
1991年の創設以来、一般的には好立地ではない場所=「バッドロケーション戦略」を軸に、企画から運営までを一気通貫で行い日本各地で数多くの飲食店舗を生み出してきたバルニバービ。近年は淡路島や出雲などで、食の持つ力を最大限に活用した地方創生・再生に取り組み、宿泊施設やコワーキング施設、レジャー施設を開業。事業規模は年々拡大し、現在は全国で106店舗(2026年1月現在)を展開している。
今回話を聞いたのは、創業者であり現在は会長、関連会社BALNIBARBI Roots Creationの代表を務める佐藤裕久氏の直下で、代表専属デザイナー兼佐藤会長のアシスタント(プロジェクト編集者)として働く飯塚堅志郎さん。グラフィックデザイナーとして入社後、秘書的役割からプランニング、プロジェクト推進まで、職域を横断しながら数多くの案件を担ってきた人物だ。
飯塚さんは「当社の総合的なエリア開発には、社内外関係者のことを理解した上で人間的な温度差を調整し、前に進める編集力を持った人物が不可欠」と語る。佐藤氏の斬新なアイデアをタスクに分解し、実装へと導くーーその仕事の本質と、このポジションならではのやりがいに迫る。
- テキスト・インタビュー:宇治田エリ
- 撮影:西田香織
- 編集:吉田薫
クラブ運営からデザイナーに。代表の側で仕事の幅を広げた8年間
―飯塚さんは、もともとはデザイナーではなかったそうですね。転身のきっかけはあったのでしょうか?
飯塚:もともとは渋谷や六本木のクラブで、運営の仕事をしていたんです。そこでイベント告知用のフライヤー制作をデザイナーに依頼し、進行管理やディレクション、制作アシスタント的な仕事をするなかで、「自分でもつくってみたい」と思ったのがデザインに興味を持ったきっかけでした。
25歳頃から独学でグラフィックデザインを学び、独立後はフリーランスとして活動しながら実績を積み、SNSでその内容を発信していました。そうしたら、ある日バルニバービの社員採用担当の方からDMをいただいて。

飯塚堅志郎さん。群馬県出身。都内の有名クラブでエンターテイメント、クリエイティブを学び27歳の時にグラフィックデザイナーとして独立。30歳でバルニバービに入社。現在はデザイナー、会長秘書兼アシスタントとして「食から始める地方創再生」を軸に、全国のまちづくりに参画。
飯塚:飲食店で働いていた経験もありましたし、接客や人に関わる仕事も好きだったので、自然と興味が湧きましたね。ホームページでデザインの実績を見ていき、インハウスデザイナーがグラフィックを手がけていることを知り、ぜひともご縁があれば働きたいなと思い面接に進みました。
そしてその場で採用が決まり、翌週から働き始めたという(笑)。まさに弾丸入社でしたね。
―スムーズに決まったのですね。そうして2016年から「社長室の専属デザイナー」として働きはじめたと。他社にはない珍しいポジションだと思うのですが、どういった業務からスタートされたのですか?
飯塚:最初は店舗設計を手がけるデザイン部とコミュニケーションを取りつつ、グラフィックは自分でつくるということをしていました。
ただデザイン専門の部署があったこともあり、社長室専属デザイナーとしての業務は決して多くありませんでした。だからこそ、「待っているだけではダメだ」と思ったんですよね。佐藤の近くにいる立場だからこそできることを自分で見つけ、役割をつくっていく必要があると感じたんです。
秘書の方の仕事を手伝ったり、イベントを企画・運営したり、当時は当社の地方創再生(※)エリア、淡路島の第一号店舗がオープンするタイミングだったので、積極的にそのプロジェクトに参加して少しずつ地域の方とコミュニケーションをとってパイプ役になったり。とにかくやれることをやり、どんどん吸収していこうという姿勢で手を広げていきました。
―かなり能動的ですね。業務の幅も広いと感じましたが、現在はどのような業務を担当されているのですか?
飯塚:現在は、佐藤が担当するプロジェクトを円滑に進めるための調整役・アシスタントとしての業務と、佐藤の秘書のサポート業務、必要なプロジェクトの進行管理を行っています。
さらに、状況に応じてロゴ制作やイベントのグラフィックなどデザイン業務も担当していたり、SNS運用などもしていたりしてます。
業務内容は多岐にわたりますが、通底しているのは佐藤のアイデアや意思決定を、実行フェーズまで落とし込み円滑に進むように調整し、形にしてお客様に喜んでいただくこと。デザインの仕事は、その手段のひとつだと考えています。
※バルニバービが独自につくった言葉。「創生」と「再生」を組み合わせた言葉で、地方を単に活性化させるだけでなく、新たに創り出し、同時に再び生まれ変わらせるという二重の意味を持っている

代表の構想を読み解き、実行のために業務を組み立てる。仕事から得るやりがい
―佐藤氏は飲食業に対する独自の哲学で知られている人物です。一緒に働くなかで、どのような点に面白さを感じますか?
飯塚:一番は、徹底してお客様目線で考え続けているところです。どれだけ事業が大きくなっても、その視点がぶれない。地方創再生の企画でも、「その場所に行きたいと思えるか」「住みたいと思えるか」「お客様が笑顔になれるか」という感覚を何より大切にされています。
佐藤に対して、常識にとらわれないアイデアマンというイメージを抱く人も多いと思いますが、それはお客様のことを一番に考えているからこそ。その真摯な姿勢を尊敬しています。
同時に、佐藤は人を本当によく見ています。大企業の方や行政の方と接する時も、「この人は何を大事にしているか」「どんな言葉なら前向きに動くか」を常に考えている。その姿勢を間近で見ていると、自分自身も自然と、相手の視点で組み立てる癖が身についてきます。佐藤に比べればまだまだですが(笑)。
だからこそ、言われたことをこなすだけではなく、「次に何が必要か」「どうすれば前に進むか」を一歩先回りして考え、時には佐藤の想像を超える行動をすることも意識していますね。
淡路島のプロジェクトを通して学んだ、地方を創造・再生するために必要なこと
―鋭い視点をお持ちの方だからこそ、数々の事業が展開されているのですね。佐藤さんのもとで働くことで新たに得られた視点はありますか?
飯塚:2019年から本格化した地方創再生のプロジェクトに関わることで、私自身もまちづくりに対する考え方が一新しました。
たとえば、いままで私が想像していたまちづくりは、駅周辺に大きな商業施設や宿泊施設、オフィスをつくり、かっこいい飲食施設があることだと思っていました。けれども実際に当社の地方創再生プロジェクトに携わっていると、いままで僕が見てきて、まちづくりだと思っていたことは本当の意味でのまちづくりではなく、表面ばかりを整えたものだったんだと気づいて。ハードよりも「ここに住みたい」と思えるくらい、人が集まりつづける状態をいかにつくれるかというソフトが大事なんだと捉えるようになりました。
コロナ禍を経験し、あらためて「本当の豊かさとは何か」を見直したことも大きかったです。食べ物がおいしい、豊かな環境や落ち着ける環境(場所)がある、近所の人たちのコミニュティーの一部として町に溶け込む。そんな、日常に生活の豊かさや温かみが溢れている場所をつくりたいという思いを、働くなかで日々得られているなと思います。
―先ほど少しお話しいただいた淡路島で地域の方とのパイプ役ともなったそうですね。プロジェクトには、具体的にどのように携わっていたのでしょうか?
飯塚:淡路島に携わるようになったきっかけのプロジェクトは「サキア祭り」というイベントです。スタート当初から企画・運営を担当しました。
飯塚:廃校を活用した施設をメイン会場に、地域の方が主役になれる場をつくることを目的としたイベントで、佐藤のアイデアでスタートしました。最初は、生産者の方や地域の団体、住民の方々と一つひとつ関係を築くところから始めました。紹介してもらった方のもとへ足を運び、話を聞き、「ぜひ遊びに来てください」と声をかける。月の半分ほど淡路島に滞在しながら、少しずつ信頼を積み重ねていきました。
地域にはそれぞれ関係性や立場があり、全員を同時に満足させるのは簡単ではありません。誰に声をかけるか、どう順番を考えるか。村長でもあるエリアマネージャーの井上さんに相談しながら調整することも多くありました。
大変ではありますが、地域の方が笑顔で参加してくれたときや、「ありがとう」と声をかけてもらえた瞬間は、この仕事ならではのやりがいだと感じています。
大切なのは、「温度感の調整」。バルニバービのチーム論
―現在、どのくらいのプロジェクトを並行して進めていますか?
飯塚:大小合わせると、15から20のプロジェクトが動いていますね。ホテルで使うショップカードやイベントフライヤーの制作から、地方創再生の新しいプラン・企画の作成、地域への導入・落とし込みまで本当に幅広いです。デザイナーであり、秘書であり、企画もアシストするというかたちですね。
―いわゆる、プロジェクトマネージャーのような動き方もされているのですね。特に大きなプロジェクトでは、社内外の人々と連携する場面が多いと思います。その際のやりがいと難しさ、両面を教えていただきたいです。
飯塚:基本的に、佐藤から降りてきたアイデアを実現するために、何をすべきかリストアップし、時にはリサーチも行い、具体的にどう実行するか企画を発案しながら進めていきます。そこから、デザイン部や地域に根ざして事業を運営している会社と連携していくことになります。
―すごく大変そうなお仕事だと思ったのですが、円滑に進めるために大切にしていることはありますか?
飯塚:「温度調整役として動いていく」というマインドセットを大切にしています。佐藤はアイデアが次々と出てくる人で「あれをやろう、これもやろう」と、100度の熱でたくさんの球を投げてきます。しかし、それをすべて受け止めて返そうとすると収拾がつかなくなり、現場が混乱してしまう。やっぱり、あれほどの熱量に同じ温度で返せる人はなかなかいないので。
なので、温度感や返すべき速度を判断し、佐藤の意図を噛み砕いてよりわかりやすく整理したうえで、各担当者にお渡しするようにしていますね。温度にしたら80度ぐらいのイメージです(笑)。

―仕事全体を通して一番やりがいを感じる瞬間はどのような時ですか。
飯塚:基本的に人の役に立つことが好きで、サポートする役割が性に合っているのでしょうね。自分がやったことによっていろんな人が笑ってくれるのを見ることが嬉しいですし、やりがいを感じます。
実は6年ほど働いたあと、一度バルニバービを離れて2年ほど別の会社で働いていたことがあるんです。そこであらためて、佐藤の義理堅く、人を大切にする姿勢から、多くのことを教わっていたんだと身に沁みて感じて。仕事はもちろん大変ですが、やはり佐藤の背中を追いかけたいという気持ちから、出戻りを決意しました。
―飯塚さんのいまの目標はなんですか?
飯塚:2025年8月に社長室の部署がBALNIBARBI Roots Creationという子会社になりました。今後はまちづくりのコンサル業を中心に事業展開をする予定です。事業が拡大すればするほど人も増えていくでしょう。
それに、これまでよりも会社の経営や数字関係のことに敏感になっていかないといけないですし、仲間に対してのマネジメントを含め、さまざまな立場の人との関わり方も一層勉強していかないといけません。そこが直近の課題で、一つ一つを積み重ねていって少しでも佐藤に追いつきたいという思いです。

―子会社化したことで、経営面についても考える機会が増えそうなのですね。新しいメンバーも採用中とのことですが、どのような人と働きたいですか?
飯塚:やはり何よりも元気で前向きな方がいいですね。一緒に仕事をしていると気持ちいいですし、初体験の分野でも成長する意欲があればなんでもできるようになると思います。
佐藤の下で働くということに緊張する方もいるかもしれませんが、緊張しつつもその環境を楽しみながら伸び伸びと働ける方に資質があると思いますね。個人的には、スキルを活かすというよりも、仕事の仕方や動かし方、人との接し方が丁寧で、いろんな温度感に合わせることができる人と働きたいです。
―最後に、バルニバービで働くことを考えている方にメッセージをお願いします。
飯塚:佐藤のまちづくりの手法は、大手デベロッパーの手法とはやり方はもちろん、そもそもの考え方が違います。これまで地方創生に携わった経験がある方には、その経験を大切にしつつ、佐藤のまちづくりに対する考え方もたくさん吸収していただきたいですね。経験と新しい学びが掛け合わさることで、きっといままで以上に面白い取り組みができ、自身の成長にもつながると思います。
Profile

私たちは、全国で約100店舗のレストラン、カフェ、スイーツショップ、ホテル、物販を運営しています。 東京・大阪を中心に、淡路島、南あわじ、出雲、そして2028年開業予定の伊予市など、全国各地で“食からはじまる地方創再生”をテーマにしたプロジェクトを進めています。
その原点は、震災の体験にあります。炊き出しの現場で見た笑顔が、「食には人を救う力がある」と教えてくれました。
その想いを胸に、1995年、人通りの少ない大阪・南船場で、一号店「アマーク・ド・パラディ」を開業。“わざわざ行きたい場所”を生み出すことで、街に再び人の流れと灯りを取り戻しました。
いま、私たちの挑戦はレストランの枠を超えています。土地を選び、建築を起こし、宿泊・物販・住宅・オフィスを含む複合開発へと広がる。それは単なる不動産ではなく、“人が住みたくなる街”を、食を中心に育てていく営みです。
食がある場所に、人が集まり、文化が生まれ、街が呼吸をはじめる。私たちは、食を通して日本各地に新しい“あかり”を灯し、未来へ続く風景をつくり続けていきます。
