Interview 私としごと

自分が好きなことをやり続ける自由を得るために

株式会社FACT / ロック観光協会株式会社
鹿野 淳(代表取締役)

音楽雑誌『MUSICA』を発行する株式会社FACTや、さいたまスーパーアリーナで開催する春のメガフェス『VIVA LA ROCK』をオーガナイズするロック観光協会株式会社の代表・鹿野淳さんは、『ROCKIN'ON JAPAN』などの名だたる雑誌の編集長を歴任したほか、ロックフェス「ROCK IN JAPAN FES.」「ROCKS TOKYO」の立ち上げに関わった人物としても広く知られている。そんな鹿野さんが音楽を仕事にしようと思ったきっかけとはなんだったのだろうか。新聞記者になりたかった中学生時代からフードファイター時代を経て、業界に一石を投じ続ける音楽ジャーナリストになるまでの半生に迫った。

プロフィール

鹿野 淳

1964年、東京都生まれ。2007年に音楽専門誌『MUSICA』を創刊。これまでに『ROCKIN’ON JAPAN』、『BUZZ』、サッカー誌『STAR SOCCER』の編集長を歴任。各メディアで自由に音楽を語り注目を集め、音楽メディア人養成学校「音小屋」を開講。2010年には東京初のロックフェス『ROCKS TOKYO』、2014年にはさいたま初の大規模ロックフェス『VIVA LA ROCK』を立ち上げるなど、イベントプロデュースも手がける。

独立の理由は「シミュレーションできない未来を選びたかった」から

—編集長就任中に、ロックフェス「ROCK IN JAPAN FES.」の立ち上げにも関わっていましたよね。大変じゃなかったですか?

鹿野:忙しかったですけど、そこまで苦労はしませんでした。当時はロックフェスが今ほどなかったので、動員も今よりもシンプルな戦略で出来たと思います。苦労したのは場所を探すことでしたが、茨城県ひたちなか市が見つかってからはスムーズにことが運びました。何でもそうですが、新しいものを作るときには、新しいマーケットを作れるかどうかを考えていて。既存のマーケットのなかで新しい何かを求めている人が、自分の作ったマーケットに流れてくるかどうかが重要なんです。イベンターが作るフェスと比べてアーティストやステージのノウハウには疎いかもしれないけど、雑誌メディアを運営している僕らはお客さんと一緒の目線と導線でライヴを楽しむじゃないですか。そのノウハウを生かしてお客さん目線のフェスを作る、そこに新しいマーケットがあると思ったんです。

—そんな順風満帆な鹿野さんはなぜ、ロッキング・オンを退社することに決めたのでしょう?

鹿野 淳

鹿野:編集長だけでなく、「ROCK IN JAPAN FES.」や「COUNTDOWN JAPAN」という二つのメガフェスの立ち上げに関わらせていただくなど、会社にはたくさんのチャンスをいただきました。でも40歳になる目前で、会社から「そろそろ暴れるパフォーマンスをする存在ではなく、会社に収まるパフォーマンスを出来る様になれ」と言われたんです。そこで、会社のスタイルに収まっていくというやり方で勝つことができるのか? 会社に貢献することができるのか? という不安もありました。一方で会社を辞めるとなると、40歳を過ぎてからでは精神的に自信を持つのが厳しいと個人的には思って。だから、パーフェクトなイエスマンとして機能する組織人になるか、会社を辞めて独立するかのどちらかにしようと思ったんです。どちらも苦しい選択でしたけど、シミュレーションができない未来を選ぼうと決心して、後者の道に進むことにしました。

—独立の道を選んだ、と。

鹿野:独立するとなれば、常に時代と自分との距離を測って仕事をしていかなければいけません。さらに、マスコミはアーティスト、読者の双方がいて成り立つ仕事なんです。アーティストはユーザーがいれば仕事が成り立つけど、僕たちは右に作り手、左に読者がいて、はじめて存在することができる。そして双方に挟まれつつ、自分がどれだけ客観的かつ無味無臭な立場でいられるかどうかを考えなければいけないわけですけど、考えれば考えるほどそれは無理だということに気がつくんですよ。自分はイタコにも、透明な存在にもなれない。だとしたら、自分は作り手と読者の間でどう振る舞うべきなのか。結果的に自分の色が仕事に出てしまうことを大前提として、どう取材対象にとって有益な媒介になり、どう読み手にとって人生の彩りになるコンテンツを生んでいく存在になれるのかということを、考えなければならないと改めて思って、独立しました。

—なるほど。

鹿野:そこで重要なのが、ストレスやフラストレーションを仕事に持ち込んだら絶対にダメだということです。それをやってしまうと、アーティストと読者の間で最悪のコミュニケーションが生まれてしまいます。つまり、自分は自分らしく、自分の好きな仕事をしているという自覚を持ってコンテンツを作っていくことこそが大切なんです。そうしなければ、コンテンツが濁ってしまいます。自分が好きなことをやり続ける自由を得るために、嫌なことやっているなと思ったらそれを排除していかなければいけない。自分が仕事に前向きな状態をキープして、なるべくブレーキを踏まないでアクセルを踏み続けていられる状況を作るということが大事だと思い、組織人とは真逆の生き方を選ぶことにしたんです。

『MUSICA』創刊

—会社を辞めてからはどのような仕事を?

鹿野:ロッキング・オンを退社してから、「自分へのご褒美だ」と思ってサッカーのヨーロッパ選手権を観戦しに、ポルトガルへ行ったんです。帰国してからは、4万字くらいに膨れ上がった現地での日記を「会社を辞めて独立しました」という暑中見舞いと共にメールで送ったりして。それがきっかけで、サッカーを中心としたライフスタイルマガジン月刊『STARsoccer』を創刊する話をもらいました。独立してからは、他にも一人で編集やライターをしたり、ラジオやテレビのパーソナリティをしたりしていたんですけど、サッカー誌を作る編集部が必要になり、初めて会社として人材を募集して。

—サッカーはもともと好きなんですか?

鹿野 淳

鹿野:大好きですよ。日本のワールドカップ初出場が決まった「ジョホールバルの歓喜」もマレーシアまで観に行きましたから。そもそも、UKロックが好きな人でサッカーを好きにならない人は、僕は認めません(笑)。サッカーとロックは地続きになっているんですよ。OASISが合唱できる曲を作るのは、彼らがサッカースタジアムに子どもの頃から通っていて、その雰囲気をロックで再現したいと思ったからですしね。『STARsoccer』はカルチャー誌としてのサッカー雑誌だったので、ロックの取材もしていたんです。あるとき、マンチェスターでロックの取材をしていた際、夜に一人でぼーっとしながら「やっぱり音楽雑誌を作りたいな」と思う瞬間があって。帰国した日、その足でそのままフジロックに行ったものだから、その思いが確信に変わり、会社のスタッフに「来年からは音楽雑誌も作る」と宣言しました。偶然、そのタイミングで『STARsoccer』が休刊することになり、入れ替わりのような形で『MUSICA』がスタートしたんです。

—『MUSICA』を作る際にこだわっている部分はありますか?

鹿野:『MUSICA』に関しては、音楽雑誌とは何なのかを問い直し、人物ではなく音楽にフォーカスを当てる雑誌にしようと考えて創刊しました。『MUSICA』が創刊されたのは2007年の初頭なんですが、その頃になるといよいよ洋楽マーケットが崩壊してきて、洋楽を聴かないで育ったアーティストもデビューし始めた。このままでは読者はどんどん音楽を聴かなくなってきてしまうという危機感もあり、音楽自体を見せる紙面構成にしたんです。広告費などの収益が入って来ない30ページ以上のディスクレビューでは、音楽ライターだけではなく、ミュージシャンやレコード会社の人にも執筆してもらうことにしました。インタビューでもアルバム全曲解説をしてもらったりしています。

—今回のインタビューでは、かなり多方面に話題が及びましたが、鹿野さんの人生をお聞きすると、共通する行動原理や価値観が深く根付いていると感じました。最後に、今後の目標をお聞かせください。

鹿野:僕は常々、50歳になったら会社を辞めると公言していたんです。辞めた後はロンドンに渡ってコロッケ屋を開店させようと思っています。これはかなり真面目な計画でして、本気で考えているんですが、会社の人間が許してくれなくて(笑)。僕がお役御免になる状態のためには、若い人が育たなければいけません。それを含めて、当初から若い人を中心に採用するようにしています。音楽ジャーナリストを育成する「音小屋」という講座を主宰しているのも、同じ発想からです。僕より遥かに若くて、僕と同じくらいのパフォーマンスをする人が現れれば、僕は食べていけなくなって、必然的に引退に追い込まれます。その状態を作るのが今のいたって前向きな目標です。

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『最高の離婚』
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