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エッセイは小説より下なのか?『夢みるかかとにご飯つぶ』清繭子と宮崎智之が語る「何者かになること」

「志望理由は?」「あなたの強みは?」「5年後、10年後どうなっていたい?」。自分の実力やスキルを客観的に把握し、先を見据えてキャリアを決める。大人としてあるべき姿だ。しかし、そもそもそれはなんのためなのだろうか? 社会に貢献するため? 生涯年収を最大化するため?

清繭子の根元にあるのは「何者かになりたい」という欲求と、「自分には創造性がある」と信じる心だ。人生のなかで歌手や劇団俳優、NHK入社などさまざまな夢に挑戦。出版社に17年勤務し、現在はフリーのライター・エディターとして活動しながら文芸新人賞に応募し続けている。

そんな清のエッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)が注目を集めている。自分に期待し続け、挑戦し、弾かれ、傷だらけになるさまをあけすけに綴る。

「小説家になりたい人」として活動しながら、まずは「エッセイスト」となった清。本書の制作と出版を経て、小説家へのキャリアプラン、エッセイ・小説などの文芸への認識はどう変化したか? 文芸評論家・エッセイストで、『文學界』(文藝春秋)の「新人小説月評」を担当するほか、近年は「随筆復興」を掲げエッセイの評論や選書なども行なっている宮崎智之が清の現在地を訊く。

  • 取材:宮崎智之
  • テキスト・編集:生駒奨
  • 写真:服部芽生

会社員時代の葛藤。清が思う「企業のクリエイティブ職」の難しさ

宮崎:清さんといえば、「好書好日」の連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」ですよね。文芸の世界ではとても人気のある連載です。僕ももちろん読んでいますし、今回の本『夢みるかかとにご飯つぶ』もとても良い随筆集でした。

宮崎智之(みやざき ともゆき)
1982年、東京都生まれ。文芸評論家、エッセイスト。著書に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)、『モヤモヤするあの人』(幻冬舎)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房)など。『文學界』(文藝春秋)にて2024年1月〜12月まで「新人小説月評」を担当。『週刊読書人』など多くの媒体に寄稿。近年は「随筆復興」を掲げエッセイの評論や選書なども行なっている

清:うれしいです! 今日は本当に感激しています。私のほうこそいつも文芸誌で宮崎さんの文章を拝読しています。批評活動のなかで新人の作品もしっかり紹介してくださる宮崎さんにお会いできるなんて、「小説家になりたい人」としては信じられない出会いです……!

清繭子(きよし まゆこ)
1982年生まれ、大阪府出身。早稲田大学政治経済学部卒。出版社で雑誌、漫画、絵本などの編集に携わったのち、小説家を目指してフリーのエディター・ライターに。ブックサイト「好書好日」で「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。第6回『深大寺恋物語』審査員特別賞受賞

宮崎:あらためて清さんのキャリアについてうかがってみたいのですが、フリーになるまで17年間会社員をされていますよね。

清:はい、雑誌『オレンジページ』を発行する株式会社オレンジページで編集者をしていました。

宮崎:本のなかで「何もかもスムーズで快適」「正社員最高」といったことも書かれていましたが、本には書けなかった葛藤もあったのでしょうか?

清:実際、会社は本当に良い環境でした。オレンジページってすごいんですよ! その昔、『きれいになりたい』という美容雑誌を出していたのですが、表紙や誌面に登場するのは公募した一般の読者の方々だったんです。ほかにも『オレンジページ』に載せる料理は社内のキッチンで試作をしていました。「読者に実際に役立つ情報でないと意味がない」というのが会社のポリシーなんです。そこに痺れて入社して。

社内の空気は肌に合っていたし、経験を積んでからは企画したことがすべて通るようになり、言ってみれば「無双状態」でした。

清:ただ、私はそこで「自分の名前を世に出したい」と思ってしまったんです。雑誌の編集はクリエイティブな仕事だけど、実際にそのページを彩る絵や写真、文章を創り出すのはイラストレーターさんやライターさん、フォトグラファーさんで。私の名前は奥付には載っても、どのページを担当したかさえ読者にはわからない。評価してくれるのは、同じ会社の人だけだったんです。そのことが虚しくて。

宮崎:なるほど。僕も独立前は編プロで働いていたのでよくわかります。そのなかでも「これはクリエイティビティを発揮できた」と思った仕事はありましたか?

清:『すごいぞ!やさいーズ』っていう、野菜のヒーローキャラを描く絵本をつくったことですかね。私、昔から「いつか絵本をつくりたい」っていう夢があったんですけど、それまでオレンジページは絵本をほぼ出したことがなかったので「普通に企画しても通らないぞ」と。そこで、当時は食育ブームだったので「子どもの野菜嫌いを直す絵本」として企画して、「これだったら数字が取れます!」とプレゼンしたんです。

そうやって、自分と市場を無理やりつなげることが、「企業のクリエイティブ職」のなかでできた足掻きでしたね。

「辞める辞める詐欺」をやめた理由。独立への後押しとなった「別れ」とは

宮崎:小説を書き始めたのは、まだ会社員をされていたときですよね?

清:そうです。会社員をしながら、基本的に土日で執筆していました。それまでもシナリオを書いて応募したり、新聞の投書欄に投稿したりと、やっぱり「文章で世に出たい」という想いはずっとずっと持っていて。で、3年目というかなり早めのタイミングで初めて小さな文学賞をいただいて、「私イケるかも!」って思っちゃったんです。でも、そこからがなかなか続かず……。

宮崎:平日のお仕事から土日の執筆に頭を切り替えるのは、相当大変だったのでは?

清:大変でした。会社でもアウトプット、家でもアウトプットという感じで、インプットの時間がまったく取れなくて。でも尊敬する角田光代さんからお声がけをいただいて『早稲田文学』に寄稿することになったときは、「半端なものは出せない!」と、仕事以外の時間は漫画喫茶に缶詰になって書きました。

宮崎:それから17年目になって、独立しよう、フリーになろうと決めたのはどんなきっかけだったんでしょうか。

清:正直、ずっと「辞める辞める詐欺」状態だったんです。自分の名前で活動したいという想いもありつつ、やっぱり会社の居心地は良かったし、そのあいだに結婚や出産もしていたので安定がなくなるのは怖くて、辞められなくて。それに、すでに独立していた先輩に相談してみたら、「フリーは絶対やめときな! いまはギャラもどんどん下がっているし、簡単に続けられるほど甘い世界じゃない」って言われて。

宮崎:わかります。僕も編プロを辞めるときは、とくに地元の友人や同業以外の人からとても心配されました(笑)。

清:そうですよね。ただ、来年とうとう40歳になるという年に、尊敬していた名物編集者の先輩がご病気で急逝されて……。まだ50歳の若さでした。

そのとき、「自分はこうして生きているのに、言い訳ばかりしてモタモタするのは彼女に失礼だ」って強く思ったんです。「結局人生1度きりなんだ」って。それで、1週間後に上司に「会社辞めます」と言いました。

「小説家は超人ではなく、一人の人間」。ヒット連載に隠された会社員時代の経験

宮崎:フリーになって「好書好日」の連載につながっていくと思うのですが、その経緯はどのようなものだったのですか?

清:もともとオレンジページでバイトしていた同僚が、ライターになって「好書好日」で活躍していたんです。その子に紹介してもらって、最初は単発でいろいろな作家さんのインタビュー記事を書いていました。

1年経ったころに、編集長から「何か連載を考えてみて」と言われて提案したのが「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」だったんです。

宮崎:本当に面白い連載ですよね。僕が『文學界』でやっている「新人小説月評」で取り上げた作家さんが軒並み取材されていくので、初期から注目していました。やはり企画の狙いとしては、読者にとって面白いものを目指しつつ、「小説家になりたい人」である清さんも取材対象からヒントをつかもうという一石二鳥な考えがあったのですか?

清:そうなんです。私が聞きたいことを聞いて、あわよくば自分の小説に活かそうっていう(笑)。ただ、編集長にも言われたんですが「世の中、小説家になりたい人ってこんなにいるんだね」っていうくらい、PVがたくさん取れて。

宮崎:SNSなんかを見ていても、すっごく読まれているのを感じますよね。

清:ありがたいことです。SNSでは「それを聞いてほしかったんだ! 清、ありがとう!」みたいな反応もあります(笑)。

宮崎:ちょうどコロナ禍も重なって、文学賞への応募数は増えているのに授賞式ができなくなっていた時期だったから、新人作家の声を届ける場が求められていたのかもしれないですね。

それに、「大物作家がこれまでを振り返る」といった企画はよく見ますが、「作家になったばっかりの人」に「どうやってなったんですか?」って聞くというのは斬新でした。

清:あと、作家になったばかりの人は自宅で取材を受けてくれる方が多いんです。それがとってもラッキーだなぁって。

宮崎:というと?

清:作家になったばかりの人の家は、「普通の人から作家に変化していった場所」なんです。だから、「混ざってる」んです。普通の人だった時間が、空間に混ざってる。それがすごく面白い。

宮崎:なるほど。そういう意味でいうと、連載にはそれこそ第1回の市川沙央さんをはじめとしたさまざまな作家さんが出ていますが、取材してとくに面白いと感じた人は?

清:『自分以外全員他人』(筑摩書房)で第39回『太宰治賞』を受賞した西村亨さんですね。受賞のスピーチで「ずっと死にたいと思って生きてきた」とおっしゃったのが話題になりましたが、お家にお邪魔したら家具も家電もほぼ処分して片付けてあって。「本当に受賞直前まで死のうと思っていた」とご本人がおっしゃるんです。

清:あるのは、死を思いとどまったとき用の本と、ドリンク用の小さな冷蔵庫。しかもそれは壊れていて、中には家族にお金を残すための保険証書と印鑑が入っていたんです。もう、この人の人生が丸ごと小説なんだ……と思いました。

宮崎:「作家の家を見る」というのはたしかにすごいことですね。論評をしているとどうしても作品に集中するのですが、どういう環境で書いているのか、というのも当然気になることで。

清さんがそういう「生活」の部分にまで目を向けられるというのは、もともとライフスタイル誌を経験していたことが活きているのではないですか?

清:本当ですね。オレンジページには、飾り立てられていない実際の読者の生活を豊かにするんだっていう気概がありました。そのうえで売上や数字とどう折り合いをつけるかっていう情熱がある環境だったんですよね。それが、この連載の「作家さんのサクセスストーリーだけじゃない、何気ない生活にまで入り込む」っていうところにつながっているのかなと思います。私自身、この連載をやって「作家って超人じゃないんだ、みんな掃除したり料理したり、一人の人間なんだ」って実感することができました。

『夢みるかかとにご飯つぶ』で浮き彫りになった文章への価値観。「私の小説はエッセイだったのかも」

宮崎:さまざまな作家さんを取材するようになって、小説について学んだこと、ヒントになったことはありますか?

清:感じたのは、みなさん「自分ではないこと」を書いている方が多いなと。角田光代さんにも「小説は自分から離して書きなさい」とアドバイスをいただいたんですけど、私はそれができないんです。もちろんフィクションを織り交ぜて書くのですが、出発点はどうしても「自分」になってしまう。

宮崎:文芸の世界では「私小説論争」なんていう言い方もありますが、主観的な描写というよりは、物語をつくる力がある作家さんを取材する機会が多かったと。

清:それで、「私が『小説だ』と思って書いてきたものって、どちらかというとエッセイだったのかも」と思うようになって。

宮崎:なるほど。エッセイといえばこの『夢みるかかとにご飯つぶ』は、連載の裏側を綴ったnote記事をエッセイとして大幅に加筆修正したものだそうですが、noteから書籍としてのエッセイ集に直すうえで苦労したところは?

『夢みるかかとにご飯つぶ』初稿のゲラ

清:最初はもちろん「小説家になりたい人〜」の連載がベースという頭があったので、「小説家になれない私、テヘ」みたいな、自虐っぽさを全面に出してしまって。自慢に取られそうなところには、括弧でめちゃくちゃツッコミを入れたりして(笑)。

宮崎:僕はエッセイ1本に6千字くらい書いてしまうんです。でも、この本に収録されているエッセイはそれぞれ短いのに、しっかり世界が立っている。これはどう意識して書いたんですか?

清:最初は説明過多、装飾過多の文章だったんですよね。ノリツッコミを入れたりとか、1話1話にエモいオチをつけようとしたりとか。幻冬舎の編集さんに「ちょっと文章が五月蝿いです」と指摘されてから、1話ごとじゃなく1冊として磨き上げることを意識するようになりました。すると、それぞれのエピソードの役割がはっきりとしてきたんです。

学童保育でバイトしていたときの話は、初稿では子どもの名前に(これは仮名です)って注釈入れていたんです。でもそれだと興ざめしちゃうから、「子どもの名前を勝手に晒す人」と誤解されるリスクを背負ってでも、注釈なしでいくことにして。自分がどう思われるかより、作品の完成度を取る覚悟を決めたら、良いものが書けるようになりました。

『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)

宮崎:書いていて、小説とエッセイにどんな違いを感じましたか?

清:エッセイ、書けば書くほど小説じゃん! と思いました。私、いままでずっとエッセイみたいな小説ばっかり書いてきたんだなぁって。結局、「こんなことがあって、私はこう思ったんだ」「それでも世界は捨てたもんじゃないはず」っていうのを証明したくて小説もエッセイも書いている。

もしいままで私が賞に応募して落選してきた作品たちが、「私小説すぎる」「エッセイっぽすぎる」から落ちてきたなら、私はエッセイストでいいかなと思います。

「エッセイでデビューしちゃっていいの?」文芸界における「エッセイ」と「小説」

宮崎:エッセイに対してポジティブな気づきもあり、時系列は前後するかもしれませんが、小説のほうでは自信作だった『文藝賞』への応募作が落選するという経験もありましたね。

清:はい、本当に自信作で、受賞する気満々で、敢えて「清繭子」の筆名を使わなかったくらい。当時すでに「小説家になりたい人〜」の連載をやっていたから、この名前で獲ったら「あの連載でつくったコネだ、ずるい」と思われると思って。

でも見事に落選。いま振り返ると、やっぱり内容が「自分すぎた」のかもしれません。

宮崎:なるほど。そうした経験を経て、今後書きたい文章はどんなものですか?

清:エッセイで書きたいのは、「純文学のようなエッセイ」。今回の『夢みるかかとにご飯つぶ』はテーマがあって1冊にまとまることが前提だったから、そういうものを集めたし、書いたんです。いまは、テーマや本に合わせるのではない、一本のエッセイとして質を追い求めたものを書きたい。三人称でエッセイを書いたり、フィクションを混ぜても面白いかも。

宮崎:うれしいですね。僕はずっと「随筆復興」を掲げてエッセイの重要性を訴えているんですが、文学の世界ではなぜかエッセイを小説の下に見る風潮があるような感じがしています。僕の『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)も、エッセイ集なんですけど「まるで批評集のようだ」といわれたり、「エッセイ集にしておくには惜しい」という賛辞をいただいたり……。うれしいんですけど、なんでエッセイでは駄目なの? と(笑)。エッセイも歴とした文学、文芸だと僕は思っているので。

『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)

清:もちろん! エッセイも文芸ですよ! でも、周りの小説家にも言われますね、「清さん、エッセイでデビューしちゃっていいの?」とか。

宮崎:不思議ですよね。志賀直哉の『城の崎にて』なんて、名作短編小説として評価されていますけど、小説なのかエッセイなのかといわれると曖昧です。それに、『夫のちんぽが入らない』(扶桑社、講談社文庫)で知られるこだまさんも、「私小説家」を自称されていますが、『ここは、おしまいの地』(太田出版、講談社文庫)で第34回『講談社エッセイ賞』を受賞しています。でも、私小説とエッセイは似ているようで、そこには別の「文」の「芸」が宿っていると思っています。それを継承し、発展させてくことが僕の目指しているところです。

清:そうですよね。それに、今回書いてみて思ったのは、エッセイは小説より圧倒的に間口が広いということ。SNSに、私と同じく子を持つママから「子育ての合間にふと読んだら止まらなくなって、いまこのDMを書いています」みたいな感想がたくさん届くんです。1話ずつ読めるから、時間がない、自分がなくなってしまったような子育て世代にも、通勤や子どもの診察待ちの小さな隙間に届けることができる。自分と地続きのことが書かれているから、準備なしで読める。

宮崎:まさに。僕も読者から「宮崎さんが誰か知りませんでしたが、なぜかスラスラと読めました」という感想をもらったことがあって。誰かもわからない人の言葉が、生活にスッと入ってくる。これがエッセイの力です。

清:全然知らない人が、私とおんなじことを考えてるんだ、しかもこれはこの人の身に本当に起きたことなんだっていう強さが、確実にありますよね。書き手が普通の人である強さ。それがエッセイにはあると思う。エッセイ、すごいですね。

宮崎:エッセイはすごいです(しみじみ)。

「世の中を良いものだと思いたい」。宮崎が清に見出した稀有な才能

宮崎:今後も小説の賞には挑戦し続けると思いますし、子育て、ライター、編集者、エッセイストとしてどんどん活動されていくと思いますが、清さんがお金や安定ではなく「何者かになりたい」という想いに突き動かされる1番の理由はなんですか?

清:テレビ東京の『YOUは何しに日本へ?』が好きなのですが、登場する外国の方がよく「半年仕事を休んで世界を回ってるんだ」とか、一般的な日本の価値観から見ると驚くような働き方をしているんですよ。その姿を見ていると、「お金をこれくらい貯めなきゃ」「安定した生活をしなきゃ」っていう「保険」って、じつはあんまりかけなくてもいいんじゃないかって思えたんです。そこで「何者かになりたい」という気持ちに向き合えました。

じつは、その「何者か」も1つじゃないんです。自分に肩書きをつけるとしたらアイデアマン。「これは世の中にあったほうがいい」と頭に浮かんだアイデアを実現するために、編集者にもライターにもエッセイストにもなる、っていう生き方がしたいんです。

宮崎:頭の中に、「世の中こうなったらいいな」というビジョンがあるんですね。

清:「世界を良いものだと思いたい」んです。というか、私はずっとそう思って生きてきたんですよ。世の中に絶望があるのも事実だけど、喜びもたしかにあったよ、だって私は見たもん、って。小説でもエッセイでも、媒体を問わず、そのことを伝えたいんです。

宮崎:素晴らしい。この記事の読者にお伝えしたいのは、清さんがとても稀有なエッセイストであること。どうしてもエッセイは、「自分の生きづらさ」「苦悩」を描くものが割合として多い。もちろんそういう名作も多いですし、僕の作品もそういうことを書くこともありますが。

清さんはいままでにあまりいなかった、「自分に満足している人が書くエッセイ」が書ける人です。それも嫌味なく、軽やかに。これからどんどん注目されていく書き手ですよ。

清:その前に、小説の新人賞を獲らないといけないですけどね(笑)。「小説家になりたい人」のまま5年連載を続けるとか、ちょっとかっこわるいですから。

書籍情報

『夢みるかかとにご飯つぶ』

著者:清繭子
出版社:幻冬舎
価格:1,760円

『夢みるかかとにご飯つぶ』清繭子 | 幻冬舎

『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』

著者:宮崎智之
出版社:ちくま文庫
価格:968円

『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』宮崎 智之 | 筑摩書房

プロフィール

清繭子(きよし まゆこ)

1982年生まれ、大阪府出身。早稲田大学政治経済学部卒。出版社で雑誌、漫画、絵本などの編集に携わったのち、小説家を目指してフリーのエディター・ライターに。ブックサイト「好書好日」で「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。第6回『深大寺恋物語』審査員特別賞受賞。

宮崎智之(みやざき ともゆき)

1982年、東京都生まれ。文芸評論家、エッセイスト。著書に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)、『モヤモヤするあの人』(幻冬舎)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房)など。『文學界』(文藝春秋)にて2024年1月〜12月まで「新人小説月評」を担当。『週刊読書人』など多くの媒体に寄稿。近年は「随筆復興」を掲げエッセイの評論や選書なども行なっている。

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