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新しい仕事はスキルより「想い」でつくる

株式会社budori

星の数ほどある企業サイトの中で、ある会社を知ろうと思うとき、まず見るのは会社概要ページの「事業内容」だろう。でも、株式会社budoriのサイトにはその一行が見当たらない。といっても、もちろんブラック企業ではなく、むしろその真逆をいくのが彼らだ。「世のためになる仕事」をテーマに、デザイン、出版、プロダクツ製作など、いち業種でくくれない多彩な仕事をこなす。あるいは業種で語るより、都市と森の関係づくり、震災復興、電化社会の再考など、具体的な「しごと」を知るほうが、彼らのような働き方を理解する近道なのかもしれない。そこで有村正一代表を中心に、総勢7名のメンバーに各々の仕事とその想いを聞いた。

取材・文:内田伸一 撮影:菱沼勇夫(2012/12/28)

「世のためになる仕事を」という異色ベンチャー

株式会社budoriは、代表取締役の有村正一さんが2007年に創業したベンチャー企業だ(「ガーデンラボ株式会社」から、2012年に社名変更)。文学好きならピンとくる「budori」の由来は、宮沢賢治の名作童話『グスコーブドリの伝記』からきている。森に暮らすきこりの息子・グスコーブドリ少年が苦難を乗り越えて技師となり、火山災害を防いだり、農地を改善したりと人々のために尽くしていく物語だ。budori社もまた、「社会や自然の課題を解決する」ことを理想に掲げる。ただ、「それは特別おおげさなことでもない」と有村さんは語り出した。

(左手前)株式会社budori 代表取締役社長 有村 正一さん

(左手前)株式会社budori 代表取締役社長 有村 正一さん

有村:どこかで何か困っていることがあり、それを助けることで対価を得る。「働き方」としては本来、ふつうのことだと思うんです。ただ僕らは「こういう市場を狙って儲けましょう」という感覚とは少し違う。budoriはデザインを主軸に「自然や社会・生活のなかにある個々の課題を、つくる・つなげる・つたえることで解決する」ことをテーマとしています。

結果、どんな仕事をしている会社かちょっとわかりにくくなっても「それでいい」と笑う有村さん。多彩な仕事ぶりにも「うちには器用な社員なんて1人もいない。ただ、いい意味で全員が『おせっかい好き』」と語る。そこで、各スタッフに自らが手がける仕事をいくつか紹介してもらうことにした。

デジタルだから渡せる「保険と一緒に残す手紙」

保険と一緒に残す手紙」は、生命保険に合わせて、インターネットを使ったメッセージ=家族への手紙を残しておける新しい仕組みだ。これまで、保険金に加えてこうした手紙の類いを保険会社に託すことは法的に難しかった。遺書なら文章を残せるが、これは財産についての指示が主目的。家族や大切な人へ純粋に気持ちを書き残せるタイミングは意外とない……。そこでこのサービスでは、保険の契約時に、直筆やテキストデータでの手紙、また写真を預けることを可能にした。

保険と一緒に残す手紙

『保険と一緒に残す手紙』

サービスの企画・開発をしたクライアントよりWEBサイトやパンフレットなどトータルでのデザインの相談を受けたbudori。企画・撮影担当の秋本翼さんと、WEBディレクターの納谷陽平さんがその実現に取り組んだ。

納谷:保険は物理的なモノを預かれないという原則は変わらないのですが、インターネット上のデジタルデータなら実現できるのが突破口となりました。クライアントの今後の展開では、生命保険のみではなく、個人年金や学資保険での対応がはじまっています。たとえば学資保険であれば、大学に入学するお子さんへ手紙を届ける、といったこともできますよ。

(左)企画・撮影担当 秋本 翼さん、(右)WEBディレクター 納谷 陽平さん

(左)企画・撮影担当 秋本 翼さん、(右)WEBディレクター 納谷 陽平さん

秋本:ちょうどサービスのオープン時期が、亡妻からの手紙が軸になる高倉健さん主演の映画『あなたへ』の公開時期とも近く、クライアントの熱い交渉の末、同作のプロデューサーにインタビューをすることになりまして。私も撮影として同行しましたが、「大切な人への手紙」を扱う当サービスを知ってもらう上でよいお話でしたので、サイト上にも特集記事として掲載しています。

今後は提携保険会社を広げつつ、人々への浸透を目指すというこのサービス。有村さんからは、この仕事を単なる「いい話」で終わらせないビジネス視点のコメントもあった。

有村:保険って、目に見えない、形のないものを長い年月預かるサービスですよね。だからこそ本来は、いかにして信頼を得るかも大切なはず。そこをクライアントは非常に丁寧に施策を考えていらっしゃる。今後も多面的にお力添えしたいと考えています。

木を見て森を想う「KINO」

続いてお話を伺ったのは、坂元沙也可さんと松本彩さんのデザイナーコンビ。彼女たちが手がけるプロダクト「KINO – TOKYO TREE PRODUCTS」は、東京・多摩産の木材を活用した食器や家具シリーズだ。きっかけは、現地の製材所で働く人々との対話。かつて東京の山々にも高度成長期の建材特需で杉と檜が大量植樹されたが、今では外国産に押され、手入れもされない山が多くある。それが花粉症の人々を悩ませるなど、身近な影響も出ているという。これを知ったbudoriの面々は、「自分たちで何ができるのか」の出発点として「KINO」を考案した。

(左)デザイナー 坂元 沙也可さん、(右)デザイナー 松本 彩さん

(左)デザイナー 坂元 沙也可さん、(右)デザイナー 松本 彩さん

坂元:たとえばこれは、さじ・はし・バターナイフの「つくるキット」です。東京産の杉や檜の丸太から建材を切り出す際の、あまった部分を買い取って活用しています。小刀などを使って自分好みのカトラリーをつくろうという提案で、まずは東京の木に関心をもってもらえたらいい。まだまだこれからの段階ですが、嬉しい反応も多く、それを受け止め、輪を広げていく意味でもコツコツ続けていきたいです。食器つながりで食の問題と合わせて考えることなども考えています。

社内にあるブース

社内にあるブース

松本:親子で一緒につくるなどして、愛着が湧けば長く使ってもらえると思うんです。その中で何か気づきが広がればと考えています。都市と森の関係改善への気持ちを、私たちも勉強しながら、購入者と一緒に育てられたら嬉しい。今後はワークショップ等も企画したいです。

他に、棚にも椅子にもなる「たないす」があり、さらにiPhoneケースも販売予定だ。東京の植林の課題を直接解決できるわけではないが、それにつながる個々の意識の変化を、身近なところから、長いスパンで起こしていけたらと彼らは考えている。

伝えたい言葉がそこにあった「書籍『藤村靖之の非電化の夕べ』」

次に、書籍『藤村靖之の非電化の夕べ』を手がけたディレクターの田中大士さんに話を聞いた。著者の藤村靖之さんは、震災前から電気に過度に依存しない暮らしを提唱してきた発明家。その思想と実践をまとめた一冊だ。

『藤村靖之の非電化の夕べ』

『藤村靖之の非電化の夕べ』

田中:もともと、これはbudoriで企画したトークイベント『藤村靖之の非電化の夕べ』から始まった仕事です。藤村さんは実際に電気を使わない除湿器なども製作し、反電気ではなく、電気を使わないことの利点もあるという考え方をずっと提唱している方です。その考えに惹かれてトークイベントを企画したし、これを元にした書籍化も出版業に進出というより、ただ彼の話をもっと広く伝えたかったんです。

田中さんは、同書のデザインや編集から、イラスト、写真もほとんど自身で手がけた。カバーに国産竹100%の特殊紙を使うなどのこだわりも盛り込んでいる。

ディレクター 田中 大士さん

ディレクター 田中 大士さん

田中:使命感というと私には少し重たいですが、自分が賛同できる活動のために、得意なこと、好きなことを活かしたい想いがあります。以前の職場では、想いよりも流行や見た目が優先されてしまう現実に、不完全燃焼なときもありました。でもこの本では、自分のやりたいことが100%カタチにできた。といっても自己満足だけでもなくて、人のためになると信じられる仕事でした。

そんな彼にbudoriへの入社を決めた時の想いを聞くと、「男って、子供のころからヒーローに憧れますよね(笑)。私もそうで、ここでなら格好付けずに、地道に頑張る自分なりのヒーローになれるかもと思ったんです」と答えてくれた。

被災地の伝統と未来をつなぐ「スクラム釜石」

最後に紹介してくれたのは、ラグビーの街として知られる岩手県釜石市の震災復興を支援するプロジェクト「スクラム釜石」。伝統のスポーツ文化を通して街の復興を目指すNPOをサポートする仕事だ。

『スクラム釜石』

『スクラム釜石』

有村:「鉄と魚とラグビーの町」釜石。釜石では名門であった新日鐵釜石ラグビー部から、現在のクラブチーム「釜石シーウェイブス」に変わっても、伝統である地元の大漁旗「福来旗」による応援は変わることなく続けられていたそうです。
スタジアムで旗を掲げる人、芝生の上の選手たち、応援する人……全ての人が幸せになる旗。それが福来旗だとお話を伺いました。しかしその旗も、津波で流されてしまった。被災後、ラガーマンが試合のこともかえりみず瓦礫撤去する姿を僕がTVで見て、思わず涙が出て。それで、みんなにその番組を見せた上で話し合い、何かお手伝いしたい、となったんです。budoriの仕事は、スタッフの誰かが得た感動や課題を全員で共有するところから始まることが多い。さきほどの「KINO」も東京の山事情を聞いた後、『平成狸合戦ぽんぽこ』をみんなで見つつ、話し合うところから始まりましたしね(笑)。

津波で流されてしまった旗の再生はすぐには無理でも、一緒に汗を流し、その汗を拭く「てぬぐい」を福来旗のイメージで作るくらいは自分たちにもできる——。そう考え、坂元さんがてぬぐいや広報紙のデザインを担当、納谷さんがウェブサイトを制作した。てぬぐいはチャリティグッズとしても販売され、秋本さんは現地での撮影取材を行うなど、まさにスクラムを組んでの地道な活動は今も続く。皆で試合を観戦後、何事も経験主義だという坂元さんは女子ラグビー教室にも参加した。

坂元:翌日はフラフラで(苦笑)。でも実際に見て、体験してみるとわかる魅力がラグビーにはある。新参者だからこそ「こうしたらより面白さが伝わるのでは」というアイデアも出せると思っています。

株式会社budori

有村:寄付金集めに注力したほうが効果的との考え方もあるし、実際それも社内で討論しました。でも、やはり自分たちならではの形で、一緒に長く関わっていける形がいいという結論になって。往年の名選手が集ってくれたチャリティ試合では、ロッカールームに入れてもらって撮影したり、前例のない事にもあえて挑戦しています。彼らの想いを伝えるにはそれも必要だと思うからです。
 


 
現在サイトはリニューアルの準備中。彼らの「前よりもさらにいいサイトに」という想いは、釜石の人々の「前よりもいい町にしてみせる」という気概と共鳴している。2019年のラグビーW杯日本大会で、釜石での試合を実現させたいという熱意も今、そこに加わった。

budori初の新卒採用となった、総務の下道愛子さんもこうした現場に同行している。事務方も含め、取り組む課題の現場を全員で体験することが大切、というのがbudoriの方針だ。

総務 下道 愛子さん

総務 下道 愛子さん

下道:プロジェクトを通じて、様々なところに行かせてもらっています。例えば「KINO」関連では、林業の現場視察にも一緒に行ったりと。自分がまだ知らない世界を体験させてもらえるし、何よりそこで、私も社内の気持ちを共有できるのが嬉しいです。

今いるスタッフ全員が、採用面接時には「私はこれができる」より「私はこういうことがしたい」との意思表示を有村さんに求められ、それを考え、伝えた上で合流してきた。そのためか、不動産の営業職からデザイナーに転向した坂元さんがいたり、アプリ開発の営業職だった秋本さんが全方位の企画マンになったりと、翼の広げ方はさまざまだ。

人生半ばで決意した「脱利己的ベンチャー」の道

取材の締めくくりに、有村さんの単独インタビューをお願いした。読者の中には、こう思う人もいるかもしれない。「『世のため』と言っても、実際に社会でもまれたら綺麗ごとばかりは言ってられないよ」と。しかし有村さんの想いは、じゅうぶん社会にもまれた上で辿り着いたものだった。

41歳での起業は、ベンチャー経営者としては決して早くない。有村さんは高校卒業後すぐにパン職人として働いた。ここでの経験を活かそうとJICAへの就職を志望するも、「時代に合わない」と言われ挫折する。そこで「仕事とは何か?」を求めるようになり、企業トップとダイレクトにやりとりができる株式会社リクルートの営業への転職、さらに不動産業者勤務などを経て、大手のYKKグループで建材の新商品開発を手がけた。その後、移籍したガーデニング用商材を扱う企業で国内外を行き来しながら執行役員を務めるまでになったが、独立起業の道を選んだという。単なる迷走の人生ではなく、むしろその時々に抱いた疑問や理想が、budori社設立につながる企業理念を着実に育んだともいえそうだ。

株式会社budori

有村:リクルートでは、延べ4万社くらいに営業しましたが、それだけやると実感としてわかることもあって。すなわち、世の中には「自分のために頑張る会社」と「人のために頑張る会社」、本当にこの2つしかないなと。また、海外で建材商品の企画をやっていたころは、「世のためになる」と信じて進めた仕事も、経済状況や現地の事情であっけなく方向転換してしまうのを痛感しました。そういうことの影響は大きいと思います。


 
それでは、社名に冠するほど想い入れのある「グスコーブドリ」にこだわるきっかけは何だったのか? それは少年時代にまで遡る。

有村:小学生のころ、父がそれまで経営していた工場を急に休み、しばらく実家の鹿児島に帰ると言い出したんです。転校した僕は、大阪からよそ者が来たというので、最初は言葉が違いすぎていじめられちゃって……(苦笑)。親に心配かけられないし、放課後は図書館で偉人伝を読みふけった。その中に宮沢賢治がいたんです。そこから晩年の作品、彼の生き方の理想と思える作品、ブドリの話を知って……という感じですね。

株式会社budori

有村さんは、大阪万博、オイルショック、公害問題など、消費社会の豊かさと、その矛盾や影に直接ふれてきた世代でもある。「人類の進歩と調和」を謳った大阪万博に対し、2005年の愛・地球博が「自然の叡智」を主題にした時代の流れは、そんな彼の想いともシンクロしたのかもしれない。この愛・地球博で世界の環境NPO・NGOなどを紹介するボランティアを経験した彼は、起業の決意を固めた。

有村:もともと学んでいたパーマカルチャー(持続可能な生活・農業形態)デザインなどは宮沢賢治の思想とも重なるのが共感できたし、ボランティアのように、目立たなくても大事な仕事があると再確認できました。ただし僕は、同様の発想で、対価をきちんと頂く「会社」による経済活動として、こうした仕事を成立させたいと決めたんです。こういうとまた「社会起業家」とか「ソーシャルビジネス」など最新の枠にはめられそうですが(苦笑)、むしろ原点回帰です。経済ってもともと「経世済民」(世をよく治めて人々を苦しみから救うこと)という言葉から生まれていて、そこに立ち戻ればよいはずだと思っていました。

「人のために」が創造力に変わるとき

ちなみに『グスコーブドリの伝記』は生きるため、人のために仕事を変え、学び、最後の仕事は火山局で火山をコントロールし、噴火をさせ冷害を止めたり肥料を撒くという仕事をすることになる。そのラストでは、主人公は人々を守るため、命と引き換えに火山の爆発を促し、自ら最大級の火山に一人残り、冷害を防ぐ。ただ有村さんは、この物語の本質は単なる「自己犠牲精神」とは違うと考えている。

株式会社budori

有村:結局は、自らのためでもあると思うんです。人生、お金も時間も食べものも大事だけど、「あなたがいてくれるから」と思ってもらえる生き甲斐も大切なはず。うちのスタッフもみな、前職までのキャリアで感じた疑問や各々の使命感みたいなものを抱いて、budoriに来てくれていると思う。それを新たな想いや、世の課題に共感できる場としても活かせる存在でありたいです。企業体としての存続努力も当然必要ですが、周囲の変化のスピードに慌てず、じっくり育てていける仕事をしていきます。

ベンチャー企業を「創造的・革新的な経営を展開する新進企業」と定義するなら、budoriの「創造力」は新技術や市場の開拓というより、人にとっての「しごと」を根本的に問い直す考えの中にある。時代を超えたグスコーブドリ的な生き方・働き方への理想が、常にその推進力だ。だからこそ依頼がくるのを待たずに、また業種や市場の枠組みにとらわれず、やれる / やりたい / やるべき仕事を次々と生み出せる。

株式会社budori

「自分の人生を活かそうという人、自分をまだ諦めてない人じゃないと、ベンチャーは務まらないですしね」と有村さんは最後に話してくれた。その笑顔には優しさと同時に、今という時代の課題に向き合い続けようという力強い意思が感じられた。budoriが仕事を生み出していく、一貫した“想い”。それが、今後も彼らを動かしていくのだろう。