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桃山商事・清田隆之が新刊『戻れないけど、生きるのだ』で綴った、男性性の課題とゆくえ

文筆家で「桃山商事」の代表としても活動する清田隆之さんの新刊『戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ』が12月24日に発売された。

マジョリティーの男性として、ジェンダーや男性性の問題に真っ向から向き合ったエッセイ集『さよなら、俺たち』(2020年刊行)から4年。本書では、前作とも言える『さよなら〜』で積み残した問題に向き合いながら、現代の男性性について、そしてこれから男性はどう生きるのかについて、清田さんが4年間様々な媒体で書いてきたエッセイが収録されている。

今回は清田さんに、本書を出版しようと思った理由から、働くことと「男性性」、コンテンツで描かれる男性像の変化までを聞いた。

  • 取材・テキスト・編集:吉田薫
  • 撮影:前田立

Profile

清田隆之きよた たかゆき

1980年生まれ。文筆家。桃山商事代表。早稲田大学第一文学部卒業。ジェンダー、恋愛、人間関係、カルチャーなどをテーマに様々な媒体で執筆。朝日新聞の人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。桃山商事としての著書に『生き抜くための恋愛相談』『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(ともに、イースト・プレス)。単著に『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』(朝日出版社)など。

『さよなら、俺たち』から4年。簡単に「さよなら」できたのか?

―『さよなら、俺たち』から4年が経ったいま、再び男性性についての本を出そうと思った理由からお伺いできますか?

清田:『さよなら、俺たち』を出版した頃は、ジェンダーの議論のなかでも男性の問題により焦点があたり始めた時期でした。「#MeToo」ムーブメントの中で、加害やハラスメントを“する”側として位置付けられる属性の男性たちが、当事者としてどう向き合うかが問われるようになった、ということだと思います。

そういった背景もあり、当時は想像以上の反響がありました。もちろん批判的な声も多く、「そんな簡単にさよならできるのか?」「そもそも、さよならとか言えること自体が男性特権では?」という指摘もありました。女性の問題を考えると、何十年も性差別的な構造に抵抗してきたにもかかわらず、まだまだ根強く問題が残っている。そういう状況がある一方で「男らしさの鎧を捨てよう」なんて、そんな簡単にできるのかということですよね……。

清田:『さよなら、俺たち』は、自分自身のことを内省 / 反省的な視点で振り返りながら、「これからは、男らしさに囚われることなく生きていきたい」という思いで書いたのですが、それらは社会構造が生み出しているものでもある、という視点が足りていなかったと思い至りました。

「男性はみんな内省しよう、反省しよう」というふうに、“個人”の問題だけにしてしまうと、しんどい上に構造問題を温存することにもなってしまう……。そういう課題が積み残されていました。

―なるほど。『さよなら、俺たち』の反響をとおして、書ききれていない部分が清田さんのなかで明確になったということですね。

清田:『さよなら、俺たち』を出したあと、男性性の問題について書いてほしいという依頼が増えました。それらのなかでは、社会の問題や政治の問題、資本主義の問題なども視野に入れながら、男らしさの問題を書いてきたように思います。テーマもジャンルも様々ですが、『戻れないけど、生きるのだ』に収録されているエッセイには、そういう問題意識が通底しているように思います。

子育てからも仕事からも離れた、真夜中の時間が堆積して一冊になった

清田:ただ、問題意識に根付く構成がありつつ、本書の軸は、この4年間で出会ったコンテンツに深く心が揺さぶられた経験や感動といったものだと思っています。

2020年からは双子育児とコロナ禍が重なり、生活が一変して外出することもままならなくなりました。そんな時期に、書評を書いたり映画を見て文章を書いたりと、家でできる仕事が自然と多くなったんですね。子どもたちを寝かしつけて、「やっと眠ってくれた」という真夜中に本を読んだり、映画を見たり……そこで1日のなかで初めて個人としての自分に戻って「面白い」と感じたり、心を揺さぶられたりする。その時間の積み重ねにこそ、この本の本質があるように思います。

だからこの本には、真夜中のイメージや、静かにひとりで世界と向き合うような感覚があって。デザインを担当してくれた六月さん、そして画家の山口洋佑さんにそのイメージをお伝えしたところ、濃紺の紙に銀インキで印刷した美しい装丁に仕上げてくれて。

―そういうイメージがあったのですね。すごく素敵です。

清田:贅沢ですよね……。僕も今日初めて表紙見本を手に取ったのですが、なんだかうっとり見入ってしまいました。

ジェンダーの問題って、根深くてつかみどころもなくて、見つめ直したいと思っても、頭で考えてるだけでは難しいなって感覚があって。そのためには、真夜中の時間に、親でも社会人でもない、ひとりの個人に戻る時間が必要だと感じています。男性性の問題と向き合うためには、そうやって心と身体を揺り動かされることが大切なんじゃないかと思うようになって、それが本の軸になっていきました。「ジェンダーとかもうお腹いっぱい」「いい加減疲れてきた」みたいな意見をくださった男性もいましたが、真面目さ一辺倒ではない向き合い方ができるといいなって考えています。

男性キャラクターに注目して見た『虎に翼』

ーたしかに、本書を読み進めるなかで、もちろん男性性の問題や課題について考えつつも、清田さんの本やドラマへの深い感動が伝わってきて、読みながら「すごいわかる!」と共感していました。特に、「『虎に翼』が終わってしまってさみしい秋の日に」とあとがきのラストが締め括られていたのも良かったなと。

清田:本当に素晴らしいドラマでしたよねぇ(涙)。

―本当に。私も終わって寂しかったです。本書では轟(太一)に関するテキストが収録されていますが、清田さんのドラマ全体に対する感想もおうかがいしてみたいです。

清田:はっきり「フェミニズムのドラマ」と打ち出していたわけではありませんが、明らかにそういうテーマ性が根づく作品でしたよね。最初はとらちゃんというスーパーウーマンが困難や抑圧を跳ね返していく痛快さがありながら、戦争という背景で物語が大きく転調、戦後は次第にとらちゃん自身の特権性やマジョリティ性が突きつけられて内省していく展開になり……という流れも圧巻で。

昔から朝ドラが大好きで、これまでも『カーネーション』や『あさが来た』など、ジェンダーへの問題意識が根づく作品はたくさんありました。『虎に翼』も、以前だったら「これは男性への問題提起なのだから、「とらちゃんすごい」と単純に感動している場合ではない」と考えながら見ていたような気がします。もちろん、そういう意識もありましたが、それ以上に「轟、最高!」「よねさん、最高!」と素直に感動していた部分が大きくて。頭で考えさせられつつ、感情面では大いに感動したり揺さぶられたり、本当にすごいドラマでした。

清田:そんな『虎に翼』において、男性キャラクターたちもいろいろ魅力的でしたよね。とらちゃんのお父さんやお兄ちゃんの天真爛漫なキャラクターに癒やされたし、優三さんも優しくとらちゃんに寄り添って支える、サポーティブな男性像を体現していました。

あと花岡とか轟とかが抱えている問題が丁寧に描かれていたり、同僚の小橋なんかもマジョリティー側の男性の苦悩を吐露しているシーンがあったりと、すごく良かったです。

―1人ひとりにちゃんとフォーカスが当たっていて、全員に感情移入しながら見れましたね。

清田:それと、日本国憲法が物語の中核に据えられていたというところも、グッとくるポイントでした。

明治憲法から戦争を経て今の日本国憲法になった時に、その志や制度が社会をどう変えていったのかの一端が伝わってくるようでした。最初は「女性=無能力者」とされていて、そこから登場人物の女性たちが「何でもできるんだ」と奮闘して……とらちゃんやよねさんたち仲間それぞれが頑張って、最後にまた一緒に勉強するシーンは胸が熱くなりました。そういうシーンを可能にしているのが、ドラマの根底にある「憲法」なんだと感じさせてくれる、そこがとても良かった……。

その憲法が現実世界では変えられてしまうかもしれないという危機感がある今だからこそ、このドラマがまた響いたのだと思います。

―感動とか思考とかの根底にあるものを、物語を通して分解して教えてくれているような感覚がありましたよね。

清田:本当にそうですね。社会問題をあんなふうに織り込みながらドラマを描けるなんて、本当にすごいことだなと思います。

変化を見せるドラマやテレビ。SNSで再生産される古い価値観

―本書ではドラマ以外のコンテンツ、バラエティ番組からYouTubeまで幅広く取り上げています。清田さんは、本当にたくさんのコンテンツを受容していらっしゃるんだなぁと思ったのですが、そんな清田さんに「男らしさ」という視点からの昨今のコンテンツの変化についてお伺いしたいです。

清田:ドラマに関しては、明らかに登場人物の男性像の描かれ方が変わってきていると感じます。個人的に意識し始めたのは『逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)』(2016年)くらいから。あの時期からオラついた男性像は少なくなっていって、優しくて、大らかで、話をよく聞いてくれる、そういう男性像が増えているなと感じていました。

『逃げ恥』の星野源が演じた津崎(平匡)は、主導するというよりもサポートする立場であることが、とても意識的に描かれていました。当時、ドラマ研究者の岡室美奈子さんは「男性の存在感が希薄になっている」という傾向を指摘されていましたが、そういうなかにあって、新しい役割としてサポート役や傾聴者として、また弱さをさらけ出す存在としての男性像が増えてきているのは間違いありません。『虎に翼』でもさまざまなキャラクターが描かれていて、多様な男性像の在り方が模索されていることを感じます。

清田:バラエティ番組におけるジェンダーの描かれ方をテーマにした原稿は2021年に書いたものですが、バラエティに関しては、まだまだ中高年男性の芸人たちがMCとして中核を担っている、という状況が現在も続いています。そういうなかにあっては、たとえ新しい動きのようなものがあったとしても、大御所の男性たちにとっては、自分たちの慣れ親しんだコミュニケーション様式や価値観にブレーキをかけることになるわけで……なかなか響いていかない。それどころか、「コンプラが〜」「言葉狩りが〜」と茶化すような人もまだまだ少なくない。

ただ、制作サイドが少しずつ変わっていったり、原稿を書いた時期には「お笑い第7世代」と呼ばれる芸人たちが台頭してきて世代交代が起きていたりしました。現場に若い世代が増え、大御所たちを「古い価値観を持ったおじさん」とイジれるようになったのは大きな変化で、その流れはこれからも続いていくだろうと思います。

―歴史の長いコンテンツでは変化の兆しがありつつ、YouTubeのような歴史の浅いものは新しい文化が形成されるのかと思いきや、いわゆるここまで話してきたような「男らしさ」みたいな価値観を表現するコンテンツがたくさん流れていて、非常に残念だなと思っているのですが。ユーザーには若年層も少なからずいるはずなのに、こういった状況になっている理由を、清田さんとしてはどう考えていますか?

清田:そうなんですよね……。再生回数の世界なので、テレビも含め流行っているネタや企画を模倣し、既視感のあるものを再生産していく流れでコンテンツが作られているのだと想像します。そこに根づく価値観にしても、すでに社会に浸透している多数派の感覚にアジャストした方が多くの人に見られやすい。既存の価値観と相容れないもの、異を唱えるものって、頭を使って見なきゃいけないから、数字的には分が悪いのだと思います。

ショート動画なんかは次々と流れてくるので、つい見てしまいますよね。その瞬間はジェンダーのことなど意識せず、漫然とただ見ているだけですが、そこにはときに性差別的な表現や家父長的な価値観が息づいていたりする。でもテンポが良くて時間も短くて見やすいので、考える前に次々と進んでいってしまう。価値観がまだ定まっていない若い人たちは特に、無意識にそういうものを吸収してしまっている状況にあるのかなと危惧しています。

清田:例えばですが、本書にも書きましたが、「ずぼらママの褒められレシピ」のような動画があります。パッと見ただのレシピ動画なのに、そこにはしれっと「夫が褒めてくれた」「息子が何回もおかわりした」という表現が入ってくる。作っている側の妻がなぜ「ずぼら」を自称しているのかも不思議ですよね。でもそのほうが多数派がイメージする性別役割にも合致していて、再生回数が伸びる。

―コミュニケーションツールだったSNSが、いまはPRツールからさらにはマネタイズの手段になって、数字を取れるかどうかだけの勝負になっていることが、人の思考にものすごく影響を与えているのが怖いですね……。

清田:時短の裏技などを駆使して日常を回す妻が「ずぼら」を自称させられる一方、夫の料理は「作品」と扱われたりする……。そういう旧来的な性別役割分業意識が、新しいメディアでもどんどん再生産されていくのかと思うと、なんとも恐ろしい気持ちになってきます。

傷や苦しみに目を向けられないこと自体が、男性特有の苦悩

―お時間も迫ってきたので、最後に「男らしさ」と働くことについてもお伺いしたいです。清田さんは本書に限らず、いろいろなところで、資本主義や新自由主義と男性性の関係についてお話しされていますが、現代社会で働く男性たちの状況について、どのように考えていますか?

清田:ここ数年、男性たちにインタビューする機会が多かったのですが、組織のなかで競争や成長という圧力を受けながら、数字を上げなければならなかったり、自分の価値を最大限に高め、会社や数字に貢献しろという風潮に苦しめられていたり……いわゆる新自由主義的な価値観の圧力を強く感じます。そこは自己責任論の世界で、結果が残せないと「個人の能力が足りない」ということになり、不利でしんどい構造自体は問題視されないままです。

それはきついに決まっていますよね。でも困ったことに、「負けるな」「成長しろ」というメッセージは、多くの男性たちが内面化している「男らしさの規範」と相性が良い。いくらケアや脱成長が大事だと言われても、ビジネスの現場では不利な要素にになってしまう。

―清田さんは本書のなかで、そういったしんどさや辛さに対して、男性が無自覚であることで、より立場の弱い人に自分が被った泥を押し付けてしまう怖さがある、ということを書かれています。そして自分の傷に気づいた先で、「自分をケアする」ことができるとも書かれていますよね。そもそも「しんどさ」に気づくのが難しいということに対しては、どうするのが良いと思いますか?

清田:雑な扱いを受けたり、無茶な働き方を強いられたり、向いていないことをやらされて結果が出ず能力や人格を否定されたり……そういうなかで自分が何にどう傷ついたのかを、きちんと認識して言葉にするのって難しいですよね……。

それはおそらく、傷を発見するための時間やコミュニケーションが不足しているからだと思うんです。おしゃべりをしたり、立ち止まって考えたりする機会がない。だから最近は男性限定の「おしゃべり会」などを開いています。

愚痴をこぼしたり、利害関係のない人に話を聞いてもらったり。また、いろいろなものを読んだり聞いたりする中で、「自分もそうだな」という共感が呼び起こされることもあります。そういう時間を日常のなかでたくさん持てないと、自分の傷や苦しみに気づくのってなかなか難しいのではないか。

なぜか男性同士のコミュニケーションだと、「そんなこと考えてるより、ビール飲んで明日から頑張ろうぜ」みたいな、刹那的にモチベーションアップするような方向に進みがちです。このような、傷や苦しみに目を向けられないこと自体が、男性特有の苦悩なのかもしれないと思うんです。

この本が、お喋り相手の一つになれたらいいなと思う

清田:男同士のおしゃべり会、すごく盛り上がるんですよ。全然知らない人同士で、「めっちゃわかります!」とか言いいながら、仕事の愚痴や人間関係、夫婦生活の悩みなどを語り合っていく。パパ会も企画してやったことがあるんですが、世代がバラバラな人たちがすごく共感しあって、「LINE交換しましょう」みたいになって。そこにはホモソーシャルなノリとはまったく異なる楽しさや心地よさ、癒やされ感がありました。

こういう感じを体感的に味わえると、それがとても価値のあることだと分かる。そうすると、そこに時間をちゃんと使いたいなって思えるはず。やっぱり本当に楽しいという体験がないと、「また集まりましょう」にはならない。

そういう実感をどう作っていくか……そこが課題ですよね。職場帰りに同僚と飲みに行くのでもいいと思うんですが、そういう話にならないのが難しいところです。

―たしかにならなさそうですね……職場での関係値や利害関係もありそうですし、業務上の困りごとの相談になってしまいそう。

清田:そうですね、お相手との関係性もあるかもしれないですし、どういった場であるかも関係しそうですしね。

著者としては、この本が、お喋り相手の一つになれたらいいなという思いがあります。以前、中高の同級生が『さよなら、俺たち』を読んで連絡をくれて、20数年ぶりくらいに会うことになったんですよ。彼は生粋の体育会系育ちで、在学時はそこまで交流がなかったのでどんなふうに読んでくれたのか気になったのですが、「いろいろ身につまされたわ〜」といろいろ感想をくれて。本を読む中で「あの時の自分はああだったんだろうな」と思い出すことが多かったみたいで、書いていて良かったなと思える瞬間でした。

『戻れないけど、生きるのだ』が、多くの男性にとってもそういうものになってくれたらいいなぁと思います。

―いいですね。まずは本書を話し相手にしてもらう。

清田:そうですね。いろんな人の話し相手になってくれたら。

本書は男性に向けて書いているのが第一義的ですが、ジェンダーの議論をずっと眺めてきた女性の方とか、「フェミニストは怖そう」くらいの距離感の人にも読んでほしい。もっと言えば、男性社会の真ん中にいて、特に疑問も持たずに生きているような人にも届いたらうれしいですね……って、読む必要性がないかもしれず、かなり難しいかもしれませんが。

―でも、そういう方にこそ読んでほしいです。

清田:読んでほしいですね~本当に。バリバリの男性社会……中心に行けば行くほど競争の圧力がすごいじゃないですか。傷つかないわけがないと思うんです。傷や苦しみを持ち寄りながら、男同士で「大変だよね」「俺もそういうことあったな」ってケアし合うような本なので、深夜のファミレスとか、学生時代の長電話とか、そういう気持ちで読んでもらえたらいいなと思っています。

【書籍情報】

『戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ』

著者:清田隆之

出版社:太田出版

発売日:2024年12月24日

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