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レッスン1 自分と通じる

志望理由や自己アピールなど、何かと「自分を表現すること」が求められる就職活動。「一体何を話せば……」と悩んだ経験をお持ちの方も多いのでは?
山田ズーニーさんは、高校・大学生からビジネスマン、プロライターまで幅広い方を対象に「文章表現」の教育に携わるプロフェッショナル。就活で苦戦している学生さんはもちろん、「書類審査で通らないことが多い」、「面接でなかなかうまく自分を表現できない」などなど、就活に悩めるすべての人にこの連載をお送りします!

    Profile

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    山田ズーニー

    文章表現教育者・作家。 Benesse小論文編集長を経て独立。フリーランスとして大学や企業で文章表現力・コミュニケーション力の教育を展開。 表現力ワークショップには定評があり、悩める就活生も見違えるような文章が書けるようになることから、「言葉の産婆」と呼ばれ、教育関係者を驚かせている。 慶應大学非常勤講師。著書『伝わる・揺さぶる!文章を書く』『あなたの話はなぜ「通じない」のか』など。ほぼ日刊イトイ新聞で 「おとなの小論文教室。」連載中。

    美大に、就活の表現実習に行ったときのこと。
    学生が、仕事への想いを実感ある文章にし、1人ずつ読んでいった。

    ある女子学生の番がきたとき、とまった。
    ただならぬ空気。やがて彼女は、意を決し読み始めた。

    「私は、美大ならジュエリーデザイナーだろう、ということで今日の実習をやってきた。
    先ほどのグループ発表でも、やりたいことはジュエリーデザイナーと言った。
    でもそうして今日、ずっと考え表現してきたからこそわかった。

    私は看護師になりたい。

    わかったからどうするのか、
    目指しても迷惑をかけてしまう人とか、目指すかどうかもわからない。
    でも自分の中に、この想いが強く、はっきりあることはわかった。」

    少し泣いておられた。
    じーんと、私も他の学生たちも涙ぐんだ。
    美大の3年生。ここまでの努力を捨てるのか、せっかく気づいた想いを捨てるのか。
    切ない。でも、自由を感じる文章だった。

    「やりたいことがみつからない」という人の大半が、実は「ある」。

    ないと言い続け、何か月も就活に苦戦したあげく、ふと、「あった」と気づき、
    本人がいちばん驚き、一点突破! 内定が出た、という例を私はいくつも見てきた。

    やりたいことはある、なのに気づかないのはなぜだろう?

    「さいしょは、“やりたいことがみつからない”、でした。
    それがいつしか、“やりたいことはない”に変わっていました。
    軽い気持ちで答えを探す手間を惜しんだだけ、のはずが、
    就活のための就活に追われ、サークルの事務作業に追われているうち、
    自分は、答えは持ってないと決めつけていました。」

    と言う男子学生は、就職売り手市場の年、7月まで就活で苦戦した。
    追いつめられたある日、ふと、「顧客の視点に立った営業をやりたい」という
    明確な答えを自分が持っていたことに気づく。気づけた喜びよりも、
    「なぜこんな近くにある想いに気づかなかったのか!」と泣きそうになった。
    そこから約4週間で内定を得た。彼は言う、

    「ない、のではなく、見ようとしなかった。
    当然、見えてないもの、見ようとしないものは、伝わりません。
    ないと思い込んでる期間が長ければ長いほど、
    “あるはずだ”に変える労力は大きくなります。」

    たとえて言えば、おかあさんが「夕飯、なに食べたい?」と聞くとして、

    あなたは、「別に食べたいものなんかない、なんでもいい」と答える。
    しかし、いざ食卓について、刺身とサラダが出てくると、
    「なんかちがう…」と感じる。
    不満そうなあなたに、おかあさんが「じゃあ、なにならよかったの?」と聞くと、
    今度は自分の中から答えが出てくる、シチュー、おでん、湯豆腐……、
    「そうか! あったかいものが食べたかったんだ!」
    就活で、「やりたいことがない」という人もこれと似ているのではないだろうか。

    ないのではなく何かはある。ただ取り出せないだけで。

    自己を表現することを習ってこなかった私たちは、表現の前提となる
    自分の想いを問う作業が、ちょっと面倒くさい、あるいは、なんとなく恐いのだ。

    想いは、社会との接着点

    たしかに、レディガガにとっての音楽とか、イチローにとっての野球のような、
    一生変わらぬ天職レベルで「やりたいこと」と言われたら、
    ない人も多いだろう。でも、「なんかこんな仕事に自分はアガる」とか、
    「なんかクリエイティブな職場っていいな」というような、漠然とした、
    なにかしらの、仕事への想いなら、みんなにある。

    ちょっと実験してみよう。

    【問い】あなたの目の前に、目の見えない12歳くらいの女の子があらわれたとします。
    あなたの想いにいちばん近いものを1つだけ選んでください。

    1.見えるようにしてあげられないのかな。最新治療とか薬とか名医とか、
     なんとか少しでも視力回復はできないのだろうか。
    2.目が見えないままでも、地域や学校でバリアを感じることなく、
     この子が自由にやりたいことができるようになっていくといいな。
    3.目が見えないなら、何か音楽とか、文才とか、この子独自の可能性は何だろうか。
     それが見出され、伸ばされ、生かされていくといいな。
    4.それ以外。

    どれを選んだろうか?

    1は「医療」へ向かう想い、2は「福祉」、3は「教育」。
    4を選んだ人は、それ以外の領域に通じる何かしらの想いがある、ということだ。

    どれを選んだかよりも、なぜ選んだかにあなたの想いが垣間見える。

    「妹が難病で、まよわず1を」、「何も考えず3を選んだけど、あとから考えるとアルバイトで塾の講師をしています。やっぱり教育に興味があるのかな」「1も2も3もピンとこなかった。なんかこの子笑わせたいと思ったんで、4。そういえば浪人中、ツラいときの唯一の支えは、お笑い芸人のビデオを見ることだった」など、選んだ理由は1人1人かけがえなく違っている。

    小さい頃からどんな環境で育ち、どんな経験をし、何に苦しみ、何に支えられ、
    何を美しいとし、何に価値を感じ、何に向かって努力してきたか。
    大小さまざまな選択の集積があなたの価値観・想いをつくっている。

    「仕事の選択」も、なにげなく選んだようで、意外に深い想いから選び取られている。

    この「想い」こそ、社会と自分をつなぐ接着点だ。

    「就職」=職を通じて自分を社会とつなぐにしても、
    「就社」=会社を経由して社会とつながるにしても、
    卒業したら、次の社会的居場所は自分で切り拓いて行かなければならない。

    自分の想いを接着点に社会とつながることで、今まで生きてきた自分の歴史や価値観と、なにかしら通じる場所になる。

    文章表現の用語では、書き手の根底にある価値観・想いを「根本思想」という。

    文章を読んでいて、はっきり言葉で書かれていなくても、なにか「この人は本当にものをつくることが好きなんだなあ」とか、「この人の根っこにふるさとへの愛がある」というように、書き手の根底にある想いは、文章表現ににじみ出る。

    根本思想と一致した言葉=正直な言葉こそ、強く人に届く。

    だから、自分の想いを偽ったり、飾ったり、ましてや「ない」と消し去ったりせず、
    自分の想いと通じることが表現の出発点だ。

    どうやって自分の想いと通じるか?

    私の講演で手話通訳をしてくれた女子学生は、
    早くから「やりたいこと=養護学校の教員」が決まっていた。
    熱心にボランティアもし、努力して単位も取った。
    ところが教育実習でいよいよ養護学校の現場に出たとたん、

    「あれ、これ違う!」

    と直感した。あとから考えていくと、教員というのは「教育」だから、
    少し高いところから障がい者を「導く」。でも彼女がやりたいのは、
    障がい者といっしょになって、障がい者自身がやりたいことをやる、つまり、
    「支援」だと気がついた。

    医療は「治す」、福祉は「支援する」、教育は「導く」。

    彼女は、教育から福祉へとコースチェンジし社会福祉士を目指すことにした。
    彼女が本当にやりたいことを見つけられたのはなぜだろう?

    現場に出て、表現したからこそだ。

    「やりたいことがみつからない」とき、自分探しの迷路に陥ってはいけない。
    内向して自分を掘り下げるだけでは、よけい自分が見えなくなるし、
    世界中探し歩いたって、やりたいことは落ちていない。
    自己分析法や心理学に傾倒する人もいるが、科学や学問が示すのは普遍的な答えだ。
    そんな遠回りをしなくても、「自分に合った答え」を見つければいいだけだ。

    そのためには表現することだ。

    自分の想っていること・考えていることを、書いたり話したりして、
    人に対して言葉で表現する。

    想いは目に見えない。そこで、言葉という誰の目にも見えるカタチにし、
    人に通じさせる行為が「表現」だ。

    表現しようとすると、いやでも前提となる「考える」ことをする。自分に問う行為だ。
    自分の想いのありかも少しずつ見えてくるし、考える筋肉、伝える筋肉も鍛えられる。
    反応も得られる。

    最初はうまくいかなくたっていい。失敗したって叩かれたっていい。
    早くからやりたいことがはっきりしていた先ほどの女子学生だって、違っていたということがある。
    それは悪いことではない。その度、やりたいことは問い直され深まっていく。

    「やりたいことは表現して、自分と社会の間に見つけていく。」

    まずは、意見と論拠からはじめよう!

    いかに表現していくか?

    エントリーシートを書くときも、面接官の質問に答えて自分の考えを話すときも、
    伝える基本は「意見+論拠」。就活で必ず問われる志望動機と自己PRも、意見と論拠で伝えていけば大丈夫だ。結論を明らかにして、その理由を筋道立てて相手に述べていく。ただし、事実丸投げでは論拠にならない。

    「中学の時、児童相談所を訪問したのをきっかけに(✕論拠→事実のみ)
     社会福祉士をめざすようになりました。(意見)」

    体験=事実をあげただけでは説得力はない。
    きっかけとなる事実から、「どう考えて」、あなたの結論を出したのか?

    「中学の時、児童相談所を訪問し(事実)
     人にはそれぞれ違った、歩いてきた道のりがあることに気づかされました。
     その道のりにふさわしい支援をしたいと想い(考察)
     社会福祉士を目指しました。(意見)」

    「事実→考察→意見」の3段構造で話す・書くことが大切だ。

    この「考察」部分にあなたの想いが表れ、説得力が出る。

    やりたいことがみつからない人は、候補となる気になる仕事のいくつかから、
    現時点で最も心が向くものを1つ選んで仮説とし、書いたり話したりしていこう。
    しっくりいっても、なんか違うと思っても、言葉に表せばその先に進める。

    表現して、違和感を考えて修正して、また表現して……を繰り返すうち、
    「これだ!」というピッタリくる言葉が見つかる瞬間がある。
    それが「自分と通じる」瞬間だ。
    やりたいことがみつからないときは、表現しながらみつけていくことができる。

    (イラスト:なかおみちお

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