CINRA

22年間で1300万文字書いた兼業ライターのpatoが綴る、集中の仕方。「3行しか書けないのなら3行だけ書けばいい」

「社会人として働きながら、好きなことや新しいことにチャレンジしたい」

そう考えていても、なかなか踏ん切りがつかなかったり、始めるきっかけがないという方は多いのではないでしょうか?

連載『働きながら、好きなこと』では、企業で働きつつさまざまな分野で活躍されている方々が、仕事を続ける理由や忙しい日々のなかでの時間の取り方や「いまの生き方を、人にも勧めたいか?」というテーマについてコラム形式で語る企画です。

第3回となる今回は、兼業でテキストサイト管理人・ライター活動を行ない、3月28日に著書『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。読みたくなる文章の書き方29の掟』を刊行したpatoさんが登場。

日本全国を飛び回り膨大な文章量の記事を執筆することも多いpatoさんに、時間の取り方や「集中力がない人が集中する方法」について綴っていただきました。
  • 文:pato
  • 編集:廣田一馬

みんながみんな集中力があると思ったら大間違いだぞ

もう22年ほどインターネットに文章を書いている。この間カウントしてみたら、その22年間で1300万文字も文章を書いて発表していた。原稿用紙に換算したら32500枚だ。よくもまあ書いたものだ。

最初こそ自分のホームページだけで書いていたけど、近年では何度も日本縦断させられたり全都道府県制覇させられたり100km以上も歩かされたり醤油を100本レビューさせられたりしてそれを記事にしている。そういった狂気の沙汰みたいな文章をあちこちのメディアに寄稿しているわけだ。

べつに稼ごうと思ってはじめたわけではない

22年前のインターネット世界はテキストサイトと呼ばれる文章ベースの個人サイトが隆盛だった。僕もその流れにあやかってNumeriというテキストサイトを開設したのだ。それが狂気の22年間の始まりだった。

当時のテキストサイトは報酬というか、お金との相性が抜群に悪かった。ちょっと広告を付けた大手サイトが死ぬほど叩かれたりしたし、ちょっとマネタイズに色気を見せた大手サイトが死ぬほど叩かれたりした。とにかく何かしたら死ぬほど叩かれたし何もしなくても叩かれることもあった。とにかくまあ、叩かれたのだ。報酬を得て文章を書くという行動自体が否定される世界でもあった。

そんななか、ただただ文章を書いていたらいつのまにか依頼を受けて書くようになり、報酬を得られるようになっていた。これは僕自身がいつの間にか凄まじい力を発揮し、「僕またなんかやっちゃいました?」みたいなものではない。

僕の実力というよりも、そういったマネタイズとの相性が悪かったテキストサイト世界を変えていった、オモコロさんやデイリーポータルさん、ヨッピー氏など、テキストサイトの流れを汲む先人たちの偉業である。僕はそれに乗っかっただけだ。

執筆活動に関する2つの大きな誤解

そんな僕自身のライター活動のなかで、よく誤解されることが2つある。

僕は異常な取材、異常な文章量、異常に手間暇のかかる企画と、尋常じゃない濃度の記事を書くことが多いので、専業のライターがたっぷりと時間をかけて実施して執筆に至っているに違いない、と勘違いされるのだ。これが1つめの誤解だ。

ただ、あまり声を大にして公表しているわけではないけど、僕は専業のライターではない。きちんと本業としてフルタイムで働いており、その本業もけっこう忙しい。そしてライター活動もまあまあ忙しい。

なぜこんなことになっているか。それは前述したように稼ごうと思ってライター活動を始めたわけではなく、やってたら報酬を得られるようになっただけなので、おれライター一本で行くんや、というタイミングがなかっただけで、ズルズルと続いているだけだ。

さて、そうなると2つ目の誤解が生じてくる。

フルタイムでまあまあ忙しい本業をこなしつつ、何度も日本縦断したり全都道府県制覇したり100km以上も歩くような取材をこなしつつ、電子辞書の説明書かよというような文字びっしりの文章を書き、醤油を100本試すような異様に手間のかかる企画をこなす、そうなると時間が足りないよね、となるのだ。そこは正しい疑問だ。

手間暇のかかる企画は短縮できないし、日本縦断を忍びのような速さでこなせるわけでもない、そうなると「書く」部分だけが短縮できそうに感じる。だから、すごい速さでものすごい集中力を持って書いているんだろうなあ、と言われることが多い。

ただ、これは大いなる誤解で、おそらくではあるけど、僕は人より集中力がない。その辺の落ち着きのない子どもの方がまだ集中力があるというレベルで集中できないのだ。だから書くのも遅い。とにかく集中力がない。それが元凶だ。もうダメだ。殺してくれ。

とにかく、みんながみんな集中力があると思ったら大間違いだ。

さて、このサイトをご覧の皆さんは副業やサイドワークに興味があることと推察する。それらにおいては潤沢な時間がとれないケースが多いことと思う。そういった限られた時間でなにかを成し遂げるには集中して取り組まなければならないことが多いだろう。

だから集中力は必須、自分は集中力がないから向いていないのかなあ、そう思いがちだけれども、じつはそんなことはない。集中力がないなりに集中する方法はいくらでもあるのだ。今日はそんな方法をお話ししてみようと思う。

集中力がないなりに集中する方法

集中力がまったくなく、執筆活動みたいなものにまったく向いていないのだけど、それでも締め切りみたいなものはやってくる。つまり、どこかで観念して集中して取り組まねばならないのだ。

ただ、集中力がないから難しいということはない。集中力がない人でも集中してやることはできる。それには自分を知ることが大きな近道になる。

集中できないという人は集中力がないのではなく、自分を知らないだけなのだ。自分を知り、集中できる方法を模索すれば必ず集中できる。では、僕自身の集中方法を見てみよう。

・自宅では書かない
もちろん、自宅のほうが集中できるという方は自宅で書くべきだけど、いろいろと自分を分析してみると、僕はそれには向いていないようだ。自宅は誘惑が多すぎる。ちょっと書いてAPEXをワンマッチしちゃうか、となり、あまりにあっさりとキルされ、ブチギレて10マッチくらいやってしまう。もう夜だ。外真っ暗。殺してくれ。

そこで、頑張って自宅でも集中して書くぞとはならない。自宅で書けないのなら外で書けばいい。ということで、最近ではもっぱらコメダ珈琲で書くようにしている。

「でさ、この間、カコたちと大阪まで行ったの。もう嫌になっちゃった、カコとは旅行に行きたくない」

コメダ珈琲では他所のテーブルの会話がよく聞こえる。女子大生か、もしかしたら女子高生かもしれない。若い女性がなんだか友人のカコという人の悪口に熱中していた。けっこうな口ぶりで悪口を言ってた。いったいカコがなにをしたっていうんだ。

こういった興味深い会話が聞こえてくるのでコメダ珈琲もそこまで集中には向かないが、それでも自宅よりはマシなのだ。自宅は誘惑が多すぎる。集中できる場所を自分なりに見出す、それが集中への第一歩だ。

・やる気がないなら書かない
やる気がない日というものはあるもので、そういうときにはまったく書けないものだ。ただそこで「集中して書かないと」と意気込んでしまうと、さらに集中して書けないものだ。そこで自分はなんて集中力がないんだろうと自己嫌悪してはいけない。やる気がないときに集中しろという方が無理難題だ。それは自分自身へのセルフパワハラに近い。

やる気がないなら書かない。これは徹底したほうがいい。

これは、ともすれば締め切りブッチみたいな重大インシデントを引き起こすけど、僕の場合、なんか「そろそろやばいな?」という本格的な危険を察知し、本当にやばいデッドラインになるとやる気が湧いてくる。それを自分でよく理解しているので、本当にやる気がないときはなにも書かない。やる気が湧かないということはまだまだ大丈夫なんだ。

よし、そろそろヤバいから書くぞと意気揚々とコメダ珈琲に乗り込んだものの、たっぷりサイズのアイスコーヒーが運ばれてきた時点で急速にやる気を失うことがある。パソコンを出したくないのだ。そこでなんてダメなヤツなんだと自己嫌悪してはならない。やる気を失ったということは、まだ大丈夫なのだ。そろそろヤバいと感じたのが勘違いで、現場の空気に触れたら「まだいけるな」と察しただけだ。

「それでさ、カコがいちばん楽しみにしてたUSJで事件があってね」

「あ、制服で行こうってやつね。うんうん。なにがあったの」

「とにかく混んでたからあまり周れなかったんだけどジョーズとか乗ったのね、それで最後にスヌーピーとかのエリアに行ったの。そしたらそこにメリーゴーランドがあったの」

どうせやる気を失ったのだ。普通にアイスコーヒーを飲んだら帰るかと考えていたら、カコの悪口を言っていた女の子たちの会話の続きが聞こえてきた。テンションが上がっているのかかなり声が大きい。

「事件はそのメリーゴーランドで起こったの」

もう彼女たちの会話に釘付けだ。集中していなくて本当に良かった。

3行しか書けないのなら3行だけ書けばいい

「そのメリーゴーランドはね、よくある馬だけのメリーゴーランドじゃなくて、森の仲間たちって感じで熊とか猫とか色々な動物がいるの。カエルとかもいたかな。それにみんなでワーッと行ったのね」

女の子たちの会話に釘付けになっていると、けっこう緊急っぽいメールがスマホに届いた。

「うわー、締め切りの日を勘違いしていた」

どうやらこちらが締め切り日を勘違いしていたようで、思っていたよりずっと手前の日程でそれが存在していた。まだまだ大丈夫だろうという余裕が一気に消え失せ、けっこう大丈夫じゃないという危機感が生じた。つまりやる気が出たのだ。

そうなると女の子たちの会話に聞き耳をたてている場合じゃない。すぐにパソコンを取り出し執筆を開始する。けれども、すぐに新たな問題に直面することとなった。

「文章を書いているとその文章に飽きるから3行しか書けない」

そう。僕は3行しか書けないのだ。3行ほど書いてピタリと止まる。なんでそうなるのか分析してみたけど、おそらく、書いているその文章に飽きてしまうのだ。それ以上は集中して書けない。

3行しか書けない。これは由々しき問題だけれども3行しか書けないのなら仕方がない。無理に書いても良いものができるはずもない。3行しかかけないなら3行だけ書けばいいのだ。

けれども、それでは締め切りには間に合わない。3行ずつなんて牛歩戦術を駆使していたら、この数百行におよぶ文章がいつ終わるかわかったもんじゃない。ただ、この場合にも自己分析が役に立つ。

なぜ3行しか書けないのか。それは書いているその文章に飽きるから。ならば別の文章をまた書けばいい。

ということで、僕は原稿を執筆するとき、締め切りが近い順に3つ、原稿を選んで同時進行で執筆する。原稿Aを3行だけ書いて飽きたら原稿Bを書く。また飽きたら原稿Cを3行だけ書いて飽きたら原稿Aが新鮮になっているので原稿Aに戻る。こうすることで3行しか書けない集中力でも延々と描き続けることができる。僕はこれを原稿大車輪と呼んでいる。まさに永久機関。

締め切り日を勘違いしていてやる気を出した原稿も、ほかの2つの原稿と並行して書くことで徐々にでき上がっていく。しかし、そこに我々の集中力を削ぐ新たな敵が出現したのだ。

集中力を削ぐ要因は徹底的に排除しろ

原稿大車輪を駆使して集中しながら執筆していると、また女の子たちの話が耳に飛び込んできた。

「それでね、みんなで私はやっぱりユニコーンがいいなとか、クマがかわいいからクマにしようとか選んでいたらさ、カコがニワトリを選んだのよ」

え、ニワトリ? そんなのがメリーゴーランドの題材になりうるの? どういう感じなの、そしてなぜ率先してそれを選ぶ? と動揺するのだけどまだ集中力を削がれるほどではない。ぜんぜん集中できる。

「それで、みんな思い思いの動物に乗ったところで、放送が入ったの。ベンチタイプの乗り物とニワトリとキリンは可動しませんのでご注意ください」

メリーゴーランドの動物たちは回転しながら上下に可動して、あたかも野山を疾走しているかのように動くのだけど、どうやらキリンとニワトリに限ってその上下運動がないらしい。なんでだろう、と疑問に思ったけど集中力が削がれるので気にしないことにしよう。たぶんメリーゴーランドの構造上の問題だ。

「でね、ニワトリが動かないことを知ったカコが『なんで!?』って大声出して、ほかの動物に移ろうとするんだけど、もう満員でどこにも移れなくて、さらに『なんで!?』って大声を出したところでメリーゴーランドが動き出したの」

その光景を思い出すとちょっと面白い。いかんいかん、集中力を削がれてしまう。

「『ニワトリ~~~~~! なんで動かねえ~~~~~~!』微動だにしないニワトリにまたがってカコがずっと叫んでいるの」

その光景を想像するとめちゃくちゃ面白い。

「私たちは他人のふりしたかったけど同じ制服じゃん。だから他人のふりもできなくて」

ふう、危なかったぜ。微動だにしないカコのことを想像して集中できないところだったけど、なんとか耐えた。耐え忍んだ。

「乗り終わった後にカコに言ったの。すごい恥ずかしい思いをした。なんであんなに叫ぶの、それになんでニワトリを選んだのって」

やばいな。話の続きが気になって集中どころじゃない。なぜカコはニワトリを選んだのか。そしてどうしてそこまで稼働しないニワトリに怒りを覚えて叫ぶまでになったのか。

「なんかさ、ニワトリのとぼけた表情がトシキに似ていてさ」

そう言ったらしい。話の流れから想像するに、トシキとはカコの元カレだ。そしてカコはまだトシキにほのかな恋心を抱いており、よりを戻したいと考えている。とぼけた表情のニワトリを見たとき、そこにトシキの面影を見た。

「でもさ、私たちってトシキがあまりにも無気力でなにもしないから別れたじゃん。デートだってずっと私が主導していたし」

「まったく動かないニワトリ、その顔を見ていたらトシキに対する怒りがかなり強くなってきた。あれは完全にトシキ」

もうダメだ。気になってしょうがない。いったいぜんたいトシキはどんな顔をしていたんだ。ダメだ集中できない。トシキの顔、ニワトリの顔、それがどんなものか気になって仕方がない。原稿どころじゃない。

そうなった場合、集中のために気になる要素を徹底的に排除しなくてはならない。僕はそういった要素を抱えたまま集中できるほど集中力があるわけではない。トシキの顔を、ニワトリの顔を、はっきりさせなければとても集中できない。だったらもう、行くしかない。

なるほど。トシキ、こんな顔してやがったか。こういう感じだったんだな。スッキリした。これで集中できる。

このように、僕は集中力がない。それでも集中しないとだめなので、冷静に自分を分析し、どうすれば集中できるのかを考えて実践している。集中とはすなわち、自分を知ることなのだ。

書籍情報

『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。』

著者:pato
出版社:アスコム
価格:1,760円(税込)

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