティバル/トーキョー実行委員会事務局にて、「まちなかパフォーマンスシリーズ」などを担当。

たった一人で日帰り神戸へ。展覧会が人生の分岐点に

—子供の頃からアートや舞台芸術に興味はあったんですか?

松宮:いえ、中学高校時代はひたすら陸上にのめり込んでいました。リレーで全国大会に出させてもらったりしていて。あのときはもう走ることに夢中でしたね。打ち込むものがそれ以外になかった。田舎なので小さな本屋しかないし、DVDレンタルするにもお店がないわけですし、映画館ももちろんない。なので、文化的なものに触れるきっかけがなかったんです。中学、高校では、授業のときはずっと授業、それ以外の時間ずっと陸上部。あまり文化の方に目がいかなかった時期でした。もしかすると当時の反動で、今こういう仕事に就いているのかもしれないですね。

―陸上一筋な中高時代だった、と。

松宮 俊文

松宮:高校も陸上の推薦で入ったんですが、入学した学校が単位制の総合高校だったんです。そこに体育系の生徒と美術系の生徒がいて、徐々に関心が美術の方に向いていきました。高校3年生の春休みに、テレビ番組『新日曜美術館』(現在の名称は『日曜美術館』)という番組を見たんです。その中で『「具体」回顧展』が兵庫県立美術館で開催されていると知って。高校生で生意気なんですけど、「なんかちょっとおもしろそうだな」というだけで新幹線に乗って、神戸まで観に行ったんですよ。

—お一人で、ですか?

松宮:はい。それも日帰りで(笑)。美術史も何も勉強しないまま、全く知識もなかったんですけれど、昭和戦後すぐの芸術活動でここまでアグレッシブなものがあったんだ、美術って変でおもしろいな、と思いました。幼少期にウルトラマンの怪獣や鬼太郎の悪役が好きだったことに通じるのかもしれないですが、ちょっとおどろおどろしいというか、不気味だったりとか、決してきれいとは言い切れない表現にすごく魅了されたんだと思います。

—それで美大進学を決意したと。

松宮: はい、そこから一浪して多摩美術大学の情報デザイン学科に入りました。ずっとメディアアートを学んでいた大学生活でしたね。

なぜかベルリンで日本の劇団を見て、どっぷりハマっていった

―大学時代には、ギャラリーでアルバイトをしていたとお聞きしました。

松宮:はい、SCAI THE BATHHOUSEでお手伝いをしていました。そのときに現代美術の作品を売買する現場に入って、アートをすごく身近に感じられるようになったんです。作品を売って生きている人たちという存在も知って、すごいなと思いました。あとは額の選び方とか、梱包の仕方から、すべてそのギャラリーで学ばせてもらって。今も非常に感謝しています。たとえば額の選び方ひとつ取っても、材質が木材なのか鉄製なのか、ビスを打ってそこに掛けるのか、ただ壁に立てかけるだけなのか、壁のどの位置に展示するのかで全くその作品の見え方は変えられるんですよ。そんな経験から、就職をするよりも「もっと学びたい」という気持ちが強くなり、そのまま大学院に進学しました。

―大学院ではどのようなことを?

松宮:進学後すぐに、半年ほどドイツに留学しました。ベルリン芸術大学に通って授業を受けていたんですけど、ベルリンってメディアアートが活発でフェスティバルやイベントが頻繁にあるんです。さらに現代美術も演劇も至る所で観れたりするんですね。そこでたまたま『Tokyo Shibuya The New Generation』っていう日本の若い劇団に焦点を当てた特集がHAUという劇場で組まれていたんです。このときに快快とかチェルフィッチュとかの作品を観ました。それまで実は演劇ってほとんど観てなかったんですよ。ベルリンに行って、なぜか日本の劇団の演劇を観て、そこから強い興味を持つようになりました。あと、ドイツは人形劇がすごく盛んで。

―人形劇、ですか。

松宮 俊文

松宮:お昼の部は割と子供向けのプログラムが多かったんですけど、夜は本当に大人向けで、みんなバーでワインを一杯飲んでから観る。中にはいわゆるエログロみたいな作品もありました。人形劇を毎週末ずっと観続けまして、いやこれはおもしろいな、日本に帰ったらそういう仕事もいいな、と考えるようになりました。とはいえ、ドイツ語は全然わかんないんですよね(笑)。それでもみんなが笑っている雰囲気もすごく好きで。わけわかんないけど、とりあえず観に行くみたいな感じをずっと続けていたら、その劇場の人も「変なアジア人がいる」って覚えてくれて。それで劇場に通うのが楽しかったというのもあるかもしれません。

―それはかなりカルチャーショックですね(笑)。

松宮:そうですね(笑)。それからもう一つ、ドイツにいたときに実は運命的な出会いがありまして。僕の人生を形成しているといっても過言ではないんですけれども、島袋道浩さんという芸術家がベルリンに住んでいまして。ときどき彼の手伝いをさせてもらってたんですけど、島袋さんはお手伝いした対価としてお金を僕に渡すんじゃなくて、家でご飯を食べさせてくれた。展示のお手伝いで一緒にイタリアとかも行ったりして。一番心に残っているのは、「感動したと思ったら、返さなきゃいけない。誰かに喜ばせてもらったら、何かの形で誰かを喜ばせなきゃいけない」という考え方。お金に換算できない価値観や、そういう生き方を教えてもらいました。

Next Page
「アーティスト」ではなく、「アーティストと仕事する道」を選んだのはなぜ?

「アーティスト」ではなく、「アーティストと仕事する道」を選んだのはなぜ?

―大学院卒業後は、就職されたんですね。

松宮:アーティストになる道を考えたこともなかったわけではないです。でも島袋さんの作品を創作する過程や、さまざまな方と交流する場面を見させてもらって、僕には難しいなと思ったんですよね。自分の作品を売って食べていくって、結構大変なことだと。その作品の価値が高ければその分お金は入ってきますけど、例えば1枚1万円の絵を10枚売っても10万円じゃないですか。そうすると、東京の家に住んで家賃を支払うともう食べていけない。そして、創作をずっと続けていくという強い精神力や、豊かな発想力や観察力がないと、アーティストという生き方や職業は続けられない。そう考えた時にふと、そのアーティストの人たちと一緒に面白いことをできる仕事をしたいな、と思うようになり、企画、制作の方に考え方が変わっていきました。

―就職先はどのようなところに?

松宮:ベルリンの人形劇の影響なのか、美術館も探したんですけど、縁もあって現代人形劇センターの仕事に就きました。海外の人形劇団を日本に招聘したり、日本の人形劇団の演目を全国の学校で観劇してもらえるようにコーディネートするような制作業務をさせてもらいました。

―具体的にはどのようなお仕事があったのか、教えてください。

松宮 俊文

松宮:一つ事例を挙げると、たまたまタイに旅行に行ったときに、フランスの「カンパニー・ア」という人形劇団を知ったんです。言葉がない作品なので、まさに大人が観ても子供が観ても楽しめる劇。これを招聘したくて、日本に呼びました。劇場一つだけだと興行が成り立たないので、全国でこの作品を受け入れてくれる劇場を探して、交渉に行ったり、助成金の申請をしたり、荷物を運んだり、ツアーのアテンドをしたり、チラシ・パンフレットを作ったり……。広報も含めて全部やっていました。

―だいぶ幅広いお仕事だったんですね。

松宮:文楽も実は入社するまで知らなかったんですけど、働いていくなかで面白さを教えてもらって、それからすごく文楽好きになりました。やっぱり取り扱ってる内容がすごいんですよね。近松門左衛門って、その時代に事件が起こってすぐに、人形劇化してしまう。いわゆるワイドショーのような感じなんです。今の時代にもいろんなさまざまな社会問題とかが、演劇なんかは特に反映されてますけど、そういうのはやっぱりおもしろいな、と思いますね。

―なるほど。

松宮:僕が現代人形劇センターにいたときに、フェスティバル/トーキョーにすごく影響を受けた出来事があったんです。2011年の震災のあと、テレビもなにもかも、展覧会も含め中止になったりすることが多かったと思うんですけど、フェスティバル/トーキョーは実施したんですよね。9月から11月まで。それも、わりとあっけらかんとすごく変なことやってたんです。世間が「がんばれ日本」とか「復興」とか言っているときに、すごく変なわけのわからないことを自信満々にやってて、その心の持ちようにすごく感動したんですよ。それでこんなに励まされるんだな、と思って。あの時期は落ち込んだりとか、いろいろあったと思うんですけど、そんなときに光を当ててくれたというか。またおもしろいものがたくさんあるっていうのを改めてフェスティバル/トーキョーが教えてくれた気がしたんです。それで、いつかはフェスティバル/トーキョーで働きたいと思うようになりました。

手がける作品は、お客さんと同じくらい自分も感動する

—フェスティバル/トーキョーには念願叶っての入社だったと思います。実際に働き始めてみていかがでしたか?

松宮:そうですね。すごくめちゃくちゃ忙しいなと思いました(笑)。だいたいイベント開催期間である10月〜12月の3か月に繁忙期が集中してるんですね。でも、それがフェスティバルの醍醐味というか、お客さんからすると、ある一定の期間に演目が集中してるからこそ非常に観やすいものだと思います。それがフェスティバルですから。

—思い入れのあるお仕事をひとつ挙げるとすると、どんな演目でしょう?

松宮 俊文

松宮:去年、飴屋法水さんの演劇『ブルーシート』という作品を担当したんですけど、とても心に残ってますね。屋外の、元中学校のグラウンドを会場にしたんですけど、飴屋さんのことも前から知っていて、一緒にお仕事ができるというのも光栄なことでした。実際に現場に立って、飴屋さんの作り出す世界観、言葉の選び方、どれもこれまで体験したことのないようなものでした。お客さんからも「感動した」という言葉をいただきましたが、僕自身も感動した作品でした。いわき総合高校の卒業生と在校生の出演者が出ている作品で、震災以降の福島の状況、日本で起こっている様々な問題を、物語の中で忍ばせていく。それがフィクションなのか、現実なのか、観ている人に想像させてくれる素晴らしい作品だったなと思います。

—なるほど。ちなみに、今年のフェスティバル/トーキョーでは、どんな取り組みを担当されているんですか?

松宮:「まちなかパフォーマンスシリーズ」という枠組みで、いくつかの演目を実施する予定です。『ブルーシート』に引き続き、劇場じゃない場所で演劇やダンスをやることになりまして。カフェでやらせてもらったりとか、豊島区の区庁舎屋上に庭園があって、そこでダンスの公演させてもらったりとか、いくつか劇場じゃない場所でやるので、これもどんな化学反応が起こるのかなと、すごく楽しみにしています。

—最後に、このお仕事の醍醐味を教えてください。

松宮:アーティストと関係性を築いていけるのは楽しいですね。お金に変えられないものを楽しんでいる。すごく贅沢な仕事だと思うんですよ。大変なことももちろんありますけど、アーティストの思想や考え方に触れる機会を与えられて、その中でもちろん自分の意見も話せるわけです。アーティストの考えに自分の考えも加えて頂けるのは感慨深いです。

  • Favorite item

    平山昌尚のアート作品

    平山昌尚さんというアーティストの作品です。最近、自分のお金でアート作品をできるだけ買うようにしていて。実は平山さんとは、去年おみくじを作ったんですよ(笑)。こういうアーティストの方と一緒に協働して、なにか小さなプロジェクトでもいいので、やっていきたいっていう思いをずっと持ってます。フェスティバル/トーキョーってわりと結構大きな事業が多いんですね。お金の単位もものすごく大きい。でももう少しちっちゃな規模でアーティストの方たちと関われる方法ってないのかなってずっと思っていて。そういうことを継続してやっていけたらなとは思ってます。