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二足のわらじ、履き心地は?「タワマン文学」第一人者の外山薫が兼業作家としての経験を綴る

「社会人として働きながら、好きなことや新しいことにチャレンジしたい」

そう考えていても、なかなか踏ん切りがつかなかったり、始めるきっかけがないという方は多いのではないでしょうか?

連載『働きながら、好きなこと』では、企業で働きつつさまざまな分野で活躍されている方々が、仕事を続ける理由や忙しい日々のなかでの時間の取り方、「いまの生き方を、人にも勧めたいか?」についてコラム形式で語る企画です。

第1回は「タワマン文学」の第1人者としてTwitter(現X)で活躍し、1月には2作目となる著書『君の背中に見た夢は』を刊行した外山薫さんが登場。

「タワマン文学」を書くようになったきっかけや、二足のわらじを履くことへの不安と気づきなどについて、綴っていただきました。
  • 文:外山薫
  • リードテキスト・編集:廣田一馬

「何のために働いていたのか」己を見失うなか、すがりついたTwitter

「短編集とかじゃなくて、長編小説を書かせてもらえるなら御社から出版しても構わないですよ」

今思い返しても、ずいぶんと大それたことを言ったと思う。文学賞を取ったどころか、長編小説すら書いたことのない素人がプロの編集者に対して放つ言葉として、傲岸不遜かつ分不相応極まりないだろう。しかし、そうやって大見得を切ってか細い糸をたぐり寄せたことで、昨年に小説『息が詰まるようなこの場所で』(KADOKAWA)を上梓し、2作目となる『君の背中に見た夢は』(同)を今年1月に世に出した。毎月のように〆切に追われながらも、なんとか会社員と小説家の二足のわらじを履いて暮らせている。

今から遡ること4年前。世界が新型コロナウイルスという未知の病原菌に怯え、医療従事者が奮闘し、科学者が人知れず希望を紡いでいた間。当時の私はといえば、恥ずかしいくらいに暇を持て余していた。新型コロナという単語が世の中に存在しなかったころ、月の3分の1は出張に充て、睡眠時間を削って仕事に取り組んでいた。忙しかったが、やり甲斐があった。仕事こそが自分の使命だと信じて疑わなかった。

しかし、新型コロナ禍により、気づいてしまった。出張がなくても、睡眠時間を削らなくても、会社組織が、そして世界が回るということに。自分が人生を懸けていたものが何だったのか、そこに価値はあったのか。何のために働いていたのか――。己を見失う中、すがりついたのがTwitter(現X)だった。現実から離れ、匿名という仮面を被って漂う空間は無責任で、非生産的で、そして居心地が良かった。

金融や不動産、メディアなど自分の興味のある人達をフォローして好き勝手に呟いていたが、ある日、相互フォローだった不動産業界のアカウントの投稿が目に止まった。タワマン高層階に住むエリートサラリーマンの苦悩を面白おかしく140文字の投稿にまとめ、スレッド形式で連投するそのショートストーリーはシニカルな文体の中にも優しさがあり、私の心を捉えて離さなかった。

自分自身、サラリーマンとして働きながら、子どもの教育や日々の生活に悩む一人の人間だ。自身の経験も踏まえ、見様見真似で投稿すると、それが瞬く間に拡散された。気をよくして同じような投稿を繰り返している間、いつのまにそれは東京で生活する中間層の苦悩を描いた「タワマン文学」と呼ばれるようになり、一つのジャンルとなった。麻布競馬場という天才も登場し、界隈は妙な盛り上がりを見せていた。

出版社から声がかかったのは、そんなときだった。「本を書いてみませんか」。想像だにしていなかったオファーだったが、真っ先に思い出したのは、コロナ禍真っ盛りの虚無感だった。どうせ本を出すなら、本気で取り組みたかった。経験すらない長編小説に挑戦するというのも、仕事以外の何かに全力で打ち込むことで、自分の中の違和感の正体が何なのか、突き止めたいという思いもあった。

仕事や家庭に支障を出さないための「縛り」と思わぬ「効用」

仕事と小説執筆の二足のわらじということで不安だらけのスタートだったが、意外なことに、当初想定したような苦労はなかった。仕事や家庭に支障を出さないようにするというルールを予め定め、執筆するのは毎晩子供が寝静まってから自分が寝るまでの1〜2時間に限定した。週末は家族と過ごすので、日中はパソコンには一切触らない。このルールにより、仕事が疎かになったり、家庭不和を招いたり、睡眠時間を削ったりという事態は生じなかった。

1日1〜2時間という縛りをつくったことは、生産性を高める上で非常に効果的だった。人間、気分が乗る日もあれば乗らない日もある。しかし、決められた時間はとりあえずパソコンの前に座ってキーボードを叩くように習慣化したことで、物語は少しずつでも前進していった。どうしても先の展開を考えられなかったり、筆が鈍ったりする日もあったが、そういう日は過去の原稿の手直しをすることで、漫然と時間を浪費しないように心がけた。

また、これは思わぬ効用だったが、執筆作業を毎日の習慣に取り入れることで、酒の量が明らかに減った。コロナ禍など、暇な夜はついついビールに手が伸びてしまっていたが、アルコールが入った状態で文章を書けるほど器用ではないので、自然と酒を控えるようになった。夜の宴席も必要最低限に絞るようにした。パソコンに向かう時間が増えたことで肩がこりやすくなったが、日々の生活に軽い運動を取り入れるようにした。小説を書くようになって、むしろ健康状態は良好になった。

幸運なことに、デビュー作『息が詰まるようなこの場所で』が重版を重ね、他の版元からも声がかかるようになるなど、小説家としては上々のスタートをきることができた。インタビューで仕事を辞めて専業作家になるつもりはあるのかと問われることもあるが、その都度、「絶対に辞めません」と断言している。前述の通り、1日1〜2時間という制約がある上で取り組んでいるからこそ、限られた時間で集中して書くことができているという自覚はある。根は怠惰な私のことだ。専業作家になって一日を自由に使えるようになった瞬間、ゴロゴロ寝転んで一日を過ごすようになるだろう。

個人事業主として印税や原稿料が入ってくるようになり、本業に対する考え方も変わった。恥ずかしながら、これまで、月々の給料について真剣に考えたことはなかった。自分の仕事がどのような付加価値を生んでいるのか、銀行口座に振り込まれるお金は何に対する対価なのか、ということを真剣に考えるようになった。

以前のように長時間の滅私奉公でがむしゃらに働くのではなく、プロとしての自覚を持って限られた時間で仕事に取り組むようになったことで、アウトプットの質そのものは向上したと思う。いやらしい話ではあるが金銭的に少し余裕ができたので、ささやかながら寄付などの社会貢献活動も始めた。

成功パターンが通用しない時代だからこそ、チャンスは多く転がっているのかもしれない

会社員と小説家という「二刀流」について、個人的には概ね満足している。しかし、この生き方が万人に勧められるかといわれると難しい。私は小説家としての活動を会社に報告しているが、これが今後のキャリアにどのような影響を及ぼすのか、未だによくわかっていない。大学卒業以来、私なりに15年間かけて必死に積み上げてきたものもあるし、将来やりたい仕事や就きたいポジションもある。小説を書いていることが本業にネガティブな方面に作用した場合、悔やむこともあるかもしれないという覚悟はしている。

逆もまたしかりで、小説家として限界を感じ、最初から専業でやっていればと嘆く日がいつか来るかもしれない。比較するのもおこがましいが、大谷翔平選手の二刀流が評価されているのは、投手と打者をただ両立しているからではない。投打の双方で結果を出しているからだ。この生き方を選んだ以上、本業でも小説でも後悔しないよう、全力を尽くす必要があるとは常々思っている。

とはいえ、現時点で会社員をしながら小説家として暮らす日々は正直楽しい。時間を有効活用するため、無駄にスマホで時間を浪費することが減った。移動時間やトイレに座っている間、風呂に浸かっている時も常に思考を巡らせ、次に何を書くのかを考えるようになった。通勤ラッシュの満員電車で押し合いへし合いするのも、仕事で理不尽な目に遭うのも、小説のネタになると思えば許容できる。他人に用意された道ではない、自分で選んだ獣道を歩んでいるという実感は、生を充実させている。

私はたまたま文章、そして小説というフィールドだったが、今の時代、音楽でも漫画でも手芸でも、本業とは別の場所で勝負している人は増えていると聞く。かつての成功パターンが通用しない複雑になった時代だからこそ、チャンスは多く転がっているのかもしれない。この文章が、心に小さな火を宿した誰かの背中を押すことになれば幸いだ……なんて偉そうなことを言っているが、まだまだ小説家としては駆け出しのヒヨッコだ。また次の〆切に向けて新しい原稿に取り掛からねばと、自分で自分の尻を叩いている毎日だ。

書籍情報

『君の背中に見た夢は』

著者:外山薫
出版社:KADOKAWA
価格:1,760円(税込)

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