Interview 私としごと

デザインに恋をし続けること

株式会社編集工学研究所
富山 庄太郎(研究員 / チーフデザイナー)

ブックナビゲーションサイト『千夜千冊』などで知られる松岡正剛氏の編集工学研究所で、チーフデザイナーを務める富山庄太郎さん。大学入学前からクリエイティブ・エージェンシーWieden+Kennedy(以下、ワイデンアンドケネディ)に在籍していたという驚くべき経歴の持ち主だが、次第に自分のルーツを辿るデザインに惹かれ、現在は「日本のデザイン」を貪欲に探り続けている。そんな富山さんの歩みとはいかなるものか? たくさんの書籍に囲まれた静謐な研究所内でお話を伺った。

プロフィール

富山 庄太郎

1978年、茨城県岩井市(現板東市)生まれ。2005年に多摩美術大学造形表現学部卒業。2001年からWieden+Kennedy、2009年から湯川音楽研究所に在籍した。現在は松岡正剛率いる編集工学研究所に所属し、日本のルーツに基づくデザインに挑戦しつづけている。

http://shotarotomiyama.info/

謎だらけの「湯川音楽研究所」

—それで、充実していたように思えるワイデンアンドケネディを離れたのはなぜでしょうか?

富山:もっと実力があれば、より楽しめたんでしょうけど、だんだん自分の向かいたい方向性が分からなくなってしまって。正直、広告というものに飽きてきた自分もいたんです。そんな感じで悩んでいたときに、当時の先輩からの紹介でグラフィックデザイナーの杉浦康平さんの『疾風迅雷―杉浦康平雑誌デザインの半世紀』という書籍に出会ったんです。そこには松岡さんとの対談やお仕事が載っていて、その内容にもうすごい影響を受けて、シビれちゃったんですよ。デザインだけでなく、そこで使われている技法や、文章の読ませ方など、これはどう逆立ちしても敵わないな、と。

—それほど衝撃を受けたと。

富山 庄太郎

富山:先輩からも、「日本のグラフィックデザインって、すごい人がたくさんいるから」って教えられて。それから杉浦さんの本を、むさぼるように読むようになり、自分の日本人としてのルーツに興味を持ち始めたんです。杉浦さんの書籍には「アメリカに行かない」とか「広告をやらない」とか、書いてあって、自分はアメリカの会社で広告をつくっている…….って、矛盾にも陥ったり(笑)。その時はまだぼんやりしていましたが、「日本ということを活かしたデザインがしたい」ということを思いはじめた時期だったと思います。杉浦さんが装丁した芹沢銈介さんの『文字絵・讃』から影響を受けて民芸にも興味を持ち、沖縄の染色技法「紅型(びんがた)」にものめり込んで。そんなんだから、自分のやりたい方向と、現実の仕事のズレが大きくなっちゃったんですよね。

—外資の会社で働いていた人が、日本の伝統に辿り着くとは、何とも印象的です。

富山:その頃、ルーツロックレゲエにもハマっていて、自分の生まれたルーツについて興味が出てきた影響もあるかもしれませんね。ラスタの信仰である「ラスタファリズム」のいう「自分が生まれた土地に帰る」といったこと、つまり起源へとさかのぼることが、逆に新しさや発見に繋がることもあるのだと、感じたんです。そのへんもシンクロして、自分の生まれた日本というルーツを大事にしたいと思ったんです。

—「探求の旅」みたいですね。その後は、「湯川音楽研究所」に在籍されたとプロフィールにはあるのですが、ここはどういう研究所だったのですか?

富山:これが、実はあんまり実態がないところで(笑)。もともとは、僕の友人たちがライブをするときに、ゲストで入るための合い言葉だったんです。受付で「湯川音楽研究所です」と言えば、タダで通してくれるみたいな(笑)。その名前を借りて皆で集まったのが、湯川音楽研究所だったんです。先輩と僕と、友人数名で集まって作ったんですが、名前の湯川さんは天才ギタリストと言われていたんですけど、誰もギターを弾いた姿を見たことないという(笑)。そんなチームというか、集まりでした。

—謎が多いです(笑)。 そこではどんなお仕事を?

富山:例えば、久保田麻琴さんという宮古島の音楽を熱心に広めている方の、CDジャケットをデザインしました。この時は、僕の考える日本的なデザインをできないかと考え、宮古島の伝統的な絣(かすり)の模様を切り出したフォントを作ってみたりしたんです。そのときは、宮古島の神歌のルーツについて学びながら進めたので、本当に面白かったですね。他にも、野外ライブイベント「京浜ロックフェスティバル」のお手伝いをしたり、日本の暦をこと細かく書いたライブハウスのスケジュール表を作ったり。でも、そんな仕事もしつつ、みんな好き勝手にやっていたので、自然と解散する流れになりました。

デザイナーに大切なのは「すき」という気持ち

—それで、今の編集工学研究所に至るまでは?

富山:湯川音楽研究所にいるときも、杉浦さんであったり、松岡さんの本をすごく読んでいたんです。一時期は、紅型の職人になることや、杉浦さんの事務所の門を叩いてみることも考えました。あとは、タイポグラフィの学校にも通っていたり。でも、デザイナーではない松岡さんのもとで、松岡さんの考えをビジュアルで再現することに挑戦したほうが、より面白いのではないかと思ったんです。

—それは、どのような部分に惹かれたのですか?

富山 庄太郎

富山:松岡さんの著書に『日本数寄』という本があります。それを読んで、「この人のデザインコンセプトを実践できたら、間違いなく独創的なデザインができあがる」と思ったんですよ。例えば、「身をやつす」の「やつし」という言葉がある。「ジーンズのビンテージ加工が侘びなのか寂びなのか」という話の中で、松岡さんは「ビンテージ加工は『やつし』だ」と言うんです。最近では、デザインする際に手を加えることで、かすれたビンテージをつくることが多いと思うんですけど、それが「ビンテージ加工」という言葉から始まるのと、「やつし」という言葉から始まるのとでは、立ち上がるデザインが似て非なるものになるんですね。そういった松岡さんが説明してくれている、「侘び寂び」や「引き算の美」など、日本が独自に育んできたキーコンセプトを、デザインとして形に出来ればなと思っています。

—デザイン1つでも色々と奥深いですね……。編集工学研究所に入られた後に、『千夜千冊』のリニューアルサイトを手掛けたと聞いています。

富山:編集工学研究所に入るとき、日本のルーツからデザインすること、そして研究所ウェブサイトの新しいデザインがしたいとお話ししました。『千夜千冊』は松岡さんの代表的なお仕事なので、どこまで僕のデザインで追いかけられるかプレッシャーでしたけど、ものすごく楽しくデザインさせてもらいました。ポイントは「分理篇」「生代篇」など、8篇あるシリーズのインデックスに、普通の読み方と読み下しのルビを2種類つけたことです。たとえば「世走篇」だったら「せそうへん」「ヨニハシル」と両端につけるように。小さなことですけど、日本という方法をデザインとして再現できた例の一つだと思っています。

—まさに「ルーツ」を活かしたデザインを実践しているのですね。

富山:と、いいたい所ですが、まだまだです。やっぱり僕って、純粋にデザインが好きなんですよ。昔からずっとグラフィックデザインには、恋している感じがあって。例えば、好きな女性に会うのに面倒くさいなんて思わないじゃないですか。それに似た感じがあるんです。デザインのことは、もっと知りたいし、もっと楽しくやりたい。

—なんというか、素敵な関係ですね。

富山:僕が思うデザイナーに大切なことは、「すき」という気持ちだと思うんです。日本語の「すき」って色々あって、「love」の好きから「like」の好きもあるけれど、数寄屋造りの「数寄」もあれば、色を抜いて行く「透き」もありますし、「空き」「梳き」「漉き」まで広くある。僕は、そのいろいろな角度の「すき」という気持ちで、デザインに触れていたいと思うんです。作品とか、仕事とか、遊びとか、そこらへんの境界線がなくなるまで夢中になってデザインをやりたいですね。そして、いつか憧れである書籍のデザインを手掛けてみたいと思っています。

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越路姉妹『混浴』
越路よう子さん、越路和子さん、越路F雪路さんなどからなるバンド。「ろくでなし」や「ラストダンス」など越路吹雪さんのカバーや日本語のルーツロックレゲエなどを歌っていて、聞いた瞬間に好きになりました。一説では、男らしい声で歌うので、男の格好のままで歌うとあまりにも違和感があるため、女装をし始めたのだとか。「混浴」のCDジャケットはフリーのときに僕がデザインをしていて、高橋常政氏のイラストレーションを裏表に使い越路姉妹の二面性を表現しました。

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