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ファッションから農業まで。ジャンルレスに活躍する小松隆宏さんの原動力

「仕事で遊び、遊びを仕事に」。そんなモットーを掲げるのは、WATOWA Inc.代表の小松隆宏さん。2011年にWATOWAを設立し、さまざまなイベントの演出やプロデュースを手がけている。

さらに、個人でもオンラインスクールの運営などを行なっているが、なぜ彼はそんなにも仕事に打ち込めるのか? 今回CINRA.JOBは、小松さんへライブ配信によるインタビューを実施。話をうかがうと、仕事に対する原動力の背景には、思春期の頃に経験したほろ苦い記憶があった。
  • 取材:佐々木鋼平(CINRA)
  • 文:萩原雄太
  • 編集:市場早紀子(CINRA)

Profile

小松隆宏

WATOWA Inc.代表取締役。1981年生まれ。「見せる」、「伝える」のプロフェッショナル。「ファッション」、「アート」、「デジタル」、「今」の感性をミックスして、新しいプロモーションを企画・演出するSHOW director。また、アートエキシビジョン・プロデュース&演出チーム「WATOWA gallery」や、オルタナティブスペース「elephant STUDIO」の創設プロデューサーでもあり、六本木に新しくオープンするアート・ビル「ANB TOKYO」のエキシビジョンプロデューサーでもある。さらに、東京のランドマークプロジェクト「KISS TOKYO」の企画メンバーや、ムービー&シネマクリエイティブカンパニー「eightpictures inc.」の取締役も務める。2017年に開校した、インターネットの農学校「The CAMPus inc.」社外取締役や、渋谷のラジオで毎週月曜放送『渋にぃ』のプロデューサー兼、メインパーソナリティーとしても活躍中。

ファッション、アート、農業。領域を横断しまくる仕事術

「いったい、何をしている会社なのか?」と、思わずそう聞きたくなるほど、WATOWAの業務内容は多岐にわたる。「WAとWAをつなぐクリエイティブコミュニケーション」をテーマとする同社。そのスタートはファッションだったという。

小松:ぼくはもともと、大学在学中から服をつくったり、グラフィックデザインをしたりしていました。卒業後しばらく経ち、あるファッションショーの制作アシスタントをしたとき、バックヤード越しにみえた、服の魅力をストレートに表す演出のかっこ良さに衝撃を受けたんです。そこからイベントやショー演出の世界に入っていきました。

WATOWA代表取締役の小松隆宏さん

WATOWAではファッションショーの演出などを筆頭に、アートやコスメ分野の大規模イベントもプロデュースしている。さらに、地方創生プロジェクトへの参加、デザイナーズホテルのブランディング、節分の豆まきイベントのプロデュース(!)まで手がけ、あらゆる業界のプロジェクトを目まぐるしく展開しているのだ。

小松:社内には、音楽畑からスタートしている人や、写真、メディアからスタートしている人など、いろいろなタイプがいますね。だから、幅広いジャンルの仕事依頼がきても、それぞれのメンバーの強みを武器にして、「こんなアプローチをすると面白いですよ」という感じに、あらゆる切り口の提案ができるんです。

WATOWAがプロデュースしたイベントでよく知られているのは、御堂筋を封鎖して毎年開催するイベント『御堂筋ランウェイ』ですかね。500メートルを超える御堂筋をファッションショーのランウェイに見立てて、ダンスや、音楽、お笑いなど、さまざまな要素を織り交ぜながら演出を手がけました。テレビでも数多く取り上げてもらって、いまでは約40万人もの観客が訪れるイベントになっています。

2018年に開催された『御堂筋ランウェイ』の様子(画像提供:WATOWA)

ジャンルの枠を飛び越え、まさに「輪と輪をつなぐ」ようなクリエイティブコミュニケーションを展開している。だが、小松さんの活動領域は、自らが設立したWATOWAだけにとどまらない。

小松:会社とは関係なく、いくつか会社の役員もやっています。近年とくにに力を入れているのは、2017年に開講したオンライン農学校「The CAMPus」です。

テーマは「世界を農でオモシロくする」。全国約60名の農家の人を教授として迎え、農業の魅力とともに、暮らしと商売に関する哲学やノウハウ、そして地域活性化の方法などを伝授してもらいます。2020年からは「コンパクト農ライフ塾」として、小規模農家の育成に特化したオンラインスクールも開校しました。

「好き」を仕事に。遊ぶように働くための考え方

まるで止まったら死んでしまう回遊魚のように、休む暇なく動き続けている小松さん。そんな働き方を実現できるのは、彼が仕事に対してある考えを持っているからだという。

小松:ぼくのモットーは「仕事で遊び、遊びを仕事に」です。「仕事で遊ぶ」というのは、仕事をなめているわけじゃなくて(笑)。例えば、仕事を「自分ごと化」して、自分が楽しいと思うやり方を模索してみる。また、ビジネス上でつき合いづらい人がいても、それを「自分にはなかった新たな視点」ととらえて糧にする。

そう考えていければ、遊ぶように自由な発想を持って仕事ができる。だからぼくは、やろうと思えばどんなジャンルであってもビジネスにする自信があります。自分の「興味」と「仕事」を、どんどんイコールでつなげていくんです。

しかし、好きなことを仕事にするのはさまざまな苦労も伴いそうだが……。

小松:たしかに好きなことを仕事にすると、ストイックにやりすぎて楽しくなくなることもあります。さらに、自分が「やりたいかどうか」ではなく、「ビジネスとして」の判断を迫られるというジレンマもあります。でも、好きなことを仕事にして、限られた時間を100%自分のために使えるほうが、はるかに人生が豊かになると思いませんか?

仕事に費やす時間は1日の3分の1を数える。この3分の1が「好きなこと」に溢れることで、小松さんはいつもその日常を輝かせているのだ。

バスケのプロを目指した高校時代

小松さんの仕事に対する自由な考え方は、いったいどこからきているのだろうか? その源流を尋ねると、中学・高校の頃に行っていたバスケットボールの経験に遡るという。

小松:小学校からバスケを始め、中学ではNBA選手になりたいと思って必死で練習を重ねていました。高校に入ってからも、プロになりたい一心で、ずっとバスケのことだけを考える毎日を送っていたんです。ただし中高とも、決して強豪チームではなかった。コーチになるような人が部内にいなくて、たまにOBがフォーメーションやトレーニング方法を教えに来てくれる程度。

そんな恵まれない環境のなかでも、死にものぐるいで練習をして全国大会出場を目指していましたが、高校最後の大会でも奇跡を起こすことはできなかった。そのとき、自分の実力のなさや、絶対に超えられない壁の高さを痛感したんです。

試合終了のホイッスルが鳴ると、若き日の小松さんはチームメイトとともにコートの上で泣き崩れた。しかし、その後訪れた感情は、自分自身でも意外なほどスッキリとしたものだったという。

小松:それまで、朝昼晩と練習をして、寝る前にもイメトレをするなど、24時間をバスケに捧げていました。それだけバスケ中心の生活だったにも関わらず、最後の大会が終わるときっぱりとあきらめがついたんです。「これで自分のできることは全力でやり尽くした」という感覚でした。

ギャラなしのアシスタント経験。挫折から学んだ自分に必要なもの

小学校から10年にわたって熱中してきたバスケに別れを告げた小松さん。次に没頭したのは、ファッションの世界。東京の専門学校に在学中から、デザイナーやPR会社、イベント制作会社、演出会社などで、アシスタントの仕事を飛び込みでやらせてもらい、修行に励む日々だった。そのなかでいつも、あえて自分を厳しい場所へと追い込んでいたという。

小松:当時は、厳しい現場にアシスタントとして志願し、身を粉にして働きました。ギャラが出ることもほとんどありません。まだ「ブラック企業」なんていう言葉もない時代でしたからね(苦笑)。

でも、そんな厳しい道を選んだのも、先ほど話したバスケの影響があります。ぼくは、めちゃくちゃバスケをやり尽くしたのに、超えられない壁があって、NBAをあきらめた。その経験から、重要なのは、夢や目標を「達成したか?」ではなく、「どれだけ本気でぶつかってきたか?」だとわかったんです。何かに本気でぶつかった経験がある人は、「次に挫折しないためには、どう努力すればいいのだろう?」と自分のことをよく理解できる人だと思います。

バスケ部時代の経験から、強い個人・強いチームを目指すためには、やはり「指導者」に鍛え抜かれることが必須だと痛感していた小松さん。

小松:人から与えられた環境だけに頼っていても自分の成長はないんだと、バスケの経験からよく理解していました。理想的な環境は、自分自身の手で掴み取らなければならない。だから、ファッションの世界に入ったときも、その道のプロフェッショナルのもとで修行しようと考え、積極的にいろいろなインターンに行ったり、アシスタント志願の電話をかけまくったりしました。

WATOWAでもファッション分野の演出を多く手がけている。画像は、noir kei ninomiya 2019SSの様子(画像提供:WATOWA)

小松さんはバスケの挫折経験から、悪い意味での「プライド」を削ぎ落とすことも学んだという。

小松:高校生の頃は、バスケのことを悪く言う人は悪者だと思っていたし、バスケを否定されると自分の人生を否定されるような気分でした。けれど、世の中にはバスケに興味がない人もいるし、嫌いな人もいる。引退したことで、俯瞰して世の中を見ることができるようになりましたね。

そしてその経験は、WATOWAを設立し、ディレクターとして働くようになってからも大きな影響を与えた。

小松:いろいろな人に指示を出す立場になると、また高校時代と同じように、変なプライドが邪魔をしたり、自分を絶対化して考えてしまったりすることがありました。

でも、プロジェクトにおいて「正解」とは相対的なものであり、自分が正解を持っているとも限らないですよね。だから、「自分が正解」という変なプライドを捨てることで、冷静な判断が可能になり、チーム全体にも良い風通しが生まれるんです。

東京に新たなシンボルを。次なる興味はアート業界

小松さんはバスケという本気で打ち込める「最高の興味」に出会えた結果、興味と仕事をつなげ、ジャンルレスにプロジェクトをこなすワークスタイルをつくり上げた。では、これからはどんなことを仕事にしていくのだろうか?

小松:これからアート業界をもっと盛り上げたいですね。現在は、れもんらいふのアートディレクター・千原徹也さんとともに、東京の新しいシンボルをつくるプロジェクト「KISS,TOKYO」を展開しています。さらに、WEBとリアルを融合させたプラットフォームで、アートの魅力を世の中に伝えていくプロジェクトも、年内にローンチ予定です。

小松:新たなプロジェクトでは、困難の壁に苦しむこともあります。仮にもしその壁を突破できなくても、チーム全員が本気で取り組んでいれば、「ここまでやったんだから」と、みんなで潔くあきらめることもできる。仕事に対して、「本気でぶつかれるか」の軸は、これからも貫いていきたいですね。

リモートワークの普及によって、仕事とプライベートの空間的な仕切りがなくなったように、小松さんにとって仕事とプライベートの仕切りはない。自分が興味を持って本気で向き合えるものを仕事につなげ、遊ぶように楽しむ。そんな価値観で動き回る小松さんの目は、いつも輝きながらつぎの「興味」に狙いを定めている。

※本記事は7月上旬に行われたCINRAの配信プロジェクトのインタビューをもとに編集しています

Profile

株式会社WATOWA

WATOWA INC.は「モノ」や「コト」を人へ、社会へ、未来へ向けて“創造”し“伝達“するクリエイティブ・ミックス、クリエイティブ・コミュニケーションの仕事をしています。

主に、企業やブランドのプロジェクトの目的に対して、方向性と課題に対するソリューションを見つけて、ファッションショーや、イベント、アート、テクノロジーのノウハウでリアルイベントやメディアを利用したコミュニケーションを開発、演出、企画します。

■ファッションから農業まで。ジャンルレスに活躍する小松隆宏さんの原動力
https://job.cinra.net/article/feature/watowa/

当日の生配信の様子はこちらからご確認いただけます。

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