Interview 私としごと

リスナーの心を1グラムでも軽くする

株式会社J-WAVE MUSIC
蛇草 有里子(制作部)

「心が1グラムでも軽くなるような番組を作りたい」------幼い頃からJ-WAVEのラジオを聞いて育ち、さまざまな縁に導かれるようにしてJ-WAVE MUSICへ入社した蛇草さんは、自身のリスナーとしての経験を踏まえて、理想のラジオ像をこのように語る。番組スタッフに女性はひとりだけという環境で行われる蛇草さんの仕事は、屈強な男性陣に負けないパワーが必要に思われがちだが、その実は女性ならではの視点が自然体で活かされている。男性社会のなかをしなやかに羽ばたき、真摯な姿勢でリスナーとの距離感を縮めていく姿は、なんとも魅力的だ。

プロフィール

蛇草 有里子

1983年生まれ。東京都小金井市出身。日本女子大学文学部卒業後、2006年に新卒でJ-WAVE MUSICに入社。制作デスクを経て、ADおよびディレクターとして『J-WAVE ARCHIVES』や『MUSIC PLUS』、『MUSIC WONDERLAND』などを担当し、現在は『HELLO WORLD』のプロデューサーとして番組の統括するかたわら、木曜日の構成作家も兼任。同番組唯一の女性スタッフとして活躍するJ-WAVE MUSIC期待のホープ。

インタビュー・テキスト:タナカヒロシ 撮影:すがわらよしみ(2012/11/21)

人前に出ることが苦痛だった

―蛇草さんはいつ頃からラジオを聞いていたんですか?

蛇草:小学校の頃から週末は父の運転する車でよく出かけていたんですけど、そのときに必ずラジオが流れていたんです。日曜日に車に乗ったら、『TOKIO HOT 100』(1988年に放送開始したJ-WAVEの王道番組)を聞くのが習慣になっていて。

—小さな頃からラジオを聞いていたんですね。ではこのような仕事をしたいと思うようになったきっかけは?

蛇草 有里子

蛇草:もともと将来こういうメディアで、何かを作るんだっていう漠然とした思い込みはあったんです(笑)。小さい頃から、誰かの誕生日はやたら気合いを入れて祝ったり、体育会系のクラブなのに合宿の出しものでやる劇の台本を書いたりと、なんとなく今につながる流れはありました。

―では昔から聞いていたラジオはずっとJ-WAVEだったんですか?

蛇草:実はJ-WAVE以外ずっと聞いたことなくて……。だから縁があったんでしょうね。でも、本格的にラジオとの距離がグっと近くなったのは、高校時代に友達と恵比寿ガーデンプレイスに映画を見にいったときに、たまたまやっていた公開生放送を見てからなんです。それまではちょっとオシャレっぽいし、いろんな音楽も聞けるから、なんとなくラジオをつけておこうって感じだったんですけど、「ラジオってこういうふうに作ってるんだ!」っていうのを生で見て、自分がメディアで働くということがイメージできた瞬間といいますか。

―実際の就職活動でも、そのまま一直線に今の業界へ?

蛇草:いえいえ。大学3年で就活を始めたときに、やっぱり自分に何が向いているのかわからなくて。マスコミ業界の雰囲気を知れると良いなと思ったのと、人と話すことが苦手だったっていうのもあって、テレビ局がやってるアナウンススクールに行ってみたんです。そうしたらまわりは、すっごいやる気のある子ばかりでビックリして(笑)。私も一緒になって「あめんぼあかいな」みたいなのを読んでたんですけど、それが全然向いてないのが身を染みて感じて(笑)。人前に出ること自体が苦痛というか、もうドキドキしちゃって。まわりの子たちに流されて、一応テレビ局を受けてみたんですけど、やっぱり何か違うなと思って、一旦就活をやめたんです。

―メディアに関わる仕事はしたかったけど、人前には出たくなかったんですね。

蛇草:そうなんです。だから、大学院に行って、もう少し勉強しようかなと思って、大学4年の春を迎えたんですけど、「制作の仕事をやりたいんだったら」というところで、知り合いの方に今の会社の方をご紹介いただいたんです。ここでもまた縁があって。

―といいますと?

蛇草:大学時代にスターバックスでバイトをしていたんですけど、当時のバイトの同僚に左京泰明さん(現シブヤ大学学長)がいて、私がハタチのときに、立花隆さんの『二十歳のころ』という本を教えてくれたんです。東大の教養学部の授業で、学生がいろんな人にハタチのときの話を聞きに行ったものをまとめた本で、読んでみたらめちゃくちゃ面白くて。この本のラジオ版みたいな番組があったら面白いだろうな、と思っていました。そうしたら、J-WAVEで『20歳のころ』という番組が始まって。

―いろいろ導かれてますね。

蛇草:だから、面接のときに「私の企画取られちゃって」みたいな話を面接官にしたら、「それ、うちの会社が作ってる番組だよ」って(笑)。そんな縁も重なって、内定をいただいたんです。

「今」をつくってくれた、下積み時代

―入社後、最初のお仕事は?

蛇草:内定をいただいてからは、どうやってラジオが作られているのか、早く知っておいたほうがいいということで、大学を卒業するまでADとしてバイトさせてもらったんです。でも、入社してから1年間は、現場ではなく制作デスクを任されていました。まずはいろんな流れを知りなさいっていうことだったんですけど、番組制作には全然タッチできない状況で。ホームページに載せる写真を加工したり、毎週1本ライブに行ってホームページ用にレポートを書いたり。あとは請求書の処理で、番組のお金がどう流れているのか教えてもらったり。

―いい社員教育ですね。

蛇草:当時は「私、番組をつくりたいのに……」みたいな感じだったんですけどね(笑)。でも今思うと、本当にいい経験をさせてもらっていたんだなって。例えば、週1本ライブを必ず見るって、今はなかなかできないですし。

—入社してみて、思い描いていた理想と違っていたことはありました?

蛇草 有里子

蛇草:そんなにビックリしたことはなかったんですけど、強いていえば思ったよりオシャレじゃなかった(笑)。やっぱりスタジオもオフィスも六本木ヒルズにあるし、『プラダを着た悪魔』みたいな世界が広がってるのかなって思ってたんですけど、みんなスニーカーにTシャツにデニム(笑)。それと、私は小学校から大学までずっと女子校で、男性と机を並べたことがなかったので、「隣に男の人がいる!」みたいなカルチャーショックはありましたね。

—メディアの仕事って結構ハードなイメージがあると思うんですけど、そういう大変さはありました?

蛇草:1年目はまったくありませんでした。デスクなので定時を超えることもほとんどないし、アフター5も友達と会えるし、社会人って楽しいな、と思っていたんですけど(笑)、2年目からは修行でしたね。2年目の時に『J-WAVE ARCHIVES』という過去のチャートを3時間で40曲かける番組が1年限定で始まって、月曜日から木曜日まで1人1曜日担当するんですけど、その1日を担当することになったんです。

—どんなところが修行だったと?

蛇草:上司からは、昔の曲を40曲聞けるのは勉強になるし、自分で編集して、完パケ作業をスタジオでして、検聴して搬入するって流れで、番組作りが覚えられるからって。それでまず40曲、CDを探し出すところから始めるんですよ。それで最初から最後まで全部聞いて、どこでナレーションを乗せるか、どこでCMを入れるか、どうやって曲をつなげるかとか考えて……。しかも、今はみんなパソコンを使って編集するんですけど、「君にはまだ早い」って言われてまずMDで編集しろって言われて(笑)。

—この時代にMDって(笑)。

蛇草:ですよね(笑)。まずはすべての機材を使えるように、ということでした。3時間番組をつくるので、検聴も相当時間がかかるから、徹夜続きで、土日も出勤して。それでようやく必死な思いで作り上げることが出来ても、また次の放送日は来てしまう……。これは本当に大変な仕事だと思いましたね。当時のプロデューサーに、「今は大変かもしれないけど、後々僕に感謝する日が来るから」って言われていたんですけど、「絶対そんな日なんて来ないし!」って心で思ってました(笑)。でも、当時は必死でそんなこと考える余裕もなかったですけど、そういう経験があるから、今は後輩にも下積みの大切さを話せるようになるわけで。上の人が武勇伝語るのってこういうことかって思いましたね(笑)。

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