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デザイン会社がアジア市場で戦うワケ

国境を超え、グローバルに働くことがより自然になったとも言われる現代。大企業に限らず、スタートアップの挑戦も世界を舞台に行われる。しかし、言語や文化、商習慣も違う地で、組織的に成功を掴むのは簡単ではない。特にデザイン界では、才能ある個人が重用されるケースの方が先行していると言われる。 そんな状況から、企業としてこの舞台に挑むべく誕生したのが、ラナグランドだ。東京に加え上海でも活躍するグランドデザイン社(旧ホノルル・インク)と、日本のデジタル / WEB系クリエイティブの老舗といえるラナデザインアソシエイツのタッグで生まれた新会社。双方のトップ、西克徳さんと木下謙一さんを発起人に、アジア、ひいては世界基準の仕事を目指す。そこでご両人に取材し、同社の設立経緯と、海を超えた射程でビジネスすることの課題・刺激に迫る。

日本人として、戦う場所を広げていく

まずはラナグランド設立の経緯を伺った。発起人のひとり西克徳さんは、グランドデザイン社(旧ホノルル・インク)を2002年から率いてきた。企業のブランディングを軸としたコミュニケーションデザインを得意とするが、2008年には拠点とする東京に加えて中国・上海にも進出した。ユニクロや資生堂などの中国展開を支え、ブランドの背景を理解した上でローカル事情に合わせたデザインを提供。そこから現地企業との仕事にも広がりをみせる。さらに、これらが日本においては「アジア」を知る強みにもなり、その相乗効果で同社の今日がある。

Grand Design CEO 西 克徳さん

Grand Design CEO 西 克徳さん

西:最初に中国で挑戦しようと思った理由は、やはり今、日本から外の世界に出て行くことの大切さを強く感じていたから。海外の企業が日本にどんどんやってくる中で、逆に僕らは日本のことしか知らないままでいいのか? という想いもありました。デザイン界では、優れた個人が海外のデザインファームで活躍する事例は多い一方、組織で乗り込んでいく例はまだ少ない。でも、日本の上場企業の多くはすでに海外進出しています。彼らをデザイン面で支援してきた僕らが、そこで海外に出て行かないのはおかしい。中国進出は、「せっかくだからボクらもそっちでやってみたい」といった気持ちもあるんです。

ここ数年は上海と東京を往復する中で着々と結果を出してきたグランドデザイン。しかし更なる展開のためには、グラフィックだけでなく、デジタルによるコミュニケーションデザインにも精通していく必要があると西さんは考えていた。

ある夜、そんな話を東京で語り合った相手が、大学時代の同級生でもある木下謙一さんだ。木下さん率いるラナデザインアソシエイツは、WEBデザインやメディア戦略で長年最前線を走り続け、デジタル表現にも精通してきた存在。西さんは彼と一緒に新しい会社をつくることの可能性を問い、これに木下さんが応える形で、両社の名前を引き継いだ「ラナグランド」が生まれた。

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RaNaDesign CEO 木下 謙一さん

木下:デジタル系のデザインビジネスにおいては、国境の垣根と同時に、用いる分野やジャンルの垣根もそれぞれ低くなっています。これは面白さであると同時に難しさでもあり、細分化と総合力という課題を一体に考える必要が増しています。一方で、日本ではそのクリエイティブの質は高い。にもかかわらず海外進出する会社が少ないのは、自分たちの場合を鑑みても、やはり色々なハードルを感じるんですね。だから、西君たちが先行して上海で頑張っているのはすごいと思っていたし、今回、互いの得意分野を出し合って海外に向け一緒にやることの意義を感じたんです。

なぜ海外進出の起点に中国を選んだのか?

ところで、そもそも西さんは、最初の海外進出先になぜ上海を選んだのだろう? そこには上述のような問題意識に加え、重要な出会いがあった。

ラナグランド ロゴ

ラナグランド

西:これについては、僕はとてもラッキーでした。著名な投資家の邱永漢さん(きゅう・えいかん=台湾人と日本人の両親の間に生まれた作家・実業家)と出会えたのが大きかった。あるとき文化の発展に関する彼の持論を何かで読んだんです。いわく、日本はアジアでは最初に経済発展を遂げ、次に韓国、台湾が続いた。後続2者の違いは、自らデザイン力を育ててサムソンやLGを生んだ韓国と、外資の工場中心で終わった台湾、というもの。だから中国がどの道を進むかは、デザインにかかっているというお話でした。なるほど中国は面白そうだと感じ、かつ邱さんと直接お話してみたくなり、思い切ってメールを送ったんです。

「いちど会いに来なさい」という邱氏の意外な応答に、西さんは彼の元を訪ねる。共に一日を過ごした後、「さっさと中国に出発しなさい。本気でやるなら、資金は半分出すから。今36歳のあなたが、これから中国の発展に立ち会えれば、その下降期も含めて大きな流れを経験できる。それはきっとあなたの大きな糧になるだろう」と背中を押された。

西:彼のような頭のいい投資家が行けというのだから、僕の頭でいろいろ考えてもしょうがない(笑)。そんな風に踏ん切りが付きました。一方で、最初の拠点として邱さんに勧められたのは北京でしたが、そこは自分の直感を信じて上海を選びました。かつての租界(外国人居留地)の名残もあってか、東京よりグローバルだと感じる部分も多いし、日本人の居住者も5万人以上と言われ、これはニューヨークを凌ぎます。もちろん北京の様子も実見した上で、デザインなら上海だなという肌感覚が働いたんです。

そして日本で経営していたホノルル・インク(当時)に迷惑はかけないと約束し、設立資金は西さん個人で用意し、スタッフも日・中の新規採用でスタートしたという。そこでは経済が大きくうねる最中で、デザインの仕事に関わる醍醐味が大いにあったと話す。

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西:日本はいま経済成長率が1%少しという状況ですが、2000年代の中国では10数%。日本の高度成長期にたとえれば、亀倉雄策氏や田中一光氏といったデザイナーが活躍した時代のようなものですかね。僕らはそういうダイナミズムをまったく体験していない世代なので、それはもうかなりの刺激でした。もちろんすべてが順調に進んできた訳ではないけど、それこそがむしゃらにやってきましたね(笑)。今は落ち着いたともいうけれど、中国の成長率はまだまだ約7.5%と、日本にはない勢いを持っている。欧米企業も自分たちの市場が縮小傾向にあるなか、アジアは今、世界から見ても最重要地域です。

木下さんも、そんな西さんの分析に違う視野を加えつつ賛同する。

木下:グローバル化に伴うある種の均質化というのもあって、これはデザインの世界にも確かに影響を及ぼしていると思う。たとえばApple製品のように企画・デザインは本国で一極集中的に行い、製造はコストの安い海外に委託するという形で世界中に広がったものがある。ただ、今後はそうした時代からまた違う次の段階、いい意味でデザインがミックスしていく可能性もあると思う。それはハードだけでなくコンテンツの世界についても同様で、多様性の高いクリエイティビティは求められるでしょうね。

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中国市場ならではの厳しさと面白さ

中国市場ならではの厳しさと面白さ

海外で感じるビジネス観には、日本と違う点で学ばされる面もあるという。

西:面白いなと思ったのは、中国の人々が意外に――と言ったら失礼ですが(笑)――相当親切なこと。社会システムが脆弱だからこそ、特に個と個のレベルでは皆で助け合う気風を感じました。誰かが困ってるとき、まずは「いいよ」と応えて自分にできることを考えてくれる。遠慮することが美徳ではない。これには助けられました。また、クライアント企業の徹底したトップダウン制には驚きました。そこを通らなければ何をしても通らない。でも逆に言えば、トップの決裁が必要と考えるほどデザインを重視しているとも言える。

社内風景

社内風景

そして、課題でもあり可能性でもあるのが、人の多さと多様さ。人口・国土面積・民族数、すべての規模が大きいゆえ、コミュニケーションの課題や問題のスケールも大きい。日本では「言わずもがな」的にスキップできると考えていたデザイン上の共有項目・常套手段が、ここでは通じないことも多かった。

西:13億人、56の民族が一緒になった国ですからね。デザインにおけるコミュニケーション上の共有事項も、日本で当然だと思っていたレベルより、ずっと少ない。そういう多様性の中でも、大多数に通じるレイヤーで手を取り合っていくしかないわけです。でもそれは言い換えれば根源的で、太く、濃いコミュニケーションデザインになりえる。つまり、そこからアジア・スタンダードが築ける可能性も秘めていると思います。この状況はアメリカに近いかもしれないし、中国はミャンマー、ベトナム、中東、さらにロシアにも接している点で、地続きに広く共有できるデザインを考える上ではいい場所だと思う。中国語圏の人口は13億人。英語圏が24億人と言われますから、仕事相手としてそこを意識すると、価値観はだいぶ広がっていきます。

だがその「中国式」の洗礼に、日本での常識を再考させられることもある。たとえば中国では、完璧さを目指すより、まずは要件をうまく間引いて適時にローンチさせる考え方や、性能のみを上げるのではなく、8割くらいの目安でつくる方が上手くいくこともあるという。またプロダクトにおいては、ターゲットに無理なく利用してもらえるコスト感で、バランスをとる姿勢も重要だという。

西:例えとして、タクシーで考えてみましょう。日本では、停車したら勝手にドアを明け閉めしてくれますね。上海のタクシーにはそういうサービスはないけど、日本の乗車料の半額で走ってくれる。どちらが良いかは簡単に答が出ませんが、あの自動ドアにお金をかけなくても……と考えることもできる(苦笑)。やはり中国の人々の、ビジネスにおける「瞬発力」と「省く力」はすごい。他方で、東京のデザイナーたちからは「最近、不況でしんどい……」とかいう話も聞きますが、僕から見たら「こっちに来いよ、君のスキルや表現力なら問題ないよ!」と思う人も多い。大切なのは、その時々でどこに重心を置くかということ。日本のデザインにしばしば見られる「無駄にすごい精度」を、そうした部分のチューニングに活かせたら、また違ったレベルですごいことになると思う。

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木下:僕は「日本的」にも良い面はたくさんあると思うけれど。ただ確かに時々、おもてなしすぎ、いわばやりすぎ感はあるかもしれない。そこはコストや時間の面で競争力にも影響するし、適切なレベルでの突き放しもあっていい。それがグローバルレベルでの共感や、よりダイナミックな発想につながることもありそうです。そしてなにより、そうした違いを熟知した上で提案できることが、デザインする側のアドバンテージになると思う。

木下さんのラナでは、従来も専門分野に特化した組織の新設(クリエイティブプロダクションのRANA007、研究開発部門のRANAGRAMなど)を戦略的に実行してきた。そして今回の合弁会社設立には、既存組織の経営方針をキープしつつ、海外を強く視野に入れた新会社としてこの挑戦に臨む姿勢が見える。

木下:ですからラナグランドでは、人材も新たに募集します。もちろん、この挑戦に賛同して、今後ラナグループから移籍してきてくれる人がいてもいいかもしれない。当面は東京拠点ですが、上海や香港の仕事を積極的に取りにいくつもりです。その際、東京だけでものを見ない姿勢は、グループ内にも良い影響をくれると期待しています。

「無駄になる経験」などひとつもない

人材の話も出たところで、取材の締めくくりに、ラナグランドの挑戦に参加してくれる仲間に求めること、またそこで待っている世界について、お二人それぞれに聞いた。

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西:もちろん技術も大事ですが、僕らのやろうとしていることに「共感」してくれること。それは、日本というより、アジアの中で仕事するということも含みます。もちろん僕も日本的なこだわりは大事にしていて、だからこそこれまで成果が出せたとも考えています。ただ、相手を理解しようという気持ちがないと、いくら頑張ってもうまくいかないのも事実。その点でも、共感する力は大切です。
例えば、既に海外で色々見てきた人にも興味があります。僕も東南アジアとかはまだ詳しくないし、でも逆に僕らができることもたくさんあるのではとも思う。

木下:僕からは2つあって、ひとつは多様性が許容できる人、またはそういう世界の方が好きな人。ラナグランド専属スタッフは僕らをのぞいて4人いて、ひとりは中国籍です。当然中国の仕事も多くなるでしょう。もうひとつは、組織的な海外進出を目指しているので、いままでのような個人の優れたクリエイターとも違う動き、意図を共有できる人です。組織だからこそ実現できる仕事のスケール、多様性にやりがいを持てる人ですね。日本のデザイン業界って徒弟制度みたいなところもあって、どこかで学んで、独立する繰り返しが多い。それはそれでいいけれど、これが海外に本格進出していかなかった一因だとも思う。だから、徒弟ではない雰囲気の中で仕事をしていきたいですね。

西:実際に上海や香港などと往復しての仕事も多くなると思います。これに関して何か言えるとするなら、デザイナーや表現者は、働く場所によって大きく広がるということ。上海でも、現地で大きく成長するスタッフの姿をたくさん見てきました。だから、視野を広げないともったいない。ラナグランドではまず基盤を東京に置いて、海外との行き来もするなかで、各地の空気をいっぱい吸いながら、アジアのスタンダードを狙えたらと思っているんです。

西さんも木下さんも、大学時代に当時は高額だったMacintoshを苦労して入手するなど、日本のデジタルデザイン黎明期を体で感じてきた世代。「当時のMacとの“格闘”で得た知識は、いまやまったく役に立たないけどね」と笑い合うが、同時に「技術的にはそうだけど、経験的には何一つ無駄になってはいない」と力強く語る。

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木下:若い世代にアドバイスできるとしたら、マクロ的に遠くを見つめることと、ミクロ的に目の前の仕事に向き合うこと、この双方を思い切って両極端にやり続けたらいいと思う。

西:「無駄になる経験はない」というのは、邱永漢さんも仰っていました。「今はわからなくても、年を重ねるごとにわかってくる、だから何事も一生懸命やりなさい」って。
もちろん、上海でのビジネスだってがむしゃらにやってきたからこそ今がある。邱さんは2年前に亡くなりましたが、今、自分もそれがわかる気がするし、これからもきっとそうだと思う。

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