
音楽とデザインの交差点から見えてきたもの
- 2011.12.01
- SERIES
- インタビュー・テキスト:森オウジ
- 撮影:木下夕希
Profile
一ノ瀬雄太
昭和61年東京都生まれ。多摩美術大学在学中から東京ピストルでアルバイトを始め、現在に至る。ロックバンド『快速東京』のメンバーとして活動しながら、デザイナー(アシスタント含む)として、書籍をはじめとする様々な紙媒体の制作に携わっている。
バンドマン × デザイナーという生き方
—まず、一ノ瀬さんについて教えてください。
一ノ瀬:「東京ピストル」というデザイン・編集の会社でデザイナーの仕事をしながら、「快速東京」というバンドでギターを弾いています。
―ということは、デザイナーなんですか? バンドマンなんですか?
一ノ瀬:デザイナーですよ(笑)。
―でも、「快速東京」はフジロックにも出演してるんですよね?
一ノ瀬:はい。でも僕は、音楽はあくまで楽しいから続けているだけで。仕事として突き詰めたいのはデザイナーなんです。会社にはちゃんと週5で通っています。ライブは主に土日ですが、フジロック以降、誘われるライブも多くなってきていて、たまに会社にお休みをいただくこともあります。
―会社は一ノ瀬さんのそうした兼業の仕方について、どう思ってるんですか?
一ノ瀬:僕はデザイナーとしてはまだアシスタントレベルの駆け出しなので、少しプレッシャーをかけられつつも、代表からは、「とにかく自分の武器がふたつあるのは強い。デザイナーのサイドから見れば、音楽に詳しいデザイナーになれるし、ミュージシャンとして見ても、デザインが出来るミュージシャンになれる。この強さは大切にしたほうがいい」と言われてます。どうやら会社としてのマイナスにはなっていないようなので、ほっとしています(笑)。
―では、東京ピストルでの仕事について教えて下さい。
一ノ瀬:主に紙ベースのグラフィックデザインのアシスタントです。東京ピストルは5〜6割が書籍の制作で、編集とデザインを同じ会社で担当できることが特徴です。時には編集の補佐をすることもあります。編集からデザインまでの流れを学ぶには、とてもいい環境だと思います。
中学生時代にショックを受けた横尾忠則の個展
—デザイナーになりたいと思ったのにはどういう経緯があるのでしょうか?
一ノ瀬:幼い頃から図工の成績だけは1番でした。なのでずっと絵を描いたり、なにか作ったりしたいということは漠然と思っていました。余談ですが、僕は父がデザイナーなので、家に暗室がある家庭で育ったんです。ポジとネガが散らばった仕事部屋は、子供心にもなんとなく楽しそうに見えましたね。しかも、ずっと父が家にいるものだから、『サザエさん』を見ていると、波平さんとマスオさんがなぜ朝に出かけていくのかよく分からなかった(笑)。でも、家と仕事場が同じだったことから、毎日家族で食事をしていましたし、ワイワイと楽しい家庭でした。ライフスタイルとしては、我が家は理想かもしれません。
—「絵を描いて生きていきたい」という夢が、いつ頃、具体的な「デザイナー」に変わったんですか?
一ノ瀬:中学校の時に横尾忠則さんの個展『森羅万象』に行って、「カッコイイ!」とショックを受けたんです。この時、「自分もこういうものが作りたい」と思ったのがきっかけです。それからずっとその気持ちを持ったまま、多摩美術大学に進み、グラフィックデザイナーになるべく勉強を重ねました。あの時、憧れたのが横尾さんではなかったら、また進路は変わっていたかもしれませんね。
—東京ピストルとの出会いについて教えてください。
一ノ瀬:就職活動中に外資系の広告代理店なんかも受けてたんですけど、まだ漠然とした就活でした。その後、文化祭に熱中したり、卒業制作が始まったりで、翌年春に就活を再スタートした時に、偶然Twitterで東京ピストルの雑用アルバイトの募集を見つけたんです。東京ピストルのスタイルには憧れもあったので、とにかく雑用でもなんでもいいから、面白いことが起きている場にいたい、と思って応募したのが始まりでした。
面接の時には「今回は雑用募集なんだよね」と言われたんですが、ポートフォリオを見せて、デザイナーになりたいという思いをぶつけたら、週5日で働かせてもらえることになったんです。最初は雑用を主にこなして、残った時間でデザインのアシストをやらせてもらいました。そうやって続けているうちに、だんだんデザイナーとして扱ってもらえるようになって、今はデザインがメインで、余った時間に雑用という感じです。
—では、音楽との出会いについて教えてください。
一ノ瀬:「快速東京」は大学3年の時から始めたバンドなんですが、音楽を始めるきっかけは中学の時に先輩の文化祭のステージを見たのがきっかけで、そこからずっと音楽を続けいています。もちろん音楽はもともと聴くのも大好きです。
ミュージシャン目線で見えてきたアートワークの重要性
—これからの一ノ瀬さんはどんなデザイナーになっていくのでしょうか? 音楽との関わりからお話いただけますか?
一ノ瀬:グラフィックデザインでミュージシャンを演出してあげられるような仕事をしていきたいですね。これから音源配信が主流になっていったら、CDジャケットはもしかするとなくなるかもしれないですが、バンドのアートワークはすごく大切で、これ自体はなくならないはずなんです。
例えばiTunesを使っている人は分かると思うのですが、アートワークはいわば「ミュージシャンの顔」です。アートワークで「買う/買わない」がわかれることは多々あると思います。なので、最適なアートワークを持っていることは、いわばミュージシャンのステータスでもある。ここを作っていけるデザイナーになりたいんです。そしてそれは、やっぱり音楽の知識がないとできないと思います。となると、僕はミュージシャンであり、デザイナーにもなれるという。代表の教えてくれた「2つの武器」を持ったデザイナーになれるのかも、と思っています。そして何より、自分のバンドのアートワークも、メンバーやスタッフを交えて話しながら作っていくのが楽しいですしね。
—快速東京のアートワークも一ノ瀬さんの手によるものなんですね!
一ノ瀬:チラシやCDのジャケット(デモCD時代含む)、Tシャツは学生の頃から僕が制作してますね。映像に関してはボーカルの福田が専門なので、PVは彼が主に制作してます。自分たちで作ってしまうこともあれば、回りにいる友達に制作を頼むこともあります。僕の大学の同級生だった安田昂弘くんに作ってもらった“コピー”という曲のPVは、「onedotzero」というロンドンを拠点とするムービングイメージとデジタルアートを扱う組織に作品掲載を求められたり、世界最先端のモーション・グラフィックを集めたマンスリーマガジン「stash」に掲載されたりと、かなり反響を集めました(vimeoで220万回再生!)。いい音楽をつくるだけではなく、クオリティーの高いPVやアートワークと一緒に発信できれば、世界レベルで通用する、ということを感じられた出来事でしたね。
—最後に、東京ピストルでの印象的なお仕事を教えていただけますか?
一ノ瀬:『横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力─』という書籍ですね。生前は宮本茂と並び、任天堂を世界的大企業へと成長させた、ゲームボーイのデザイナーの自伝です。すでに絶版になっていてAmazonなどでは高額で取引されていたのですが、「素晴らしい本に、もっと多くの人が読める機会を提供したい」と、自身もファミコンゲームのコレクターである代表が目をつけて、再版して作ったのがこの本でした。遺族に権利を交渉し、社内で再編集・リデザインをしました。僕はアシスタントとして関わり、写真素材の加工をしたり、デザインを手伝ったりしたのですが、代表のものづくりのポリシーを近くで感じることができた経験になりました。自分が作りたいものを作るということの意味、また、電子化が進むなかで書籍として残すべき情報とは一体なんなのか気付きました。
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まげまげてれーび
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株式会社東京ピストルは、2006年に編集の可能性を広げるために生まれた会社です。
WEBやSNSをはじめとする新しいメディアがどんどん誕生していくいま、一般的な出版社や編集プロダクション、IT企業の業務ではとらえきれない「もの・こと」がたくさんあるように思われます。
私たちは、そうした時代に対応できるのは、既存の価値観にとらわれない、新しいタイプの「編集者」なのだと信じています。紙媒体、雑誌、WEBといったメディアだけでなく、イベントやスペースの運営まで、幅広い活動を編集の視点からお手伝いすることにより、編集の力によって街を、東京を、世界を変えていきます。
東京ピストルは世界をより豊かにすべく、質の高いコンテンツとコミュニティを作ることに全力投球しています。