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生き方をも変える仕事がここに。暮らしをつくるYADOKARI流の働き方

YADOKARI株式会社

YADOKARI株式会社

世界を揺るがしたコロナショックは、従来の暮らし方や、働き方について考え直すきっかけになりました。「おうち時間」が増えたことで、住まいのあり方を見直したり、テレワークでも十分に働けることがわかり、郊外や地方への移住を検討したり。多くの人が「新しい暮らし方」に関心を寄せています。

そんななか注目を集めているのが、2013年創業のソーシャルデザインカンパニー、YADOKARI株式会社です。メディア発信からまちづくりまで、「暮らし」を軸に幅広い事業を手がけてきました。

多くの人が自分らしく生きるために、さまざまな暮らしの選択肢を提示している同社。その背景にある思いや、これからの展望について、共同代表取締役のさわだいっせいさん、ウエスギセイタさんと、プロデューサーの相馬由季さん、川口直人さんに語っていただきました。
  • 取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
  • 撮影:豊島望
  • 編集:市場早紀子(CINRA)

「新しい暮らしの価値」をクリエイティブ視点で提案・発信する

―最近では新型コロナウイルスの感染拡大により、従来の暮らし方を見直す人が増えつつあります。とくにクリエイターの暮らしについて、皆さんが感じた変化はありますか。

ウエスギ:住む場所を選ぶときに、仕事を中心に考えるのではなく、「どう暮らしたいか」を中心に考える人が増えたと思います。一昔前のクリエイターといえば、起業したら都心にオフィスを構えて、バリバリ働くというイメージでした。

ですが、コロナ以降その意識はだんだんと変わり、地方や郊外にオフィスや家の拠点を置き、余裕を持って働くというライフスタイルになりつつあります。そういう暮らし方・働き方の選択自体が、1つの「デザイン」や「自己表現」になってきている。

これからのクリエイターは、優れた作品をつくることはもちろん、自分の暮らす環境から生まれる世界観やアイデアも丸ごと活かすことで、よりクリエイティブの質を高めていくんじゃないですかね。

共同代表取締役のウエスギセイタさん

―なるほど。では、YADOKARIの事業内容を教えていただけますか。

さわだ:事業の柱は3つ。一つ目は、メディアやサービスの運営です。主には、世界の新しい暮らしを発信するメディア「YADOKARI」と、空き家のマッチングサービスのプラットフォーム「空き家ゲートウェイ」ですね。

二つ目は、リアルな場を活用した、まちづくり支援事業です。例えば、2018年からは、横浜・日ノ出町駅近くの高架下で「Tinys Yokohama Hinodecho」をスタートさせました。高架下のデッドスペースを活用した複合施設で、カフェラウンジやホステル、イベントスペースなどがあります。ちなみに建物は、基礎から建設するのではなく、車輪つきで移動可能な「タイニーハウス」や「可動産」と呼ばれる、移動式の小さな家、空間を活用しています。

そして三つ目が、いまお話したタイニーハウスや、スモールハウスといった小屋、つまりプロダクト自体の販売事業になります。

共同代表取締役のさわだいっせいさん

―多岐に渡っていますね。

ウエスギ:そうですね。ただ、住まい方や働き方も含めた「新しい暮らしの価値」をつくるという点は、すべてに共通しています。

ここ数年は、全国の自治体やデベロッパーから、地域活性化のご相談をいただくことも多いです。クライアントが持っている土地や建物に、YADOKARIの企画や編集といったクリエイティブをかけ合わせ、「これからの街の暮らし方」を提案しています。

山梨県小菅村で行われた、移住支援・地方創生のプロジェクト「タイニーハウスデザインコンテスト」の様子(画像提供:YADOKARI)

東京都町田市の、まちづくり支援・公園やパブリックスペース活用プロジェクトの様子(画像提供:YADOKARI)

自身のライフシフトを機に、「暮らし」についての発信をスタート

―YADOKARIはもともと、さわださんとウエスギさんが始めた会社ということですが、設立の経緯を教えてください。

さわだ:もともとぼくもウエスギも同じITデザイン会社に勤めていて、先輩・後輩の間柄でした。

ウエスギ:ぼくにとっては兄貴分のような存在で、さわだが会社を辞めてからも相談に乗ってもらっていました。それであるとき、転職の相談をしたんです。当時のぼくは激務に追われる生活が5、6年続き、もう疲れ切ってしまって。

いまの会社を辞めて、次も同じようなITデザイン企業への転職を考えていると話すと、「それもいいけど、自分が好きなことや、ライフスタイルに近いことを仕事にするのも良いんじゃない?」とアドバイスをくれたんです。

さわだ:ウエスギは北欧家具や食器などのインテリアが好きで、自宅もすごくおしゃれでしたから。その方向に進むのもアリじゃないかと思って。

ぼくも当時、フリーランスでWEBデザインやグラフィック制作をしていたのですが、ずっとバーチャルの世界を相手にして、誰のための仕事なのかがよくわからなくなっていた。もっと手応えがある仕事、社会に影響を与えられる仕事がしたいと思うようになったんです。

―それが、「暮らし」を仕事にしようと思い立ったきっかけであり、YADOKARI設立のはじまりだったと。

ウエスギ:はい。あと、その前年に東日本大震災が起きたことも大きな理由のひとつですね。移動できるコンテナ型の仮設住宅に衝撃を受けて。さわだもぼくも、自身のライフシフトを意識していた時期なので、「新しい暮らし方」により関心を抱くようになりました。

そこで、国内外の新しい暮らし方の情報を集め、Facebookに記事を発信し始めたんです。

―当時の「新しい暮らし方」とは、どんなものだったのでしょうか?

ウエスギ:ぼくらが注目したのは、アメリカで話題になっていた、タイヤつきで移動ができる住まい「タイニーハウス」でした。

2008年のリーマンショック以来、海外のミレニアル世代は、タイニーハウスなどで住宅を小型化して、可処分所得を増やす動きが見られました。その分、生活を豊かにしたり、語学の勉強など自分への投資にコストをかけたりと、生き方をクリエイティブな方向へシフトする人が増えたんです。

―かたや、日本ではまだまだそういう選択肢は少ないですね。

さわだ:残念ながら。日本では「小さな暮らし」というと、どこか浮世離れしたイメージがあると思います。でも海外では、普通のおしゃれな若者がそれを実践している。だったら、その新しいライフスタイルを日本に啓蒙してみたらどうだろうと。

ウエスギ:最初はFacebookでの発信のみでしたが、記事をアップするたびに大きな反響があり、そこから「YADOKARI」というメディアに発展しました。やがて「新しい暮らし」を軸に、さまざまな事業へ展開していったんです。

自治体MaaS、ワーケーション推進の取り組みで三重県志摩市と連携した、移動式オフグリッドタイニーハウス「Tinys.mobi」

一筋縄ではいかない「まちづくり」。失敗から学んだ、地域との関わり方

―「Tinys Yokohama Hinodecho」だけでなく、2016年には「BETTARA STAND 日本橋」というコミュニティープレイスの運営をされるなど、リアルな場でのコミュニケーション創出にも力を入れていますね。

さわだ:「BETTARA STAND 日本橋」は、もともと東日本橋エリアの再開発事業を手がけていた三井不動産にお声がけいただき、スタートしたプロジェクトです。目的は、再開発エリアに若い人を集め、賑わいを生むこと。

「BETTARA STAND 日本橋」施工DIYワークショップの様子

ウエスギ:約140平米のスペースにタイニーハウスなどを設営し、年間400回くらいイベントを行った結果、交流人口をかなり増やせました。パブリックスペースの新しい活用法としてタイニーハウスという「可動産」を使ったことで、自治体やデベロッパーの視察も多かった。そのときに京急電鉄からお声がけいただき、先ほどお話しした「Tinys Yokohama Hinodecho」をやる流れになったんです。

……と、流れだけ話すといかにも順調そうですが、リアルな場を運営するのはこれが初めてだったので、さまざまな課題も見つかりました。

―例えば、どんな課題が?

さわだ:イベント自体のやり方など、反省点は数多くありますが、一番悔やまれるのは、近隣住民との関係づくりです。当初は町内会の皆さまにも歓迎していただいたのですが、屋外なので騒音の問題などもあり、徐々に風向きが変わっていきました。

―そうした反省から「Tinys Yokohama Hinodecho」では、より地域とのつながりを重視したと。

さわだ:はい、「Tinys Yokohama Hinodecho」では街の人たちとのコミュニケーションをより丁寧に行いました。そこは、川口がマネージャーとして本当に頑張ってくれましたね。

―川口さんは入社当初から日ノ出町に関わっているんですよね。街の人に受け入れてもらうためのコツなどはあるのでしょうか?

川口:めげずに泥臭く、やり続けるしかないと思います。ぼくらが日ノ出町にきて2年が過ぎましたが、最初は厳しい状態が続きました。それでも辛抱強くコミュニケーションをとり続けると、次第に地域が抱える課題感もわかってきて。

プロデューサー・Tinys Yokohama Hinodecho統括マネージャーの川口直人さん

―どんな課題でしょうか?

川口:日ノ出町はもともと違法風俗店が集積していたエリアで、2000年代に入ってから地域と行政が一丸となって取り締まり、そうしたお店をゼロにしてきた。

その後「アート」を軸にしたまちづくりとして、NPOを設立し、アートフェスティバルを開くなど、イメージの刷新をはかってきました。しかし、かけられる予算にも限界があり、良い結果を残せない状態に陥っていたんです。

―つまり、まちづくりが停滞していたと。

川口:ストレートに言えばそうですね。そうした街の課題を踏まえつつも、いかにYADOKARIらしさをぶらさずに、これまで培ったまちづくりのノウハウを地域に役立てられるかを考え続けました。この2年、ぼくらの熱意を街の人に粘り強く伝えたことで、徐々に通じ合えてきたという手応えはありますね。社内メンバーにも「川口が担当になってから変わったね」と言ってもらえるのはすごく嬉しいです。

「Tinys Yokohama Hinodecho」オープニングセレモニーの様子

「暮らし」の仕事をしているのに、自分自身がそれに向き合えていなかった

―川口さんは新卒でYADOKARIに入社し、今年で3年目。新人の頃から、かなり責任のある仕事を任されていたんですね。

川口:1年目でマネージャーになり、企画から実行までを、ほぼ1人で担っていましたね。もちろんさわだやウエスギもサポートしてくれますが、少数精鋭なので基本的には自分の力で乗り越えるスタイル。でも、ぼくにはそれが合っていました。

まだ24歳ですが、この年齢で自発的にさまざまな仕事ができているのは、最初から責任を持って仕事に取り組ませてもらえた経験が大きいです。

さわだ:まちづくりは、泥臭い仕事も多いんです。そのなかで最後までやりきるには、情熱や忍耐力など、芯の強さが不可欠。

ウエスギ:正直に言ってハードワークですが、その分、得られるものも大きい。「暮らし」という誰にとっても身近なテーマだからこそ、問題を自分ごと化して取り組むことができるんです。

ぼくとさわだは、事業を通じて多様な生き方を追求することが、そのまま人生の目標になった。メンバーの相馬と川口も同じだと思います。

―相馬さん、いかがですか?

相馬:そうですね。もともと私も住宅ローンに縛られない生き方を模索していて、タイニーハウスといった「新しい暮らし方」に憧れていました。

そんななか、YADOKARIのことを知って、この人たちと働きたいと思って入社したんです。2年ほどタイニーハウスを使った、遊休地の活用提案などに携わったあと、いったん退職しましたが、今年復職しました。いまは、とある沿線高架下の開発事業などでプロジェクトマネージャーをしています。

経営企画室長・プロデューサーの相馬由季さん

―なぜ離職されたのですか?

相馬:新卒から忙しく働いてきたので、いったん余白の時間をつくりたいと思ったんです。というのも、暮らしに関わる仕事をしていながら、自分自身の暮らしにはしっかり向き合えていないと感じていて。それで1年ほど仕事を離れ、いろいろなことに挑戦して、自分の人生のあり方をあらためて深掘りしてみようと考えました。

離職後は、自分が暮らすためのタイニーハウスをいちからつくったり、結婚をしたり、自分でお金を稼ぐことにトライしてみたりと、やりたいことをすべてやり切りましたね。自分にとって心地いい暮らし、働き方をちゃんと見つけられたいまなら、新たな視点で、社会に価値を与えられる仕事ができると思い、復職を決意しました。

YADOKARIメンバーに必要なのは、「新たな価値の創造」へ向かう熱量

―最後に、今後のビジョンを教えてください。

ウエスギ:YADOKARIは創業から8年目を迎え、いまは「第二創業期」という位置づけ。これからは「住まい方」に加え、「働き方」「心のあり方」「体のあり方」の4つをかけ合わせたサービスを展開して、より多くの幸せをつくっていきたいです。

そのためにも、社員それぞれが関心のある、あるいは得意な領域で、自由に力を発揮できる環境を整えていければと思います。

第二創業期ととらえ、自社が大事にするフィロソフィーも7年ぶりにアップデートした(画像提供:YADOKARI)

―新たな価値を生み出すフェーズだけに、これから入る人も新規事業を立ち上げるチャンスがあるかもしれないですね。

さわだ:まさにそうですね。熱量さえあれば、さまざまなことにチャレンジできると思います。

例えば、ぼくらがいま進めているのは、「ゼロハウス構想」というプロジェクト。社会を変えるアイデアを持った起業家やクリエイターなどに、無償で住まいを提供するものです。住居費の負担をなくすことで、お金に縛られず、社会を変える創作活動に注力できる。

それこそ、このプロジェクトから「世界を変える、暮らしを創る」のビジョンを一緒に体現できるような仲間が見つかるかもしれません。

ウエスギ:ぼくらが求めているのは、世の中に対して「新しい価値を投げかけたい」という熱量。そんな思いを共有できる人が、YADOKARIのメンバーになってくれたら嬉しいですね。

YADOKARIに、クリエイティブの「源」聞いてみた

―クリエイターにおすすめの本を教えてください

『アート・スピリット』(ロバート・ヘンライ著)

とにかく、突き抜けたクリエイティブやアートを創作したい人向け。世間体などどこ吹く風、自分の可能性を最大限に引き出してくれる熱い一冊です。(さわださん)

―ご自身の人生の哲学がつまった映画を教えてください

『イントゥ・ザ・ワイルド』

自由、幸福、人間の絆、生死、自然の厳しさや美しさ。短い人生をどう生きるか。生きることは素晴らしいと、あらためて感じられる作品。(さわださん / 相馬さん)

『しあわせの隠れ場所』

「苦境のなかでも、幸運の巡り合わせで人生はいくらでも好転できる」というメッセージが印象的。(川口さん)

―普段、どんなものから情報収拾していますか?

Spectator

ぼくの地元、長野から始まったエディトリアル・デパートメント発行のカルチャー誌。切り口が面白く、時代の一歩先の好奇心をキャッチしています。(ウエスギさん)

―最近注目しているものを教えてください

暮らしの美意識

コロナの影響で「おうち時間」が増えたので、あらためて暮らしの所作や作務の美しさを発見しています。自身でも日常の動画ブログを撮影し始めました。(ウエスギさん)

Profile

YADOKARI株式会社

暮らし(住まい方・働き方)の原点を問い直しこれからを考えるソーシャルデザインカンパニー「YADOKARI」。暮らしに関わる企画プロデュース・調査研究・メディア運営、小屋・タイニーハウス企画開発、遊休不動産と可動産の活用・施設運営、まちづくり支援イベント、オウンドメディア支援などを主に手がける。

また、世界中の小さな家やミニマルライフ事例を紹介する「YADOKARI(旧:未来住まい方会議)」、小さな暮らしを知る・体験する・実践するための「TINYHOUSE ORCHESTRA」、全国の遊休不動産・空き家のリユース情報を扱う「空き家ゲートウェイ」などを企画運営。250万円の移動式タイニーハウス「INSPIRATION」や小屋型スモールハウス「THE SKELETON HUT」、移動式オフグリッドタイニーハウス「Tinys.mobi」を企画販売。

自社施設として可動産を活用した日本初の高架下複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho(グッドデザイン賞、ソトノバアワード場のデザイン賞)」、可動産イベントキッチンスペース「BETTARA STAND日本橋(暫定終了)」を企画・運営。黒川紀章設計「中銀カプセルタワービル」などの名建築の保全再生にも携わる。

著書に「ニッポンの新しい小屋暮らし」「アイム・ミニマリスト」「未来住まい方会議」「月極本」などがあり日本以外にも中国、韓国などアジア圏での出版も多数展開。

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