CINRA

「自分はこれ」を決めつけないことの強さ

デザイン科出身の両親の影響で、幼いころからゴッホやエッシャーの画集を見て育った桑原さん。現在は株式会社ワンパク(1PAC.INC.)にてデザイナーとして活躍中。しかし、決して一直線に今のデザインの道に向かって突き進んできたわけではない。中学ではテニス、高校ではギター、大学では自主映画制作、卒業後にはメディアアートの分野で様々な才能を輩出したことで知られる情報科学芸術大学院大学(通称:IAMAS)に進学するなど、次々に新しいものに興味を持ち自分の視野を広げてきた。「常に色々なものをインプットすることが自分のモチベーションに繋がっている」と語る桑原さん。様々なことに興味を持ち、まずはなんでも自分でやってみるという、いわばその節操のなさこそが、彼の最大の強み。桑原さんの、一つの枠にとらわれないチャレンジングな経歴と、その柔軟な思考について伺った。
  • インタビュー・テキスト:たろちん
  • 撮影:すがわらよしみ

Profile

桑原 翔

1985年生まれ。静岡県浜松市出身。少年時代から、絵画や音楽、映画など興味を持ったことに次々とチャレンジしてきた。大学時代から自身の作品作りを始め、徐々に自身の将来の方向性を「WEBデザイン」に定めていく。その後、ゼミの教授の薦めでIAMAS(情報科学芸術大学院大学)に進学。在学中に参加した「ガングプロジェクト2」として出展した「Make: Tokyo Meeting」の会場で、現代表と出会い、卒業後の2010年に入社。

シュールレアリスムの画集を読んで育った幼少時代

―子供の頃はどんなお子さんだったんですか?

桑原 翔

桑原:どちらかというと、休み時間は「外でサッカー」というよりは教室でひたすら漫画を描いているようなタイプでしたね(笑)。両親が2人とも高校からデザイン科の出身で、父親は東京造形大学に進んで、母親はファッション系雑誌の撮影アシスタントをやったりという家庭に育ったので、小さい頃からゴッホの画集なんかを絵本がわりに読んだりと、自然と絵を描いたりすることに興味が向いたのかもしれません。特に『シュールレアリスムの巨匠たち展』という展示のカタログが好きで、子供心に「なんだこの変わった絵は!?」って思ってましたね。

—幼少期からシュールレアリスム(笑)。ずいぶん早熟ですね。

桑原:もちろんコロコロコミックを読んだり、ミニ四駆にもハマったりしてましたよ(笑)。画集を読んでも意味は全然わかってないので、絵本を読むように直感的に眺めていただけですけど、それがビジュアルでの表現に関心が生まれるきっかけだったのかなと思います。休み時間にエッシャーの真似をして描いた漫画を友達に見せたり、図工の授業が好きなど、自分は「モノを作ること」が好きなんだなという自覚は、その頃から既にあったように思います。

―他にはどんなことに興味があったんですか?

桑原:中学で始めた軟式テニスには、比較的真面目に取り組んでいました。高校からはギターを始めて、浜松の駅前で弾き語りをやったりと……。今思えば青春ですね(笑)。その他にも映画もよく観ていましたし、興味の赴くままに、色々なことに節操無く手を出していたように思います。

考え込んじゃうと動けなくなるから、まずはやってみる

―大学入学後も、それまで興味のあった絵画や映画に対する欲求というのもどこかで発散していたんですか?

桑原:映画サークルに入って自主制作映画を作っていました。当時は石井克人さんの作品のような、日常を淡々と描画するものに惹かれていて、自分でも脚本や監督、撮影などをやって作ってみたんです。今観ると「なんだろう… このストーリーは?」って感じですけど(笑)。学業のほうは留学から帰ってきて、主に前衛芸術を研究対象とするゼミに入った3年時から本腰が入った感じですね。

―「前衛芸術」と聞くとマニアックな感じがしますね(笑)。そのゼミを選んだのは留学中の体験がきっかけに?

桑原:いえいえ。もともと画集に載っているコラムなんかに興味があった部分が大きいので、直接留学が関係しているわけではないですね。留学先はカリフォルニア大学で、語学研修が基本プログラムだったのですが、英語の学習そのものであれば、きっと日本でもできることだろうと思っちゃって。それで折角ならメインキャンパスの授業を、現地の学生と一緒に受けたいなって思い、ビジュアルデザインやゴスペルを歌う授業なんかを履修したりして…。

—ゴスペルの授業まで(笑)。そこまで守備範囲が広いのは、なぜでしょうか?

桑原 翔

桑原:やっぱり好きだからですかね。僕はあんまり世間体とか義務感で行動するほうではなくて、単純に好きなものに手が出てしまうタイプだと思っています。なんとなく興味を持って、まずやってみたら楽しさがわかって、続けていく。考え込んじゃうと動けなくなるタイプなので、自分がやりたいと思ったらまずはやってみるといいますか。勉強や訓練だと考えると難しく思ってしまう太刀なので、自分がやりたい、好きだって気持ちを大切にしています。

—では、WEB制作に興味を持ったのはいつごろだったんですか?

桑原:インターネットとの最初の出会いは中学生のときです。技術の授業でHTMLを学んだんですけど、英数字や記号だけで構成された文字の羅列がIE5で開いた瞬間、その画面では全く違うビジュアルになって表れて、「これはおもしろいなぁ!」ってハマりました。パソコンで情報処理をやる楽しみを最初に体験したのがそのときで、家にあったWindows 98でHTMLを組んでみたり、高校に入ってからは携帯の待ち受けや着うたのようなものを自分で作っていたり。

—携帯の方にも……。

桑原:やっぱり思春期ですから、携帯電話は必需品じゃないですか(笑)。自分の好きな待ち受け画像を作ったりする中で、トライアンドエラーで拡張子や画像圧縮の仕組みなんかを学んでいきました。だけど途中で家のパソコンが壊れてしまい、何年かパソコンというものを全く触らない時期が続きました。その後、WEBへの興味がピークになったのは、大学に入って自分のパソコンを手にしてからでしょうね。

—それは何かきっかけになる出来事があったんですか?

桑原:僕が大学生だった当時は、Flashによるバリバリのインタラクティブコンテンツが表現として台頭し、圧倒していた時期だったと思います。いつも国内外の様々な格好いいサイトを巡回している中で、特に印象的だったのが「FORESTS FOREVER」というフルFlashのサイト。これは世界中の森の写真をアーカイブで閲覧できるサイトで、美しい写真を惹き立てるための優れたインタラクションやサウンドが備わっていて、触ってるだけでとてもワクワクして「うわぁ、何だこれ!?」って衝撃を受けましたね。その頃から「WEB上での表現」というものに関心が生まれて、徐々に「自分でもやってみたいな」という方向に気持ちがシフトしていったのだと思います。

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「もっと学びたい」から、IAMASへ

「もっと学びたい」から、IAMASへ

—IAMAS(情報科学芸術大学院大学)への進学を決めたのはどんな考えからでしょうか?

桑原:自分の内にあるものを形として表現していくことに挑戦し始めたのが、大学3年からだったので、時間が足りない、まだやりきれていない、という思いがあったんです。かといって、作家や研究者として独り立ちすることなども自分のスキルや経験値からは考えられなかったので、とりあえずもっと学ぶことを続けたいと思いました。それをゼミの教授に相談したらIAMASを薦められたんです。

—IAMASといえば、理系というか技術色の強い印象を持ちますが…。

桑原 翔

桑原:もちろんプログラミングを、毎日バリバリ書いている人も多かったです。ただ、それには各々の制作や研究という目的があって、技術は方法論でしかなく、一般的なイメージでいう理系や技術色の強い人だけが集まる学校ではないかと思います。自分にとっても、進路として間違ってなかった思っていますよ。僕の場合は今までハードウェアやプログラミングを用いた表現の経験がなかったので、できることを増やしたいなという気持ちもあって、色々と勉強をしていきました。それこそ今までそうしてきたように「新しい環境にきたことだしやってみようかな!」という軽い感じの入りからです。実際にやってみたら、「できる」ということを肌で感じられるのが嬉しくて。

—それから、今のお仕事に徐々に流れついたんですね。

桑原:そうですね。そのときの自分たちで作った作品を「Make:Tokyo Meeting」(※テクノロジー駆使した、展示・ワークショップ・ライブパフォーマンス・プレゼンテーションなどを通じ、モノ作りの楽しさをシェアするイベント)に出展した機会に、今の代表から声をかけられて、大学院卒業と共に働かせていただいています。もともと卒業したら何かしらモノを作る仕事に携わりたいと思っていたので、自分の好きな道で就職が決まったことは純粋に嬉しかったですね。

—そのまま、研究を続けたいといった気持ちは無かったのですか?

桑原:それには大きな葛藤はありましたが、IAMASを卒業したらまずは就職してみようと思っていました。その頃もWEBの制作とかにはかなり手を出していたのですが、やはり趣味のレベルを超えていないのと、仕事として世に出して恥ずかしくない技術を身につけたいという気持ちが強くありました。もちろん、まだまだ勉強中ですけども。

枠にとらわれず、可能性は広く

—では今の仕事内容はどんな感じなんですか?

桑原:PCやスマートフォンで閲覧・使用するためのWEBサイトやアプリケーションの制作がメインです。基本はデザインですが、これまでの経験を活かして実装作業を手伝わせてもらったりもします。やっぱりデザインをしてると、つい自分でコーディングまでしたいと思ってしまうことも少なくないので。

—実際に働いてみて、苦労している部分などはありますか?

桑原:自分としては「これが一番いい」と思っていた提案であっても、お客さんに伝わらなかったときには、葛藤をおぼえますね。どうすれば上手く伝えられるか、納得していただけるか、というプレゼンテーションのスキルなど、制作そのもの以外のノウハウにおいても力不足を自覚するときは多々あります。それでも、WEBが好きだという前提があるので、制作そのものを苦に感じて嫌になるというよりは「もっとやってやろう」という気持ちの方が大きいです。

—基本的にすごく向上心が強いですよね(笑)。ご自身を奮い立たせることって何でしょう?

桑原:月並みかもしれませんが、インプットを大切にしています。制作はアウトプットの作業ですが、何か自分を触発するものを意識的にインプットすることがモチベーションの源になっているのかなと思います。まずは自分が、観賞者やユーザーの立ち位置で感動する体験こそが重要で、何かに対して「もっと頑張ろう」と思えるときって、最初に自分が「すげぇ!」と思った衝動があったからだろうなぁと思うんです。

—なるほど。では桑原さんが働く上でのポリシーってありますか?

桑原:そうですね……。常に「枠にとらわれない努力」を心掛けています。「WEBだから」「日本だから」などといった枠を自分の中に設定すると、せっかくある可能性を狭めてしまうだろうと思うので、意識的に常にその枠を取り去ろうとする意識はしていますね。

桑原 翔

—様々なことをやってきたからこそ、その軸はブレないというか。

桑原:自分では「節操の無い器用貧乏だ」と思っています(笑)。学生の頃から一つのことをやり続けて大成するような人を横目に、いくら羨ましいとは思っても、やはり「自分は自分でしかないな」と思う気持ちもあって。だから違う言い方をすれば、色んなことに手を出してきた分、未だに「自分はこれだけをやっていく」というものを決められずにいるんです。

—でもその分、得をすることもあるんじゃないですか?

桑原:一概にはいえませんが、多少はあるかも知れませんね。たとえば、学生時代に、自分でプログラミングを扱った経験があるからエンジニアの人ともスムーズにコミュニケーションできたり。WEB制作の現場は、効率性が重視されて分業気質になってしまいがちですが、僕は新しいものを生み出していくためには、その役割分担を取り除いた、より入り組んだ連携が必要なのではないかなと思うんです。それこそオールマイティに動けるプレイヤーが増えていくことで、WEBそのものの息も長くなるんじゃないかなと思うので、自分もいずれそういった中の一人になれたらと思っています。

—常に枠にとらわれない事が、より良い方向に向かっていくと。

桑原:そうなってくれれば、嬉しいですね。僕は自分にできないことをやってる人がいるとき、他人事と思えないというか、自分でもやってみたいなと思ってしまう癖があって(笑)。その分、デザイナーという肩書きや環境にとらわれず、自分の視点や視野を広げていくことでより多くの人の役に立つ仕事に繋がるのでは、と今は考えているところです。

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