楽しめないのに、いい仕事なんてできるはずがない

株式会社プリコグ 奥野 将徳(制作)

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1982年生まれ、今年30歳になる、彼の人生はすでに相当ふるっている。出身高校は関西の超有名進学校、灘高校。ところが10代で難病にかかり人生モデルが激変する。大学では建築学科に入ったものの、スパルタ式に反発を感じて夜間の文系に転部。一般常識的には道を踏み外したようにみえるが、バイトで入った広告代理店では在学中から社員に採用されるし、就職活動をすれば大学中退でも一流企業への内定を確保する。だけど結局彼がたどりついたのは、食えないで有名な舞台業界だ。スーパーエリートへの道をあえて踏み外す、華麗なような、紆余曲折。舞台芸術の仕事にたずさわる彼の生き方に迫る。
  • インタビュー・テキスト:前田 愛実
  • 撮影:すがわらよしみ
  • Profile

    奥野将徳

    1982年生まれ。舞台芸術の企画・制作。プリコグ/ドリル所属。
    広告代理店勤務を経て、2005年よりプリコグメンバーとして、「吾妻橋ダンスクロッシング」「ニブロール」「ミクニヤナイハラプロジェクト」「康本雅子」「ASA-CHANG&巡礼」などの制作を担当する他、個人的に「ほうほう堂」の制作を務める。

もともとはバリバリ理系の理論派

―「舞台芸術」と聞くと、よくわからない人も多いかと思いますが….。

奥野将徳

奥野:一般的に知名度は低いですよね(笑)。僕の勤めるプリコグは、パフォーミング・アーツと呼ばれる、いわゆる演劇やダンス、音楽などを生の身体を使って、舞台や美術館、イベントスペースなどで見せるようなことを制作しているプロダクションです。具体的にはチェルフィッチュという演劇のカンパニーやニブロールや康本雅子などのダンスカンパニー、ミュージシャンのASA-CHANG巡礼などのアーティストが所属していて、その公演のプロデユースをしています。

—その中で、奥野さんのお仕事というと?

奥野:基本的には、予算管理、広報、劇場やテクニカルスタッフとの調整、当日の運営など舞台に携わることは何でもやります。常勤スタッフが6人しかいない小さい会社ですが、最近は少し体力もついてきて、広報、経理まわりは、それぞれ専従のスタッフがつくようになりました。だから僕の仕事としては、広報、経理以外の舞台を作る仕事は全部やるって感じです。

―なるほど。では、この業界はもとから目指していたのですか?

奥野:いえいえ。もともとはもうバリバリの理系で、なんでも論理的に考えて、物事が割り切れないと気が済まないタイプでしたから(笑)。大学は早稲田の建築科なんです。でも入ってみると、けっこうスパルタ式というか、ひたすら「図面をひけ!」、とにかく「模型製作を手伝え!」みたいなノリで…、全然想像とは違って。最初は頑張っていましたが、なんだか窮屈だな、と思ってしまったんですね。

―でも建築家にはなりたかったのでは?

奥野:実はそんなワケでもないんです。高校生、浪人生の頃は、音楽を作ったりクラブ通いの末にイベントをやったり。それで建築を選んだのは、自分の理系なところと、アートとか音楽とかに興味があってというところの、両方の可能性を満たせる職業を考えたら、それが唯一建築だった。なのに、いきなり創造性のないことばかりやらされて、嫌になってしまったんですよ(笑)。あんまり周りに面白い人もいないし、授業も面白くなかったから、もう大学は辞めてもいいかなとも思ったけど、親の手前もあって。それでアート関係のことを学べるところを学内で探しました。そしたらアートマネジメントや舞台の制作を学べる講座があったので、2年目から二文、当時の第二文学部に転部しました。

―今はもう早稲田に二文はなくなったと思いますが、確か夜間の学部でしたよね。

奥野:そうです。それで昼間は広告代理店に勤めていたんです。

在学中から広告代理店で働く

―広告代理店で働くといった事は、どういったいきさつで?

奥野:まだ建築科にいた頃に、先輩たちが手伝いに行っていたところなんですが、イラストレーターやフォトショップがさわれる一年生募集ってことで、最初はバイトから始まりました。最初はデザイン系の仕事をやっていたんですけど、色々仕事をしていくうちに、「お前はプランナーが向いてそうだから、企画書も書いてみるか」っていわれて(笑)。そしたら僕も、本気モードになっちゃって(笑)。二文に通うようになると夜間の学部なんで、昼間は空いてるじゃないですか。そしたら社長からは「常勤で働かないか?」って(笑)。ブランドのコンサルタントとか、どんどん仕事をまかされるようになって、最終的には、週に1~2本のペースで企画書を書いて企業とかにもプレゼンをしてっていう状態でした。

―バリバリ働いていたと。

奥野将徳

奥野:人も少なかったから、学生だったけどかなりの比重で任されてました(笑)。学校いってるよりも楽しかったし、一生懸命働いていましたね。それでそのまま続けていたら、社長が九州大学の教授になることが決まって、会社も九州に移転することになったんです。で、「一緒に来て大学院に入らないか? そして授業のカリキュラム作るの手伝ってくれないか?」みたいなことを言ってもらったんです(笑)。でもまだこっちの大学に籍もありましたし、当時の僕には九州に行く選択肢は全くなくて、それで辞めましたが、大学に通いながら結局2年くらい働いていたのかな。

—社長の相当な右腕として活躍されていたと想像できます(笑)。そこでの経験は今も役立ったりしてます?

奥野:それはすごい役に立っていますね。企画書一本書くにもそのときのノウハウがありますし、マネジメントの基本的な考え方とか、広告やブランドのマネジメントの考え方とかは、徹底的に仕込まれたので、そういう考え方は今でも染みついていますね。だから、そういう目で舞台業界の広報ツールを初めて眺めたときは、なんてありさまだ! って思いましたよ(笑)。

—いったいどんなところがなってないと?

奥野:一つのカンパニーなのに統一性がないし、どういう層に届けたくて、どうアピールしたいのか全く分からないものも多い。情報も劇場でチラシを集めるしかなくて、この人たちは劇場に来ない層にはどう情報を届けるつもりだろう? って感じでした。
その業界だけに納まるのであれば、それでもいいのかもしれないですが、もっと多くの人に伝えるためには、ちゃんとデザイナーに内容とかターゲットを伝えて、きちんとディレクションをして、いいチラシを作らなきゃいけない。そういうところもプリコグの方向性とも合っていましたね。Youtubeに映像をあげたり、舞台写真をflickrにあげたり、WEB周りをきちんと整えて、メールマガジンやTwitterで発信し始めたりとか。今はだんだん変わってきたと思いますが、当時の舞台業界の人たちって、業界の外へ向けた広報ツールに対してほとんど何も考えてなかった、もしくはその方法が分かっていなかったんじゃないですかね。だから広告業界から見たこの業界の広報ツールに対しては、まだまだ改善の余地があるなと思ったのが一番はじめの印象ですね。

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舞台芸術との出会い

—なるほど、それでは現在のお仕事に直接つながるまでは、どういういきさつで?

奥野:文学部に転部した後のことなんですが、2004年に高校の頃の友人が手伝っていた、「吾妻橋ダンスクロッシング」というダンスや演劇などが沢山でる舞台の手伝いにいったんです。それがすごく面白くて、最初は公演当日の受付とか会場整理とかをやっていました。僕の場合はたまたまイラストレーターやフォトショップができましたから、当日配布するパンフレットとか仮チラシとか、お金をかけられないけど自前でデザインしなきゃいけない仕事をちょこちょこ手伝っているうちに、「じゃあ、あれもこれも」って感じで手伝うようになって、だんだんその流れでプリコグとも本格的にかかわるようになっていきました。

—え〜っと…、二文に入ってから昼は広告代理店に勤めていたんですよね。それに加えてプリコグも手伝うっていうのはどういう風にこなしていたんですか?

奥野将徳

奥野:う〜ん。それがですね、文学部に転部しても結局あんまり楽しくなかったんですよ。同級生よりも歳が上で話も合わないし、舞台のほうでも実際に現場を手伝っていたりすると、なんとなくアートマネジメントを勉強しに来たっていう学生たちの間にいると、温度差があるとがいうか、「現場で学んでいるほうがよっぽどいい」って思ってしまったんですね。それで、また学校に行かなくなっちゃって。親にはなんとか卒業だけはしろって怒られますし、新学期になると心を入れ替えて通ったりするんですけど、授業に出るだけで、やらなきゃいけないことが他にもたくさんあるのに、「なんでこんなことしてるんだろう?」って、鬱みたいになって…(笑)。結局、大学には全く行かないようになって、建築科の時を含めて5年で中退しました。だから在籍していた頃も昼間は広告代理店で働いて、夜は大学には行かずにもっぱらプリコグを手伝うような生活をしてて。ほんと僕の場合は大学から学んだ事って無いに等しいですよ(笑)。

—なるほど(笑)。では自分の将来をプリコグ一本、舞台芸術のプロデュース一本に決めたのはどういうきっかけですか?

奥野:「この時点で決めた!」っていう感じではないです。そもそもこの業界って食えないんですよ。だから一本に絞りたいと思ってできるものではないというか。商業系の劇団つきの制作会社とか、イベントも請け負っているようなところなら可能かもしれないんですけど、現代的でかつ先鋭的なダンスや舞台の制作でやっていけてるプロデュース会社ってほぼ無いに等しい。それにプリコグも軌道にのったのは、ここ数年くらいの話で、それまでは家庭教師なんかをやって、自分の食いぶちを稼いでいました。だから本業のみで一応食えるようになったという意味では、まだまだ最近のことですよ。

—いままで就職活動とは無縁で、流れるままに今の仕事にたどり着いた感じですね。

奥野:いや、とはいえ葛藤がなかったわけでは全然なくて。「これでいいのか?」って悩んだ時期もあるんです。だから実は就職活動も一回してるんです。プリコグで働いていても食えないわけですし、将来どうするんだって悩みまして、いよいよ大学を辞めるって決めた頃にいわゆる大手のメーカーを何社か受けたんです。それで二社から、内定を貰ったんですけど、結局ふんぎりがつかなくて就職するのはやめてしまいました。

—でも、大手メーカーから内定を!?

奥野:はい。そのときは自分が一般的な企業でどの位試せるか、っていうモードに入ってて(笑)。もちろん書類選考で落ちたとこはありましたけど、書類が通って面接さえさせてもらえば、落ちる気がしないって自信があったので。

—(笑)。すごい!なんか、奥野さんらしいエピーソードですね。じゃあ、そのままそのどちらかに入っていたら今頃は一流企業のサラリーマンだったという人生も?

奥野:う〜ん。そうなんですけど、どっちにしろ、就職活動も親に対するポーズみたいなところがありましたから、どっちかに就職していたとしても、結局やめていたと思います。ちょうど今頃くらいに(笑)。そもそもね、僕、忍耐力がないんですよ。子供の頃からずっとそうで、興味があることはいくらでも勉強するんですけど、面白くないことを我慢して続けることができないんです。というか、自分が楽しめないのに、いい仕事ができるはずがないって思ってるんです。

年に数回遭遇する、何かが湧きたつような瞬間

—たしかにそうではありますが、そこまで思い切った選択を出来る人は少ないですよね。

奥野:僕、浪人時代に病気をしているんで、その影響も大きいかもしれないですね。今はおさまっているんですけど、特定疾患といって、いわゆる難病に指定されている消化器系の病気にかかって、半年くらいいっさい食事もできず、ずっと点滴につながれたまま入院してました。何も食べられないのに薬だけは一日40錠以上飲んでいて、ガリガリになって太ももとかほんとに腕みたいに痩せてしまって。

友達に聞くと、病気の前と後で会った人では、僕の印象がまるで違うそうです。それまでは、体育会で肉食系で俺様キャラ、高校も授業がエキサイティングで楽しかったですから、エリート街道まっしぐらって感じで、当時はそのまま京大の工学部にでもいって、「将来は航空宇宙工学とかの研究をして、飛行機なんかを作るエンジニアになるんだろうな〜」、とか漠然と思ってました。でも病気になって、一気にまっさらなところにきたというか、もっかい自分がなにをやりたいのか考えさせられたんですね。

—なるほど、なんだか納得しました。やぶれかぶれに生きてるわけじゃなくて、自分にとって本当に大事なものを選んでいった結果だと。では、奥野さんにとって現在のお仕事の面白さって、どんなところにあるんですか?

奥野将徳

奥野:そうですね…やっぱりこの業界は、面白い人に会う機会が圧倒的に多いですよ。そんな人達とともに、作品を立ち上げる時が一番ワクワクしますね。そして年に数回なんですけど、舞台の中で、自分の中の何かが湧き立つような、圧倒的なすごい瞬間に遭遇するんですよ。やっぱり生身の人間を扱っていますから、同じ作品を上演していても毎日違いますし、もちろん逆に全然駄目な日もある。でも例えばひとりではそんなに面白くない人も、二人出会えばとてつもなく面白いものに化けることがある。たくさんの人が関わって有機的な化合物ができて、化学反応が起こるといいますか。そんな奇跡的で、鳥肌が立つような瞬間に出会えるのが、僕の仕事の醍醐味だと思うんです。

—鳥肌が立つような瞬間…。生の公演にはそういう醍醐味がありますよね。

奥野:そうですね。そのような瞬間に出会えるのは、この業界ならではかもしれませんね。

—今、奥野さんはドリルという会社にも所属されていますね? こちらではどのような活動をされているんですか?

奥野:ドリルはクリエイティブ・コレクティブと呼んでいて、クリエイティブな仕事をする人たちが集まる「拠点=場所」だと思っています。もともと、昔やっていたイベントのメンバーが集まって、2010年の8月に会社を設立しました。それぞれが自分の得意分野のWEB制作や映像編集をしているんですが、自分としては、今プリコグにかかりきりで、ドリルで具体的に何ができるかはまだ未知数です。かなりゆるい感じですが、面白い人が集まっていれば、パーっと化学反応がおこる可能性があるんじゃないかなぁって思っています。

—では最後に、そんな活動をも含めて、今後の目標などあったりしますか?

奥野:そうですね…。自分が大学を辞める時に、今後の人生について凄い迷っていたんですね。結局、その時に辿り着いた答えが、「面白い人たちと面白いことをやりたい」。これにつきるんですよ。自分一人で面白いことやっていても意味ないし、その時その時に自分が心の底から面白いと思えて尊敬できる人達と、一緒に面白いことをやっていたい。だから今後全く何か別のことで、自分の心を奪われてしまうものに出会ったら、この業界から一瞬にして消えている可能性はゼロではないんですが(笑)、現時点でこの仕事以上に楽しいと思える仕事には出会ってないんです。人を動かす力があるのは最終的には、それしかないと思うんですよ。だから、その時、本気で面白いと思える人達と楽しいことをずっとやり続けていく、っていうのが僕のライフスタイルなのかな、って思います。

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    GIANT|TCR ADVANCED

    ここ最近で自転車にどはまりしていまして、ロードバイクに乗っています。この仕事だと、たまの現場以外は、ずっとデスクワークなんですが、もともと体育会系だったからか、ものすごいストレスが溜まるんですよね。それで自分の身体が不健康になっていくのがよくわかって、二年前にふと自転車を買って、通勤に使い始めたところ、みるみる体調がよくなっていきました。疲れるからよく眠れるし、そうすると仕事の効率もよくなって、いろんな意味で身体を動かすって大切だなと思いました。今日の自転車はGIANTのTCR ADVANCEDです。GIANTって台湾にあるんですけど、世界最大の自転車メーカーなんですよ。年末に台湾旅行のついでに買ってきました。