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「仕事のやめどき」をどう掴む? 編プロ→国家公務員→企画会社の会社員に聞く

大学卒業後に新卒で就職し、定年まで勤め上げるーー。かつては当たり前であったそうした働き方も、すでに「絶対」ではなくなった。働き方や価値観が変わり、好きなタイミングでやりたい仕事を選べるようになった。しかし、そうした「選択の自由」があるからこそ、「好きなことを仕事にすべきか否か」で悩む人も少なくないのではないだろうか。そこで、本連載では「その仕事、やめる?やめない?」と題し、多様な人物の「選択」をうかがうことにした。第1回目は、企画会社でプロジェクトマネージャーを勤める廣田沙羅さん。編プロや国家公務員を経て、現職に行き着いた彼女の決断力の秘訣とは?
  • 取材・文・撮影:辻本力
  • 編集:吉田真也(CINRA)

Profile

廣田沙羅

大学卒業後、女性ファッション誌やカルチャー誌を担当する編集プロダクションへ入社。ファッション誌の編集者として経験を積んだあと、30代のライフプランを考えるため退職を決意。経済産業省にて国家公務員の非常勤職員として働いたのち、現職にたどり着く。

編プロ、国家公務員、企画会社……。直感に従って渡り歩いてきた、ちょっと特殊な仕事遍歴

今回お話をうかがった廣田さん(29歳)は、クライアントに応じた企画やコンサルタント事業を行っているTK-LAB(ティーケーラボ)に勤めている。同社は、広告企画や企業ブランディングなど幅広いクリエイティブワークを手がけるPOOL.INCの代表 小西利行氏が設立した会社だ。入社して8か月目の廣田さんは、プロジェクトマネージャーを担当し、幅広い業務を行っている。そんな彼女の職歴はじつにユニークだ。

大学卒業後、編集プロダクションでファッション誌の編集(24歳から28歳まで)

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経済産業省で事務アルバイト(28歳から29歳まで)

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企画会社のプロジェクトマネージャー(29歳から現在)

一見すると「ん、なんで?」と訊きたくなるような、やや脈絡のない連なりに見える(失礼!)。

廣田:小・中学生のときからファッション誌が大好きで、お気に入りの画像を何千枚もパソコンのなかにコレクションしていました。雑誌に関わるさまざな人たちの仕事を束ね、1冊のかたちにまとめ上げる役割に魅力を感じ、編集者を志望しました。

新卒で大手出版社を目指したのですが、なかなか内定をもらえず……。在学中にファッション誌を扱う編プロにアルバイトとして入り、卒業と同時にそのまま就職しました。

第一志望ではなかったものの、憧れの仕事に就いた廣田さん。担当することになったのは、30代から40代がメイン読者層の女性ファッション誌だった。「ハイブランドばかりを扱う雑誌だったので、良質なものを見抜く力が身につきました」と当時を振り返る。

その編プロは、少数精鋭のスタイル。企画はもちろん、撮影の立ち会い、原稿執筆まであらゆることをこなした。ときには担当外の仕事をカバーすることも。やりがいは感じていたものの、忙殺される日々に疲れ、次第に「このままでいいのだろうか」という気持ちを抱くようになっていった社会人2年目。マンネリを感じ始めたのもこの頃だったという。

廣田:その雑誌は世界観が明確に決まっていたので、スタイリストさんもカメラマンさんも常連メンバーで固定されていました。私が担当できるのはその一誌だけだったこともあり、同じ世界観だけでなく、異なるテイストや別ジャンルの世界にも触れてみたいと思うようになりました。

また、ご一緒するのは年上の大御所ばかりだったので、同じくらいの歳の人たちと仕事をしてみたいという気持ちも芽生えてきました。たくさんのことを学ばせていただきましたが、徐々に「やめる」という選択肢が頭に浮かぶようになってきて。仕事を続けるには、刺激や新鮮さが重要です。それが日々のモチベーションにもつながることに気づきました。

「とりあえず」では働けない。異業種に飛び込むために必要なこと

しかし、「とりあえず3年やってみる」と決めて仕事を続けた廣田さん。3年勤めた段階で続けるかやめるかを考えた結果、「まだ一人前じゃない」と思い至り、もう少しだけ続けることを決意。

そして4年経ったとき、「この会社で学べることは学べた」と思えた彼女は、仕事をやめる。紙媒体以外での編集の仕事に興味が出てきたことも、その判断を後押しした。次の仕事は未定だったが、とくに不安は感じなかったという。

廣田:ひとまず千葉にある実家に帰るつもりだったので、不安はありませんでした。燃え尽きていたので、新しい仕事を探す気力もありませんでしたしね(笑)。

そもそも私は、好きなことしかできないタイプ。「とりあえず」が向いていない。それに、軽い気持ちで転職して半年で辞めるのも会社に失礼じゃないですか。そんな思いもあって、自分の腹が決まるまで、正社員として働くのは待つことにしました。

仕事をやめて2か月。「正社員として働くなら、自己成長できる環境に身を置きたい」ーーそう考えていた廣田さんは、次の仕事が見つかるまで、一旦アルバイトを挟むことを決める。バイトなら、期間限定で働くのもアリかも、と思ったからだ。

廣田:いろいろな仕事を経験をすることは、「次」を考えるうえでも役に立つんじゃないかと思って。で、「通勤は都内、残業がなく、福利厚生がしっかりしていて、交通費全額支給……」ーー求人サイトに条件を打ち込んだ結果出てきたのが、経産省の非常勤の仕事でした。どうせなら、ファッション誌の仕事では絶対に出会えない人たちと仕事をしたいと思っていたこともあり、試しに応募してみたんです。そしたら、採用していただけました。

普段触れることのない世界を知ることで、また新たな「やりたいこと」に出会える可能性もある。しかし、「世界が広がる」というメリットがあるとはいえ、完全なる異業種に行くことへの不安はなかったのだろうか。

廣田:これが意外となくて(笑)。異業種であることは間違いありませんが、仕事内容は事務職だったので、電話をとる、出張の手続きする、そのとき頼まれたことに対応する……みたいな感じ。それって編集の仕事をしていればだいたいできることですからね。

「異業種」と聞くとハードルが高いと感じますが、やっていることは意外と似ていたりもします。「新しい世界」に飛び込むのは勇気がいる。でも、思い切って飛び込んでしまえばこれまでの経験が役に立って、意外とどうにかなることも少なくないと思うんです。

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「偶然」の捉え方で人生は変わる。現職に出会えた運命の出来事

「偶然」の捉え方で人生は変わる。現職に出会えた運命の出来事

当初は、非常勤をしながら1年間かけて就活の準備をし、次年度での転職を考えていた廣田さん。しかし、転機は思いのほか早く訪れる。きっかけは、経産省の採用担当者の紹介だった。

廣田:その方は私の経歴を面白がってくれて、いろいろ目をかけてくださったんです。転職の相談にも乗ってくださいました。その方と飲みに行った際、「ここはどう?」とホームページを見せながら紹介してくれたのが、現職の親会社である「POOL.INC」でした。

でも、ホームページに掲載されているブランディングの実績は、有名な大企業ばかり。そのスケールの大きさにちょっと距離を感じて、働きたいと即答できなかったんです。

しかし、経産省の採用担当者は行動が早かった。その場でPOOL.INCの代表 小西利行氏にFacebookで連絡し、「今度、紹介したい人がいる」と告げた。それに対して、小西氏からも「じゃあ、機会があったら面接しましょう」と即レスポンスが。もっとも、廣田さんはその時点ではまだ躊躇していて、「少し考えさせてください」と告げるつもりだったという。だが、ちょっとした偶然が運命を変える。

廣田:その日、2軒目に行った店が、小西さんの経営する「スナックだるま」というスナックだったんです。で、「小西さんも来たらいいね」なんて話をしていたら、本当にたまたまやって来たんですよ。

「え、さっき言ってたのってこの子?」となって、双方驚いてしまって。そのときに、経産省をやめて、いまの仕事に就く決心がつきました。意識的に決めたというよりも、「あ、いまがそのタイミングなんだな」と。そういう偶然の出来事を運命と捉えられるかどうかで、人生は変わるのかもしれませんね。

編集者とプロマネは似ている。「やりたかったこと」にたどり着けた現在

経産省に勤めたのは7か月間。流れに身を任せるようにして仕事をやめ、新たな環境に身を置くと決めた。しかし、「成長できる環境」にこだわっていた廣田さんだ。「ノリ」だけで即決したのではなく、何らかの理由もあったはず。

廣田:そもそも「私がどんな人間か」をよくわかってくれている人が勧めてくれた会社だから、大丈夫だろうという確信はありました。それに、直接小西さんと話してみて「この人なら信頼できる」と思えたのも大きかったです。やっぱり、「この経営者のもとで働いてみたい」と思えるかって、すごく大事ですからね。

あと、スナックに居合わせた方々が、「これヤバイね。もう入社するしかないんじゃない?」みたいな雰囲気をつくってくれたことも大きいですけど(笑)。

とんとん拍子に進んだ廣田さんの転職。ただ、じつはそのとき、POOL.INCでは人を募集している部署がなかったそうだ。そこで、ちょうど新規事業の立ち上げを考えていた小西氏は「TK-LAB」を設立。廣田さんはその社員第1号となる。

現在の彼女の肩書きは「プロジェクトマネージャー」。いわばプロジェクト全体を束ねる立場だ。これは、ファッション誌の編集者を志したときの、「さまざな人たちの仕事を束ね、1冊のかたちにまとめあげたい」というモチベーションに通ずるところがあるように思える。

廣田:いまは主に企業や製品のブランディング、 PR企画などを行っています。材料を取捨選択して、よりよい見せ方を考えるこの仕事は、編集者の仕事に似ているところがあるかもしれません。そういう意味では、本来「やりたかったこと」ができていると思いますし、日々やりがいを感じながら仕事に取り組めています。

自分がワクワクすることを追い求めれば、おのずと「働きがい」に出会えるはず

現在、廣田さんがTK-LABで働き始めて8か月目を迎える。編プロ時代は「とりあえず3年」と自分に言い聞かせて働いていたが、いまの彼女に「やめる」という考えはまったくない。

廣田:正直、まだ会社に貢献できているという実感がありません。雇ってもらったからには、その判断を後悔してほしくない。会社に新たな仕事や価値を生み出せる存在になって、「こいつを雇ってよかったな」と思ってもらえるようになるまでは、やめることはないでしょうね。そこをクリアしたとき、初めて「次」のことを考えるかもしれません。

経歴を一見すると、流れに身を任せてきたように見える廣田さん。しかし、その都度さまざまなことを考え、「やめる・やめない」の難しい決断をしてきたのだ。そして、いまの「働きがい」にたどり着いた。

廣田:「仕事をやめる」ことは、人によってはマイナスや停滞を意味するのかもしれません。でもそれって、あくまで「その時点」での話なんですよね。人生全体で見たとき、その判断をきっかけに大きく成長できることだってある。

私にとって仕事をやめるということは、「やりたいこと」をするための選択なんです。やりたいことや実現したいビジョンがあるなら、たとえ無職になってお給料がもらえない時期があったとしても、怖がらずに新たな道を選択したい。

私の場合、「やめよう」と思い至るまでにこれでもかというほど悩みます。だから、その決断をする時点でもう悩み終わっているんです。むしろ、そこから先はワクワクしかない。そうやって、自分がときめくことを追い求めていければ、おのずと「働きがい」に出会えるはず。私はそう信じています。

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