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「自己紹介で一言では説明できない存在に」俳優・佐藤玲の多面的キャリア

『架空OL日記』(2017年)で一躍お茶の間の顔となり、これまで数々の映画やドラマで重要な役どころを担ってきた俳優・佐藤玲。2023年の3月に彼女は自身の会社である「R Plays Company(以下、RPC)」を立ち上げ、現在は俳優だけでなく、演劇プロデューサーとしての顔も持つ。

故・蜷川幸雄が率いるさいたまネクスト・シアターなどで演技の基礎を学んだ彼女の原点は、演劇の世界にこそあるというのだ。この7月には4作目のプロデュース作となる『海と日傘』の上演を控えている。

そんな佐藤に会社の立ち上げの経緯や、そこに込めた想い、現在の心境、さらには今後の展望まで話を聞いた。すると、強固な意志を持ちながらも柔軟な変化に富む、佐藤玲という人間の生き方と働き方が見えてきた。

  • 取材・テキスト:折田侑駿
  • 編集:吉田薫
  • 撮影:細倉真弓

Profile

佐藤玲さとう りょう

1992年生まれ。2008年に演劇集団アクト青山に入所。2011年に日本大学芸術学部演劇学科に入学。大学に通いながら、2012年に蜷川幸雄率いるさいたまネクストシアターに入所。 2012年にテアトル・ド・ポッシュ所属。2023年に退所後、演劇プロデュースや演技の学校を運営する株式会社R Plays Companyを設立。俳優、プロデューサーとして活動している。主な出演作に映画『Silence – 沈黙 – 』(2017)、『死刑にいたる病』(2022)、『チェリまほ THE MOVIE』(2022)など。ドラマに『架空OL日記』(2017)、『30までにとうるさくて』(2022)など。主な舞台に『日の浦姫物語』(2012)、『彼らもまた、わが息子』(2020)など主演作品多数。その他、写真の出版やCMの出演など幅広く活動している。

演技だったら見た目で判断されない。『美少女コンテスト』を経験して見つけた俳優への道

―これまで俳優として活躍されてきた佐藤さんがRPCを立ち上げてから早くも2年が経ちました。会社を立ち上げるに至った経緯についてお聞きしたいです。

佐藤:現在のRPCの活動は、私が俳優をやってきたことと切り離せません。なのでまずは、俳優になった経緯からお話ししますね。きっかけは、小学4年生のときに『全日本国民的美少女コンテスト』を受けたことです。私にとってこれがはじめてのオーディションでした。ほかの参加者が私と同い年くらいだとは思えない受け答えをしていたのをよく覚えています。

当時の幼い私に将来のビジョンがなかったことも理由のひとつだと思いますが、そもそも美少女コンテストなので、当然ながら落ちました(苦笑)。ただ、不合格になってしまった最大の理由は見た目に関することだとわかったので、負けず嫌いの私は何か別の武器を手に入れなければと思ったんです。

―そこで見つけた武器のひとつが、演技だったと。

佐藤:募集要項には将来的に何を志望するか選ぶ欄があったのですが、最初はモデルに丸をつけていました。信じてもらえないかもしれませんが、あの頃はクラスでも後ろのほうだったんですよ(笑)。

それから一口に「芸能の世界」と言ってもいろいろあるのだと知り、俳優という演技をする職業があるのだと知りました。演技だったら見た目では判断されず、自分の努力しだいで磨いていくことができる。そんな考えから演技の道を選んだんです。とはいえ当時の私はまだ小学生で、まずはどうやったら女優になれるのかを調べました。そうして演技を大学で学ぶことができると知り、日本大学芸術学部(以下、日芸)の演劇学科に進みたいと考えたんです。

―コンテストへの参加を機に、幼いうちから進路が明確になったのですね。

佐藤:ただ、日芸に進むまでは時間がありますし、進学するには準備も必要なのだとわかった。当然ながら入試では実技試験もありますからね。私は高校受験の終わった中学3年の冬に、演劇集団アクト青山という劇団の門を叩きました。

―小学生の頃から演技を学びはじめたわけではないんですね。

佐藤:そうですね。小・中学生の時点では、すぐにはじめられるものではないと思っていたので、体力をつけることを目的にバスケ部に入りました。思い返してみれば謎ですよね。女優には体力が必要だと考えたんです。やっぱり子どもって不思議です……。やがて高校生になってようやく本格的な演技の勉強をはじめて、無事に念願の日芸に入ることができました。ただ、そこで大きなショックを受けました。

―どんなショックだったのでしょう?

佐藤:同級生たちとの熱量の差です。演技の世界で生きていこうと本気で考えている人が、思いのほか少なかったんですよ。演劇は大学時代だけ楽しんで、ゆくゆくは就職しようと考えている友人や、俳優になりたいと思いながらも、まだ覚悟が決まっていない人たちがいました。もちろんいろんな人生の選択肢がありますから、それはそれでいいと思います。

でも当時の私は、このままだと大学生活をみんなでただ楽しむだけで終わってしまいそうだと、かなり焦ったんです。そんな時期に出会ったのが、RPCが7月に上演する『海と日傘』の演出を務める桐山知也さんです。そこから私の女優としての道が一気に開けていきましたし、それは現在につながっています。

「ここしかない」と思って飛び込んだ蜷川幸雄率いる「さいたまネクスト・シアター」

―桐山さんとの出会いは、その後の佐藤さんの人生にどう関わってくるのでしょう?

佐藤:実習でひとつの作品をつくることになった際、日芸のOBでもある桐山さんが演出家として参加されたんです。出演者はオーディションで選抜され、私も俳優として参加できることになりました。そのとき上演したのが、『海と日傘』の作家である松田正隆さんの『月の岬』という作品。桐山さんとのクリエイションは非常に刺激的で、演劇づくりにおいて第一線で活躍されている方の存在は、当時の私に大きな影響を与えましたね。やがてお話ししているうちに、桐山さんはかつて蜷川幸雄さんの演出助手をされていたことがわかりました。

―なるほど。ここからプロの世界にぐっと近づいていくわけですね。

佐藤:そうなんです。しかもちょうどこの頃、所属していた劇団を抜けたことで、学校以外のお芝居の学びの場が無くなっていて。そんなおりに、『Deview / デビュー』というオーディション雑誌に、蜷川(幸雄)さんが率いるさいたまネクスト・シアターの募集情報が掲載されているのを見つけたんです。ギリギリ締め切りに間に合い、オーディションを受けることができました。

そこで蜷川さんから「ちゃんと大学に行かないとダメだよ」みたいなことを言われて(笑)。「卒業してから来なさい」とも言われたのですが、もうここしかないと思った私は譲りませんでした。「大学を中退してでも入ります!」みたいな。桐山さんから受けた刺激もあり、少しでも早くプロの現場で学びたかったんです。でもその割には、緊張してオーディションでは最初の1行だけしかセリフが言えませんでした(苦笑)。

―とにかく必死だった様子が浮かびます。

佐藤:必死でしたね。あのときの私は「ここしかない」と思っていましたから。でもそうして熱意が伝わったのか、すぐに母親のもとに連絡があったようで、大学に通いながら蜷川さんのところでも勉強できることになったんです。しかもラッキーなことに、私たちが入団した日から『日の浦姫物語』という作品の稽古がはじまったんです。それが2012年のこと。私のデビュー作となった作品です。

大竹しのぶ・藤原竜也W主演の舞台で、異例の抜擢

―そんなにすぐに舞台に立てるものなのでしょうか?

佐藤:異例です。蜷川さんが演出を手がけた本作は、大竹しのぶさんと藤原竜也さんのダブル主演作で、私たちはいつでも見学をしていいことになっていました。もしも稽古日にキャストの誰かが不在だったら、その方の代打でプロの稽古に参加できる環境だったんです。

それぞれの役の動線を覚えて、セリフも入れて、いつでも参加できるよう、つねにみんな準備をしています。それで、この『日の浦姫物語』の最後には主人公たちの娘が登場するのですが、入所した翌日にキャスティングされて公演に参加することになりました。どういう経緯があったのかわかりませんが、私は本当に運が良かったと思いますね。しかも、しのぶさんと竜也さんという映像の世界でも活躍されている方とご一緒したことで、しだいに私も映像の世界にも興味を抱くようになっていきました。

―それからほどなくして、実際に映像作品にも登場するようになりましたよね。

佐藤:以前所属していた芸能事務所に所属することが決まり、『リュウグウノツカイ』(2014年)という映画の撮影が、私にとってはじめての映像の現場でのお仕事になりました。

お話がとても長くなってしまいましたが、俳優として本格的にデビューする前から、舞台をつくる過程をたくさん見てきたんです。当時は俳優業しか私にはないと思っていましたが、モノづくりそのものが好きなんだと思います。この気づきが、RPCの原点になっているんです。

『リュウグウノツカイ』(2014)。アメリカの小さな漁村であった女子高生集団妊娠騒動に着想を得て、自らの手で閉塞的な現状を打開しようと、ある行動に出た女子高生たちが巻き起こす騒動を描く青春群像劇。発売:スタイルジャム / 販売:アミューズソフト / 価格:3,800円(税抜) / 4,180円(税込)©2014 slash / nomadoh All Rights Reserved.

「女優になりたい」。ゴールを達成してしまったあとの想い

―2023年の1月に事務所を退所され、その2か月後にRPCを立ち上げていますね。この流れはどのようなものだったのでしょう?

佐藤:「女優になりたい」と思って演技の勉強に取り組んできたわけですが、ゴール設定が悪かったんですよね。お芝居で生計が立てられるようになると、それがひとつのゴールになってしまったんです。

そこで改めて、私はモノづくりに関心があること、そして本当のキャリアのはじまりは演劇の世界だったことについて考えるようになりました。自分で演じるだけでなく、もっと自由にモノづくりがしたい。そう思ったときに、やはり独立すべきだと考えたんです。

―思い切りの良さを感じます。勇気のいる選択ではありませんでしたか?

佐藤:うーん、どうなんでしょう。その後のRPCの立ち上げも、私が無知だったがゆえにできたことなのかもしれないんです。父が会社の経営などに詳しい人だということもあり、独立したのだから、これはもう会社にしてしまおうと。俳優業は続けていきたいし、舞台をはじめとするモノづくりも展開していきたい。自分のやりたいことを実現できる会社にしたいなと。

―会社の立ち上げは、周囲の環境あってこそだったのですね。

佐藤:ビジネス的なことはまだまだ勉強中です。ただ、事務所から独立したいち俳優としては、会社にして正解だったと強く実感しています。もしも私がフリーランスの俳優だったら、お受けすることのできなかった案件がいくつもあると思うんです。もちろん、どこに所属していようとなかろうと、クリエイティブの部分には影響しないはず。でも、やっぱりお仕事である以上、契約面などには影響してくると思うんです。純粋に個人で活動をしているのと会社を持っているのとでは、周囲に与える印象が大きく違うのをこの2年間で感じているところです。

「運が良い」とは目の前のチャンスを掴めること

―RPCのプロジェクトとしては、佐藤さんの記念すべき初プロデュース作品として、会社設立から約半年後の2023年9月に『スターライドオーダー』を上演されていますよね。独立前から準備されていたのかと思うほどのスピード感です。

佐藤:これまた私の運の良さの話になるのですが、独立した直後に、ブルースクエア四谷という劇場が企画コンペを実施しているのを人づてに聞き、そこでグランプリをいただいたんです。グランプリを受賞すると、この劇場の使用料が無料になる。そうして生まれたのが『スターライドオーダー』です。つくづく私は運とタイミングに恵まれていると思いますね。

―たしかに、お話の受け取り方によっては「運の良い人」に思えますが、佐藤さんは目の前のチャンスを漏らすことなく掴み取りにいっていますよね。

佐藤:それはそうかもしれません。これまでの私がラッキーだったとはいえ、折り目ごとに出会うものを確実にキャッチしにいっていた自覚があります。桐山さんとの出会いも、蜷川さんとの出会いも、事務所への所属や映画への出演、ブルースクエア四谷の企画コンペ……などなど、どれも偶然といえば偶然ですが、私はこれらすべてとの出会いを潜在的に求めていたんだと思います。

そして、出会ったからには何が何でも掴み取りにいく。そういったハングリー精神はあるのかもしれませんね。ピンチのときにはいつもそのすぐそばに、チャンスがあるんです。

『スターライドオーダー』(2023)。佐藤さんにとってプロデュース作品第一弾。空前の謎解きブームの中、話題を集めているマーダーミステリーゲーム。そんな体験型ミステリーを、舞台上で俳優達が即興芝居で演じた話題作

根っこにあったのは承認欲求。でもそれは、私という人間を満たすものではない

―佐藤さんのお話を聞いていると、幼い頃から強固な意志を持っていたいっぽうで、柔軟な変化に富んでいる人なのだという印象を受けます。ご自身としてはいかがですか?

佐藤:どうなんだろう。ここまでの私の人生の中ですごく大きいのは、独立する直前に母が亡くなってしまったことです。母は私が幼い頃から病気がちで、長いこと入退院を繰り返していました。それに両親は離婚してもいた。おそらく私の根っこにあるのは、強い承認欲求なんだと思います。切望感というか、枯渇感というのか。私の中にはそういうものが絶えずあって、どうにかして何かで埋めたかったのかなって。家族への承認欲求が、他者へと向かった。私のことを誰かに必要として欲しい。そういう気持ちが幼少期からずっとあったんだと思います。

―表現活動をしていく中で、それは満たされたのでしょうか?

佐藤:俳優っていう職業は、なんだか多少はチヤホヤされるものなんですよ(笑)。だからそこで少しは満たされていたと思います。でもそれはあくまでもたんなる承認欲求なのであって、私という人間を満たすものではない。そのことに20代の半ばで気がつきました。

ここまでいろいろと語ってきましたが、その走りはじめはやっぱり承認欲求だったと思います。でも走り続けていくうちに、お芝居のことが好きになって、演劇というものが人を感動させる大いなる力を持っていることを知りました。しかもそれらはときに、海をも超える。この偉大さに対する感動と興奮が、私の中で大きくなり続けているんです。

演技を学ぶことは他者理解につながる

―RPCが掲げているコンセプトのひとつに、「つなぐをプロデュース」というものがあります。演劇文化と人をつないだり、演劇をとおして人と人とをつないだりするということですよね。ここにはどんな想いが込められていますか?

佐藤:これは社会全体においていえることだと思うのですが、どんな業種であれ、提供する側と受け取る側の間にあるのは、結局のところ人と人とのやり取りですよね。場所や媒体が違うだけ。私は演劇が大好きだし、演劇に多大な影響を受けてきた人生です。だから自然と、演劇を軸に何かを届けることを考えました。いえ、演劇というより、もっといえば演技かな。

―というと?

佐藤:人はいろんなときに物語に助けられるものだと思います。自分の中だけで答えを出すことができないとき、どうしたって外側に求めにいくものじゃないですか。そんなとき、物語による救いと出会ったりする。悩んでいる自分とは異なる人生を歩む誰かの物語に触れると、他者の人生を追体験することができる。この追体験によって、実人生を生きていくうえでの選択肢が増えると思うんです。

映画やドラマ、演劇の舞台上にある物語は、もちろんフィクションです。でも観客が体験できないことを、ときに物語は担ってくれる。物語に触れることで得られた体験が、自分の人生の新たな選択肢になる。そしてこのフィルターになるものが演劇であり、俳優たちの演技なのかなと。

―フィクションの力、物語の力、演技の力。すごくわかります。

佐藤:RPCでは演劇作品のプロデュースだけでなく、演技の学校も開いています。プロの方々の学びの場でもありますし、演技に関心のある社会人の方々や、子供たちにもそういった場を提供したいと考えているんです。お芝居を学ぶことで物語の見え方が変わりますし、物語の見え方が変われば生きていくうえでの選択肢が増えることになる。それからもっとも大切なのは、他者理解を育んでいくこと。

―お芝居をとおして、さまざまな感情を知るということでしょうか?

佐藤:そうです。どうやったら相手に気持ちを伝えられるか、どうやったらリアクションしてもらえるか。お芝居とは、誰かが誰かに対してセリフを発して気持ちを伝えるだけでは、決して成立しません。気持ちを伝えたことによって、何かしらの反応が生まれなければならない。こういったことについて考えるのは、他者理解について考えることにつながると思うんです。

人間関係を少しずつ築いている段階にある子供たちはもちろん、社会人の方にとっては仕事をするうえでの交渉術なんかにも発展させられると思います。ゆくゆくは演技というものが習い事のひとつとして、自然と選択肢に入れてもらえるようにしたい。何歳からでもはじめられるバレエ教室のようなところまで拡大させていきたいんです。

―演技やお芝居をもっと身近なものに。とってもいいですね。

佐藤:日本人はとくに表現が苦手なので、演技やお芝居を教育の領域にまで引き上げたら、日常はもっと豊かで生きやすいものになると思うんです。演技の学校ではそのことを伝えていきたいんです。医学部の実習でも「模擬患者」を設定するなど、演技は臨場感や疑似体験を提供し、エンタメ以外の観点でも実際に役立っているんですよ。

新作に感じる手応えと、プロデュースする難しさ

―RPCの立ち上げから2年が経過し、7月から『海と日傘』がはじまります。現時点でのプロデューサーとしての佐藤さんの手応えはいかがですか?

佐藤:正直にお話しすると、プロデューサーは自分には合っていないのではないかと感じることが多々あります。走り始めなのでそう思うのかもしれませんが。

私のプロデュース作としては『海と日傘』が4作目にあたるのですが、これまでの作品は稽古日数も公演期間も短く、イベントに近いものでした。でも今回は稽古期間もそれなりに設けていて、公演期間も10日以上ある演劇作品です。これをみなさんとつくっていくわけですが、このつくるという行為自体はとても楽しいですよ。私自身の大好きな思い入れのある演目ですし。

―でも、プロデューサーは合っていないと感じているのですね。

佐藤:うん、まだしっくりきていない感じですかね……。キャストにしろスタッフにしろ、私の尊敬する才能のある方々にお声がけして作品づくりができるというのは幸福なことです。作品の主軸となる部分をプロデューサーの私が用意すれば、自然とクリエイティブは立ち上がってくるのだと感じています。ただ、プロデューサーの仕事はもちろんそれだけではありません。やらないといけないことが山ほどあって、いち俳優として作品づくりに参加していたときとは責任の重さがまるで違います。とはいえ俳優のときもすごく緊張していましたが。

2025年7月9日より、『すみだパークシアター倉』にて上演される『海と日傘』。佐藤さんはプロデューサーを務めるとともに、俳優としても出演。公式HPはこちら

―佐藤さんがおっしゃるように、これまでの作品はイベント色の強いものだったので、『海と日傘』を上演することで演劇プロデューサーとしての立ち位置や、これから取っていくべきスタンスなどが見えてくるかもしれないですね。

佐藤:そうですね。私自身がもともと新劇系出身ということもあり、ある種の正統派といいますか、硬派な演劇が大好きです。でもそのいっぽうで、イベント性の強いものも大好きなんですよね。『スターライドオーダー』はジャンルとしてはマーダーミステリーで、即興劇として展開するものだったうえ、観客参加型の作品でした。『海と日傘』とは正反対です(笑)。

でも私はどちらも好きなので、どちらもつくっていくことで、相互作用を生み出せたらなと。どこを入口にしていただいてもかまわないので、RPCの作品をとおして異なるジャンルのエンターテインメントやアートに出会っていただけたら嬉しいなって。

自己紹介のときに、一言では説明できない不思議な存在になりたい

―『スターライドオーダー』でRPCを知ったお客さんが『海と日傘』を観たら、演劇の世界の新しい扉が開きそうですね。佐藤さんの今後の展望についてもお聞かせください。

佐藤:ひとつのことを極めることは大切だと思っているので、引き続き俳優業は頑張っていくつもりです。けれどもその一方で、興味の対象をひとつに絞ることに対する違和感が、年齢を重ねるにつれて高まってきています。私のキャリアについて、ここまでお話ししたとおりですね。いろいろとつまみ食いをするように挑戦してみて、自分自身にしっくりくるものを探し続けていきたいと考えているんです。周囲の反応もうかがいながら。

人生はとにかく時間がないから、とりあえず見つけた道を進んでしまいがち。でもその道中で、つまみ食いをして選択肢を増やしていくことも重要だなと。

―選択肢を増やすことの重要性は、ここまでの佐藤さんのお話からよくわかります。

佐藤:仕事だって趣味だってそう。とにかく私は自分の「好き」を増やし続けていきたいんです。いまの世の中にはない新しい仕事をつくっちゃったっていい。現状の私は、俳優で、演劇プロデューサーで、演技の学校を経営している人間です。でもこれから先、自己紹介の際に一言では説明できないような、そんな不思議な存在になっていけたらいいですね。俳優や演劇づくり以外のこともいろいろとやってみたいですから。じつは犬(やペット)と一緒に楽しめるレストランをつくるのが、ずっと前からの私の夢のひとつだったりするんです。

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