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契約書が普及し、変化した韓国映画業界。韓国在住の監督・俳優に聞く生の声
- 2025/01/29
- REPORT
映画業界を含む文化芸術分野では、長らく契約書を交わさない慣習が問題視されていました。ですが2024年11月からはフリーランス法が施行され、発注者側はフリーランスに仕事を発注後、直ちに業務内容・報酬額・支払期日などを書面または電磁的方法で明示することが義務付けられています。契約書があったとしても、健全な労働環境と正当な報酬を守るためには、それぞれがきちんと契約内容を理解し、自身で内容を精査することが必要です。
一般社団法人Japanese Film Project(以下、JFP)では文化庁主催事業として「俳優のための契約レッスン」「配給・エージェントとの契約レッスン」と題し、文化庁が公表した「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けたガイドライン」に基づき、映画関係者に向けて契約に関する様々なコンテンツを作成しています。昨年は映画スタッフ向けに取り組みを行いましたが、今年は俳優・監督・製作者などに向け新たな講座や研修会を実施。1月17日には、韓国から契約事情を学ぶ『オンライン講座 映画俳優・監督の契約事情~韓国映画界の事例紹介~』が開催されました。
この講座には韓国在住の俳優である広澤草と武田裕光、監督兼俳優のヒョン・スルウ、JFP韓国調査員(翻訳等担当)の大塚大輔、司会として韓国在住文化系ライターの成川彩が登壇。韓国の映画監督・俳優向けに使用されている「標準契約書」がどのようなものかを紹介しながら、契約書がどのように活用されているか、具体的なエピソードとあわせて語られました。
本稿ではオンライン講座の内容をレポートしながら、映画業界における契約のあり方を考えます。
- 取材・テキスト:ISO
- 編集:吉田薫
韓国映画界における監督・俳優向けの標準契約書とは?
大塚:「標準契約書」とは映画業界だけでなく、建設やプロスポーツに至るまで、特定の分野で頻繁に交わされる契約のため、「労」 「使」「 政(公)」の 3当事者の協議・合意下で作成した「標準的」な契約書式のことを指し、不公平な契約・トラブルを予防し、事務の効率化を図るための1つの規準になります。
使用者と労働者・契約者の関係が対等になるように作られていることが特徴で、法律に反しない限りは状況に合わせて書式を変更して使うことも可能です。イメージとして近いのが、日本のプロ野球における「統一契約書」。文化・芸術分野では標準契約書の使用が公的助成を受けるための条件になることも多々あります。
俳優・監督向けの主な標準契約書としては以下のようなものがあります。
・映画上映標準契約書(配給会社・監督と上映者)
→上映期間、上映条件、上映料の配分に関する取り決めなどを記載
※2025年1月1日段階の入場料金の基本配分率=消費税10%:配給収入45%:劇場収入:45%
・標準専属契約書(俳優と事務所)
→専属契約の上限や俳優からマネジメント側への資料請求権、セクシュアルハラスメントや性暴力への対応、俳優に対する収益精算内訳の開示義務、紛争解決、調停・仲裁方法のプロセスをなど記載
・放送出演標準契約書(俳優・事務所と制作会社・放送局)
→撮影時間に関する規定、保険の加入義務などを記載
・映画出演契約書(俳優・事務所と制作会社・監督)
→プリプロから広報に至るまでの協力に関する誠実義務、撮影期間や報酬額、契約解除や損害賠償、インティマシーシーンの事前協議(代役要求の権利)などを記載
・DGK(韓国映画監督組合)演出契約書(監督と制作会社間)
→監督による編集権の範囲、権利の帰属、収益の配分などを記載
2023年の「大衆文化芸術人実態調査報告書」によると、大衆文化芸術人(俳優や歌手などの芸能人)約1,200人のうち、専属契約ありが13.8%、なしが85.3%、個人事務所が0.9%でした。そのうち約85%が標準契約書に準拠したものを使用しています。一方、日本では昨年末段階で4割ほどが契約書を使用していないという調査結果が公正取引委員会より出ています。
また、韓国ではエキストラも最低賃金の適用対象となっており、食費や交通費はじめ諸費用も支給されます。「全国補助出演者労働組合」という組合もあり、中間搾取や偽装請負を排除する取り組みが始まっています。
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大塚大輔:JFP韓国調査員(翻訳等担当)
大阪外国語大学朝鮮語専攻を卒業。今まで福岡インディペンデント映画祭、ゆふいん文化・記録映画祭など九州・四国各地の映画祭で作品審査・企画を担当し、日韓の映画関係者・映画祭間の交流を通訳・翻訳などでサポート。また、労働者の健康権や非正規労働者、各種ハラスメント問題に関する日韓交流や国際シンポジウムでの言語サポートや仲介も行っている
仕事を打診するときに、報酬と撮影日数はあらかじめ教えてほしい
成川:日本で長く俳優として活躍し、2014年からは韓国でも活動を始めた広澤さんが、日本と韓国の現場や契約面で感じる違いを教えてもらえますか?
広澤:日本にいるときは契約書を交わす事務所と、契約書を交わさず口約束で完結する事務所の両方に所属していたんです。一方で韓国においては、2014年にフリーランスの俳優として活動し始めた頃からすでに簡単な契約書があり、事前に報酬についても明示されていました。2022年に再び渡韓し参加した作品については、インディーズの作品でも必ず契約書を取り交わすのが一般的。その点で日本との大きな違いを実感しています。
また、撮影現場における日韓の違いで言えば、韓国では撮影中にケータリングや食堂で必ず温かいご飯が食べられるのは嬉しいですね。どんなに撮影がおしていて食事の開始時間が遅れたとしても、絶対に食事の時間自体は削らない。遅れをカバーするにしても食事以外の部分で、というのは韓国の「食事を大切にする」文化が影響しているんだと思います。
成川:「温かい食事が食べられる」というのは、韓国映画に多く参加されている助監督の藤本信介さんが、昨年の映画スタッフ向け講座でお話されていました。食を大切にすることで仕事のモチベーションも上がるので、映像作品のクオリティを担保するためにも必要な部分なんでしょうね。
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広澤草:俳優(韓国在住)
愛知県出身。映画ドラマ舞台とジャンルを問わず活動を重ね、2012年韓国への短期語学留学をきっかけに韓国にも活動の場を広げる。2022年に再び正規留学として渡韓し、現在ソウル在住。日韓合作等の脚本翻訳や監修も担い、俳優・翻訳・大学生と三足のわらじで活動中。近年の主な出演作は、Coupang playオリジナルドラマ「愛のあとにくるもの」映画「ミューズは溺れない」(22/淺雄望監督)「Wintering」(24/チャン・ジュニョン監督)など
成川:契約書に関して明記して欲しい内容や、改善してほしい部分はありますか?
広澤:日本では報酬を聞かないままお仕事を受けることがよくあったんです。事務所と仕事を受けるか検討するときも、内容や仕事相手の話ばかりで報酬の話にはならない。それが韓国だと事前に契約書の段階で「何日間の撮影でいくら」ということがわかる。それは日本でも当たり前になってくれればと思いますね。
また韓国では食事代や移動費、宿泊費は映画の場合は製作費から出るんですが、ドラマの場合は報酬に含まれていない(注:配信ドラマの場合は現場によりシステムが異なる)。でも過去の契約書を見ると、報酬に何が含まれるか書かれていないこともありました。なので契約書には、報酬に何が含まれているのかは明記するのが一般的になってほしいです。
武田:監督や演出部によるオーディションなどを経てキャスティングを決めたあと、本来であればすぐ契約をすべきですよね。でも撮影直前まで契約の話が出てこないことが多々あるんです。そして商業映画の場合は俳優ごとにある程度報酬は決まっているんですが、撮影直前に相場より低い報酬で交渉してくる。直前だから受けるんですけど、その部分は改善してほしいなと思います。
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成川彩:韓国在住文化系ライター・司会
大阪生まれ、高知育ち。神戸大学在学中に2度ソウルへ留学し、韓国映画に魅了される。朝日新聞記者として9年間文化を中心に取材し、退社後2017年からソウルの東国大学大学院へ留学。韓国映画について学びながら、共同通信や中央日報(韓国)など日韓の様々なメディアで執筆。2020年からはKBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」で韓国の本や映画を紹介している。2023年、『現地発 韓国映画・ドラマのなぜ?』(筑摩書房)を刊行
契約書が必須になって、徐々に変化した韓国映画界
成川:武田さんは日本の事務所に所属しながら、2008年から韓国を拠点に活動されていますが、現在に至るまで働き方にどのような変化がありましたか?
武田:初めて韓国映画に出演した2007年から働く環境は大きく変化しましたね。かつては夜中まで撮影して数時間後の朝集合ということもあった時代で、当日現場に着くまで台本がもらえないという経験もしてきました。
でも今は当日まで台本をもらえないということは絶対にないし、撮影スケジュールに書かれた終了時間を大きく超えることもほぼない。また、以前はエキストラさんが撮影に参加した際に、24時を超えても1日分のお給料しか出なかったんですが、今では2日分のお給料が出るようになったとも聞いています。
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武田裕光:俳優(韓国在住)
2006年に単身で韓国に留学し、韓国映画に出演したいと考え2008年から韓国に拠点を移して活動を開始。吉本興業俳優部に所属。代表作に映画 『隊長キム・チャンス』イ・ウォンテ監督、『Harbin』ウ・ミンホ監督、ドラマでは『壬辰倭乱1592』(KBS・CCTV)『医心伝心~脈あり!恋あり?~』(、るtvN)『Pachinko』(apple TV+)。自身が企画・演出・出演・編集を務めるYouTubeチャンネル「コチュわさびch」がある。今後の出演作に『MADE IN KOREA』、マレーシア映画『Gayong』が控えている。
成川:ヒョン監督が働いていて感じた韓国映画界の変化を教えてもらえますか?
ヒョン:私は2011年から映画製作に携わるようになりましたが、当時は労働時間の制限もなく、徹夜してそのまま次の日も撮影に入ることもありました。映画スタッフは皆そのような厳しい環境で働いていたので、疲労や睡眠不足から死亡事故も発生することもあったそうです。それが問題視されて、徐々に変わり始めました。皮切りになったのが2014年のユン・ジェギュン監督作『国際市場で逢いましょう』で標準契約書が導入されたこと。そこからどんどん労働環境が改善し、今では演出部の一番若手でも酷い扱いを受けることはなくなっています。
成川:エキストラの労働環境にも変化はありましたか?
ヒョン:韓国ではここ10年で最低賃金も大幅に上がり、それにともないエキストラの報酬も上がりました。現在は9時間の労働で約8万ウォンが支払われ、残業分もきちんと出ます。地方で撮影がある際には都心からの送迎がありますし、細かな規則もあって、エキストラの方々の労働環境も俳優同様に守られているように感じます。
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ヒョン・スルウ:監督・俳優
多くの短編映画を監督し、時に映画・ドラマに出演している。2023年『もしかしたら私たちは別れたかもしれない』で長編デビュー後も映画界の各所に出没し、面白そうなことを探し続けている。
成川:ヒョン監督は短編映画も制作されていますが、その場合俳優とはどのように契約をしているんでしょうか?
ヒョン:自主制作の短編ですので契約書は交わさず、事務所所属の俳優は事務所と、フリーの俳優は本人と口頭で話し合って決めて報酬を振り込むことが多いです。スタッフは知り合いと助け合うこともありますが、きちんと人を雇う際は相応の報酬を支払うようにしています。
成川:製作した映画に関して、配給会社とはどのような契約を結んでいるんですか?
ヒョン:報酬の配分に関しては監督:配給会社で7:3だったり6:4だったり、会社によって異なります。配給会社はテレビでの放映権まで確約してくれるので、間に入ってもらったほうが何かと効率的ですね。
成川:ハラスメント講習やリスペクトトレーニングについて、日韓で何か教育は受けましたか? 武田:作品で講習を受けるということはこれまでありませんでしたが、所属している日本の事務所が1〜2か月に一度、ハラスメント含む様々な講習を開催をしているのでオンラインで参加しています。 広澤:日本で舞台に出演した際に講習が開かれて受講したことはあります。一方、映画の現場では日韓ともに作品参加前に「ハラスメント防止ガイドライン」のようなものを書面で受け取ることはありましたが、講習を提供されることはありませんでした。日本のテレビ局のスタッフさんは作品参加前に受けると聞いたことがありますが、俳優も参加するというのはあまり聞いたことがない。 ヒョン:私が作品を手掛ける際には、スタッフにリスペクトトレーニングを必ず受けてもらい、俳優にも受けることを推奨はしています。 成川:韓国においてインティマシーシーンについてはどのように進められていくのでしょうか? 広澤:10年前の韓国映画では「下着を脱ぐ行為があるか、バストトップが出るか」といったざっくりした説明のみが出演の判断基準となり、具体的にどういう見せ方をするのかは現場に行くまでわからないということも多々あったと思います。ただ監督と相手の役者さんとクランクイン前にミーティングを兼ねた食事会があり、そこでいろんな場合を想定するお話ができたので、不安は多少軽減されました。ただそれでも明確にしてほしいとは思いますよね。 近年日本ではインティマシーコーディネーター(IC)を採用する作品が増えているので、以前と比べると安心できるんじゃないかなと思います。むしろ韓国では韓国人のICがまだ不在だと聞いています。これから出てくるのかなとは思いますが。 Q.韓国の映像作品のオーディションではどういうことが求められるのでしょうか? 武田:オーディションの参加が決まると、事前に指定台本が送られてきますが、オーディションのときにはその演技に加え、自由演技をしてくださいと言われることがあります。なので皆さんあらかじめ自由演技を用意していきます。 オーディションの雰囲気も違っていて、日本では大勢のスタッフに囲まれて他の俳優と演技をすることが多いと思うんですが、韓国では助監督一人と一台のカメラに向かって演技をすることが多いんです。だから韓国の俳優はカメラを意識した演技を皆さん勉強されていますね。 広澤:自由演技は今までやってきた自信のある演技が披露できるので、数日前に渡された指定演技より堂々とできるというメリットがありますよね。以前スタッフの方が、自由演技のレベルが高いと、練習すればそれだけの演技が引き出せると判断して採用することもあると言っていました。 広澤:事務所所属やフリーランスなど、立場によって働き方や環境が大きく変わるので契約書ができることはすごく大事だなと。そして、それと同時にフリーランスの人の立場が改善していくことを期待しています。 武田:日韓の映画業界でそれぞれ長短はありますが、僕は韓国で活動を始めて良かったと思っています。韓国で働きたい人にとって今回の講義がお役に立てば幸いです。 ヒョン:私の話が日本の映画界に何か役に立つことになれば嬉しいです。今後も日韓で意見を交わし合いながら、お互いにより良い映画環境をつくっていけることを願っています。 大塚:お金のことをきちんと話せる業界のほうが将来性があると思いますし、若い人も「この業界で働いてみよう」と考えやすくなると思います。日本だとお金の話をしづらいことが多々あると思いますが、それを少しでも変えるお手伝いができればと思います。 成川:私もフリーランスで、なかなかお金のことは言いづらい立場なのですが、こういう場を通じて良い例や状況を共有して、少しでも良い方向に変化していけば良いなと思います。 フリーランス新法施行に伴う契約書の導入で、変化が訪れ始めた日本の映画業界。他国の働き方や契約事情を参考にしながら、正しく契約書について学んでいく必要があります。 JFPではオンライン講座以外にも、2月以降に対面研修会の実施も予定。映画スタッフ編、俳優・配給&エージェント編と、業種に応じて東京・大阪で開催。毎回専門の弁護士と多様な映画関係者が登壇し、契約書についてわかりやすく解説するとのこと。無料で参加可能なので、この機会にぜひチェックしてみましょう。 2月3日(月)「ゼロから始める、契約書の読み方講座〜映画スタッフ編〜」@Space&Cafe ポレポレ坐 2月5日(水)「ゼロから始める、契約書の読み方講座〜俳優・配給&エージェント編〜」@日本映画大学 2月12日(水)「ゼロから始める、契約書の読み方講座〜俳優・配給&エージェント編〜」@梅田・立命館大学ROOT 2月15日(土)「ゼロから始める、契約書の読み方講座〜俳優・配給&エージェント編〜」@Space&Cafe ポレポレ坐 主催:文化庁(令和6年度「芸術家等実務研修会」)日韓の映画業界で進む、安心して働ける現場づくり
同講座では参加者からの質問に答えるQ&Aも実施された。
日韓でよい働き方を目指すために
さいごに
事務局・企画・運営:一般社団法人Japanese Film Project