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40年で1万5,000冊を手がけたブックデザイナー・鈴木成一。「デザインは必要だが障害にもなりうる」

デザイナー・鈴木成一さんは、40年以上にわたりブックデザインの世界で活躍し、これまでに手がけてきた書籍は約1万5,000冊。

連載「デザイナーに会いにいく」第7回は、鈴木成一さんの40年のキャリアをたどりながら、アナログ制作からデジタル制作への移行という環境の変化や、デザイン哲学に迫る。さらに、12月5日から開催される個展『鈴木成一書店』(12月14日まで開催)についても語っていただいた。

  • インタビュー・テキスト:宇治田エリ
  • 編集:吉田薫

INDEX

初仕事は21歳。頼まれた仕事は全部やってここまできた

―鈴木さんは、筑波大学でグラフィックデザインを学ばれていたそうですね。

鈴木:高校の推薦枠に筑波大学があって、先生から「受けてみないか」と言われたんですよ。本当は藝大にいきたかったのだけれど、「国立だし学費も安い。藝大目指して何浪もするよりいいか」と受けてみたら、合格してしまって。芸術専門学群があったので、そこでグラフィックデザインを学びました。

当時は、公共空間のサイン計画を手がけてきた西川潔さん、写真家の大辻清司さんのほか、日本宣伝美術会で受賞したグラフィックデザイナーや絵本作家など、多彩な先生方が教えていました。特に印象に残っているのは、西川先生の授業。タイポグラフィの概念や歴史を学ぶなかで、デザイナーとしての姿勢やプライドをすごく感じたし、その態度はいまの自分にも影響していると思います。

筑波大は茨城にあるので、東京で開催されている展覧会へ行く機会は少なかったけれど、北海道出身の自分にとってはそれでも十分刺激的な日常でしたね。

鈴木成一。グラフィックデザイナー。1962年北海道生まれ。筑波大学芸術研究科修士課程中退後、1985年よりフリーに。1992年、有限会社鈴木成一デザイン室を設立。1994年『講談社出版文化賞』ブックデザイン賞受賞。エディトリアルデザインを主として現在に至る。筑波大学人間総合科学研究科、多摩美術大学情報デザイン学科非常勤講師。著書に『装丁を語る。』『デザイン室』(以上、イースト・プレス)、『デザインの手本』(グラフィック社)

―大学4年次に初めて書籍の装丁を手がけ、ブックデザイナーとしてデビューしたそうですが、どのような本だったのでしょうか?

鈴木:21歳のときですね。劇作家の鴻上尚史が早稲田大学在学中に立ち上げた劇団『第三舞台』のポスターデザインをやっていたんですよ。当時はバイト感覚でしたけど、劇団がブレイクして。「戯曲の本を出す」という話になり、私にブックデザインの声がかかったというわけです。

『朝日のような夕日をつれて』(弓立社・1983年)という本です。これといったオーダーもなく、その劇を観たときの印象と、劇中に登場するルービックキューブをモチーフに使い、ポスターに登場していた男性のシルエットと組み合わせてデザインしました。

―この球体のような立体がルービックキューブ?

鈴木:そうなんです。物語のなかで、「360面体のルービックキューブをつくろう」という話が出てくるんですよ。それを実際にコンピューターでシミュレーションしてみよう、と。私は当時コンピューターに詳しくなかったので、後輩の岩井敏雄(現在はメディアアーティストとして活動)に頼んだら、これをつくってきてくれたわけです。

360面体は限りなく球体に近く、永遠に完成しない。現代社会を象徴する、非常にシンボリックなアイテムとして用いました。

―作品を読み込み、その内容を体現するモチーフを選び抜いてデザインに落とし込んでいったのですね。

鈴木:まあそうなりますね……ただ、いま見ると、杉浦康平さんや菊地信義さん、戸田ツトムさん、羽良多平吉さんといった当時の有名な装丁家のテイストがちゃんぽんになってるようなデザインなんですよ。それが当時の感性だったとも言えるけど。

結局、どうやっていいかわからないんだ。師匠がいるわけでもないし、大学では装丁を教えてくれるわけでもない。だから目立った装丁家の仕事をインプットして、そこから発想していくしかなかった。当時の未熟さを思うと、少し恥ずかしいですね。

ブックデザイナーとしての覚悟ができたのは、キャリア10年目のとき

―そこから、順調に依頼が増えていったのですか?

鈴木:そうですね。第三舞台のブレイクに乗じて、上京して仕事を始めたんです。経験は少なかったものの、『朝日のような夕日をつれて』を見ていた編プロから頼まれるようになり、ほかの出版社にも広がっていきました。

当時は出版業界が元気で、雑誌も書籍も全盛期。新しいことをやりそうな若くて使い勝手のいいデザイナー、ということで次々に依頼をもらうようになりました。たぶん、この仕事が合っていたんでしょうね。「頼まれたらなんでもやる」という感じで40年以上続けてきたから、自分から営業することは一度もなかったです。

それこそ最初の10年ぐらいは、自分でも何をやっているのかよくわかっていなかったんです。印刷所的な役割に近くて、個性よりもスキルを求められる仕事が多かった。完成しても誰からも何も言われず、本が届いて、デザイン料が入金されて、基本的にはそれでおしまい。その繰り返しだったから、「自分はブックデザイナーだ」と自覚するようになったのは10年以上経ってからのことでした。

―自覚のきっかけがあったのでしょうか?

鈴木:1994年に、『講談社出版文化賞』のブックデザイン賞を受賞したことです。じつはそのころ、ブックデザインの仕事をやめようかと思っていたんです。ポスターなどグラフィックデザイン全般の仕事もやっていましたし、大学で教えないかという話もきていましたから。

そんなときに、大御所の菊地信義さんがこの賞に推薦してくれて。やっと居場所ができたように感じて、「装丁の仕事に本腰を入れていこう」と覚悟が決まりました。

講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞したマルクス著『共産主義者宣言』(太田出版・1993年)

40年の仕事の全体像がここに。『鈴木成一書店』開催

―今回デビュー40周年を記念して、個展『鈴木成一書店』が開催されます。どういう展示なのでしょうか?

鈴木:下北沢のBONUS TRACK内にあるギャラリーで展示をするのですが、会場の壁をぜんぶ本棚にして、これまで手がけてきた約1万5,000冊の書籍のなかから1万冊を選んで展示しようという企画です。書店という名前のとおり、展示する本はぜんぶ買えるので、欲しい人はどうぞ、というかたちにしています。

小学館の倉庫で展示のためのセレクト作業中の鈴木さん。撮影:上村窓

―あらためて考えると、1日1冊以上のペースで手がけてきたことになりますよね。実物を前にすると、その物量とスピード感に圧倒されそうです。

鈴木:展示では、書籍のジャンルごとに区切って、新書ゾーン、文庫ゾーン、単行本ゾーン、大型本ゾーンと分けて並べるので、満遍なく手がけてきたことがわかると思います。

文庫であれば1日10冊仕上げたりもしていましたし、多いときは年間800冊くらい手がけていました。発売日に間に合わせるというスピード感と、本としての存在感を両立させることを大切にしてきましたね。

単行本をやるときは一度ぜんぶ読んで、その内容を実感してから「何をすべきか」を考えるというやり方でつくるので、読む時間を確保するのがとにかく大変です。だからこそ、自分のスタイルを求めるアーティスティックなアプローチは私にはできないですね。そういう自己表現は、私にとってものすごい恥ずかしいし、自分との闘いになるから苦しいんです。

本の内容によって方向づけして、視覚化して本という形にする。そうすれば、絵本も、写真集も、新書も、何でもできるわけです。

撮影:上村窓

ブックデザインにおいて大切なのは、ビジュアルの引き出しをたくさん持つこと

―これまでの仕事を振り返り、特に面白味を感じた仕事はどういうものでしたか?

鈴木:大学時代から写真が好きだったので、写真絡みの仕事は楽しいです。旅行気分でロケに行って、そこで撮り下ろした写真を装丁に使うんです。例えば恩田陸さんの『灰の劇場』(2021年)は、物語の舞台である池上本門寺の近くの高台から見下ろした風景を、私がパノラマ写真で撮りました。

「東京を廃墟にする」という発想だったので、半日くらい現場で写真を撮って、あとはデータ処理で人工物の色を全部抜いてグレーにしていったんです。こういう写真絡みで面白いことができるのは楽しいですね。

恩田陸『灰の劇場』(2021年)

―写真はご自身で撮影されることが多いのですか?

鈴木:いや、基本的にはイラストレーターに発注したり、 ウェブのライブラリーから写真を借りたりすることがほとんどなので、机にへばりついて「あーでもないこうでもない」と、明日の締め切りをいかに乗り越えるかという毎日ですよ。

そういうなかでイレギュラーなアプローチができるのは楽しいと思います。あとは絵や写真が好きなので、自分が持っている画集や写真集から、小説に合うものを見つけて使えたときも嬉しさを感じますね。

―装丁に使う絵や写真作品は、どのようにインプット / アウトプットされているのですか?

鈴木:アーティスト系の作品は純文学によく合うので、ギャラリーやアートフェアに積極的に行くようにしています。そういう引き出しを増やしておくことで、あらゆるオーダーに対応できるように。

例えば、本の内容を読んで「装丁に絵を使おう」と決めたら、頭のなかのライブラリーから「この人のテイストがいいな」と思う作家を選んで編集者にプレゼンします。特に純文学のような抽象的な内容の場合、見える形として結びつくまでに、関係者との間でいろんな試行錯誤があります。作品、写真、イラストなどさまざまな案を20〜30個くらい出して、著者と編集者が納得するかたちを探していき、最終的に決まるという流れです。

『復刊文庫 偉大なる不良たち 全12巻揃・セット函入』(角川文庫・1992年)。カフカ、コクトー、ボードレールほか、西洋文学の問題児たちの作品を集めた記念セレクション。「不良」というテーマに対して池田満寿夫という反骨心にあふれた版画家の絵を使った

デジタル化はいいことだらけ。40年の仕事環境の変化

―そこまでの労力がかかっていたとは。ただ、デザイナーとしてのキャリアを始めたころに比べれば、デジタル化も進んでいますよね。その点では、つくりは変わりましたか?

鈴木:大きく変わりましたね。昔は写植で、印画紙やフィルムに文字を焼きつけて版下をつくっていたので、文字を大きくしたり小さくしたりするのにも時間がかかりました。デザインスコープという機械を使って、印画紙とスプレー糊で作業して、文字を大きくして台紙に貼りつけるという、いま考えるとバカみたいなことをやっていましたから。当時はスプレーのりを吸いすぎて病気になった人もいたくらいです。

デジタルに移行してからは100倍くらい早くなりました。デジタルを本格的に導入したのは1990年代の終わりくらいですね。製版プロセスも自分でコントロールできるようになり、細かい調整が可能になる。例えば写真の一部が見えづらい場合も簡単に直せますし、最近ではフォトショップのAI機能で写真の足りない部分を自動的に補完することもできます。文字と絵を有機的に管理できるので、非常にやりやすくなりました。環境は格段に進化しましたね。

撮影:上村窓

―最近手がけたなかで思い入れのある本はありますか?

鈴木:物体としての魅力が出たと感じているのは、苫米地英人さんの豪華本でしょうか。著者はオウム真理教退会者への洗脳を解くことで有名になった人物で、セミナー参加者に販売する本・DVDボックスとして、箱からつくりました。この人の思想を表現するために、仏壇のイメージで観音開きのデザインに黒い箱に黒いインクで文字を印刷しています。自由にやらせてもらって、完成までに1年くらいかかりましたね。

苫米地英人の私家本

鈴木:それから社会学者の岸政彦さんによるインタビュー集『東京の生活史』(筑摩書房・2022年)も面白かったです。担当者からの依頼で「あまり装飾はするな」という前提があったので、分厚い本のボリュームそのものが存在感を放つようにしました。

岸政彦『東京の生活史』(2021年、筑摩書房)

―実際に手に取ってみると、シンプルに見えてカバーの下の本表紙の印刷や文字組みなど、細かいところにこだわりが詰め込まれていることがわかります。

鈴木:カバーの下の本表紙は、グレーの紙に青と黒の2色で印刷していて、生地の色が文字に出るようにしています。ウェブに掲載されているものと実物では、見え方がまるで違う。これは本でしか得られない印象が出たなと思いましたね。

「デザインは必要だが障害にもなりうる」。職人的なブックデザイナーの仕事の本質

―40年間の仕事を振り返り、あらためてブックデザイン仕事の本質はどういったところにあると感じますか?

鈴木:出版社にとって、デザインは必要だけど障害にもなりうるものです。たとえば特殊な紙や加工を要求すると、出版の流れにストレスを与えてしまいます。そういうのはできるだけ避け、彼らのビジネスの邪魔をせずに、本として成り立つための手助けができればいいと思っていますね。

ブックデザインはいろんな発想ができるという点で楽しさがあります。一方で、基本的には無理は言わないようにして、ダメと言われたらすぐに別の案を考える。非常に職人的な要素が強い仕事だと感じています。

撮影:上村窓

―2024年から2025年にかけて、後進を育てるための『装丁の学校』が本屋B&Bで開講でされ、指導にあたられていました。また、『鈴木成一書店』の開催に合わせて講義を収録した限定本『鈴木成一と本をつくる』(小学館)も限定刊行されます。その経験を踏まえ、最後に次世代のブックデザイナーに伝えたいメッセージをお願いします。 ‎

鈴木:私が若いころは、杉浦さんや菊地さんといった先人がいて、本のあるべき姿というものがぼんやりとでもありました。しかしいまはデジタル環境になり、あらゆる情報がノイズのように入ってきます。そこには優劣や流れ、基準のようなものがほとんどありません。

そのノイズのなかから本にふさわしいものを選択するのは、とても大変なことです。いいブックデザインというのは、一瞬でその本の内容や雰囲気がわかるもので、余計なものはほとんど入っていません。必要なものを明確に主張させることが大事なのに、情報に溺れているとその取捨選択がぼんやりとして、あれもこれもやってしまい、全体としてノイジーになってしまうんです。

なので、『装丁の学校』では、いかに割り切って明快な一つの形にするかということを伝えていました。受講生はそれぞれまったく違う志向性を持っていますが、講評を通じて対話をしながら、その人の意志をクリアにしていくという作業をして、選択する大切さを伝えていきました。

そういう判断ができるようになるためにも、多くのジャンルの本を試してみながら、どうすれば明快な形になるかを探っていくといいと思いますね。

撮影:上村窓

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