CINRA

どう働く?どこに住む?自分らしい生き方を「発酵的」視点で考えてみた

日本の伝統的食文化である「発酵」がブームになって数年。「長い時間かけて変化を促すことで、物事をよい方向に導く行為」として、生き方や仕事術などの分野でも注目され始めている。

そうしたなか「発酵・醸造のまち」を掲げる新潟県長岡市では、まちや社会を発酵させるにはどうすればよいか?という問いを立て、『Long Life Circle Lab』というプロジェクトを開始。その第1回として、東京の青山ブックセンター本店にてトークイベントが開催された。

講師には長岡技術科学大学で微生物研究を行う小笠原渉教授、ゲストには「まちを発酵させる人」として編集者の藤本智士さん、「人を発酵させる人」として精神科医の星野概念さんが登場。「発酵と、これからの生き方の話をしよう」をテーマに、それぞれの知見から「発酵的」な意見が交わされたイベントをレポート。また、今回はトーク内容をリアルタイムで可視化するグラフィックレコーディングを導入。その様子も合わせて紹介する。
  • 取材・文:タナカヒロシ
  • 撮影:朝山啓司
  • 編集:青柳麗野(CINRA)

「発酵・醸造のまち」全国2位の長岡市とは?

この日は長岡市主催ということで、開始に先立ち来場者には長岡産の日本酒や味噌、そして長岡名物の醤油で炊いた赤飯などが振る舞われた。イベントは登壇者とともに乾杯の唱和からスタート。

長岡市のお猪口を使ってふるまわれた

長岡市のお猪口を使ってふるまわれた

イベントの主催者でモデレーターを務める編集者の安東嵩史さんによる進行で、まずは長岡市がなぜ「発酵・醸造のまち」を掲げているのかについて説明が行なわれた。

長岡市には京都市に次いで全国2位となる16の酒蔵があり、特に江戸時代から栄える摂田屋地区には味噌・醤油・酒蔵が密集。その理由には、全国有数の米どころであることや、豪雪地帯であるため湧き水に恵まれ、空気中に雑菌が舞いにくいなど、酒づくりに適した自然環境がそろっていることが挙げられる。市内には発酵に関する大学や企業の研究機関も多く、発酵や醸造の文化が深く根づいているそうだ。

会場の様子

会場の様子

トーク内容をリアルタイムで可視化する「グラフィックレコーディング」を手がけるグラフィックレコーダーの上園 海さん

トーク内容をリアルタイムで可視化する「グラフィックレコーディング」を手がけるグラフィックレコーダーの上園 海さん

「発酵」も「腐敗」も同じこと。微生物にとってはどちらもハッピーな結果

続いて「そもそも発酵とは?」について説明が行なわれた。発酵とは微生物などの働きで有機化合物が分解される現象だが、じつはその原理でいうと「腐敗」も基本的に同じだという。

小笠原:最終的に人間にとって有益なものになれば発酵、そうでなければ腐敗と呼びます。これは人間の都合であって、微生物にとっては腐敗でもハッピーなことなんです。

この考えが、後のトークで大きなカギを握ることになる。

長岡技術科学大学教授の小笠原 渉さん

長岡技術科学大学教授の小笠原 渉さん

ひと通り発酵に関しての理解を深めたあとは、あらためてゲスト2人を紹介。長年にわたって秋田県発行のフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める兵庫県在住の藤本さんは、一つの場所に深く関わることでさまざまなきっかけをつくる「まちを発酵させる人」として登壇。

一方の星野さんは精神科医兼ミュージシャン。2018年に上梓したいとうせいこうさんとの共著『ラブという薬』や、その他の連載などにおいて、人の心とじっくり向き合い、ともに生きていく術を模索することから「人を発酵させる人」としてこの場にいる。

左から編集者の藤本智士さん、精神科医の星野概念さん

左から編集者の藤本智士さん、精神科医の星野概念さん

立場やフィールドは異なれど、長いスパンでひとつの対象と接している二人には、まるで「発酵」のような共通点がある。そのことから、「二人は物事との関わり方や成果を長期的に考えているのではないか?」という問いが投げかけられた。

フリーランスで得た「待つ」姿勢によって、長年の思いをかたちにした

ひとつの物事に対して長期的な視点を持てる理由について藤本さんは、自身で会社を起こしてフリーランスに近い働き方をしているため、普通の企業やサラリーマンと違って「待てる」のだと回答。

藤本:たとえば、2018年にタイガー魔法瓶とコラボレーションしてコップつきの水筒をつくりました。当時手がけていた雑誌をきっかけに企画が動き出してから完成までに12年もかかったのですが、一時は、魔法瓶にあえてコップをつける意味を理解してもらえなかったんです。でも、世間が効率化とは別の価値観を大切にするようになってきたため再評価され、販売に至りました。

12年の歳月のあいだに企画が消滅しなかった理由を、「本件に限らず、ことあるごとに企業とコミュニケーションをとるなど、機会をみてはアプローチしていた」という。短期的な実現だけを焦らず、いわば「発酵」を待ったからこそ実現できた好例といえるだろう。

待つだけでもだめ。望む結果になるように「適度にかきまぜる」ことも必要

続いて、星野さんが精神科医として臨床するなかで得た、「長期的な視点」について話してくれた。

星野:人の心は複雑で、急激な変化を与えるとバランスが崩れて悪い方向に行くこともあるんです。だから精神科医であるぼくは、患者さんが何かのきっかけでいい方向に動いたときに、自分自身と少しずつ向き合えるように、伴走者であり続けることを心がけています。

これもまた、慌てず焦らず「発酵を待つ」ことと通じるものがあるのではないだろうか。

しかし発酵は、寝かせるだけでは望んだ結果が得られないこともある。「いかに、適切にかきまぜるか」が肝要になる場合もあるだろう。続いての問いとしてゲストに投げかけられたのは、それぞれのフィールドを発酵させるために、どのようなことをしているのか。

星野さんは、微生物と人間の活動に似たものを感じているという。

星野:腐敗という言葉のイメージが強すぎるのだけど、発酵と腐敗を人のケースに置き換えた場合、「社会にコミットしているか、逸脱しているか」になると考えました。病者と非病者を分けるとき、社会にとって違和感がないか、あるかで見ることは少なくないけど、それは社会にとってであって、その人の良い悪いとはまた別。

とはいえ、社会から大きく逸脱してしまうと辛くなることが多いのも現実なので、精神科医であるぼくの役割は、伴走しながら患者が逸れそうなときに整える(=適切にかきまぜる)ことではないかなと。

人間もまた、文脈や捉え方次第でどちらにもなり得る生き物なのかもしれない。その一方で星野さんは、「簡単に人の心は変えられない」「自分のものさしに沿わせるのはおこがましい」など、複雑な心を持つ人間と向き合う難しさも語っていた。

日々、ひとつのものに向き合っていると、細かい変化を感じとれるようになる

これに対して小笠原教授も、分野は異なれど専門家として賛同。

小笠原:はっきり言うとぼくらは微生物の生き方を全然知らないし、地球上にいる微生物のなかで人間がコントロールできているのは0.001%以下。だからサイエンスは謙虚じゃなきゃダメなんです。

また、微生物自身も、酵素を出すもの、アルコールを出すものなど、それぞれが身の丈で生きている。どう活用するかは人間の都合で選んでいるだけであることから、「学生は教授を選べるけど、教授は学生を選べない」と自身の立場からも身の丈で生きることの大切さを語っていた。

藤本さんは、「かきまぜる(物事を動かす)タイミングは、思い出したときでいいんですよ」と、一瞬いい加減とも思える発言を展開。

藤本:「発酵文化人類学」で知られる小倉ヒラクくんが、味噌屋の友人と一緒にお酒を飲んでいたときに、その友人が突然「麹が呼んでる!」と言って帰ってしまったそうで(笑)。でも後日、小倉くんが自身で味噌づくりをはじめるなかで、その感覚が「わかってきた」と言っていたんです。

これに対して精神科医の星野さんも、医者になって5年目あたりから、例えば「この患者さんは、もう少ししたら幻聴が再燃するかもしれない」といったことが、感覚的にわかるようになってきたと同調。

星野:それが「発酵している」状態なのかというと違うかもしれないけど、日々向き合って、細々としたものに目を向けていくと、それまで感じられなかったものが感じられるようになっていく気がするんです。

ただその一方で、対人関係や物事に対して「わかりきる」ことを目指すと、だいたいわかりきれない。患者さんに限らず人と接するときには、「自分はこの人のことをわかりきることはできないと思ったほうが、わかろうとし続けられる」と思っていますね。

しかしながら現在の世の中では、何につけ「わからないといけない」という強迫観念に襲われ、生きにくさを感じている人も多い。

ファシリテーターの安東さんは、思考が固定化されてしまった人を「かきまぜられていない状態」と表現。すると、星野さんは「自分を自分でかきまぜるって難しい」と、精神科医ならではの見解を述べる。人は心配ごとがあるとき、自分でほぐすのが非常に難しくなるため、そのやり方を一緒に考えるのが精神科医なのだと話す。

どこで働き、どこで暮らす? 自分らしく生きるために地方を選んだ理由

時間が経つにつれ、まるで発酵するかのごとく活性化していったトークセッションだが、終盤ではどこで生活し、どこで働くかが大きな議題となった。

「東京で自分の個性や生き方を考えるのは大変だと思う」と話したのは、岩手出身で現在は長岡市に住む小笠原教授。

小笠原:いろんなものがあって多くの人が行き交う東京とは違い、長岡のような地方都市では、ある程度決まった人間関係のなかでコミュニケーションをとるため、自分の会話がどう影響しているのかわかるところがいいなと思っていて。

藤本:ぼくは兵庫県の西宮に住み続けているのですが、そもそも東京に行くという概念がなかったんですよね。なので、たとえば秋田の仕事も、都会の視点で田舎を引っ張り上げる感覚ではなく、「一緒にやらせてもらえませんか?」というリスペクトを根底にしたスタンスで携わっているんです。

世の中は自分の思い通りにいかないもの。適度に思考をかきまぜて、生きていく

そして「身の丈で生きるっていうのは、今日の話を一言で表している気がする」と総括したのは星野さん。

星野:若い人のなかには、自分が設定したロールモデルそのものになろうと頑張りすぎてしまったり、身の丈以上の場所を目指して、うまくいかずに自暴自棄になってしまったりすることも多い。でも人生は思い通りにいかないこともあるから、こうあるべき、こうしなければと思い込みすぎないことが、心の健康のためには大切なんですよ。

このあと、質問タイムを経てイベントは終了。「今日お二人と話して、ちょうどいい発酵ができた」という小笠原教授は、その後も会場内に残る来場者たちに日本酒を振る舞いながら談笑。時間いっぱいまで交流を続け、発酵的トークセッションはお開きとなった。

なお、会場内の壁には、上園海さんによってリアルタイムで描かれていたグラフィックレコーディングの完成版も貼り出され、スマホで撮影して持ち帰る人の姿も数多く見られた。

2時間越えとなったトークセッションをその場ですべて消化しきれた人は少ないだろうが、あとからグラフィックレコーディングを見返して、適度に思考をかきまぜれば、イベントの記憶もいい具合に発酵するのではないだろうか。その先に生まれる何かを楽しみにしつつ、長岡市のこれからの取り組みを待ちたいと思う。

気になる

Pick up
Company

PR