働く環境を改善して、良い映画をつくる。韓国の映画制作現場で使われる契約書に記されていることは?
- 2024/03/14
- REPORT
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一般社団法人Japanese Film Project(以下JFP)では文化庁委託事業として『映画スタッフのための契約レッスン』と題し、映画スタッフに向けて契約に関するさまざまなコンテンツを作成しています。
その一環として1月、『オンライン講座 映画スタッフの契約事情~韓国映画界の事例紹介~』が実施されました。この講座には映画監督の呉美保さん、助監督の藤本信介さん、JFP韓国調査員(翻訳等担当)の大塚大輔さん、司会として韓国在住文化系ライターの成川彩さんが登壇し、韓国の映画現場で使用されている「標準契約書」の日本語訳資料を紹介しながら、日本映画界がどのように変わっていくべきかのヒントが、具体的なエピソードとあわせて語られました。
この記事では90分以上にも及んだオンライン講座のなかから、いくつかのトピックを紹介。映画業界における契約のあり方を考えます。
- 文:ISO
- 編集:佐伯享介
- Sponsored by:一般社団法人Japanese Film Project
韓国の映画界で使われる「標準契約書」とはどういうものか?
成川:韓国では勤労基準法(日本の労働基準法にあたる)が2018年に改正され、週の労働時間が最長52時間までという制限が設けられました。それは映画界でも徐々に浸透して、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)は週52時間労働を守り制作されたことが話題となりました。
成川:またMeToo運動の影響で、映画界における女性の働く環境の改善が進みました。例えば2018年から韓国映画性平等センター・ドゥンドゥンという機関が性暴力予防教育を行なっており、撮影開始前に監督、スタッフ、俳優らが性暴力予防教育を受けてから現場に入るなどの変化がありました。その影響もあり、韓国映画界では女性監督やスタッフの活躍も目立ってきています。
そういった労働環境の改善に大きく寄与しているのが「標準契約書」ですが、これはどういったものなのでしょうか?
大塚:「標準契約書」とは、映画業界だけでなく、建設やプロスポーツに至るまで、特定の分野で頻繁に交わされる契約のために「労」 「使」「 政(公)」、 3当事者の協議・合意下で作成した「標準的」な契約書式のことを指し、不公平な契約・トラブルを予防するための1つの規準になります。
使用者と労働者・契約者の関係が対等になるようにつくられていることが特徴で、勤労基準法を守ったうえで作成されています。法律に反しない限りは状況に合わせて書式を変更して使うことも可能です。標準契約書の具体的な内容は以下の通りです。
【労働標準契約書の内容について】
・契約期間と業務内容の明確化
・労基法に従った労働時間や休憩の規定:
原則的に1日8時間、週40時間、最高1日12時間、週52時間(移動・準備時間も含む)
4時間働いたら最低で30分、8時間であれば1時間必ず休憩
・賃金や報酬の明確化
・休日、休暇、休息時間の保証
週休日の設定(毎週◯曜日は休み、といったこと)、各種休暇の定め
勤務終了後、連続10時間以上の休息義務
・社会保険加入規定(基本的に義務)、労災補償
・労働者の懲戒、遵守、義務事項
・ジェンダー平等、母性保護の原則:
生理休暇、産前産後休暇が保証
性別、妊娠、出産に対する不合理な扱いの禁止
・各種トラブルの仲裁、解決方法
調査・仲裁機関【映画人シンムンゴ】に相談・通報することを推奨
大塚:韓国で映画振興委員会が出している「映画スタッフの労働環境 実態調査」という報告書によれば、2022年の段階で映画スタッフ向けの労働標準契約書の普及率は73.2%。残りは一般労働契約書や、口頭契約も少しですが残っている模様です。
「ほとんど自分の時間は持てない」日本映画界で子育てしながら働くことの難しさ
成川:日本で働く呉監督は、韓国の契約書の内容についてどのように感じられましたか?
呉:週の労働時間が40時間、最大52時間という韓国映画界の基準は私が日本映画業界に最も求めているものですね。日本で映画を撮影すると日々の大部分を映画のために費やして、ほとんど自分の時間を持てないのが実情。
だから昨年に監督復帰が決まった際、最初にオーダーしたのは、子育てがあるので9時~17時で準備や撮影をさせて欲しいということでした。でも予算の問題があるから撮影期間を延ばすことはできなかった。ちょうど夏休み期間だったので子供は親に預かってもらって、結局は「時間を気にせずやります」と腹を括りました。
呉:韓国の週40時間の労働時間がかなえば、みんなが健全に働けるという話をしたときに「それはキャリアを積んでから言えばいい」と言われることもありました。でもキャリアを積むにはいろんなものを犠牲にしないといけない。だから映画の現場で子育てしながら働いているスタッフはなかなかいない。どうすれば子育てしながら働けるのかは、日々考えていますね。
成川:契約書にどのような項目があれば、子育て中の監督・スタッフが働きやすくなると思いますか?
呉:「撮影所に託児所をつくろう」というアイデアも聞くんですが、そういうことではないと思うんです。私としては仕事と家庭を完全に切り分けたい。だから、子育て中の監督・スタッフが働くことを具体的にイメージしたうえで、どのような労働時間で進めるのかを契約書に組み込んで欲しいと思います。
どうしても規定時間内に終わらない場合は、子どものシッター代も加味してもらえると嬉しいですね。
標準契約書の普及により、韓国の労働環境はどのように変化した?
成川:韓国で多くの映画づくりに参加してきた藤本さんの立場から、標準契約書の普及以降感じた変化を教えてもらえますか?
藤本:10~15年前までは韓国も日本と同じように長時間労働・低賃金が当たり前の労働環境でした。標準契約書が広まったのは2015年ぐらいから。僕が最初に標準契約書を交わしたのはパク・チャヌク監督の『お嬢さん』(2016)でした。「12時間労働を守ります。超過する際はスタッフの承認のうえ、追加賃金もある」という旨の説明を受け、すごい変化だと驚きました。撮影前のリスペクトトレーニング実施や、4大保険(編注:雇用保険、労災保険、国民年金、健康保険)に加入できるというのも大きかったです。それが安心して撮影ができるようになった転換点でしたね。
藤本:個人的に重要だと思っているのは食事の時間。韓国では食事の時間は必ず1時間設けられていて、食堂にみんなで行くか、ケータリングを呼ぶのが一般的です。1時間あればゆっくり食事ができるし、スタッフや役者間の交流の時間にもなるので、作品の質にもプラスに働くんです。去年韓国のスタッフと日本で撮影する機会があったんですけど、「冷たい弁当が続くとプロのスタッフとして認められてないように思える」と言っていて。それを聞いて、温かい食事を準備するというのは、契約書と同じぐらい重要だと個人的に思いました。いきなり日本でケータリングを採用するのは難しいと思うんですけど、米だけでも温かいものを準備するとか、そういうところから変えてみて欲しいですね。
あとは週休日制度の重要性も大きい。例えば毎週水曜日が休みであれば、友人との約束や病院の予約もできます。休日を変更する場合は、事前にスタッフたちとの協議のもと合意を得れば変更できるとしっかり定められているのも嬉しいですね。以前スタッフが休日に「サーフィンしていた」と話してたんです。いまは映画の撮影を仕事をしながらサーフィンに行ける時代なのか……と韓国映画界の労働環境に驚きましたね。
そうやってみんなが労働条件通りに働けるのは「映画人シンムンゴ」の存在が大きいですね(編注:映画人シンムンゴは、ハラスメントや契約違反といったトラブルを通報することできる窓口)。契約を守らないと、匿名で通報されて撮影が止まる可能性もあるんです。予算の少ない現場ほど止められたときの損害が大きいから、小規模映画でも契約を遵守するんですよね。そういうところからも、契約書があると安心して働けるなと実感しています。
日本映画界をもっと働きやすくするために必要なこと
成川:労働環境が改善されれば映画界で働きたいという人も増えると思うので、今後も日本の労働環境を良くしていくための考えをみなさんと共有していきたいと思います。
呉:日本では女性スタッフが増えても、出産するとみんないなくなる。そういう人が働ける契約にしていくのが理想ですね。日本で労働環境改善の動きが広がりにくい理由として、下手なことを言わないようにするという国民性があると思うんです。だからもっと気持ちをオープンに発言できる業界にしていくことが重要ですね。
藤本:日本のスタッフに韓国の環境の話をすると、うらやましいけど日本は無理だと諦めてるのをいろんな人から感じてしまうんです。でも変えたいという意識を持っていないと絶対変わらない。スタッフも楽しんでこそいい映画につながると思うので、まずは温かいご飯を用意するところから始めてほしいですね。
大塚:観客としても、制作者の環境も整えられていればより安心して観られますよね。韓国の映画制作者の友達も、標準契約書が適用されてからの方が現場も早く終わり、質の高いものがつくれるようになったと言っているので、日本でも労働環境を変えることは可能だと思います。
「映画スタッフのための契約書ひな型」を無料公開。ガイドブックや解説動画も
文化庁は2022年7月に「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けたガイドライン」を公表して以降、契約関係の適正化に向けて『芸術家等実務研修会』を開催。2024年の秋にフリーランス新法施行を控えるなか、文化庁より業務委託を受けたJFPでは、映画スタッフを対象として、契約に関するさまざまな取り組みを実施しています。
『映画スタッフのための契約レッスン』特設サイトでは、契約書ひな型例・ガイドブック・解説動画なども掲載しています。
映画制作に携わるスタッフのうち、フリーランスと制作会社などのあいだで締結されることを想定したもので、業種を限定しないスタッフ業務全般を対象とした内容となっています。これは文化庁ガイドラインの別添ひな型例に準拠したうえで、映適が公表している「映画制作の持続的な発展に向けた取引ガイドライン」や韓国映画界で使われている標準契約書などを参考とするほか、映画制作業界における慣行を反映させています。
契約書ひな型例作成に合わせ、その解説コンテンツもガイドブックと動画という2種類のフォーマットで作成し、ウェブサイトで公開しています。
ガイドブックでは、フリーランス新法と契約までのワークフロー、契約書ひな型例まで包括的に解説。業種ごとの契約時のポイントや、映画ジャンルなどによる留意点にも言及。日本以外の事例として、韓国とアメリカ各映画業界における契約面の取り組みを紹介しています。
動画コンテンツでは、長澤哲也弁護士を講師として招き、フリーランス新法の基礎知識から、契約書ひな型例に記載された重要なポイントについて、項目ごとに解説しています。
2024年2月には、長澤弁護士を講師、映画スタッフを聞き手として招いた対面研修会『ゼロから始める、契約書の読み方講座~映画スタッフ編~』も開催され、110名ほどの方々が参加しました。
フリーランス新法施行に伴う契約書の導入で、日本の映画業界でも働き方の変化が訪れようとしています。そこで重要なのは、発注者側が責任を持つことはもちろんのこと、受注者側となる働き手一人ひとりがしっかり学び、当事者として契約意識を持つこと。それが今後さらに大切になってくるはずです。
『映画スタッフのための契約レッスン』
主催:文化庁(令和5年度「芸術家等実務研修会」)
事務局・企画・運営:一般社団法人Japanese Film Project
協力:(協)日本映画監督協会、(協)日本映画撮影監督協会、(協)日本映画・テレビ照明協会、(協)日本映画・テレビ録音協会、(協)日本映画・テレビ美術監督協会、(協)日本映画・テレビ編集協会、(協)日本映画・テレビスクリプター協会、(協)日本シナリオ作家協会、日本映画大学
監修:長澤哲也(弁護士・弁護士法人大江橋法律事務所 パートナー弁護士)
有識者:神林龍(労働経済学者 / 武蔵大学経済学部教授)
イラスト:クラーク志織
全体デザイン:鈴木規子
韓国イベントデザイン:中野香