Column 連載

その仕事、やめる?やめない?

後悔ない決断をするには?芥川賞作家・滝口悠生が語る、安定に頼らない生き方

「見方によっては、『安定』ってすごく不確かなもの。そのために、楽しさや充実、心の自由を犠牲にしたら、やっぱり後悔が生まれてしまうと思います」。そう語るのは、芥川賞作家の滝口悠生さん。高校卒業後、フリーターを経て23歳で大学生になり、その後中退。会社員と作家の両立、そして専業作家へと、世間の「普通」とは違う道を歩んできたなかで、人生を決定づける重要な選択をどうやって決めてきたのか? 好きなことと仕事のどちらを取るかで悩むすべての人に贈る連載、「その仕事、やめる?やめない?」の第二回目。話を聞くと、人と違うことを恐れないことの大切さが見えてきた。

プロフィール

滝口 悠生(たきぐち ゆうしょう)

1982年、東京都生まれ。2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞しデビュー。2015年、『愛と人生』で野間文芸新人賞受賞。2016年、『死んでいない者』で芥川龍之介賞受賞。他の著作に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』などがある。

取材・文・撮影:辻本力 編集:原里実(CINRA)

23歳で大学へ。「回り道はしたけど、やりたいことに気づくために必要だった」

今回お話をうかがったのは、純文学のフィールドで活躍する小説家の滝口悠生さん(36歳)。2011年、29歳のときに文芸誌『新潮』の主催する「新潮新人賞」を受賞してデビュー、2016年には『死んでいないもの』で芥川賞を受賞と、順調にキャリアを重ねてきた。

滝口:高校生の頃から漠然と「何か書きたい」という思いはあったんです。でも、具体的に何を書きたいのかはよくわかっていなかった。それで高校卒業後は、進学も就職もせず、フリーペーパーをつくったり、編集プロダクションみたいなところでアルバイトしたりして暮らしていました。

滝口悠生さん

滝口悠生さん

しかしその茫漠とした時代は、振り返れば「小説家になる」という、具体的な目標を見出すための重要な時間だったという。そして、その目標のために選択したのが「大学進学」だった。

滝口:ふらふらしているなりに、小説を書くために学ばなければいけないことがあるなあとだんだんわかってきました。というのもいまの文学の世界をたどっていくと1980年代、小説と批評とが呼応するように書かれ、読まれてきた時代に行き着くという認識があったんです。だから一度、その辺りを体系立てて勉強しないといけないのかなと。文芸誌に原稿を送ることを意識して書き始めたのも、その頃からでしたね。

「小説を書く」という明確な目的を持った滝口さんが早稲田大学第二文学部に入学したのは2005年、23歳のとき。一般的な大学入学時期が高卒後すぐだとすると、約5、6年遅いタイミングでのこととなる。

滝口:そりゃ、「高校生の頃から小説が好きで、だから大学の文学部に入って小説家になろうと思った」みたいな人もいるのかもしれませんが、早く志したから早く小説家になれるというほど単純なことでもないし。自分のやることに気づくまで結構時間はかかりましたけど、目標を明確にし、かつ腹を決めるという意味で、それは必要な時間だったのだと思います。

就職1か月で辞表提出。しかし、その後も5年間働くことに

大学での学びは、小説を書くことに対して大きな示唆を与えてくれたという。しかし滝口さんは、卒業を前にあっさりと退学してしまう。

滝口:学びたいことは学べたし、あとは自分で考えたらいいんじゃないかな、という実感を持てたので。ぼくの場合、就職のために「大卒」の経歴が必要だったとかではなくて、あくまで「学ぶ場所」というか「教えてくれる場所」が欲しかっただけでしたから。

学びたいことを見つけたら大学へ、そしてそれさえ学び終えればやめる。一貫して自分の心に正直な道を選び続ける滝口さん。一方、このタイミングで、のちに妻となる女性と同棲を開始。大学時代から続けているアルバイトで糊口をしのいでいたが、経済的な事情からも就職を考えるようになっていった。

滝口:その頃は、古い遊園地でバイトしていました、上野の。いまはもうなくなっちゃいましたけど。乗り物を動かしたり、売店でアイスやクレープをつくったりする仕事です。平日は人も来なくて超ヒマだったので、一日中ぼんやりと猫とか鳥とかを眺めて過ごしてましたね。子どもとかホームレスのおじさんと話したり。

いま思い返しても、あの無為さは尊かったなって。物事を考えてないようで考えているようなあの時間は、自分の小説に大きな影響を与えているように思います。とてもいい仕事でした。とはいえ生活もあるので、断腸の思いで遊園地バイトはやめて、定職に就くことにしました。

2010年、働きながら小説を書く二足のわらじ生活を決意。選んだ職場は、輸入食品会社だった。「カレーが好き→スパイス→輸入食品会社」というような連想から、軽い気持ちで決めた仕事だったという。しかしここでは、1か月ほどで退職を申し込むことに。

滝口:「家が近い」という理由から近所に店舗のある会社に入ったのですが、実際に働くことになったのは都心の商業施設の店舗で。遠いうえに、出勤がずっと地下鉄で、職場も地下にある店舗……それで具合が悪くなってしまったんです。で、退職希望を出したあと、やめるまでの期間働く約束で家の近くの店に移ったら、こっちは自転車で通えるし商店街の路面店だから地上だしで、今度は体調がメキメキよくなってしまって(笑)。

結果的に退職は棚上げになり、そのまま5年くらい働き続けることになりました。小さい会社だったし、入社時のごたごたでは社長や同僚の人たちには迷惑をかけましたね。

いきなり中間管理職になった小説家。「忙しさにかまけて、書かなくなるのではという怖さもありました」

会社の規模は小さく、社長以下、社員は滝口さんを含めて数人のみ、残りはアルバイトという環境で、早々に中間管理職的な立場に。社長の意向をアルバイトたちに伝え、アルバイトたちの声を社長に届ける緩衝材のような役回りだったという。時には、アルバイトスタッフたちのプライベートな問題にも耳を傾け、現場が滞りなく回るよう気を配った。

滝口:それなりに大変だったとは思います。社長を除くと、現場の男性はぼくだけだったので、同僚の人たちとの距離のとり方には結構気をつかうところもありました。ただ、気はつかうし難しいけど、まわりがいい人だったし、人と関わることは苦ではなかったかな。

そういう経験も小説に生きてると思います。ほら、小さい規模の会社での人間関係の近さとか、そのなかでもたれ合ったり助け合ったりする感じとか、そういう社会のなかのリアルな関係性って、資料だけでは学べないことなので。

忙しい仕事の合間をぬって小説を書き続けた。朝の出勤前、終業後の数時間が執筆に充てられた。甲斐あって、2011年には「新潮新人賞」を受賞し、小説家デビューを果たした。しかし、仕事はやめなかった。

滝口:受賞後、最初に編集者に言われたのは「仕事はやめないほうがいいです」ということでした。デビューしたからといってすぐに、書く仕事一本で食っていけるようになるわけではないからですね。そもそも、ぼくもすぐにやめるつもりはなくて、当面は仕事をしながら小説を書いていこうという考えでした。お金を稼ぐことも、自活していくことも大変だということは、これまでたっぷりと寄り道人生を送ってきた分よくわかっていたし。

一方で、勤め仕事があって、それはそれでやりがいや充実感があって、給料も貰える——そうした環境のなかで小説を書くモチベーションを保ち続けるのは、なかなか大変な面もあったという。

滝口:はじめのうちは、とにかく書いて、編集者に見てもらって、でも雑誌に掲載されるかどうかはわからないという状況でした。雑誌でデビューしたけど、本にしてもらえるわけでもない。次の作品が掲載されるかされないかわからないなかで、原稿を書き続けなければならないわけです。

しかも、ぼくが次の小説を書けなかったからといって、誰かがものすごく困ったり、雑誌が潰れたりといった致命的なことが起こるわけではありません。書けるかどうかは結局自分次第。で、毎日の勤めの仕事もある。まあ忙しいし結構大変でしたよね。

それを言い訳にして、自分が書かなくなってしまうのではないかという怖さも多少あったんですが、実際には書くことについての気持ちはあまりぶれなかったです。小説家としてのキャリアがどうなろうと、書くのをやめるということはないと思ってました。だから、いつでも会社はやめてやるという気持ちでしたし、そう思っていればこそ、会社の仕事で手を抜かないようにしていました。

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ついに二足のわらじを脱却。「あ、なんかどうにかなりそうじゃん、って」

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