
視覚障害者がADの「受け手」から「つくり手」へ。当事者と共につくる映画のアクセシビリティ【後編】
- 2026.10.08
- REPORT
映画を観るとき、私たちは音に加え、画面に映る人物の表情や動き、衣装、風景、場面の変化など、無数の視覚情報を受け取り、それらを組み合わせながら映画を体験している。では、それらを言葉に置き換え、視覚に障害のある人へ届けるオーディオディスクリプション(以下、AD)は、どのように映画体験を形づくるのだろうか。
一般社団法人Japanese Film Project(以下、JFP)は9月3日、オンライン講座『【JFP日米交流】映画のアクセシビリティ最前線:日米の作り手と考える、音声描写がもたらす創造的可能性』を開催。日米でADの制作やナレーション、研究に携わる実践者たちが登壇した。
本稿では当日の議論を前後編に分けて、レポートする。後編では、前編で提示した「ADは誰が、何を、どのように描写するのか」という話からさらに踏み込み、当事者がAD制作に携わる意義や、AD普及のために必要な根本的な意識の変化について語られた。
※前編はこちら- 取材・テキスト:ISO
- 編集:吉田薫
視覚障害者がADの「受け手」から「つくり手」へ
アメリカでは現在、視覚障害のある人々がADの受け手としてだけではなく、執筆、音響、クオリティコントロール(ADの内容や情報量、表現、タイミング、音声などを確認し、必要な修正を提案する役割)、編集、ナレーションなど、さまざまな工程で制作者として関わっているという。今回の登壇者であり、ADの全盲ナレーターとしてPodcastを通じた発信も続けるトーマス・リードが重視しているのが、「Blind-centered AD(視覚障害者を中心に据えたAD」という考え方だ。
トーマス:ADの基本的なアプローチは、まず視覚障害者を念頭に置くところから始めるべきだと思っています。視覚障害者が主な観客なのだから、制作のあらゆる面で視覚障害者を中心に据えるのは当然のことです。目的は、視覚的なコンテンツへの公平なアクセスを提供することです。

トーマス・リード:ボイスオーバー・アーティスト/ADナレーター
フリーランスのオーディオ・プロデューサー、ボイスオーバー・アーティスト、ADナレーター、コンサルタント、権利擁護活動家。
一般的には、晴眼者がADを書き、その完成したものを視覚障害者が確認する、という流れが多い。ここで紹介されたのが、ADプロデューサーのロイ・サミュエルソンによる、晴眼者を「視覚情報を集約する役割」ととらえる考え方だ。
晴眼の協力者やAI、制作資料などから視覚情報を集め、それを視覚障害のある制作者へ渡す。視覚障害のある制作者は、自分が聴いた音や作品の文脈などと照らし合わせながら、その情報を解釈・選択し、ADの文章をつくる。そのように最終的な取捨選択をするのが、ADの「受け手」としてニーズをよく把握している当事者になるということ。田中は、こうした制作を実現するには、従来の工程のどこに視覚障害者に参加してもらうかを考えるだけでなく、制作方法そのものを問い直す必要があると指摘した。
こうした協働をすでに実践しているのが、今回の登壇者で、インディペンデント映画や美術館などでCaptionやADを手がけるシェリル・グリーンとトーマスだ。たとえば、シェリルは映画制作者からまだ完成していないラフカットをあずかり、Zoomでトーマスとつながりながら、自分がその場で映像を言葉にして説明する。トーマスは「その情報は必要ないが、こちらは欠かせない」「このカットは混乱した」というようにフィードバックし、シェリルはそれをもとに、ときには十数ページにおよぶレポートを映画制作者へ返すという。
シェリル:たとえば『ここにあと3秒あれば、もう少し描写できる』と伝えたりします。あるいはサウンドデザインでも、電車が通る音がよりはっきりしていれば、ADで『電車が通る』と言わなくても伝わる。そういう音響についてのフィードバックも行います。

シェリル・グリーン:アクセス・アーティスト/アクセシビリティ制作者
障害や慢性疾患を抱える「アクセス・アーティスト」として、インディペンデント映画や美術館におけるキャプション(字幕)やオーディオディスクリプションの制作に取り組んでいる。
完成した映画を受け取り、アクセシビリティの制作者がそれに説明をつけ足すだけではない。制作の途中から参加することで、編集やサウンドデザインを含めた映画そのものへフィードバックを返すこともできるのだ。そのように、当事者が制作に参加することには、アクセシビリティの質を高めるだけではない意味もある。
終盤に行われたQ&Aでは、日本で声優・ナレーターとして活動する全盲の参加者から、「アクセシビリティの企画・制作に障害当事者が参加することには、どのようなメリットや社会的意義があるのか」という質問が寄せられた。
トーマスは、当事者の経験が制作に入ることでアクセシビリティが充実するだけでなく、「エンパワーメント」という重要な意味が生まれると答えた。自身が関わったドキュメンタリーでは、視覚障害者がナレーションを担当していると知った当事者コミュニティから大きな反響があったという。
トーマス:自分と同じような人がナレーターをやっていると知ること自体が、ただのアクセシビリティではなく、平等性を考えるうえでも重要です。それはナレーションだけでなく、QCや作品の方向性を考えるうえでも欠かせないと思います。誰かを排除するのではなく、みんなが連帯して取り組めることだと思います。
「サウンドデザイン」としてのADの可能性
また、トーマスは文章やナレーションだけでなく、音響そのものにもADの創造的な可能性を感じているという。
トーマス:ADや音声描写では、制作プロセスのほぼあらゆる段階で創造性を発揮できると思います。風景を描写する一文がずっと心に残ることもあります。それは頭のなかにイメージを浮かべるだけではなくて、その言葉そのものや、ナレーターがどう語ったかが印象に残る。これもアクセシビリティだと思います。
さらに、幼い頃に聴いていた読み聞かせのレコードを例に、特定の音だけで人物や場所、行動などの情報を瞬時に伝えられるサウンドデザインの可能性にも言及した。シェリルもまた、ADを制作することで、制作者自身が作品をとらえ直すことがあると語る。
シェリル:ADをつくって映画制作者に渡し、事実関係などを確認してもらうと、『こんなふうに映画に映っているなんて気づかなかった』と言われることがあります。ADの制作者は、ただシーンを描写するだけではなくて、たとえば鳥が10秒間映っているなら、『なぜこの鳥がここに映っているんだろう』と、その意味まで考える。だから制作の最初から私たちが関わって、映っているものがどんな意味を持ち得るのかを映画制作者に伝えながら、一緒に作品をつくっていけたらいいと思います。
ADを書くことは、映画を深く見ることでもある
こうしたADの可能性を、日本での制作や教育の経験から語ったのが、ADライターとして活動し、島根県の映画館「Shimane Cinema ONOZAWA」の運営にも携わる和田浩章(わだひろあき)だ。
日本のAD制作は短期間で進められ、「工場」や「ベルトコンベア式」とも呼びたくなるような状況にある一方、実際には作品の文化的背景をどう伝えるかという繊細な判断も求められる。たとえば韓国ドラマの時代劇では、韓国にルーツを持った方をチームに加えてADを書くことで、それまでとはまったく異なる答えが出てきたこともあったという。
和田:僕はもう、ひとりで書くという次元ではなくて、どれだけ多面的なチャンネルを集約できるかだと思っています。ひとりで書いたADを正解とするのではなく、そのときに集まった人たちによる、ひとつの答えとして提示する。ADにはさまざまな可能性が含まれています。効果音を織り交ぜながらナレーションと組み合わせてもいいし、僕は新たに音楽を生み出してもいいと思っているぐらいです。

和田浩章: Audio Description Writer。1990年千葉県生まれ。Audio Description(音声ガイド)ライター。2014年よりバリアフリー映画鑑賞推進団体City Lightsで音声ガイド制作を開始。2016年には日本初のユニバーサルシアター「CINEMA Chupki TABATA」の支配人を務め、誰もが映画を楽しめる環境づくりに尽力した。2021年、島根県益田市へ移住し、バリアフリー音声ガイド制作「コトノハナ」を設立。翌2022年には閉館していた映画館を「Shimane Cinema ONOZAWA」として再建。2023年からは日本映像翻訳アカデミー音声ガイド講師を務め、後進の育成にも携わる。映画や配信作品など幅広い作品の音声ガイドを手がけ、代表作に『ルックバック』『日本三國』『ぼっち・ざ・ろっく!』『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』などがある。
トーマス:私たちは何かを『見る』ことはできても、本当に視覚的に理解できていないことも多いと思います。ADを書くということは、本当にそこに何があるのかを、より本質的に見ることでもある。そして、その情報を見えない人に伝える。そう考えると、ADは物事をより深く考える機会にもなり得ると思います。
シェリル:映画監督は、自分の作品を天気予報やニュース番組のようなドライなものにしたいわけではないですよね。それなのに、なぜADになると、そういうドライなものでいいと考えられてしまうのか。視覚障害者だけでなく、障害文化に関わるさまざまな人たちを巻き込むことで、アクセシビリティはもっと創造的で、ワクワクするものになると思います。それは映画をつくる側にとっても、観る側にとってもメリットがあるはずです。
ADを「届ける」ために。「障害者のため」という意識を変える
島根県で映画館を運営する和田は、映画館でスマートフォンから音声ガイドを聴けるアプリ『HELLO! MOVIE』や『UDCast』が普及していても、実際に利用する人をほとんど目にしないと語る。
視覚障害のある人に声をかけても、「体験したことがないから行かない」という選択をする人も少なくない。設備やサービスが存在するだけでは、映画館へ足を運ぶことにはつながらないのだ。トーマスは、サービスが存在するだけでは利用にはつながらない理由をこう語った。
トーマス:多くの人にとって、そもそもアクセスがなかった時期がとても長かった。その状態に慣れてしまっているから、『こういうものがあるんだ』と気づくこと自体にも高い壁があると思います。新しいテクノロジーがあるだけでは十分ではなく、それに慣れて、自分のものだと感じられるようになるには時間がかかります。
そして和田が訴えたのは、ADを「障害者のために用意してあげるもの」と考えること自体を問い直すことだった。
和田:『障害者のためのもの』という考え方そのものをやめたほうがいいと思います。『我々のもの』にならない限り、そもそも始まらないんですよね。『視覚障害者のためにADをつけてあげる』という上下関係ではなく、映画をともに享受するためのものとしてとらえ直す。そのためには、業界に根づいた『こういうものだから』という固定観念をどう解きほぐしていくのかを考える必要があると思います。
そのうえで、ADをより多くの人へ届けていくために重要になるのが、人と人とのつながりだと和田は語る。映画館を運営するなかで、自分ひとりがすべての人とつながることには限界があると感じているからこそ、次の世代や新たな担い手が生まれていく必要があるという。
和田「僕ひとりが全員に会うことはできません。これを担ってくれる次の世代が現れなければ、普及しなかったり、届くものが届かなかったりする。だから、一緒にやっていける仲間をこれから見つけていきたいと思っています」
アクセシビリティは、誰が、どのようにつくるのか?
上述の通りアクセシビリティには、ADやキャプションをつくること、実際に使える環境を整えること、作品とともに流通させること、そして何を語り、何を語らないのかを決めることまで、いくつもの段階がある。講座の最後には、問うべきなのは「どうアクセスを提供するか」だけではなく、「誰がその体験を定義し、どんな経験や視点がその決定に反映されるのか」だと語られた。
そのためには、「障害のない人がお膳立てし、当事者に参加してもらう」という発想そのものを問い直す必要もある。当事者とともに考え、つくるなかで、自分のなかにあるエイブリズムにも気づいていく。その積み重ねが、アクセシビリティだけでなく、映画をめぐる文化そのものを変えていくのかもしれない。
今回の講座には、視覚障害のある人からも14名ほどの申し込みがあったという。国や立場を越え、当事者を中心にさまざまな人が同じ場に集まり、それぞれの経験や視点を持ち寄ること。そのつながりのなかから、新しい映画の見方やつくり方が生まれていくこともまた、今回の講座が示したアクセシビリティの可能性のひとつだろう。
【参考リンク】
アメリカの映画アクセシビリティ——音声描写から考える「アクセスは誰が、どうつくるのか」
オンライン講座『【JFP日米交流】映画のアクセシビリティ最前線:日米の作り手と考える、音声描写がもたらす創造的可能性』
実施日時:2026年9月3日 20:00-22:00
開催形式:オンライン(文字通訳・手話通訳有り)
主催:文化庁(令和8年度「障害者等による文化芸術活動推進事業」)
主催・企画・事務局:一般社団法人Japanese Film Project
企画コーディネート:田中みゆき・歌川達人
手話通訳コーディネート監修:牧野麻奈絵
イラスト:クラーク志織、全体デザイン:鈴木規子