「いいモノを広めていかないことは罪である」音楽でビジネスをするライフサウンドの経営哲学

ライフサウンド株式会社

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日本では数少ないソウルミュージックに特化したレーベル「SWEET SOUL RECORDS」を運営し、さらにWEBサイトをはじめとするクリエイティブの制作やフォトスタジオの運営も行なうライフサウンド株式会社。彼らのモットーは「いいモノを広めていかないことは罪である」。メッセージ性の強いこの言葉を体現しているのが、代表取締役の山内直己さんのこれまでの生き方だ。音楽を深く愛し、ビジネスとしても両立させる。そこには、紆余曲折から培われてきた、独自の揺るぎない仕事観があった。
  • 取材・文:タナカヒロシ
  • 撮影:永峰拓也

大企業の内定を蹴ってベンチャーへ。起業までの紆余曲折

高校時代にカナダのモントリオールへ留学し、カレッジも含めて約4年間の海外生活を送った山内さん。カナダではテニスプレイヤーとして、州の大会でも上位に入るほどの実力だったが、国の大会まであと少しというタイミングで靭帯を断裂。当時はかなり落ち込んだものの、それをきっかけに昔からやりたいと思っていたというドラムを始めることになる。

山内:留学中にスティーヴィー・ワンダーの“All I Do”を聴いた瞬間から、ソウルミュージックの虜になってしまって。CDを買ったらクレジットをくまなくチェックするようなタイプだったんです。帰国してからは日本の大学に入り直し、ソウルやR&Bを得意とするドラマーを探して、毎週レッスンを受けるようになりました。習っていた師匠はスタジオミュージシャンとして活躍していたり、ピーボ・ブライソンや倖田來未さんのバックもやるようなドラマー。そのうちレコーディングの現場にもローディーとして連れて行ってもらうようになったんです。間近で見ていたその腕前にますます魅了され、もう憧れの存在でしたね。

週1回のドラムレッスンを欠かさず受け続けていた山内さんだったが、ある日、その師匠から衝撃の言葉を聞く。

ライフサウンド株式会社代表取締役 山内直己氏

ライフサウンド株式会社代表取締役 山内直己氏

山内:「ドラムやめる」と言われたんです。当時は音楽がどんどん生音からデジタルに変わっていった頃で、やりたくない仕事ばかり増えていったらしいんですよね。間違いなく才能はある人なのに、活躍できる場所がない。それを聞いて、ものすごくショックを受けたと同時に、こういう人が活躍できるプラットフォームを作りたいと思ったことを始まりに、レーベルを創設するということで頭はいっぱいになっていきました。ブルーノートやモータウンのようなブランド力の高い名門のレーベルを自らの手で必ずつくると。

この原体験が、ライフサウンドのモットー「いいモノを広めていかないことは罪である」を生み出したのだろう。しかし、山内さんはすぐに起業したわけではなかった。

山内:音楽業界で起業を志すのであれば、他の強みを身に付ける必要があると思いました。なので、まずは音楽をあえて選ばず大企業に入り、ちゃんとキャリアを積もうと思ったんです。それと大学時代は極貧な生活をしていたし、起業資金を貯めたかったという理由から、まずは給料の良いところで働こうと。早期卒業したのも、学費を1年分払わなくて済むからで(笑)。それで無事に大手企業から内定をもらうことができたんです。給料も良くて、初年度で600万ちょっと。ひとまずキャリアの一歩目は上手くいきそうだなと喜んでいたんですけど……。

結果から言うと、山内さんは卒業目前で内定を辞退する。実はこのとき、IT系のベンチャー企業でアルバイトをしていたが、そのまま同社に就職を決めたのだ。

山内:大学時代はベンチャー企業の研究を専攻していました。どうしてもベンチャー企業に興味があり、SNSで募集があったので、面接に行ってみたんです。その日から働くことになったんですが、最初は社長と取締役達と犬しかいなくて、テーブル代わりにゴミ箱の上に障子を乗せて、ラップトップで仕事していて。変な会社に来ちゃったなぁと思っていたんですけど、次の週になったら立派なテーブルが来て、その次の週には新しい上司が入ってきて、とにかくダイナミックに物事が動く。そのうち学生バイトなのに大きな商談を任せてもらえたり、楽しくなっちゃったんですよね。それと、なによりも当時の会社のミッションが「インターネットで個性を輝かせる」というすごい共鳴できるメッセージを持っていて、同志だなと感じられたんです。

社員2名のベンチャー企業と数千名の従業員を抱える大企業。誰から見ても雲泥の差だったが、その後、そのベンチャー企業は急成長。2名だった社員も今では150名を超えて、上場企業になっている。大企業ではなく成長するベンチャーを選んだことで、自らも起業を志す山内さんにとっては吸収できたことが多かったのだろう。

処女作のオーダーはわずか90枚

ベンチャー企業でWEBディレクターとして働き始めた山内さん。当初は会社に3〜4日泊まることもざらだったそうだが、3年後には資本金30万円で独立。ライフサウンド株式会社を立ち上げた。

山内:独立してからは、僕が営業兼ディレクターみたいな立場で仕事を取ってきて、前職で知り合ったクリエイターたちと一緒にWEB制作をしてました。彼らとのやりとりは本当に楽しくて、その才能を世に広めていることに働き甲斐を感じながら、最初の2年は、とにかく必死に動いて資金を貯めましたね。WEBサイト制作の仕事はいろいろな会社が直面するブランディングの根幹に関わることができました。そういう経験が、音楽レーベルや、その後立ち上げたフォトスタジオの運営にも活きています。

ライフサウンドが運営する「TERRANOVA PHOTO STUDIO」

ライフサウンドが運営する「TERRANOVA PHOTO STUDIO」

昼間はWEBの仕事をやりつつ、この時期も週1回のドラムレッスンには欠かさず通い、音楽事業のアイディアを温め、音楽の仕事をしたいという目標がブレることはなかった。会社も順調に軌道に乗り始めた頃、満を持して音楽事業を立ち上げる。約300万円を投資して、『SOUL OVER THE RACE』というコンピレーションCDを制作した。

山内:『SOUL OVER THE RACE』は「魂は人種を超える」という意味なんですけど、才能がある人をどうやって知らしめ、世界に出していくかっていうプロジェクトでした。日本を始め、世界基準で音楽を作ることをコンセプトとし、公開オーディションをやって、勝ち抜いた4人がソウルの名曲をカバーする。レコーディングには僕の師匠を含むプロフェッショナルの人たちに参加してもらいました。それがSWEET SOUL RECORDSの処女作になったんです。

しかし、いきなりレーベルを始めたからといって、そう簡単にCDが売れるわけもない。ましてや無名な新人を集めたコンピレーション。最初に届いたオーダーは、わずか90枚だった。投資した分を回収するには約3000枚を売らなければならない。30分の1にも満たない数字だ。

山内:当時は僕も音楽業界に参入したばかりで知り合いもいませんでしたし、リサーチはしてもなかなか十分な情報を得ることができなかったんです。まずは音がないと営業も始められないので、作る工程もプロモーションしながら音楽制作をしました。結果、僕としてはいい作品ができた手応えがあったので、3000枚くらい余裕だと思っていたんですよ。これは何かおかしいと思って、CDを卸している店舗に電話をかけてみたら、どこも「そんなインフォメーションは届いてない」と言うんです。僕は流通の会社が営業してくれるものだと思っていたんですけど、ただ紙で注文案内を送って終わりだったんですよね。そんなことさえも知らなくて。音楽業界はいくら作品がよくても、きちんと営業しないと埋もれちゃうんだなということがわかったんです。

営業を強化し、全国のCDショップにひたすら電話をかけた結果、オーダーは約1000枚まで増加。無謀にも思われたプロジェクトだったが、バイヤーには商品力を買われ、「こんな金のかかることやって偉いな」と応援してくれるソウル好きも次々と現れ、最終的には目標だった3000枚にも到達した。後にSWEET SOUL RECORDSは全国に40店舗以上特設コーナーを持つブランドへと進化する。

山内:時間はかかったんですけど、そこで初めてレーベルの産声が上がった気がしましたね。当初目論んでいた海外への流通も実現し、300〜400枚くらい売れたんです。念願通り海外からの反応もあって、海外のアーティストから「お前ら面白いことやってるから、俺らのCDも扱ってくれ」と連絡が来るようになって、そこから事業構想に入っていたライセンス事業が始まりました。

こうした経緯もあり、SWEET SOUL RECORDSでは現在、国内アーティストの原盤制作および販売、マネジメント、そして海外アーティストのCDを扱うライセンス事業を手がけている。レーベルの大きな特徴になっているのは、深く、狭くというスタンスだ。

山内:リリースは少ないほうだと思いますが、それはアーティストを日本に招聘したり、アメリカのアーティストをUKに紹介したり、リレーションを深めるため。ジャンルについてもネオソウルに特化し、あえて狭めています。もしいいアーティストを見つけても、僕たちの軸と異なれば自分のところではやらず、他に紹介するようにしていますね。「僕たちはこういう音楽が好きでやってますよ」っていうことを前面に出すようにしています。つながりを大事にして、音楽で国境を越えていく。世界はソウルミュージックでつながっているということを証明してきました。

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「人々の想像を超えていく」Nao Yoshiokaとともに世界へ

「人々の想像を超えていく」Nao Yoshiokaとともに世界へ

『SOUL OVER THE RACE』のリリースを通して、「いいものは最終的に広がっていく」ということを身をもって味わった山内さんには、大切にしているポリシーがある。それは「人々の想像を超えていく」ということ。その理由をこう語る。

山内:僕はマーケティングという言葉があまり好きではありません。人に要望されたものとか、データをもとに作るという分析をすることは、もちろんビジネスにおいては大事なのですが、時に自分たちのやりたいことを抑え、顧客に合わせているわけじゃないですか。だからマーケティングに惑わされすぎると、想像を超えたものが生まれなくなってしまう。それはライフサウンドが展開している音楽事業も、フォトスタジオ事業もWEB制作事業も全てに共通して言えることだと思っています。僕自身も音楽制作をしていたなかで、純粋にその音楽が自分の判断において本当に良いか悪いかという価値観を疎かにしてしまったことがあって。お金とか政治とかいろんな制約はありますけど、特に音楽の世界では「良いか悪いかだけで決めよう」って言うべきだと思うんです。いまはそういうものづくりが減っているし、みんなが求めているものだと思うんですよね。

そのポリシーを証明できたのが、Nao Yoshiokaというアーティストの『The Light』という作品だった。

SWEET SOUL RECORDSからリリースした作品

SWEET SOUL RECORDSからリリースした作品

山内:実はうちの音楽事業もピンチだった時期があって、取締役に「次がヒットしなかったら、もう音楽は諦めろ」と言われました。起業当初からWEB制作の事業も続けていましたし、クリエイターさんたちとの様々なコラボレーションもあって、オフィスの一部を使って展開したフォトスタジオ事業も順調に進んでいました。正直、音楽がなくても会社は続けられたんです。それで、これが最後になるんだったら、本当に自分が好きなものしか作りたくないから、誰にも口出しさせないことにして作ったのが『The Light』でした。

結果、『The Light』は好セールスを記録し、レーベルも軌道に乗る。この作品は山内さんが積みげてきた世界中のアーティストとのコラボレーションによって制作された。そしてNao Yoshiokaはヤマハミュージックコミュニケーションズからメジャーデビュー。現在はSWEET SOUL RECORDSがマネジメントを担っている。思い切り自分にとっての「良い」を形にした作品が評価されたことが、山内さんの仕事観をより強固にしていったのだろう。

山内:Nao Yoshiokaは英語で歌うソウルシンガーですが、僕は彼女がJ-POPのニュースタンダードだと思っているんです。世界に向けても、「これ、J-POPですよ」と言って発信したい。世界で通用する音楽って、言語とか関係ないと思うんですよね。野球の野茂選手がアメリカに行ったことで「日本のマーケットはすごいぞ」と言われたように、日本のアーティストが世界で活躍する軌跡を作ることが大事だと思っているんです。それを彼女で叶えたい。

実際、2009年からニューヨークに2年半滞在したNao Yoshiokaは、アポロシアターのアマチュアナイトで準優勝、アメリカ最大級のゴスペルフェスティバルでは4万人の中からファイナリストに選ばれた実績も持つ。今年4月にはアメリカの名門ソウルレーベル、Purpose Recordsから全米リリースも果たし、ニューヨークのブルーノートでのライブも控えている。

山内:今まで海外とコネクションを作ってきたのも、すべてこのため。ようやく第一弾投入という感じですね。

いいモノを広めていかないことは罪である

ここまで紆余曲折を経ながらも、着実に目標を達成してきた音楽事業のやりがいについて、山内さんはどのように考えているのだろうか。

山内:やはり現場の感動でしょうね。たとえば、アーティストがすごいパフォーマンスをしたら、マネージャーも「全部疲れが飛びました」と言う。ほかにもレコーディング、PV撮影、いろんな制作の現場で奇跡の瞬間があるんです。だから普段は社内で仕事をしているデザイナーだったとしても、ライブで写真を撮ってもらうとか、なんでもいいから、とにかく現場で一緒に奇跡の瞬間を見たい。何かサイトを作る、映像を作るとしても、生を見ないと真髄ってわからないじゃないですか。僕たちは「ライフサウンド」というひとつの会社の中で、作らなければいけないものは全て自分たちで作ったことがある。だからこそ、その真髄を体験としても共有できていると思っています。現場の感動さえ見ればわかってくれるだろうし、共鳴しないと連動もできないと思うので。

画像提供:ライフサウンド株式会社

画像提供:ライフサウンド株式会社

続けて、今後のビジョンについても、こう話してくれた。

山内:レーベルに関してはブルーノートやモータウンみたいに、新人が出るというだけで注目を集めるレーベルになりたいですね。それと、「あそこでライブしたら一流だよね」と言われるようなライブハウスも持ちたい。スタジオ事業をやっている理由もそこにあって、空間を自分たちでプロデュースしていくノウハウもつけたいんです。アーティストが表現する場所、音楽を流通する方法や、それに必要なデザイン、マネジメントなど、アーティストが活躍するためのインフラを全部揃えていきたい。

「やりたいことはいっぱいある」という山内さんだが、ソウルミュージックの業界では、才能あるアーティストはたくさんいるが、それを支える側の人間が圧倒的に足りていないのが現状だという。

山内:現在J-POPのアーティストのサポートをしているミュージシャンやシンガー達は、実はボストンの名門校・バークリー音大を出ていたり、世界に飛び出せるような才能に溢れているんですよね。実力のある人はいっぱいいるけど、その人たちのやりたい音楽を応援してくれるレーベルやレコード会社で働く人たちが極端に少ない。だから、それをバックアップする人が増えればいいなと思ってますね。

ドラムの師匠から引退を告げられ、起業を決意した学生時代から、ブレることなく進んできた山内さん。ソウルミュージックへの熱い想いを語るその目は、若手ミュージシャンたちに負けじとキラキラしている。

山内:70〜80年代のソウルは、アーティストたちが死ぬほど儲かった黄金期なんですけど、その時代の音楽って最高なんですよ。でも、ソウルは時代に合わせて進化していて、こんな厳しい音楽市況のなかでも、それを昇華してがんばっているアーティストたちがいる。僕はその人たちを応援したいんですよね。中古盤を掘るのもいいけど、それではいまを生きているアーティストたちの応援にはならないから。それと、僕は音楽そのものも好きですけど、それ以上にアーティストが好きなんです。ライブで笑顔になって演奏している姿を見ると、どんなに大変だったことも全部リセットされる。だから、いま生きているアーティストたちを全面バックアップしたい。いわば、芸術の奴隷です(笑)。

ライフサウンドには大切にしている言葉がある。それは「いいモノを広めていかないことは罪である」ということ。

山内:やっぱり素晴らしい人が目の前でもがいているのを見て、何もしないのは罪だよねって。ただ、ボランティアじゃないことが大事で、ちゃんとビジネスにして、彼らを成功させるシステムを作り、文化を築き上げるのが僕たちの目的。そのためには、ミュージシャンだけでなく、それを支えるデザイナーなどのクリエイターも同等に敬ってこそ、いいものづくりができると考えています。そこは熱意だけでどうにかなるものではないので、しっかり稼いで音楽を魅力的な仕事にしていきたいですね。

  • Profile

    ライフサウンド株式会社

    代々木上原にて、2008年の創立以来「いいモノを広めていかないことは罪である」を理念のもと、空間事業 / 音楽事業 / メディア事業を手がけています。

    空間事業は、アーティスト・クリエイターの創造性をかきたてる場を目指して撮影スタジオ・イベントスペースを運営しています。

    音楽事業では、世界20か国を超えるアーティストたちとコネクションを持ち、日本人ソウルシンガーNao Yoshiokaをアメリカへと送り出してグラミー賞を目指した活動の支援をしています。

    メディア事業では、ライフサウンドの地元、代々木上原の街や人にフォーカスしたローカルメディアを運営し、その魅力を発信しています。

    ライフサウンド株式会社