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「いいモノを広めていかないことは罪である」音楽でビジネスをするライフサウンドの経営哲学

ライフサウンド株式会社

日本では数少ないソウルミュージックに特化したレーベル「SWEET SOUL RECORDS」を運営し、さらにWEBサイトをはじめとするクリエイティブの制作やフォトスタジオの運営も行なうライフサウンド株式会社。彼らのモットーは「いいモノを広めていかないことは罪である」。メッセージ性の強いこの言葉を体現しているのが、代表取締役の山内直己さんのこれまでの生き方だ。音楽を深く愛し、ビジネスとしても両立させる。そこには、紆余曲折から培われてきた、独自の揺るぎない仕事観があった。

取材・文:タナカヒロシ 撮影:永峰拓也(2015/08/18)

大企業の内定を蹴ってベンチャーへ。起業までの紆余曲折

高校時代にカナダのモントリオールへ留学し、カレッジも含めて約4年間の海外生活を送った山内さん。カナダではテニスプレイヤーとして、州の大会でも上位に入るほどの実力だったが、国の大会まであと少しというタイミングで靭帯を断裂。当時はかなり落ち込んだものの、それをきっかけに昔からやりたいと思っていたというドラムを始めることになる。

山内:留学中にスティーヴィー・ワンダーの“All I Do”を聴いた瞬間から、ソウルミュージックの虜になってしまって。CDを買ったらクレジットをくまなくチェックするようなタイプだったんです。帰国してからは日本の大学に入り直し、ソウルやR&Bを得意とするドラマーを探して、毎週レッスンを受けるようになりました。習っていた師匠はスタジオミュージシャンとして活躍していたり、ピーボ・ブライソンや倖田來未さんのバックもやるようなドラマー。そのうちレコーディングの現場にもローディーとして連れて行ってもらうようになったんです。間近で見ていたその腕前にますます魅了され、もう憧れの存在でしたね。

週1回のドラムレッスンを欠かさず受け続けていた山内さんだったが、ある日、その師匠から衝撃の言葉を聞く。

ライフサウンド株式会社代表取締役 山内直己氏

ライフサウンド株式会社代表取締役 山内直己氏

山内:「ドラムやめる」と言われたんです。当時は音楽がどんどん生音からデジタルに変わっていった頃で、やりたくない仕事ばかり増えていったらしいんですよね。間違いなく才能はある人なのに、活躍できる場所がない。それを聞いて、ものすごくショックを受けたと同時に、こういう人が活躍できるプラットフォームを作りたいと思ったことを始まりに、レーベルを創設するということで頭はいっぱいになっていきました。ブルーノートやモータウンのようなブランド力の高い名門のレーベルを自らの手で必ずつくると。

この原体験が、ライフサウンドのモットー「いいモノを広めていかないことは罪である」を生み出したのだろう。しかし、山内さんはすぐに起業したわけではなかった。

山内:音楽業界で起業を志すのであれば、他の強みを身に付ける必要があると思いました。なので、まずは音楽をあえて選ばず大企業に入り、ちゃんとキャリアを積もうと思ったんです。それと大学時代は極貧な生活をしていたし、起業資金を貯めたかったという理由から、まずは給料の良いところで働こうと。早期卒業したのも、学費を1年分払わなくて済むからで(笑)。それで無事に大手企業から内定をもらうことができたんです。給料も良くて、初年度で600万ちょっと。ひとまずキャリアの一歩目は上手くいきそうだなと喜んでいたんですけど……。

結果から言うと、山内さんは卒業目前で内定を辞退する。実はこのとき、IT系のベンチャー企業でアルバイトをしていたが、そのまま同社に就職を決めたのだ。

山内:大学時代はベンチャー企業の研究を専攻していました。どうしてもベンチャー企業に興味があり、SNSで募集があったので、面接に行ってみたんです。その日から働くことになったんですが、最初は社長と取締役達と犬しかいなくて、テーブル代わりにゴミ箱の上に障子を乗せて、ラップトップで仕事していて。変な会社に来ちゃったなぁと思っていたんですけど、次の週になったら立派なテーブルが来て、その次の週には新しい上司が入ってきて、とにかくダイナミックに物事が動く。そのうち学生バイトなのに大きな商談を任せてもらえたり、楽しくなっちゃったんですよね。それと、なによりも当時の会社のミッションが「インターネットで個性を輝かせる」というすごい共鳴できるメッセージを持っていて、同志だなと感じられたんです。

社員2名のベンチャー企業と数千名の従業員を抱える大企業。誰から見ても雲泥の差だったが、その後、そのベンチャー企業は急成長。2名だった社員も今では150名を超えて、上場企業になっている。大企業ではなく成長するベンチャーを選んだことで、自らも起業を志す山内さんにとっては吸収できたことが多かったのだろう。

処女作のオーダーはわずか90枚

ベンチャー企業でWEBディレクターとして働き始めた山内さん。当初は会社に3〜4日泊まることもざらだったそうだが、3年後には資本金30万円で独立。ライフサウンド株式会社を立ち上げた。

山内:独立してからは、僕が営業兼ディレクターみたいな立場で仕事を取ってきて、前職で知り合ったクリエイターたちと一緒にWEB制作をしてました。彼らとのやりとりは本当に楽しくて、その才能を世に広めていることに働き甲斐を感じながら、最初の2年は、とにかく必死に動いて資金を貯めましたね。WEBサイト制作の仕事はいろいろな会社が直面するブランディングの根幹に関わることができました。そういう経験が、音楽レーベルや、その後立ち上げたフォトスタジオの運営にも活きています。

ライフサウンドが運営する「TERRANOVA PHOTO STUDIO」

ライフサウンドが運営する「TERRANOVA PHOTO STUDIO」

昼間はWEBの仕事をやりつつ、この時期も週1回のドラムレッスンには欠かさず通い、音楽事業のアイディアを温め、音楽の仕事をしたいという目標がブレることはなかった。会社も順調に軌道に乗り始めた頃、満を持して音楽事業を立ち上げる。約300万円を投資して、『SOUL OVER THE RACE』というコンピレーションCDを制作した。

山内:『SOUL OVER THE RACE』は「魂は人種を超える」という意味なんですけど、才能がある人をどうやって知らしめ、世界に出していくかっていうプロジェクトでした。日本を始め、世界基準で音楽を作ることをコンセプトとし、公開オーディションをやって、勝ち抜いた4人がソウルの名曲をカバーする。レコーディングには僕の師匠を含むプロフェッショナルの人たちに参加してもらいました。それがSWEET SOUL RECORDSの処女作になったんです。

しかし、いきなりレーベルを始めたからといって、そう簡単にCDが売れるわけもない。ましてや無名な新人を集めたコンピレーション。最初に届いたオーダーは、わずか90枚だった。投資した分を回収するには約3000枚を売らなければならない。30分の1にも満たない数字だ。

山内:当時は僕も音楽業界に参入したばかりで知り合いもいませんでしたし、リサーチはしてもなかなか十分な情報を得ることができなかったんです。まずは音がないと営業も始められないので、作る工程もプロモーションしながら音楽制作をしました。結果、僕としてはいい作品ができた手応えがあったので、3000枚くらい余裕だと思っていたんですよ。これは何かおかしいと思って、CDを卸している店舗に電話をかけてみたら、どこも「そんなインフォメーションは届いてない」と言うんです。僕は流通の会社が営業してくれるものだと思っていたんですけど、ただ紙で注文案内を送って終わりだったんですよね。そんなことさえも知らなくて。音楽業界はいくら作品がよくても、きちんと営業しないと埋もれちゃうんだなということがわかったんです。

営業を強化し、全国のCDショップにひたすら電話をかけた結果、オーダーは約1000枚まで増加。無謀にも思われたプロジェクトだったが、バイヤーには商品力を買われ、「こんな金のかかることやって偉いな」と応援してくれるソウル好きも次々と現れ、最終的には目標だった3000枚にも到達した。後にSWEET SOUL RECORDSは全国に40店舗以上特設コーナーを持つブランドへと進化する。

山内:時間はかかったんですけど、そこで初めてレーベルの産声が上がった気がしましたね。当初目論んでいた海外への流通も実現し、300〜400枚くらい売れたんです。念願通り海外からの反応もあって、海外のアーティストから「お前ら面白いことやってるから、俺らのCDも扱ってくれ」と連絡が来るようになって、そこから事業構想に入っていたライセンス事業が始まりました。

こうした経緯もあり、SWEET SOUL RECORDSでは現在、国内アーティストの原盤制作および販売、マネジメント、そして海外アーティストのCDを扱うライセンス事業を手がけている。レーベルの大きな特徴になっているのは、深く、狭くというスタンスだ。

山内:リリースは少ないほうだと思いますが、それはアーティストを日本に招聘したり、アメリカのアーティストをUKに紹介したり、リレーションを深めるため。ジャンルについてもネオソウルに特化し、あえて狭めています。もしいいアーティストを見つけても、僕たちの軸と異なれば自分のところではやらず、他に紹介するようにしていますね。「僕たちはこういう音楽が好きでやってますよ」っていうことを前面に出すようにしています。つながりを大事にして、音楽で国境を越えていく。世界はソウルミュージックでつながっているということを証明してきました。

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「人々の想像を超えていく」Nao Yoshiokaとともに世界へ