「フォント」は歴史と生活を紐解きながらつくられる。書体デザイナー・大曲都市に聞く文字をつくる仕事
- 2024/12/13
- REPORT
第一線で活躍するデザイナーのキャリアや作品について深ぼる連載「デザイナーに会いにいく」。第3回にご登場いただくのは、イギリスのロンドンで活動する書体(タイプフェイス)デザイナーの大曲都市さん。
H&Mやイギリスのプレミアリーグなど、日本でも知名度の高いブランドや団体の公式書体を手がけてきた大曲さん。そのフィールドは、「日本語以外の文字」と幅広く、アルファベットの欧文書体のみならず、モンゴル文字やアラビア文字にチベット文字、さらには『指輪物語』で知られる作家のJ・R・R・トールキンが生み出した架空のテングワール文字など、世界中のあらゆる文字を手掛けてきた人物だ。
「日本人だからといって和文書体をデザインするのではなく、他の人がやっていない方向へ行ったほうが面白い」と語る大曲さん。その唯一無二の輝きは、どのように生み出されてきたのか。書体デザイナーの仕事内容とともに探っていった。
※本記事はCINRA JOBにて制作・配信されています
- 取材・テキスト:宇治田エリ
- 編集:吉田薫
Profile
大曲都市おおまがり とし
1984年福岡県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科を卒業後、英国レディング大学の書体デザインコースを修了。2012年にMonotypeに入社し、Metro NovaやNeue Plakなどの名作復刻書体を手がけるかたわら、H&Mやプレミアリーグなどのブランドのカスタム書体を制作。2021年に独立し、現在ロンドンを拠点に活動中。
粘り強さが求められる、書体デザイナーの仕事
―グラフィックデザインには欠かせない書体ですが、書体のデザインの世界は奥深く、近づきがたいイメージがあります。その仕事には、どのような特徴があると思いますか?
大曲:書体デザインをするためには、アカデミックなリサーチも必要になりますし、特に和文書体などはデザインすべき文字数がかなり多いので、近づきがたいイメージがあるのかもしれませんね。とはいえ、アルファベットやその他の文字の場合も、基本的にグラフィックデザインよりも長い期間をかけて制作されることが多いと思います。文字の太さやアルファベット以外にキリル文字なども欲しいなど、求められるボリュームにもよりますが、だいたい数週間から数ヶ月単位はかかりますね。和文の場合は数年単位かかるでしょう。また、手がけたことのない文字の書体をデザインする場合も時間がかかるものなんですよね。
―書体デザイナーはクリエイターであり職人でもあるというイメージもあります。
大曲:そうですね。とにかく、粘り強さが求められる仕事だと思います。たくさんの知識を身につける必要もあれば、べジェ曲線をきれいに描けるかといった技術的な部分が求められることも多い。さらにデジタル書体を手がけていると半分プログラミングみたいな仕事も入るので、いろんな分野を横断しなきゃいけない仕事でもあります。イギリスの有名な書体デザイナーであるマシュー・カーターさんは、書体デザイナーの仕事について「冷蔵庫の氷がつくられるのを見ているようなもの」と表現していました。つまり、一見何も変わっていないようなちまちまとした作業をずっと続けられることが、書体デザイナーに求められる資質なのかなと思いますね。
「自分じゃないとできないことをやってみたい」大学院で挑戦したモンゴル文字
―日本の武蔵野美術大学を卒業後、イギリスのレディング大学の修士課程に進学された大曲さん。そこではどのような文字の書体を制作したのでしょうか?
大曲:レディング大学のコースでは、まず誰もが読めるような一般的な書体をつくることが大前提として求められていました。そこで普通のゴシック体をつくることもできましたが、それでは簡単すぎて勉強にならない。それよりも、日本でいう明朝体に代わるような、アルファベットではローマン体と呼ばれる、字画の先端にセリフと呼ばれる装飾が付いている書体をつくろうと考えたんです。そこで、ムサビにいた頃に研究していた「Centaur」という15世紀につくられた書体を掘り下げたいと思いました。一口にローマン体といってもさまざまなジャンルがあるのですが、我々がよく使うローマン体の代表的なものが16世紀につくられた「Garamond」で、その書体の登場以降、ローマン体のスタイルが定まってきたという歴史があります。
一方で、15世紀ルネサンス期につくられた初期のローマン体は、古典的なスタイルでユニークな形もあってすごく面白い。その頃のローマン体をテーマにして、自分なりに「Marco」という書体をつくってみたんです。
その後、レディング大学のラテン語以外の書体デザインにチャレンジするコースにも参加して、「Marco」のキリル文字版、ギリシャ文字版も制作しました。
ただ、それらの文字もアルファベットに比較的近い文字ですから、もっと変化球を投げたい、やったことのないまったくく違う文字に挑戦してみたいなと思って。いろいろな文字を探すうちに、モンゴル文字にたどり着いたんです。モンゴル文字は、基本的に縦書きで表記する文字なので日本人からすると親しみが持てます。一方で、アラビア文字のように続き書きであったり、上から下、左から右に書くという和文にはない特徴もあり、「難しそうだからこそ、自分がやってみよう」と挑戦してみることにしました。
―モンゴル文字の書体をつくるために、どういったリサーチをされたのでしょうか?
大曲:初めてつくる文字の場合、まずは自分がその文字に慣れていかなければならないので、子ども用の文字の練習帳や書道の本などでたくさん手を動かして慣れていくところから始めました。並行して、大学図書館などで歴史的な資料や昔の手書きの文字などを片っ端から調べていき、モンゴル文字とは一体どういうものかを掴んでいったわけです。そこから、どのような既存の書体があるのかを調べ、どのようなスタイルの書体にしていくかを考えていくのですが、やっぱりイギリスにいたままでは限界がありました。
そこで、実際にモンゴルや中国の内モンゴル自治区へ行って、リサーチを深めていきました。そこでは、街中での看板や道路標識、書店で売られている本などを見てまわり、どのような書体が使われているのかを見たりしていきましたね。さらに、学校では文字がどのように教育されているのか、同じ文字でもさまざまなタイプの形がある場合、どれが一番普通に使われているのかといったことを知るために、モンゴルの書体デザイナーやタイポグラフィを扱う現地のグラフィックデザイナーの元へ意見を聞きに行ったり、学生さんに手書きの文字を見せてもらったりしてデザインを決定していきました。
―書体がどのように生活にフィットしていくのか注視しながら、さまざまな角度からリサーチをしていくのですね。
大曲:そうですね。こういった新しく手がける文字のリサーチにはかなり時間をかける必要があるんです。のちにチベット文字を手がけたときは、チベット仏教のお坊さんに手本を書いてもらったり、ある程度デザインしていた書体に直接手を加えて調整してもらったりしました。モンゴル文字の場合は、最初はセリフ体をつくった後、これまでに存在していなかったモンゴル文字のサンセリフ体のデザインにも挑戦しました。使い続けなければ簡単に消えてしまう文字だからこそ、使える書体をつくることに意義があると感じましたね。
インターネット上でマイノリティの「声」が奪われている状態を無くす。Monotypeでの仕事
―卒業後、「Helvetica」や「Frutiger」など有名なフォントを手掛けている、世界最大規模のフォントメーカーMonotype社に入社されました。どのような経緯で入社を決めたのでしょうか?
大曲:在学中に、イギリスのMonotype社でインターンシップの枠ができたという話が大学にきて、そこで選ばれてインターンに行くことができたんです。最初Monotype側は雇う予定はなかったそうなのですが、僕はとにかく就職がしたかったので、数か月間、死に物狂いで働いてアピールして。インターンが終わる頃に「入社しますか」という話になったんですよね。
―入社後はどのように仕事をされていたのですか?
大曲:欧文書体のデザインが多かったので、個人で仕事することが多かったです。一方で、クライアントワークでブランディングのためのオリジナルフォントを開発する場合はスピードが大事になってくるので、2、3人のチームを組んで分業していました。
―印象に残っている仕事はありますか?
大曲:入社後最初につくった「Metro Nova」という市販書体です。これは1929年にLinotype社からリリースされた「Metro」という書体を復刻したもの。「Metro」はもともと、「Futura」に対抗するためにアメリカでつくられた書体で、とても人気があったのですが、近年は忘れられた存在になっていました。
このプロジェクトは、「映画『Linotype: The Film』のクレジットで使用できるように、オリジナルのMetroblackをデジタル化できないか」と依頼されたことから始まりました。じつはすでに「Metro」のデジタル版はあったのですが、本来の金属活字版のデザインが欲しい、と。僕自身もその仕事に魅力を感じて、本物らしさをとことん追求してつくった結果、「これ、売れるかもしれない」となり市販されることになったんです。
―たしかに「Futura」っぽさはありつつ、そこまできっちりしていないというか、ディテールにおもしろみがある書体ですね。
大曲:「Metro Nova」の特徴は、遊んだ感じがあるところです。特に小文字のeやgが顕著ですよね。fなどは鳥のくちばしのように細くなっていますし、他の文字と揃えることをあまり気にしていないところにかわいらしさがある。そのほかに手がけた復刻書体も、Monotypeが持っている過去の書体を日常的に片っ端から見ていって、「この書体、すごく面白いのに売り上げデータを見ると全然売れていないな」と高品質でいい書体なのに忘れられているもの、あるいは素材が良くて磨けばもっと光ると思える書体を見つけて、企画を通してつくっていきました。
―大曲さんは、Googleの「Notoプロジェクト」にも参加し、モンゴル文字をはじめ、アラビア文字やチベット文字など、ラテン文字以外の書体も数多く手がけてきました。仕事をしていて、ご自身の考えと重なる部分はありましたか?
大曲:「Notoプロジェクト」は、インターネット上でマイノリティの「声」が奪われている状態を無くしていくために、世界中のいろんな文字をフリーフォントとして提供することを目的としたもので、その理念には強く共感しました。
例えば少数民族が使う文字の場合、商用書体どころかデジタル書体がそもそもないこともあるんですよね。そうなると、彼らはオンライン上で自分たちの言葉を使ってコミュニケーションができない。つまり基本のインフラがない状態なんですよね。だからこそ、とりあえず1つは必ずどんな人でも自由に使えるフリーフォントが使える状態にならないといけません。そこでもっとかっこいい書体が欲しいというニーズが生まれたら、商用書体をつくるという話になるはずですからね。
―実際にデザインした書体がリリースされたことで、どのような変化が起きましたか?
大曲:「Noto Sans Mongolian」は、世界で初めてのモンゴル文字のサンセリフ体なのですが、Googleからリリースされることで、まさにいろいろなところで使われるわけです。たとえばFacebookでも、これまでは手書きのモンゴル文字の文章の画像でやり取りされるか、キリル文字や中国語でやりとりされていたのですが、いまではモンゴル文字でテキストを入力してコミュニケーションをとっている光景を見かけるようになりました。実際に使ってもらえているのを見るとすごく嬉しいですし、幸せですね。
もっと好きなことをやっていきたい。独立後の多様な挑戦
―2021年からはフリーの書体デザイナーとして活動されています。どのような志で独立されたのでしょうか?
大曲:そもそも、欧米圏では会社勤めの書体デザイナーのほうが珍しく、基本的に個人で仕事をする人が多いんです。僕の場合は、会社のなかだけでしか働いてこなかったので、独立したときもあまり明確なビジョンはなかったんですよね。だからとりあえずやりたいと思ったこと、好きなことをやれたらと思って独立しました。
―仕事はどのように獲得されているのでしょうか?
大曲:自分で開発した書体を売るのと、クライアントワークの両方で生計を立てているのですが、クライアントワークに関してはプロモーションが得意なわけではないので、新規のクライアントを獲得するというよりも、過去に携わってきたプロジェクト経由であったり、他の仕事で知り合ったデザイナーの方などから、クローズドな形で依頼を受けることが多いです。
ウェブサイトに最新の事例で載せている「TOKYO DOME CITY」も、まさにデザイン審査会で知り合った方から声をかけていただいた仕事です。
―「TOKYO DOME CITY」の書体もユニークですよね。どのようなコンセプトでつくられたのでしょうか?
大曲:「TOKYO DOME CITY」は、東京ドーム周辺のホテルや娯楽施設を合わせたブランドなのですが、一度全体のブランディングを仕切り直そうとなったんですね。そこからデジタルディスプレイをたくさん導入し、「TOKYO DOME CITY」のタイポグラフィを映し出そうとなり、「いろんな形に変形する書体をつくれないか」という依頼をいただいて制作がスタートしました。
初めての試みで、なにをするかという具体的なことはほとんど決まっていない状態から始まりましたが、書体をつくりながらゆっくりとグラフィックデザインのディレクションも決めていくという流れで、文字の太さや高さ、幅などをスライダーを調整して選んでいけるバリアブルフォントをつくっていきました。通常のバリアブルフォントは、あくまでおまけ的な機能として使われることが多いのですが、このプロジェクトではバリアブルありきの要素をてんこ盛りにしたクセの強い書体にしています。
―スライダーを動かしたときに起こるダイナミックな動きがそのままアニメーションになっているのがユニークですね。その他に、印象的だった仕事はありますか?
大曲:自主的に制作したアラビア文字の書体ですね。見出し用の書体なのですが、ベースとなっているのは1960年代のエジプトの映画ポスターなんです。中東圏では映画業界がかなり強い国だったので、日本の昭和の映画ポスターのようなものが大量にあって、その頃のポスターを元に、昔の書体を想起させつつ現代的な書体をつくりました。リサーチを含めて5、6年はかかって、自分でも一生懸命つくったなと思います。
―どのような点に苦労しましたか?
大曲:アラビア文字というのは、左から右へ横書きしていくものなのですが、1つひとつの単語は並行ではなく少し斜め左に下がるようになっているんですね。だから自然と上下に動きが生まれる。けれど行全体が下り坂になるわけではなく、単語が並ぶと水平に揃っていくんですよね。それを再現するために各単語が同じ高さに着地するようにデザインするのが、技術的に難しいところであり、面白くもありました。
―ニッチな興味からスタートしつつも、世の中に求められていることを捉えたアウトプットをされているところが大曲さんらしいと感じたのですが、ご自身の制作スタイルについてどう捉えていますか?
大曲:元々、父親が博報堂でコピーライターをやっていたということもあり、「他の人と同じことをするのではなく、ユニークな人になりなさい」ということを子どもの頃から言われていたんです。そうしたほうが面白いし、替えの効かない人間になるはずだから、と。一方で、大人になるにつれて、自分が社会のなかで1人ぼっちになるのもいけないと思うようになって、好きなことだけを求めていくのではなく、デザイナーとして自分の能力で何か社会に貢献できないかという意識も大切にするようになりました。
いまは売れる書体を狙ってつくるよりも、みんながやっていないことをやって、それが当たったら嬉しいなと思ってつくっているという感じですね。
実際に僕がつくった書体で一番売れているのが、「Comic Code」という書体で。これは「Comic Sans」といって、丸くて手書き風で、欧米圏では子どもっぽい書体だと言われるカジュアル書体がベースになっているのですが、プログラミングをする人のなかにはこの書体が読みやすいという理由でプログラミング用に使っている人が結構いたんです。
ただ、既存の書体は等幅ではないため、決してプログラミングに適しているとは言えない。そこで、等幅の書体をつくればもっと使い勝手が良くなるのではないかと考えて、「Comic Code」をつくってみたんです。プロらしくこだわってつくった書体よりも、こういう温かみのあるカジュアルな書体のほうが求められることもあるのだなと気づきました。
これからも新しい文字に挑戦したい。書体デザイナーとして目指すこと
―大曲さんのお話を聞いていると、書体デザインの仕事はまさにインフラをつくることに近いなと感じます。
大曲:文字というのは多くの人の生活にすごく密着しているものだと思うんです。時計や携帯、カレンダーなど、朝起きて10分以内に何かしらの文字を見てしまうと思いますし、そういう文字もすべて書体デザイナーがつくったものですが、その文字が気になる場合というのは、大概書体やタイポグラフィが読みづらかったり、適材適所ではない使われ方をしているときが多い。なので、そうならないようにつくることを心がけています。
一ビジュアルコミュニケーションデザインの分野で、書体はタイプフェイスとも呼ばれますよね。「顔」をデザインし「声」を与えるという表現をするのが面白いなと思ったのですが、大曲さんにとって書体の役割とはどのようなものですか?
大曲:書体をデザインする仕事は最終作品ではなく、グラフィックデザイナーのつくるグラフィックだとか、ポスター、パッケージ、CM映像などを構成するためのパーツをつくるようなもの。どのような書体を合わせたいか考え、その書体に何を喋らせるか決めるのは、書体を使うデザイナーさん次第なんです。
別の言い方をすると、グラフィックデザイナーさんがシェフだとしたら、僕らの仕事は野菜をつくる農家なんですよね。ですから、書体そのものを作品として見てもらうというより、材料をつくるという裏方の仕事という意識でやっています。
―今後はどのような書体デザインに挑戦していきたいですか?
大曲:タイ文字ですかね。商業的に活発な地域ですし、文字自体もかわいいのでモチベーション高く取り組めるだろうなと思っています。もちろん、タイの書体業界は既に成熟していて、書体がなくて困っているわけではないんです。けれど、まだまだ「こういう書体があったらいいんじゃないか」と思うことが結構あるんですよね。そういったアイデアは、外国人だからこそ現地の伝統やデザイン文化に縛られずに生みだせると思っていて。そこで新しさを感じてもらえたら嬉しいですし、今後も世界を見渡しながら、つくれる文字を増やしていきたいですね。