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ついに『アカデミー賞』多様化を目指す新ルールが施行。選考結果に影響はあった?なかった?

毎年、エンタメ業界のみならず、世間でも大きな注目を集める映画界の一大イベント『アカデミー賞』。ここ最近の『アカデミー賞』では、エンタメの領域と政治的・社会的な領域が摩擦を起こして、火花を散らすような光景が見られることもありますが、今年開催された『第96回アカデミー賞』でも、受賞者らによるアジア人蔑視疑惑や、『関心領域』のユダヤ系監督ジョナサン・グレイザーがパレスチナ・ガザ地区への攻撃を正当化すべきでないと訴えるスピーチをするなど、さまざまな議論を巻き起こしました。

そんななか、1つの変化がありました。『アカデミー賞』の多様化を目指し、マイノリティを包括する新ルールが今年から適用されたのです。

多様性を担保しながら、いかに創作すべきか。これはエンタメやクリエイティブ業界で働く人にとって、向き合うべき課題の1つです。それがあったからこそ生まれた表現もあるいっぽう、「自由なクリエイティビティを阻害する抑圧的なもの」と受け止められることもあります。エンタメの最前線では、新ルールの施行によってどのような変化があったのか、あるいはなかったのか? そもそも、この新ルールはどういうものなのか? LA在住のジャーナリスト・猿渡由紀さんに解説してもらいました。
  • 文:猿渡由紀
  • 編集:佐伯享介

メイン画像:Joel Cohen & Ethan Cohen & Scott Rudin at the 80th Annual Academy Awards at the Kodak Theatre, Hollywood. February 24, 2008 Los Angeles, CA Picture: Paul Smith / Featureflash

1つのルール変更は、映画産業の一大イベントをどのように変えたか?

『アカデミー賞』が、1つの小さな節目を迎えた。2016年から始まった映画芸術科学アカデミーの多様化への努力の一環として、作品部門に候補入りする資格を得るためには、新たに掲げられた基準を複数満たさなければならなくなったのだ。この新ルールが発表されたのは、2020年9月。施行は2024年からで、今年がその初年となった。

挙げられている基準には、「主演あるいは重要な助演俳優にマイノリティの人種が含まれること」「全体のキャストの3割以上が、マイノリティの人種、女性、LGBTQ、障がい者などであること」などある。物語のテーマがそれらの人たちについての場合も、基準の1つを満たす。

では、今年の作品部門候補は、その新しいルールの効果を反映するものになったのだろうか? 答えは、ノーである。

作品賞のノミネート作品に史上初の出来事。しかしそれは、新ルールの影響だったのか?

今年の作品部門には、『落下の解剖学』(フランス語と英語)、『関心領域』(ドイツ語)、『パスト ライヴス/再会』(韓国語と英語)という、外国語中心の映画が3本もノミネートされるという史上初のことが起きた。

5月24日公開予定の『関心領域』。アウシュヴィッツ強制収容所の隣で幸せに暮らす家族を描いた作品だ。

だが、それはこのルールの影響ではなく、多様化への努力のおかげでアカデミーの母体が国際化してきたことの反映だ。その効果は2020年に韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が、有力視されていた『1917 命をかけた伝令』を制して作品賞を受賞したときにも、すでに見えていた。この新ルールがあってもなくても、今年の作品部門候補作のラインナップは、同じだった可能性が高い。

2020年の『第92回アカデミー賞』では『パラサイト 半地下の家族』が非英語作品として初めて作品賞を受賞した。

何より、今年の作品賞受賞作は、圧倒的に白人男性中心の『オッペンハイマー』だった。この映画は、出演者に関しても、テーマに関しても、前述した基準を満たしていない。実話にもとづくのだから、このような顔ぶれのキャストになるのは、当然のことである。

なのに、なぜこの映画は作品部門に入ることができたのか? それは、新ルールのせいで『オッペンハイマー』や『1917 命をかけた伝令』のような、キャストが白人男性中心になることが必至の映画が作品賞を取れなくなってしまわないよう、抜け道が用意されたからだ。

新ルールの「抜け道」はスクリーン外にあり。4つの新基準をおさらい

抜け道とは、どんなものか。スクリーンのなかで条件を満たせない場合は、スクリーンの外でクリアする方法があるのだ。

たとえば、監督、脚本家、プロデューサー、美術監督、衣装デザイナー、撮影監督、メイクアップアーティスト、ヘアスタイリスト、キャスティングディレクターなど主要な部署のトップのうち、最低2人が、マイノリティの人種、女性、LGBTQ、障がい者であることは、その条件の1つ。

『オッペンハイマー』は、プロデューサーがクリストファー・ノーランの妻エマ・トーマス、美術監督、衣装デザイナー、メイクアップアーティスト、キャスティングディレクターなども女性だ。あるいは、クルーの3割がこれらの人たちであってもいい。さらに、映画界にマイノリティの人たちがもっと入ってきやすくするようインターンシップやトレーニングのプログラムを提供するという条件、マーケティング、宣伝、配給の部署のトップにマイノリティの人種がいるという条件もある。

『第96回アカデミー賞』で作品賞を含む7部門を制した『オッペンハイマー』の予告編。日本公開は3月29日から。

作品部門の候補の資格を得るには、A、B、C、Dと4つある基準のうち、ふたつを満たすことが必要だ。『オッペンハイマー』は、キャスト、物語のテーマについての「基準A」は満たせていないが、スクリーンの裏の主要な部署についての「基準B 」を満たしている。それに、たとえここが満たせていなかったとしても、『オッペンハイマー』を製作配給するユニバーサル・ピクチャーズはインターンシップやトレーニングのプログラムを実施しているし(基準C)、アメリカ国内配給部のトップがアフリカ系男性(基準D)だ。つまり、「基準C」と「基準D」を満たしているユニバーサルがつくる映画は、この体制が維持される限り、どんな内容、キャストであったにしろ、作品部門に候補入りする資格があるのだ。また、「基準B」にしても、ハリウッドの衣装デザイナー、メイクアップアーティスト、ヘアスタイリスト、キャスティングディレクターには女性がとても多いので、ハードルは高くない。

新ルールへの批判者の言い分は、一理あるが完全に当たっているわけでもない

ハリウッドが「白すぎる」ことを強く批判してきたスパイク・リーは、この新ルールには意味がないとコメントしている。リチャード・ドレイファスはもっと辛辣に、「芸術の自由を制限する、思慮に欠けたものだ」として、「吐き気がする」とまで言った。蓋を開けてみたいま、この二人の言うことは一理あるものの、完全に当たってもいないと言える。『オッペンハイマー』のような映画はこれからも問題なく作品部門に候補入りできると判明したわけで、ドレイファスが危惧したほど芸術的な自由は失われていない。では、リーの言うようにこのルールが存在する意味はないのかというと、基本的にはその通りながら、完全にそうだとも言い切れない。

みんながみんなではないかもしれなくても、映画をつくるときには、「賞にからむようなことになればいいな」との思いが、少しは頭をよぎるものだろう。万一オスカーに引っかかる可能性が出てきた場合に備え、プロデューサーや監督は、スタッフやクルーを集める製作初期の段階で、多少なりとも人員構成を意識するようになるのではないか。それに、オスカーは毎年あるイベントだ。すでにハリウッドは多様化に向けて本気で取り組んではいるものの、年に一度、「この努力は続けなければいけないものなのだ」と思い出させてもらう機会となるのは、悪いことではない。

2019年の『第91回アカデミー賞』ではスパイク・リー監督作『ブラック・クランズマン』が脚色賞を受賞した

古い価値観からどのように脱却するか? 根本的な解決策は

リーは、根本的な解決のために必要なのは、「企画にゴーサインを出す権限を持つ人たちが多様になることだ」と主張している。ハリウッド映画の主役がいつも白人の男性で、その恋人役は娘のような年頃の若い美人女優だったのは、スタジオのトップである白人男性が見たいのがそういう映画だったからだ。そこが変わっていけば、自然につくられる映画も変わってくる。

また、現在その立場にいる人たちが、もっと新しいアイデア、フィルムメーカーにオープンになることでも、変化は起きる。今年、『アメリカン・フィクション』で脚色賞を受賞したコード・ジェファーソンは、受賞スピーチで、この企画はあらゆる人たちから拒否されたと明かし、「2億ドルの映画を1本つくるのではなく、1,000万ドルの映画を20本、いえ、400万ドルの映画を50本つくってくれませんか? 次のスコセッシ、次のグレタ(・ガーウィグ)、クリストファー・ノーランになれる人たちがきっといるのですから」と、スタジオに訴えかけた。

ジェファーソンは黒人の新人監督であり、『アメリカン・フィクション』は黒人が主人公の、人種への偏見をテーマにした風刺コメディ。ようやく「イエス」と言ってくれる人が出てきたおかげで、この傑作が生まれ、オスカーの多様性に貢献することになったのだ。ゴーサインを出す人たちには、そのパワーがある。ジェファーソンの言うように、リスクを恐れず、低予算でも多くの人にチャンスを与えることが、ゴールを達成するための近道ではないだろうか。

『アメリカン・フィクション』本国版の予告編。Amazon Prime Videoで配信中だ。(日本では劇場未公開)
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