Interview 私としごと

楽しめないのに、いい仕事なんてできるはずがない

株式会社プリコグ
奥野 将徳(制作)

1982年生まれ、今年30歳になる、彼の人生はすでに相当ふるっている。出身高校は関西の超有名進学校、灘高校。ところが10代で難病にかかり人生モデルが激変する。大学では建築学科に入ったものの、スパルタ式に反発を感じて夜間の文系に転部。一般常識的には道を踏み外したようにみえるが、バイトで入った広告代理店では在学中から社員に採用されるし、就職活動をすれば大学中退でも一流企業への内定を確保する。だけど結局彼がたどりついたのは、食えないで有名な舞台業界だ。スーパーエリートへの道をあえて踏み外す、華麗なような、紆余曲折。舞台芸術の仕事にたずさわる彼の生き方に迫る。

プロフィール

奥野将徳

1982年生まれ。舞台芸術の企画・制作。プリコグ/ドリル所属。
広告代理店勤務を経て、2005年よりプリコグメンバーとして、「吾妻橋ダンスクロッシング」「ニブロール」「ミクニヤナイハラプロジェクト」「康本雅子」「ASA-CHANG&巡礼」などの制作を担当する他、個人的に「ほうほう堂」の制作を務める。

インタビュー・テキスト:前田 愛実 撮影:すがわらよしみ(2012/7/3)

もともとはバリバリ理系の理論派

―「舞台芸術」と聞くと、よくわからない人も多いかと思いますが….。

奥野将徳

奥野:一般的に知名度は低いですよね(笑)。僕の勤めるプリコグは、パフォーミング・アーツと呼ばれる、いわゆる演劇やダンス、音楽などを生の身体を使って、舞台や美術館、イベントスペースなどで見せるようなことを制作しているプロダクションです。具体的にはチェルフィッチュという演劇のカンパニーやニブロールや康本雅子などのダンスカンパニー、ミュージシャンのASA-CHANG巡礼などのアーティストが所属していて、その公演のプロデユースをしています。

—その中で、奥野さんのお仕事というと?

奥野:基本的には、予算管理、広報、劇場やテクニカルスタッフとの調整、当日の運営など舞台に携わることは何でもやります。常勤スタッフが6人しかいない小さい会社ですが、最近は少し体力もついてきて、広報、経理まわりは、それぞれ専従のスタッフがつくようになりました。だから僕の仕事としては、広報、経理以外の舞台を作る仕事は全部やるって感じです。

―なるほど。では、この業界はもとから目指していたのですか?

奥野:いえいえ。もともとはもうバリバリの理系で、なんでも論理的に考えて、物事が割り切れないと気が済まないタイプでしたから(笑)。大学は早稲田の建築科なんです。でも入ってみると、けっこうスパルタ式というか、ひたすら「図面をひけ!」、とにかく「模型製作を手伝え!」みたいなノリで…、全然想像とは違って。最初は頑張っていましたが、なんだか窮屈だな、と思ってしまったんですね。

―でも建築家にはなりたかったのでは?

奥野:実はそんなワケでもないんです。高校生、浪人生の頃は、音楽を作ったりクラブ通いの末にイベントをやったり。それで建築を選んだのは、自分の理系なところと、アートとか音楽とかに興味があってというところの、両方の可能性を満たせる職業を考えたら、それが唯一建築だった。なのに、いきなり創造性のないことばかりやらされて、嫌になってしまったんですよ(笑)。あんまり周りに面白い人もいないし、授業も面白くなかったから、もう大学は辞めてもいいかなとも思ったけど、親の手前もあって。それでアート関係のことを学べるところを学内で探しました。そしたらアートマネジメントや舞台の制作を学べる講座があったので、2年目から二文、当時の第二文学部に転部しました。

―今はもう早稲田に二文はなくなったと思いますが、確か夜間の学部でしたよね。

奥野:そうです。それで昼間は広告代理店に勤めていたんです。

在学中から広告代理店で働く

―広告代理店で働くといった事は、どういったいきさつで?

奥野:まだ建築科にいた頃に、先輩たちが手伝いに行っていたところなんですが、イラストレーターやフォトショップがさわれる一年生募集ってことで、最初はバイトから始まりました。最初はデザイン系の仕事をやっていたんですけど、色々仕事をしていくうちに、「お前はプランナーが向いてそうだから、企画書も書いてみるか」っていわれて(笑)。そしたら僕も、本気モードになっちゃって(笑)。二文に通うようになると夜間の学部なんで、昼間は空いてるじゃないですか。そしたら社長からは「常勤で働かないか?」って(笑)。ブランドのコンサルタントとか、どんどん仕事をまかされるようになって、最終的には、週に1~2本のペースで企画書を書いて企業とかにもプレゼンをしてっていう状態でした。

―バリバリ働いていたと。

奥野将徳

奥野:人も少なかったから、学生だったけどかなりの比重で任されてました(笑)。学校いってるよりも楽しかったし、一生懸命働いていましたね。それでそのまま続けていたら、社長が九州大学の教授になることが決まって、会社も九州に移転することになったんです。で、「一緒に来て大学院に入らないか? そして授業のカリキュラム作るの手伝ってくれないか?」みたいなことを言ってもらったんです(笑)。でもまだこっちの大学に籍もありましたし、当時の僕には九州に行く選択肢は全くなくて、それで辞めましたが、大学に通いながら結局2年くらい働いていたのかな。

—社長の相当な右腕として活躍されていたと想像できます(笑)。そこでの経験は今も役立ったりしてます?

奥野:それはすごい役に立っていますね。企画書一本書くにもそのときのノウハウがありますし、マネジメントの基本的な考え方とか、広告やブランドのマネジメントの考え方とかは、徹底的に仕込まれたので、そういう考え方は今でも染みついていますね。だから、そういう目で舞台業界の広報ツールを初めて眺めたときは、なんてありさまだ! って思いましたよ(笑)。

—いったいどんなところがなってないと?

奥野:一つのカンパニーなのに統一性がないし、どういう層に届けたくて、どうアピールしたいのか全く分からないものも多い。情報も劇場でチラシを集めるしかなくて、この人たちは劇場に来ない層にはどう情報を届けるつもりだろう? って感じでした。
その業界だけに納まるのであれば、それでもいいのかもしれないですが、もっと多くの人に伝えるためには、ちゃんとデザイナーに内容とかターゲットを伝えて、きちんとディレクションをして、いいチラシを作らなきゃいけない。そういうところもプリコグの方向性とも合っていましたね。Youtubeに映像をあげたり、舞台写真をflickrにあげたり、ウェブ周りをきちんと整えて、メールマガジンやTwitterで発信し始めたりとか。今はだんだん変わってきたと思いますが、当時の舞台業界の人たちって、業界の外へ向けた広報ツールに対してほとんど何も考えてなかった、もしくはその方法が分かっていなかったんじゃないですかね。だから広告業界から見たこの業界の広報ツールに対しては、まだまだ改善の余地があるなと思ったのが一番はじめの印象ですね。

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